昭和天皇物語(漫画)のネタバレ解説・考察まとめ

『昭和天皇物語』とは半藤一利の『昭和史』を原作とする、『ビッグコミックオリジナル』2017年9号より連載を開始した能條純一による歴史漫画である。原作以外にも複数の文献資料や当時の新聞などからも補強されている。主人公は昭和天皇である。明治天皇崩御から大東亜戦争前、戦中、戦後という激動の日本を昭和天皇がどのように駆け抜けたのか描かれている。他の重要人物も活々とリアルに描かれており、二十世紀日本の歴史全体の流れや天皇制の在り方など改めて振り返られる内容である。
足立タカ「雑草という名の草はありません。」
第1巻1話に登場する。
皇孫御殿における養育係に任命された足立タカが幼い裕仁に向けて話した言葉である。裕仁がタカと共に敷地内を散策中見たことのない草に遭遇する。それに対し草花が好きな裕仁はタカに「この草は何という?」とタカに尋ねる。するとタカは反射的に「その草は雑草です。」と答える。しかしここでタカは咄嗟に「あ、違います!タカが間違っていました。」と訂正し、続けた言葉が「雑草という名の草はありません。」である。「その草がどのような名か後で調べておきます。」とし、タカは決して誤魔化すことをしなかった。どのような生命にも名前があるとする、どのような生命も大事にし、尊重することを裕仁はここで学ぶとても重要なシーンでもある。この言葉は裕仁の胸に強く刻まれる。
裕仁「竹山!!永遠に永遠にさらばだ…朕は国家なり。」

第2巻9話に登場する。
ミジンコを採取している裕仁の元へ東郷訪ねた時、東郷は“竹山”と彫られた判子を偶然見つける。“竹山”とは裕仁が自ら名付けた仮名であった。級友達が苗字で呼び合う姿に憧れた裕仁は、一時期、自らを“竹山”と名乗っていた。またその仮名を刻んだ判子もまた掘っていた。しかし、杉浦重剛から教育勅語の講義を受け、将来天皇に即位するであろう身分への意識が芽生えたのを気に、御学問所の敷地内に流れる小川に放り捨てていた。東郷はそれを偶然発見する。裕仁はそれを東郷から返してもらう。その頃、欧州では第一次世界大戦が勃発していた。それを憂いてか裕仁は「僕が天皇になる頃には平和かそれとも…」と案じる。更に「ならば人に命を捧げても恥じない天皇になろう」と“竹山”と彫られた判子を再度投げ捨てる。続けて述べた言葉が「竹山!!永遠に永遠にさらばだ…朕は国家なり。」である。裕仁自身が国であるという天皇像が裕仁の中にしっかり刻まれた重要なシーンである。
原敬「御意!!言わせとうございます!!」
第4巻26話に登場する。
裕仁の欧州外遊中に大正天皇である嘉仁の病状は悪化してしまう。嘉仁の病状悪化に伴い、宮中や政界では裕仁の摂政就任により国事を委ねるべきという声が上がり始める。第19代内閣総理大臣である原敬も裕仁の摂政就任を望んでいた。その意を伝えるため皇后節子の元へ謁見した際、原は偶然嘉仁と出くわす。挨拶をする原に嘉仁は「はて、誰だったか。」と原を理解できないでいた。その元へ節子がやってくる。すると原は土下座をして節子へ「天皇陛下のご親署が戴けなければ…国家機能が停止してしまいます!!」とし、改めて裕仁の摂政就任を願い出る。それに対し節子は「私に“わかった”と言わせたいのか?」と改めて問う。この時の原の名言が「御意!!言わせとうございます!!」である。不安定な国際情勢の中、国家機能の停滞をさせるわけにはいかないとする原の意思が最も如実に表れているシーンである。
裕仁「…正直、後悔してる。」
第8巻59話に登場する。
