The Beatles(ザ・ビートルズ)の徹底解説まとめ

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

ジャケットは前作に引き続きロバート・フリーマンが手掛けている。4人は手旗信号をしており、噂では「H・E・L・P」と表しているのでは、と言われていたが実際に表されているアルファベットは「N・U・J・V」である。ロバート・フリーマンは「私には手旗信号で『H・E・L・P』を表してはどうだろうというアイディアがあった。でも実際にやってみたら、あまり見栄えが良くなかったんだよ。結局は即興で色々やってみて、見栄えのいいポージングを採用したんだ」と語っている。
ちなみに撮影場所は映画のロケ地であるオーストリアの雪原のように見えるが、ロンドンのスタジオである。

アメリカではイギリス盤と全く同じ仕様、つまり同じジャケットで収録曲も同じアナログ・アルバムはリリースされていない。1987年のCD化で初めて登場した。
アメリカ盤の「Help!」の収録曲はイギリス盤と大きく異なり、映画で使用されたザ・ビートルズの7曲と、同じく映画で使用されたケン・ソーンのオーケストラ楽曲5曲で構成されていた。また表題曲「Help!」の冒頭には「ジェイムス・ボンドのテーマ」が引用されている。
ジャケットもイギリス盤と微妙に異なり、4人の並び順が違っている。よって手旗信号で表されているアルファベットは「N・V・U・J」である。

日本盤はイギリス・オリジナル盤と同仕様でリリースされた。ただしモノラルではなくステレオであった。イギリス盤と同仕様によるアナログ・アルバムのモノラル盤は1982年1月21日にオリジナル・モノ・シリーズとして限定リイシューされたのが初めてになる。

イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートでは、1965年8月14日付で、初登場1位に輝いている。その後10月9日まで1位に君臨、10月16日に2位に落ちるも翌週の10月23日に返り咲くと、11月27日まで1位となり、計15週間1位に君臨した。

映画のタイトルは決まるまでに二転三転している。監督のリチャード・レスターは最初「BEATLES2」と付けていたが、ジョンに「そんなタイトルの曲が書けるわけがないじゃないか!」と言われ却下。次にリンゴが「Eight Arms To Hold You」を提案したが、他のメンバーが気に入らずこれもボツ。ジョンは「リンゴの案がボツになってよかったよ。あのタイトルじゃ曲は書けない。多分、ポールに押し付けていただろうな」と語っている。一方、監督のリチャード・レスターは元々は「Help Help」というタイトルにしたかったのだが、既にアメリカ脚本家協会に登録されており断念していた。しかし、弁護士から「最後に感嘆符を付ければ法律上は問題ない」と言われ、最終的に「Help!」になった。よって、タイトル曲は当時のジョンの心境を吐露したような内容になってはいるが、実際にはまずタイトルが決定していたことになる。

本アルバムは今までとは少し異なるレコーディング形式を取っている。リハーサル中の演奏を第1、第2トラックにレコーディング。次はそのリハーサルを聴きながら第3、第4トラックにベースとなるリズムをレコーディング。そして第1、第2トラックを消し、そこに第3、第4トラックのベースとなるリズムを聴きながらヴォーカルやその他のアイテムをオーヴァーダブしていく、という方法がそれである。

マーティン以外の外部ミュージシャンが起用された初のアルバムである。フルート奏者のジョニー・スコットや弦楽四重奏がそれである。また、ポールがリード・ギターを弾いたり、ベースが参加していない楽曲があったり、ジョンが電子ピアノを弾いたり、とプレイする楽器に関しても流動的になった初めてのアルバムである。

ジョージ・ハリスンの曲が2曲採用されたのも、このアルバムが初めてである。

映画に関してポールは「僕たちにはちょっと合ってなかった。僕らはゲスト・スターみたいだったよ」と語っている。

映画に関してジョンは「クズだ! 監督のリチャード・レスターは、僕たちが何者でどういうことをしているのか、まるでわかっていない。だから映画はうまくいかなかったんだ。カエルの映画にハマグリが紛れ込んだみたいなもんさ」と語っている。

収録曲概説

● Help!
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。ポールが少し手助けをしている。
ジョン「後になって、僕は助けを求めて本当に大きな声で叫んでいたことがわかった。だからあれは僕の太ったエルヴィス時代だったといえる。映画を見てごらんよ。彼……僕……はとっても太っているし、とっても不安定で、完全に自分を見失っている」「僕がこれまでに書いた中で、真実を歌っているのは『Help!』と『Strawberry Fields Forever』だけだ」
ポール「あれはジョンが作った。いや、ジョンと僕でね。映画用にウェイブリッジのジョンの家で書いたんだよ。タイトルは絶望のあまりああなったのさ」「タイトルは監督が考えた。ジョンのメロディに相対するメロディがぼくのアイディアだ」
ジョージ「かなり複雑な曲だ。ちょっと『It Won't Be Long』に似ているね」