関東軍の謀略により行われた張作霖爆殺事件に陸軍出身で元陸軍大将の第26代内閣総理大臣の田中義一は関与していたはずであった。しかし、その事件について上奏した際には誤魔化し「陸軍の者が関与していればその者を厳罰に処するつもりでございます。」と発言する。その後、田中が事件の調査結果を上奏したのは半年後であった。そこで田中は「…関東軍にも責任があり、軽度の行政処分で済ませたいと存じます…。」と苦し紛れな回答をする。これに対し裕仁は「話が違うではないか。」と激怒する。更に「日本に嘘をつく総理などいらない!!」として結果的に田中内閣を総辞職に追い込む。その日の夜、裕仁が妃の良子にぽつりともらした言葉が「…正直、後悔してる。」である。感情に任せ田中を追い詰めたことと“君臨すれども統治せず”という大原則を破ってしまったことに裕仁は激しく後悔する。「天皇として抱いてはならない言葉を考えていた」という前置きがその事の重大さを物語る。田中はその後急性の狭心症で死去する。その後裕仁は政府の方針に不満があっても決して口を挟むことはなかった。
安藤輝三の部下「早く戦地に行って死にたいと存じます!!」
第8巻62話に登場する。
昭和5年11月14日に行われた陸軍大演習において、陸軍中尉の安藤輝三の部下が安藤に「自分たちはいつ戦地に赴くのか?」と尋ねる。そこで更に言い放った言葉が「早く戦地に行って死にたいと存じます!!」である。昭和恐慌の影響でこの安藤の部下の生家は窮地に追いやられていた。そんな田舎からその部下に届いた手紙には“早く戦地に行って死んでくれ”と記されていた。戦死すると弔慰金が家族に支給されるからであった。その部下は「早く死んで親孝行がしたい。」更に続ける。弔慰金アテに実の息子に死んでくれとねだる父親、当時の異様さを垣間見れるシーンである。
裕仁「これ以上何を、何を朕に望むのか!?」
第9巻72話に登場する。
裕仁の弟である雍仁は満州において満州国を建国するなどの関東軍の暴走にやきもきしていた。雍人は裕仁の元へ直接出向き「裕仁に上奏できる軍人は正確なことを伝えていない」と伝えた上で裕仁による親政を願い出る。この時、裕仁はそんな雍仁の申し出を聞き流すだけであった。後日裕仁は雍仁を直接呼びつけ「今日は私の心の中を明かしたい。」とした上で「私は天皇による親政は望まない。」と断言する。「皇祖皇孫が悲しむ」とする裕仁に雍人は「悲しんでいるのは国民です!」と食い下がる。ここで裕仁が雍人に言い放つ言葉が「これ以上何を、何を朕に望むのか!?」である。この後裕仁は妃の良子に「しかし天皇って大変だ」とこぼす。雍人を突き放すような言葉ではあるものの天皇としての立場を貫くことの過酷さを物語るシーンである。
鈴木貫太郎「陛下!!ご試練でございます…!!…ご試練ですぞ!!」
第10巻76話に登場する。
中国における満州国建国などの陸軍の暴走の影響は日本国にも波及する。昭和7年5月15日、日本軍部による満州国建国を民主主義に反し認めないとする犬養毅が海軍の青年将校に暗殺されるという五・一五事件が起きてしまう。同日この事件を侍従武官である奈良武二から報告を受けた裕仁は動揺を隠せずにいた。「国を守るべき軍人がなぜなんだ!!」とする裕仁はここで初めて侍従長である鈴木貫太郎の前で大粒の涙を見せる。ここで鈴木が裕仁言う言葉が「陛下!!ご試練でございます…!!…ご試練ですぞ」である。裕仁が人前で涙を見せるシーンはここだけである。裕仁の無念さと苦悩を痛烈に伝わるシーンである。
裕仁「福となせ…だな」
第11巻89話に登場する。
昭和11年2月26日陸軍青年将校達により政府高官や軍幹部を襲撃するクーデター未遂事件である二・二六事件が起きてしまう。二・二六事件が起きる前その予兆はあったものの「あいつら、とうとうやってしまった…」と裕仁は半ば放心状態となる。その裕仁に正気を取り戻してもらうため、侍従である甘露寺受長は“災い転じて福となせ”という言葉を伝える。ここで裕仁は正気を取り戻し返す言葉が「福となせ…だな。」である。犬養毅が暗殺された五・一五事件の時は涙を見せた裕仁ではあったが、今回はそのようなことがない、国家を大きく揺るがす事件にも動じない成長を果たした裕仁が窺えるシーンである。
裕仁「などあだ波の、たちさわぐらむ…」
第15巻119話に登場する。
ドイツ軍がポーランドへ侵攻することで第二次世界大戦へ突入する中、裕仁の意に反して日独伊三国同盟が結ばれる。“君臨すれども統治せず”の立場を貫かなければならない裕仁は何も口を挟めずにいた。三国同盟により日本は米国を敵に回してしまう。日本では第代内閣総理大臣である近衛文麿により大政翼賛会が結党される。これにより他の全ての党が解散させられ近衛政権の一党独裁体制が始まる。その後ドイツは独ソ不可侵条約を締結したはずのソ連へ侵攻する。このような中日本は米英との戦闘状況に陥ることもも辞さないとする国策遂行要領案を作成する。昭和16年9月6日対米開戦が決定される第6回御前会議が開かれる。この会議の場で、ここでも裕仁は戦闘回避を望んでいるものの“君臨すれども統治せず”の立場を貫かなければならなかった。ここで裕仁は日露戦争回避を望んだ明治天皇かつが詠み上げた和歌を詠みあげる。本来のその内容は“よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ”というものであった。しかし裕仁はこの“波風”の部分を“あだ波”とアレンジして詠みあげる。そのシーンが「などあだ波の、たちさわぐらむ…」である。裕仁が誰よりも対米開戦回避を望んでいたかが垣間見れる非常に貴重な場面である。
『昭和天皇物語』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
通常よりも大きい文字のサイズ
連載中の雑誌では文字のサイズを大きくしてより読みやすいようにしている。
昭和天皇と香淳皇后の出会いは幼稚園時代
裕仁殿下と香淳皇后の出会いは学習院幼稚園時代ではあるが、二人の仲はこの頃からとても良かった。
当時幼稚園の先生をしていた野口幽香は「このお二人は将来、ご縁組みでも出来そう」と感想を残していた。野口の予感は見事的中した。
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目次 - Contents
- 『昭和天皇物語』の概要
- 『昭和天皇物語』のあらすじ・ストーリー
- 明治天皇の崩御と乃木希典の自刃
- 裕仁の摂政就任と成婚
- 満州国創設
- 国際連盟脱退
- 二・二六事件
- 支那事変(日中戦争)
- 大東亜戦争(第二次世界大戦)
- 『昭和天皇物語』の登場人物・キャラクター
- 主要人物
- 裕仁(ひろひと)
- 雍仁(やすひと)
- 嘉仁(よしひと)
- 節子(さだこ)
- 良子(ながこ)
- 皇族・臣族・華族
- 宜仁(のぶひと)
- 睦仁(むつひと)
- 川村純義(かわむすみよし)
- 照憲皇太后(しょうけんこうたいごう)
- 久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)
- 久邇宮信子(くにのみやのぶこ)
- 久邇宮智子(くにのみやさとこ)
- 伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう)
- 梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)