ジョンはコマーシャルな作りにするためにテンポを速くして歌ったが、後年彼はそのことを後悔している。

レコーディング記録では、モノ、ステレオともに第12テイクを元にしているとされているが、モノラル・ヴァージョンとステレオ・ヴァージョンではヴォーカルが異なる。また歌詞も所々異なっており、タンバリンの入り方も異なる(後述するようにこのタンバリンがキーになっていると推測される)。
マーク・ルイソン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」によると、モノ・ミックスで使用されたヴォーカルは「1965年5月の第4週」に映画「Help!」のアフレコ作業が行われていたロンドンのC.T.S, スタジオで「新たにレコーディングされた」と推測されている。
また、日経BP社発行「ザ・ビートルズ全曲バイブル」によると、なぜこのような作業が行われたか、以下のように推測している。
「この曲は同名映画主題歌として録音され、疑似演奏するビートルズの映像と重ねられて、映画冒頭のタイトルバックに使われることになった。さらにその映像をプロモーション用素材として、イギリスのテレビ局に配布することも決定。ところがボーカルパートと同じトラックに入っているタンバリンの演奏者が映像に映っていなかったため、当時のイギリスのミュージシャンズユニオンによる『テレビでの疑似演奏禁止』という規定に引っかかる可能性が非常に高かった」「そこでビートルズは、タンバリンが入らないボーカルパートを (フィルムの口の動きに合わせて歌う必要もあったため) 映画スタジオのCTSで新録音。この音源は、映画本編にも流用したほうが何かと都合がよかったので、その作業も行われた」「さらにシングル盤にも同じボーカルを収録するのが好ましいとの判断から、モノバージョンも6月18日に新録ボーカルに差し替えて再ミックスされたが、オープニング部分は従来の第12テイクの方が出来がよかったため、そちらが残された。ステレオバージョンに比べて徐々にテンポが遅くなるのは、映像と同期させる作業を経た名残と考えられる」

*レコーディング詳細
1965年
・4月13日
第1~第12テイクをレコーディング。
・4月18日
第12テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*3種類のリミックスが作成され、リミックス3がベストとして映画会社「ユナイテッド・アーティスツ」に渡される。
第12テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・リミックスも映画会社「ユナイテッド・アーティスツ」に渡されたが、未使用に終わっている。
・6月18日
第12テイクを元にステレオ・ミキシングが行われている。

● The Night Before
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「これは殆ど僕の曲」

ジョンはこの曲で初めてエレクトリック・ピアノを弾いている。

間奏とエンディングのリード・ギターはジョンとジョージがオクターブで重ねて弾いている。上がジョージで下がジョン。

*レコーディング詳細
1965年
・2月17日
第1~第2テイクをレコーディング。
・2月18日
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第2テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
・4月18日
第2テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。

● You've Got To Hide Your Love Away
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「僕がディランに凝っていた時に作った。僕にはカメレオンみたいなところがあって、なんでもまわりのものに影響されちゃうんだ」
ポール「ディランの影響を受けた曲。回りくどい言い回しや詩がジョンの琴線に触れたんだ」

ジョンの友人のピート・ショットン「初めて僕の目の前で作曲されたビートルズ・ナンバーがこの『You've Got To Hide Your Love Away』で、サビ前の『Hey!』は僕が提供したアイディアだ。ディランの影響を受けて作られたこの曲の歌詞は最初『I can't go on, feeling two foot tall (やってられない。背の高さが2フィートしかないような気分だ)』だった。なのにジョンは初めてポールに聞かせる時、何故だか『two foot small (背の低さが2フィート)』と歌ってしまった。ジョンは訂正しようとして、思わずブっと吹き出してしまい『そのまま残そう』と叫んだ。『気取ったやつらはみんなこっちの方が気に入るさ』」

ザ・ビートルズはこの曲で (アンディ・ホワイトとジョージ・マーティンを除くと) 初めて外部のミュージシャンを雇っている。ジョニー・スコット (当時はジョン・スコットと名乗っていた) というフルート奏者である。
ジョニー・スコット「4分の3拍子の曲で、どんなことをしたらいいかという大雑把な説明を聞かされた。彼らの要求を満たすには、まずテナー・フルートを吹き、アルト・フルートをオーヴァーダブするという方法が最適だったんだ。メンバーは4人ともその場にいた。リンゴは新婚ホヤホヤで浮かれていたっけ。ハネムーンから帰ってきたばかりだったよ」