- 一条朝子(いちじょうときこ)
- 久邇宮邦英王(くにのみやくにひでおう)
- 久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)
- 久邇宮俔子(くにのみやちかこ)
- 伏見宮貞愛親王(ふしみのみやさだなるしんのう)
- 閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)
- 小松輝久(こまつてるひさ)
- 松平節子(まつだいらせつこ)
- 照宮成子内親王(てるのみやしげこないしんのう)
- 柳原愛子(やなぎはらなるこ)
- 久宮内親王(ひさのみやないしんのう)
- 侍従、側近等
- 藤田尚徳(ふじたひさのり)
- 木戸孝正(きどたかまさ)
- 安住千代(あずみちよ)
- 甘露寺受長(かんろじおさなが)
- 入沢達吉(いりさわたつきち)
- 教職員
- 足立タカ(あだちたか)
- 菊池大麓(きくちだいろく)
- 大迫尚敏(おおさこなおはる)
- 杉浦重剛(すぎうらじゅうごう)
- 山川健次郎(やまかわけんじろう)
- 白鳥庫吉(しらとりくらきち)
- 服部広太郎(はっとりこうたろう)
- 野口幽香(のぐちゆか)
- 中村雄次郎(なかむらゆうじろう)
- 後閑菊野(ごかんきくの)
- 倉富勇三郎(くらとみゆうさぶろう)
- 三浦謹之助(みうらきんのすけ)
- 内閣総理大臣
- 鈴木貫太郎(すずきかんたろう)
- 寺内正毅(てらうちまさたけ)
- 原敬(はらたかし)
- 清浦圭吾(きようらけいご)
- 高橋是清(たかはしこれきよ)
- 山本権兵衛(やまもとごんのひょうえ)
- 若槻礼次郎(わかつきれいじろう)
- 幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)
- 田中義一(たなかぎいち)
- 濱口雄幸(はまぐちおさち)
- 犬養毅(いぬかいつよし)
- 近衛文麿(このえふみまろ)
- 斎藤実(さいとうまこと)
- 東條英機(とうじょうひでき)
- 林銑十郎(はやしせんじゅうろう)
- 高橋是清(たかはしこれきよ)
- 平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)
- 岡田啓介(おかだけいすけ)
- 廣田弘毅(ひろたこうき)
- 米内光政(よないみつまさ)
- 東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)
- 元老
- 山縣有朋(やまがたありとも)
- 西園寺公望(さいおんじきんもち)
- 松方正義(まつかたまさよし)
- 政治家
- 浜尾新(はまおあらた)
- 松平直国(まつだいらなおくに)
- 石原健三(いしはらけんぞう)
- 波多野敬直(はたのよしなお)
- 西園寺八郎(さいおんじはちろう)
- 牧野伸顕(まきののぶあき)
- 二荒芳徳(ふたらよしのり)
- 後藤新平(ごとうしんぺい)
- 入江為守(いりえためもり)
- 一木喜徳郎(いちききとくろう)
- 伊東巳代治(いとうみよじ)
- 樺山愛輔(かばやまあいすけ)
- 田中光顕(たなかみつあき)
- 古島一雄(こじまかずお)
- 井上準之助(いのうえじゅんのすけ)
- 内田康哉(うちだやすや)
- 湯浅倉平(ゆあさくらへい)
- 木戸幸一(きどこういち)
- 福田耕(ふくだたがやす)
- 阿部信行(あべのぶゆき)
- 森田利八(もりたりはち)
- 濱田國松(はまだくにまつ)
- 宇垣一成(うがきかずしげ)
- 畑俊六(はたしゅんろく)
- 桜内幸雄(さくらうちゆきお)
- 石渡荘太郎(いしわたしょうたろう)
- 原嘉道(はらよしみち)
- 賀屋興宣(かやおきのり)
- 東郷茂徳(とうごうしげのり)
- 外交官
- 珍田捨巳(ちんだすてみ)
- 林権助(はやしごんすけ)
- 松平恆雄(まつだいらつねお)
- 松岡洋右(まつおかようすけ)
- 船津辰一郎(ふなづたついちろう)
- 政治運動家
- 北一輝(きたいっき)
- 萱野長知(かやのながとも)
- 頭山満(とうやまみつる)
- 陸軍
- 乃木希典(のぎまれすけ)
- 石黒忠悳(いしぐろただのり)
- 奈良武次(ならたけじ)
- 中岡良一(なかおかこんいち)
- 大井成元(おおいしげもと)
- 石光真臣(いしみつまおみ)
- 安藤輝三(あんどうてるぞう)
- 岡崎生三(おかざきせいぞう)
- 永田鉄山
- 河本大作(こうもとだいさく)
- 板垣征四郎(いたがきせいしろう)
- 石原莞爾(いしわらかんじ)
- 菅波三郎(すがなみさぶろう)
- 本庄繁(ほんじょうしげる)
- 南次郎(みなみじろう)
- 金谷範三(かなやはんぞう)
- 田中隆吉(たなかりゅうきち)
- 白川義則(しらかわよしのり)
- 土肥原賢二(どいはらけんじ)
- 荒木貞夫(あらきさだお)
- 小畑敏四郎(こはたとしろう)
- 眞崎甚三郎(まさきじんざぶろう)
- 岡村寧次(おかむらやすじ)
- 鈴木率道(すずきよりみち)
- 相澤三郎(あいざわさぶろう)
- 村中孝次(むらなかたかじ)
- 有末精三(ありすえせいぞう)
- 磯部浅一(いそべせんいち)
- 丹生誠忠(にうよしただ)
- 村中孝次(むらなかたかじ)
- 林八郎(はやしはちろう)
- 坂井直(さかいなおし)
- 渡辺錠太郎(わたなべじょうたろう)
- 川島義之(かわじまよしゆき)
- 杉山元(すぎやまげん)
- 香椎浩平(かしいこうへい)
- 野中四郎(のなかしろう)
- 西義一(にしよしかず)
- 山口一太郎(やまぐちいちたろう)
- 寺内寿一(てらうちひさいち)
- 梅津美治郎(うめづよしじろう)
- 小磯國昭(こいそくにあき)
- 牟田口廉也(むたぐちれんや)
- 多田駿(ただはやお)
- 辻政信(つじまさのぶ)
- 植田謙吉(うえだけんきち)
- 中島哲蔵(なかじまてつぞう)
- 稲田正純(いなだまさずみ)
- 井置栄一(いおきえいいち)
- 荻洲立兵(おぎすりっぺい)
- 武藤章(むとうあきら)
- 鈴木貞一(すずきていいち)
- 海軍
- 東郷平八郎(とうごうへいはちろう)
- 小笠原長生(おがさわらながなり)
- 山本信五郎(やまもとしんごろう)
- 一条実輝(いちじょうさねてる)
- 島津忠重(しまづただしげ)
- 漢那憲和(かんなけんわ)
- 加藤友三郎(かとうともさぶろう)
- 上原太一(うえはらたいち)
- 竹下勇(たけしたいさむ)
- 四竈孝輔(しかまこうすけ)
- 加藤友三郎(かとうともさぶろう)
- 高橋三吉(たかはしさんきち)
- 三上卓(みかみたく)
- 百武三郎(ひゃくたけさぶろう)
- 大山勇夫(おおやまいさお)
- 山本五十六(やまもといそろく)
- 井上成美(いのうえなるみ)
- 吉田善吾(よしだぜんご)
- 及川古志郎(おいかわこしろう)
- 石川信吾(いしかわしんご)
- 堀悌吉(ほりていきち)
- 永野修身(ながのおさみ)
- 黒島亀人(くろしまかめと)
- 記者
- 後藤武男(ごとうたけお)
- 古野伊之助(ふるのいのすけ)
- 明治時代
- 大久保利通(おおくぼとしみち)
- 伊藤博文(いとうひろふみ)
- 赤禰武人(あかねたけと)
- 諸外国
- ダグラス・マッカーサー
- フレーベル
- クロス