イギリスのロッカーで、同性愛者であることをカミング・アウトしていたトム・ロビンソンは、この曲を同性愛を歌った初のロック・ナンバーだと呼んでいた。彼によるとこの歌詞は、同性愛者のブライアン・エプスタインに宛てたメッセージということだった。

*レコーディング詳細
1965年
・2月18日
第1~第9テイクをレコーディング。
・2月20日
第9テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第9テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● I Need You
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。

ジョージの作品が収録されるのは、セカンド・アルバム「With The Beatles」収録の「Don't Bother Me」以来のことである。

*レコーディング詳細
1965年
・2月15日
第1~第5テイクをレコーディング。
・2月16日
第5テイクにジョージのセカンド・ヴォーカル、カウベル、フット・コントロール式のトーン・ペダルを使用したエレクトリック・ギターをオーヴァー・ダブ。
・2月18日
第5テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第5テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Another Girl
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「繋ぎの曲と呼ぶのはちょっと酷かな。それ以上の曲だと思うよ」

ポールはリード・ギターも弾いている。

*レコーディング詳細
1965年
・2月15日
第1テイクをレコーディング。
・2月16日
第1テイクにポールのギターをオーヴァー・ダブ。
・2月18日
第1テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第1テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● You're Going To Lose That Girl
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ポール「6対4の割合でジョンが作った曲だったかな」

*レコーディング詳細
1965年
・2月19日
第2~第3テイクをレコーディング。
*通常であれば第1~第2テイクとなるが、コントロール・ルームのミスで第1テイクが第2テイクとアナウンスされてしまったため、こういう形になってしまった。
・2月20日
第3テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第3テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
・3月30日
オーヴァー・ダブ用のパートをレコーデンング (詳細は不明)。
・4月2日
第3テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっており、2月23日のリミックスが使用された。

● Ticket To Ride
ジョンの曲でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「ヘヴィ・メタルの先駆け的な作品。ドラミングのパターンはポールのアイディアだ」
ポール「エンディングのテンポをメロディだけ変えたのがすごい。最後で新たな展開になるというね」

ドラム・パターンのアイディアだけでなく、間奏とエンディングのリード・ギターもポールが担当している。

イギリス・ワイト島に「Ryde」という港町があり、ここにポールのいとこであるベット・ロビンズ (Bett Robbins) とその夫マイク (Mike)がパブを経営していた。この「Ticket To Ride」はジョンとポールがそのパブに旅をしたことがモチーフになっている。「Ticket To Ride」は「Ticket To Ryde (Rydeへのチケット)」に掛けたタイトルになっている。

ザ・ビートルズは当時のライバル・グループ、ザ・サーチャーズの「When You Walk In The Room」 (オリジナルはジャッキー・ディ・シャノン) にインスパイアされてこの「Ticket To Ride」を作っている。そしてザ・サーチャーズはそのアンサー・ソングとして「He's Got No Love」をリリースしている。

When You Walk In The Room/The Searchers

He's Got No Love/The Searchers

*レコーディング詳細
1965年
・2月15日
第1~第2テイクをレコーディング。
・2月18日
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第2テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
・3月15日
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*この日のリミックスは映画会社の「ユナイテッド・アーティスツ」及びニュー・シングルのマスターとしてキャピトル・レコードに渡されている。よって、映画で使用された「Ticket To Ride」はタンバリンとジョンのダブル・トラックの一つが抑え目にミックスされている別ミックスが使用されているが、アメリカ盤のシングルとの差異は見られない。

● Act Naturally
オリジナルはアメリカのカントリー・シンガー、バック・オーウェンスが1963年3月11日にリリースしたシングルで、全米カントリー・チャートのナンバー1に輝いている。

リード・ヴォーカルはリンゴ。

バック・ヴォーカルをポールが担当しているが、リンゴとポールのデュオはザ・ビートルズの楽曲の中ではこの曲だけである。

Act Naturally/Buck Owens

*レコーディング詳細
1965年
・6月17日
第1~第13テイクをレコーディング。
・6月18日
第13テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● It's Only Love
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「自分が作った中でも心底嫌いな曲のひとつだ。歌詞が最低でね」
ポール「刺激のない歌詞しかできなくても、そこで諦めることがあった。文学じゃないからね」

元々は「That's A Nice Hat (Cap)」というタイトルだった。のちにジョージ・マーティン・オーケストラがこのタイトルで「It's Only Love」のインストゥルメンタル・ヴァージョンをレコーディングしている。