- アレンビー
- ジョージ5世
- 蒋介石(しょうかいせき)
- 張作霖(ちょうさくりん)
- 張学良(ちょうがくりょう)
- 宣統帝溥儀(せんとうていふぎ)
- 婉容(えんよう)
- 川島芳子(かわしまよしこ)
- リットン卿
- チャールズ・チャップリン
- ジョン・サイモン
- ジョセフ・グルー
- 高宗武(こうそうぶ)
- その他
- 大迫(おおさこ)
- 久松(ひさまつ)
- 島津忠義(しまづただよし)
- 吉田茂(よしだしげる)
- 小泉(こいずみ)
- 山下(やました)
- 松平容保(まつだいらかたもり)
- 高橋むつ子
- 塚原伊勢松(つかはらいせまつ)
- 団琢磨(だんたくま)
- 高野虎市(たかのとらいち)
- 坂本駿馬(さかもとしゅんま)
- 甘露寺受長(かんろじおさなが)
- 松尾伝蔵(まつおでんぞう)
- 船津花枝(ふなづはなえ)
- 土肥明夫(どいあきお)
- 井置イク(いおきいく)
- 『昭和天皇物語』の用語
- 皇室
- 玉音放送(ぎょくおんほうそう)
- 今上天皇(きんじょうてんのう)
- 御門鑑札(ごもんかんさつ)
- 三種の神器(さんしゅのじんぎ)
- 教育勅語(きょういくちょくご)
- 皇族身位令(こうぞくしんいれい)
- 立太子の礼(りったいしのれい)
- 摂政(せっしょう)
- 皇室典範(こうしつてんぱん)
- 摂政設置に関する皇室会議(こうしつせっちにかんするこうしつかいぎ)
- 御璽(ぎょじ)
- 践祚(せんそ)
- 剣爾渡御の儀(けんじとぎょのぎ)
- 節折の儀(よおりのぎ)
- 大祓の儀(おおばらえのぎ)
- 皇嗣(こうし)
- 天長節(てんちょうせつ)
- 政治関連
- 立憲政友会(りっけんせいゆうかい)
- 親政国家(しんせいこっか)
- 貴族院(きぞくいん)
- 衆議院(しゅうぎいん)
- 枢密院(すうみついん)
- 二葉会(ふたばかい)
- ロンドン海軍軍縮会議(ろんどんぐんしゅくかいぎ)
- 立憲共和制(りっけんせいゆうかい)
- 満州四巨頭(まんしゅうよんきょとう)
- 詔勅(しょうちょく)
- 顕官(けんかん)
- 戒厳令(かいげんれい)
- 奉勅命令(ほうちょくめいれい)
- 軍部大臣現役武官制度(ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい)
- 御前会議(ごぜんかいぎ)
- 五相会議(ごしょうかいぎ)
- 荻窪会談(おぎくぼかいだん)
- 興亜院(こうあいん)
- 大政翼賛会(たいせいよくさんかい)
- 条約・宣言
- ポツダム宣言
- 独・ソ不可侵条約(どくそふかしんじょうやく)
- 日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい)
- 軍事
- 近衛師団(このえしだん)
- 奇兵隊(きへいたい)
- 陸軍歩兵第三聯隊(りくぐんほへいだいさんれんたい)
- 血盟団(けつめいだん)
- 皇道派(こうどうは)
- 熱河作戦(ねっかさくせん)
- 統制派(とうせいは)
- 上海海軍特別陸戦隊(しゃんはいかいぐんとくべつりくせんたい)
- 支那駐屯歩兵第1聯隊(しなちゅうとんだいいちれんたい)
- ゼークトライン
- 舞鶴要塞(まいづるようさい)
- 戦争・事件・出来事
- 大東亜戦争(だいとうあせんそう)
- 日露戦争(にちろせんそう)
- 日本海海戦(にほんかいかいせん)
- 旅順攻略(りょじゅんこうりゃく)
- 原敬暗殺事件(はらたかしあんさつじけん)
- 関東大震災(かんとうだいしんさい)
- 虎ノ門事件(とらのもんじけん)
- 戊辰戦争(ぼしんせんそう)
- 盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)
- 渡洋爆撃(とようばくげき)
- 北支事変(ほくしじへん)
- 支那事変(しなじへん)
- ポーランド侵攻
- パリ無血占領(ぱりむけつせんりょう)
- ソ連侵攻
- 建築物
- 東京女子高等師範学校附属幼稚園(とうきょうじょしこうとうしはんがっこうふぞくようちえん)
- 学習院(がくしゅういん)
- 東宮御所(とうぐうごしょ)
- 御学問所(ごがくもんじょ)
- 伏見桃山御陵(ふしみももやまごりょう)
- 招魂社(しょうこんしゃ)
- 大学南校(だいがくなんこう)
- 神武天皇陵(じんぶてんのうりょう)
- 学習院女学部(がくしゅういんじょがくぶ)
- 古希庵(こきあん)
- お花御殿(おはなごてん)
- 二葉幼稚園(ふたばようちえん)
- チェスターフィールド・ハウス皇太子宿舎
- ケンリー飛行場
- エジンバラ古城
- イーペル戦場跡
- 田母沢御用邸(たもざわごようてい)
- 赤坂離宮(あかさかりきゅう)
- 葉山御用邸(はやまごようてい)
- 大宮御殿(おおみやごてん)
- 振天府(しんてんふ)
- 賢所(かしこどころ)
- 衛戍病院(えいじゅびょういん)
- 陸軍衛戍刑務所(りくぐんえいじゅけいむしょ)
- 萩外荘(てきがいそう)
- 船舶
- 三笠(みかさ)
- 生駒(いこま)
- 香取(かとり)
- 榊(さかき)
- 出雲(いずも)
- 長門(ながと)
- 考え・言い伝え
- 長幼の序(ちょうようのじょ)
- 覇道(はどう)
- 王道(おうどう)
- 考道(こうどう)
- 宝積(ほうじゃく)
- 統帥権の干犯(とうすいけんのかんぱん)
- 君側の奸(くんそくのかん)
- 簒奪(さんだつ)
- 対支一撃論(たいしいちげきろん)
- 五族協和(ごぞくきょうわ)
- 開戦劈頭(かいせんへきとう)
- 通称
- 小田原の黒いキツネ
- 黄金狂時代(おうごんきょうじだい)
- 満蒙(まんもう)
- 今様水戸黄門(いまようみとこうもん)
- 歌
- 「船弁慶(ふなべんけい)」
- 「オールド・ラング・サイン」
- 世界一周唱歌(せかいいっしゅうしょうか)
- 書物
- 『中朝事実(ちゅうちょうじじつ)』
- 『西洋史講話(せいようしこうわ)』
- 『イソップ物語』
- その他
- 源義経(みなもとのよしつね)
- 竹山(たけやま)
- 村田眼鏡舗(むらたがんきょうほ)
- 半ドン
- おとり替え玉作戦
- ヴィクトリアピーク
- カーテシー
- 我田引鉄(がでんいんてつ)
- 転轍手(てんてきしゅ)
- 金婚漬け(きんこんづけ)
- 日本棋院(にほんきいん)
- リットン調査団
- 『昭和天皇物語』の名言・名セリフ/名シーン・名場面
- 足立タカ「雑草という名の草はありません。」
- 裕仁「竹山!!永遠に永遠にさらばだ…朕は国家なり。」
- 原敬「御意!!言わせとうございます!!」
- 裕仁「…正直、後悔してる。」
- 安藤輝三の部下「早く戦地に行って死にたいと存じます!!」
- 裕仁「これ以上何を、何を朕に望むのか!?」
- 鈴木貫太郎「陛下!!ご試練でございます…!!…ご試練ですぞ!!」
- 裕仁「福となせ…だな」
- 裕仁「などあだ波の、たちさわぐらむ…」
- 『昭和天皇物語』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 通常よりも大きい文字のサイズ
- 昭和天皇と香淳皇后の出会いは幼稚園時代
- 半藤一利の妻は夏目漱石の孫
- 雍仁は本来眼鏡をかけており作中はフィクション