*レコーディング詳細
1965年
・6月15日
第1~第6テイクをレコーディング。
・6月18日
第6テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● You Like Me Too Much
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。

1枚のアルバムにジョージの作品が2曲収録されたのは初めてである。

ジョンはエレクトリック・ピアノを、ポールとマーティンはスタンウェイのグランド・ピアノを2人で弾いている。

*レコーディング詳細
1965年
・2月17日
第1~第8テイクをレコーディング。
・2月18日
第8テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第8テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Tell Me What You See
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「取り立てて記憶に残る作品じゃない。アルバムの埋め草やB面用の曲も必要なのさ」

*レコーディング詳細
1965年
・2月18日
第1~第4テイクをレコーディング。
・2月20日
第4テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第4テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● I've Just Seen A Face
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「C&W風なのにアップ・テンポ。出来にはけっこう満足したよ」

ポールの叔母のジンがこの曲を気に入っていたため、『Auntie Gin's Theme (ジム伯母さんのテーマ)』という仮題がつけられていた。のちにジョージ・マーティン・オーケストラがこのタイトルで「I've Just Seen A Face」のインストゥルメンタル・ヴァージョンをレコーディングしている。

*レコーディング詳細
1965年
・6月14日
第1~第6テイクをレコーディング。
・6月18日
第6テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Yesterday
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。

ポール「ベッドからころがり落ちてきた曲だ。多分、夢の中で聞いたんだろう。ベッドの脇にピアノが置いてあったんだけど、僕はベッドをころげ出ると、ピアノのキーに手をのせた。頭の中でメロディができていたんだ。曲の全部ができあがっていた。完璧な形でね。信じられなかったよ。あんまり簡単に浮かんできたせいで、本当に自分が作ったとは思えなかった。きっと前にどこかで聞いたことのある、別の曲だと思ってた。それで何週間か、みんなに訊いてまわったんだ。その曲のコードを弾いて『これって何かの曲に似てない? 僕が作ったと思うんだけど』ってね。でもみんなこう言ったよ。『いいや、聞いたことないね。でもいい曲じゃないか』」
ジョン「僕は『Yesterday』に多大な賛辞を贈ってきた。あれはポールの曲で、ポールの赤ん坊みたいなものだ。よくできている。美しい。僕の曲だったら、と思ったことは一度もないけどね」

ポールは正式な歌詞が完成してタイトルが出来るまで、この曲に「Scrambled Egg」という仮題をつけていた。最初に歌っていた歌詞は「Scrambled Egg. Oh may baby how I loved your legs (炒り卵よ、ああ、どれほど僕は君の脚を愛していたか)」であった。

マーティン「私が初めて『Yesterday』を聴いたのは、1964年1月、パリのジョルジュ・サンク・ホテルでだった。ポールは『Scrambled Egg』という仮題で呼んでいてね。『何か一言のタイトルを付けたくて「Yesterday」はどうかと思っているけれど、あんまりメロドラマっぽいかな』と言ってた。そこで私は、『そんなことない、大丈夫だ』と言って聞かせたんだ。
ジョン「ポールが『Yesterday』の歌詞を書いた。意味をなしていないけど、いい詞だよ。確かにうまく合っている。僕の言っていることがわかるだろう? いいんだけど、でも全体的に見てみると、何も言っていないんだ。何がどうなったかわからない。彼女が去っていって、彼はそれが昨日だったらよかったのにって思うわけで、それだけじゃ、本当は何の解決にもなっていない。僕のだって解決している訳じゃなかったけど」

この曲でザ・ビートルズは初めて弦楽四重奏団を使用した。また、ポール以外のメンバーはレコーディングに参加しておらず、この曲がザ・ビートルズにとって初のソロ・レコーディングとなった。

マーティン「確かにこの『Yesterday』がひとつの転機になっている。今にして思えばあの時から、私は音楽に自分の印を残せるようになったんだ。部分的に私なりのスタイルが出来上がり始めた時だった。この『Yesterday』から、私は彼らの音楽をちゃんと編曲しはじめた。ビートルズとこの私以外のミュージシャンや楽器を使ったのも『Yesterday』が初めてだ(厳密に言えば、『You've Got To Hide Your Love Away』の方が約4ヶ月程早かったが)。『Yesterday』につけ加えられた要素は、単なるストリングス・カルテットにすぎなかったが、当時のポップス界においては大きな一歩だった。私たちがただ4つの楽器を演奏するだけという段階を脱し始めたのも、『Yesterday』のころだらだ。そしてもっと実験的なものへ進んでいった。最初は実験といっても、自分たちで使いこなせる原始的な道具に限られていたし、私のレコーディングの経験をもとに、やっていくしかなかったけれど」
「アコースティック・ギターだけでは物足りないということで、意見が一致したんだ。かといって、ドラムスではヘヴィーだし。私に考えられるのはストリングスだけだった。でもポールは心配していたよ。MORを連想させる甘ったるい要素は何であれ嫌っていたからね。それで私はクラシックの弦楽四重奏団を勧めてみた。彼もそのアイディアは気に入ったんだが、『ヴィブラードはなしだ。ヴィヴラートは一切やらせるな!』と言い張るのさ。いいヴァイオリン奏者にとっては、ヴィヴラートなしで演奏するのはひどく困難なことだ。ポールはミュージシャンたちに、生(き)のままの音が欲しいといったけれど、彼らにはそんなことできなかった。子供の楽団みたいなサウンドになってしまうからで。でもあれでよかったんだと、ポールもあとになって気づいたようだよ」
「スコアはポールと私が一緒に書いた。チェロをここに入れて、ヴァイオリンをあそこに入れて、といった具合にね。特にチェロが2度目に7thに移行するところはポールのアイディアだ。残念ながら私の思いついたことじゃない。それに彼は、最後の部分で第1ヴァイオリンが非常に高い音を出し続けるというアイディアも実行したがった。正直なところ、私はそれはちょっと退屈だと思ったが、彼の言うとおりにしたんだ。あとのアレンジは殆ど私が考えた。あの日のレコーディングでは、ポールは歌いながら同時にギターを弾いた。そしてそのあと、ストリングスを書いてオーヴァーダビングし、4つめのトラックで、ポールにもう一度、ヴォーカルをレコーディングさせた。もっといい歌が録れるかもしれないと思ったんだ。実際にはそうもいかなかったけれど。少なくとも私の意見では、よかったのは最初のセクションの終わりのところだけだった。『I said something wrong』のところだ。それでそこだけ差し替えたんだが、この20年間、すっかりそんなことは忘れていて、その部分はてっきりダブル・トラックにしたとばかり思っていた。でも、あれはダブル・トラックじゃない。実際はスピーカーからもれた声なんだ。ヘッドフォンは使っていなかったからね」

弦楽四重奏団のメンバーは以下の通り。
・第1ヴァイオリン:トニー・ギルバート
・第2ヴァイオリン:シドニー・サックス
・ヴィオラ:ケネス・エセックス
・チェロ:フランシスコ・ガバーロ
チェロを単層したフランシスコ・ガバーロ「(レコーディングの1週間後にスタジオの食道でポールに会った際に)彼は私に近づいてきて『あの「Yesterday」はヒット確実だよ』と言ったんです。私は『そりゃよかった! おめでとう!』と答えましたよ」

発売当時、イギリスではこの曲はシングルとしてリリースされなかった。

ポール「ヒット曲っていうのは、いつだって当たると思えないようなものが当たるんだ。例えば『Yesterday』や『Mull Of Kintyre』は、ヒットすると思えなかったけどヒットした。僕はリリースしたくなかったんだ。イギリスでは『Yesterday』を出さなかったし、シングルで出たのはアメリカだけだった。そんなにいい考えとも思えなかったからさ。こんなになるなんて、本当に信じられない」
「僕はこの曲のおかげでちょっと小馬鹿にされてしまった。ジョージには『あいつはいつも「Yesterday」のことばかり話している。ベートーヴェンかなにかかと思ってしまうよ』と言われたことがあるし。でも僕が今まで書いた曲の中で、最も完璧なものだってことは言えると思う。すごくキャッチーなのに陳腐じゃないし、曲を作ろうとしていると、時たま全てが揃った状態で、本質をつかめることがあるんだ。卵が産み落とされるときみたいに、傷もひびも、いっさい入っていないという状態でね」

この曲は、喉も張り裂けんばかりにシャウトするロック・ナンバー「I'm Down」を7テイク録り終えた後、わずか約1時間30分後にレコーディングされている。

*レコーディング詳細
1965年
・6月14日
第1~第2テイクをレコーディング。
・6月17日
第2テイクにセカンド・ヴォーカルとストリングスをオーヴァー・ダブ。
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・6月18日
第2テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Dizzy Miss Lizzy
オリジナルはアメリカのR&Bシンガー、ラリー・ウィリアムズが1958年2月24日にリリースしたシングル。
*ちなみにこのシングルのカップリング曲は、同じくザ・ビートルズがカヴァーした「Slow Down」。

リード・ヴォーカルはジョン。

アメリカにおいてはこの曲を最後に、1970年5月8日リリースのアルバム「Let It Be」に収録されている「Maggie Mae」までカヴァー曲を収録することはなくなる。
*イギリスでは1966年12月10日リリースの編集盤「A Collection Of Beatles Oldies」に収録された「Bad Boy」が最後となる。ちなみに「Dizzy Miss Lizzy」と「Bad Boy」は1965年5月10日にレコーディングされており、共にラリー・ウィリアムズがオリジナルである。

Dizzy Miss Lizzy/Larry Williams

*レコーディング詳細
1965年
・5月10日
第1~第7テイクをレコーディング。
第7テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*この日は「Dizzy Miss Lizzy」とともに「Bad Boy」 (共にオリジナルはラリー・ウィリアムズ)の2曲がレコーディング、モノ・ミキシング、ステレオ・ミキシングまで一気に行われており、完成したマスターは翌日には航空便でロス・アンジェルスのキャピトル・レコードに送られている。

Rubber Soul

Side A
1. Drive My Car
2. Norwegian Wood (This Bird Has Flown)
3. You Won't See Me
4. Nowhere Man
5. Think For Yourself
6. The Word
7. Michelle

Side B
1. What Goes On
2. Girl
3. I'm Looking Through You
4. In My Life
5. Wait
6. If I Needed Someone
7. Run For Your Life

1965年12月3日にリリースされた6枚目のアルバム。
シングル「Day Tripper/We Can Work It Out」(両A面シングル)の後にリリースされたが、このシングルの楽曲は収録されなかった。

レコーディング経過は以下の通り。

●1965年

6月17日
以下をレコーディング。
・Wait

6月18日
以下のモノ・ミキシング。
・Wait
*「Wait」はアルバム「Help!」用にレコーディングされたが収録されず、本アルバム「Rubber Soul」に収められた。

10月12日
以下の2曲をレコーディング。
・Run For Your Life
・This Bird Has Flown (のちの「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」)。

10月13日
以下をレコーディング。
・Drive My Car

10月16日
以下の2曲をレコーディング。
・Day Tripper
・If I Needed Someone

10月18日
以下の2曲をレコーディング。
・If I Needed Someone
・In My Life

10月20日
以下をレコーディング。
・We Can Work It Out

10月21日
以下の2曲をレコーディング。
・Norwegian Wood (This Bird Has Flown)
・Nowhere Man

10月22日
以下の2曲をレコーディング。
・In My Life
・Nowhere Man

10月24日
以下をレコーディング。
・I'm Looking Through You

10月25日
以下の6曲のモノ・ミキシング。
・Drive My Car
・In My Life
・If I Needed Someone
・Day Tripper
・Norwegian wood (This Bird Has Flown)
・Nowhere Man

10月26日
以下の6曲のステレオ・ミキシング。
・Drive My Car
・Day Tripper
・In My Life
・If I Needed Someone
・Norwegian wood (This Bird Has Flown)
・Nowhere Man

10月28日
以下のモノ・ミキシング。
・We Can Work It Out
*TV番組「The Music Of Lennon And McCartney」に使用するための作業。

10月29日
以下をレコーディング。
・We Can Work It Out
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・We Can Work It Out
・Day Tripper

11月3日
以下をレコーディング。
・Michelle

11月4日
以下の2曲をレコーディング。
・What Goes On
・12 -Bar Original
*「12 -Bar Original」は未発表であったが、のちに「Anthology 2」に収録された。

11月6日
以下をレコーディング。
・I'm Looking Through You

11月8日
以下をレコーディング。
・Won't Be There With You (のちの「Think For Yourself」)
*この日は、ファンクラブ向けの「The Beatles' Third Christmas Record」のレコーディングも行われた。

11月9日
以下の4曲のモノ・ミキシング。
・Michelle
・What Goes On
・Run For Your Life
・Think for Yourself
以下の3曲のステレオ・ミキシング。
・Think for Yourself
・Michelle
・What Goes On

11月10日
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Run For Your Life
・We Can Work It Out
以下の2曲をレコーディング。
・The Word
・I'm Looking Through You

11月11日
以下のモノ・ミキシング。
・The Word
以下のステレオ・ミキシング。
・The Word
以下の4曲をレコーディング。
・You Won't See Me
・Girl
・Wait
・I'm Looking Through You

11月15日
以下の5曲のモノ・ミキシング。
・I'm Looking Through You
・You Won't See Me
・Girl
・Wait
・Michelle
以下の5曲のステレオ・ミキシング。
・Wait
・I'm Looking Through You
・You Won't See Me
・Girl
・The Word

11月30日
以下のモノ・ミキシング。
・12 -Bar Original

12月3日
シングル「We Can Work It Out/Day Tripper」リリース。
アルバム「Rubber Soul」リリース。

ジャケットは再びロバート・フリーマンが手掛けている。彼はレノンの家でザ・ビートルズを撮影し、プロジェクターでアルバム・サイズのボール紙に投影した写真を使ってメンバーに説明をしていた。そのうち、スライドに使用していたボール紙が後ろに傾き、変に引き延ばされたような状態で映った。それを面白がったメンバーが「そんな風な写真が撮れるか?」とロバートに質問、ロバートは「出来るよ!」と答えた。その結果出来上がったのがこの少し間延びしたメンバーが写っているジャケットであった。
なお、中央文庫より出版されている「ビートルズを聴こう」の中で「ジャケット写真を撮ったロバート・フリーマンは『ウェイブリッジにあったジョンの自宅で撮った』と述べているが、背後の灌木などからサリー州のボルダミア湖のほとりで撮影されたのは明らか」と記述されている。「明らか」と断言しているが、推測するにまずジョンの自宅で撮影を行い、それをメンバーに見せ、引き延ばされたような効果がある写真を撮影したのがボルダミア湖のほとりだったのではないだろうか。

アメリカではイギリス盤と同じジャケットでリリースされたが、収録曲は異なる。A面の1曲目がいきなり前作「Help!」のアメリカ盤から漏れていた「I've Just See A Face」、B面の1曲目も「Help!」のアメリカ盤から漏れていた「It's Only Love」で始まる、というザ・ビートルズの意図を全く無視した内容になっていた。「Drive My Car」「Nowhere Man」「What Goes On」「If I Needed Someone」はアメリカ盤には収録されず、後にリリースされるアメリカ・キャピトル編集盤「Yesterday And Today」に収録されることになる。また「Nowhere Man」「What Goes On」はアメリカ独自のシングルとしてリリースされた。
アメリカではイギリス盤と同仕様のアナログ・アルバム、つまりザ・ビートルズがきちんと意図した形での「Rubber Soul」は結局はリリースされず、1987年のCD化で初めて登場した。

日本盤はイギリス・オリジナル盤と同仕様でリリースされた。ただしモノラルではなくステレオであった。イギリス盤と同仕様によるアナログ・アルバムのモノラル盤は1982年1月21日にオリジナル・モノ・シリーズとして限定リイシューされたのが初めてになる。

イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートでは、1965年12月11日付で、初登場1位に輝いている。その後翌1966年3月5日まで13週間1位に君臨していた。

「ぼくらがレコーディング・アーティストとして臨んだ最初のアルバムは『Rubber Soul』だった。スタジオを思い通りに使えるようになったんだ。それまでは2時間ですべて終わらせなければならないとか、テイクは3回以内じゃないとダメとか、それはもう不自由な状況だったんだ」と語るジョンの言葉通り、単なるロック・バンド、あるいは世界を席巻するアイドル、という枠を超えて、クリエイティヴなアーティストとしての頭角を如実に表してきた作品。これまでにも片鱗は見られていたが、ここまで全面に、あるいは大胆に表層化した作品はこれが初めて。制作直前に1ヶ月程の休暇を与えられたことも、創作意欲を高めることになった。ジョンはまた「以前のアルバムよりも明確な考え方を持って、レコード制作にあたった。ジャケットのコンセプトも、アルバム・タイトルも自分たちで考えた」と語っている。

アルバム・タイトルの「Rubber Soul」とはゴムの靴底のことであり、これをアルバム・タイトルに採用したのはポールのアイディア。「I'm Down」が録音されていたテープに、あるアメリカの黒人ブルース・マンがザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーを評して「音楽は悪くないが、あれじゃまるでプラスティック・ソウルだな」と言ったらしい、というポール自身の発言が残っていた。それをポールは面白がり、プラスティックをラバーに代えて、ゴムの靴底とのダブル・ミーニングに仕上げた。
「Anthology 2」に収録されている「I'm Down」の最後には「Plastic Soul Man Plastic Soul」とつぶやくポールの言葉を聴くことが出来る。

ポールはこのアルバムからリッケンバッカーのベースを使い始めている。これは、ポールがザ・フーのベーシストであるジョン・エントウィッスルが使っていたリッケンバッカーのベースを見て気に入ったからである。

のちにザ・ビートルズの代名詞の一つにもなる「インド音楽」の楽器、シタールが使用されたのはこのアルバムが初めてであった。また、インド音楽のみならず、バロック風の作品を提供したり、フランス語の歌詞を挿入したり、ベース・ギターにファズをかけてみたり、と様々な試みを行っている。

ポールは「ジョンも僕も数年前の曲とは違うものになっていると思う。どっちが良いかはわからないけど、とにかく違うんだ。僕らは満足しているよ。現状維持なんてつまらないからね。僕らの音楽を淀ませたくないんだ」
「ビートルズという地位はもう確立した。ファンは今後もついてきてくれるだろうし、ポップの限界を広げることもできるはずだ。もう他人の真似をする必要はないのさ」
「2年前に撮影した写真を『これは君だよ』と言われても、そんなのはどうでもいい、これが新しい写真だ、ってことになるだろう? 以前のアルバムと今度の『Rubber Soul』は、ちょうどそんな関係さ。これが今のビートルズなんだ。変わらないでほしいと周りは言うけど、それじゃあマンネリだよ。23歳でピークを迎え、その後に何の成長もない……そんな人生を望むやつはいない。なのに、どうして僕らにそれを要求するんだい? 『Rubber Soul』は僕にとって、成熟した人生の幕開けなんだ」と語っている。

ジョンは「ビートルズの音楽は進化し、もっとビートルズらしくなったんだ。以前は誰にでも真似できる音楽だった」と語っている。

ジョージは「このアルバムが一番好きだ。時間もかけたし、新しい試みも行った。成長の真っ只中で作ったビートルズの中ではベストのアルバムだ」と語っている。

マーティンは「このアルバムは、新しいビートルズの姿を世にしらしめた最初のビートルズ・アルバムだったといえる。それまでのアルバムはどちらかといえば、シングル曲の集合体だった。でもこの頃になると、アルバムを一種、独自のアートとして捉えるようになっていた。『Rubber Soul』はそれを形にした初めてのものだった」と語っている。

エンジニアのノーマン・スミスは「『Rubber Soul』では、ジョンとポールの意見の対立が目立ち始めた。それとジョージもポールの冷たい扱いに我慢を強いられていた。すでに4トラックのレコーディングができるようになっていたので、ジョージもあとからソロを入れられたんだが、ポールに関する限り、ジョージには決して合格点が出なかった。ポールはとにかく細かかったからね。」
「だからいくつかの曲では結局ポール自身がソロをやることになった。いったいどこまでこの気まずい状態がつづくのかと思ったよ。ジョージが2,3テイク録るだろう。するとわたしたちには充分だと思えるのに、ポールは『違う、違う』とかぶりを振る。そして彼はアメリカの曲を持ち出してきて、この曲を聴いてその通りにやれとジョージにいうんだ。それでまた最初からやり直しさ。ジョージがその通りにやると今度はこうだ。『OK、最初の16小説は悪くない。でも真ん中の……』結局、ポールはソロを代わりに自分でやってしまう。彼はいつも左利き用のギターを持っていたからね。そのうちにジョージがこのことで、ずっとポールの性根を嫌っていたのが判ってきた。表にはださなかったけど……」
「わかるだろう。ポールがグループ内で中心的な役割を果していたのは間違いない。彼は同様にプロデューサーという意味でも力を持っていた。ジョージ・マーティンがやれないときは、たいがいポールがいて、マーティンのやることと同じくらいちゃんとやった。彼ができなかったのはコードに記号をつけることだけさ。楽譜が読めなかったからね。でも彼はその部分をうたってみせて、アレンジャーにおおよそ的確に伝えることができた。さすがに弦楽器や管楽器のどっちに、自分の欲しい音が出せるのかまでは知らなかったけど。でもほとんどのアイディアはポールのものだ」と語っている。

ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは「僕が初めて『Rubber Soul』を聴いたのは、友人がやってきて『これを聴いてごらんよ。きっと気に入るから』と言われたときなんだ。そこで聴いてみたら、本当に夢中になってしまったんだ。続けて4回は聴いたと思う。感動してそれから2晩は眠ることも出来なかった。このアルバムは1曲、1曲が糸で結ばれているようだった。フォーク・ソングを集めたようなアルバムだった。アコースティック・ギターを多用し、ドラムスを控えめにしただけのフォーク・レコードじゃなくてね。名曲揃いのロック・アルバムなんて今までに聴いたことがなかったんだ。それが僕にとっての転換期だった。すべては『Rubber Soul』から始まったんだ。これからは自分もシングルの寄せ集めではなく、アルバム1枚をフルにつかって何かを表現したいと思った」と語っている。ちなみに、この時ブライアンが聴いたのはアメリカ編集盤の「Rubber Soul」であった。

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