The Beatles(ザ・ビートルズ)の徹底解説まとめ

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

ザ・ビートルズの初代マネージャー。1958年に彼がオープンしたカフェ「ジャカランダ」の常連客だったジョンとスチュアートがアランに仕事の世話を頼んだことから、アランはザ・ビートルズの初代マネージャーとなった。彼はまずドラムがいなかったバンドに、ピート・ベストを参加させ、1960年8月からアランの運転するバンに機材をのせて、ドイツのハンブルク公演を行う。結局1961年にアランはザ・ビートルズのマネージメントを降りているが、これは金銭面でのトラブルからであった。ザ・ビートルズがアランに支払うべきマネージメント料(週に9ポンドとも15ポンドとも言われている)を支払わなかったからである。
アランはのちに「ザ・ビートルズがあそこまで有名になるとは思っていなかった」と後悔の言葉を述べている。2016年12月30日死去。享年86歳。

Raymond Jones (レイモンド・ジョーンズ)

1964年10月4日にイギリスで出版された、ザ・ビートルズのマネージャ、ブライアン・エプスタインの自伝「地下室いっぱいの騒音」によるとこうである。
1961年10月28日、とある青年がブライアン・エプスタインの経営するレコード店に、「マイ・ボニー」というタイトルのシングルを買いにくる。店に在庫はなく、ブライアンはその青年に「誰が演奏しているのですか?」と訊ねると、青年は「ザ・ビートルズです」と答えた。実際にはトニー・シェルダンがドイツで作ったレコードであり、バックの演奏がザ・ビートルズであったのだが、これがのちにザ・ビートルズのマネージャーとなるブライアンが初めてザ・ビートルズの名前を知った瞬間と言われている。
その青年の名前が「レイモンド・ジョーンズ」という。ところがこの「レイモンド・ジョーンズ」という青年の情報が全くなく、多分架空の人物だろうということになった。

2001年に出版された、ブライアンと共にレコード店で働き、ブライアンと共にキャバーンへザ・ビートルズを観に行ったアリステア・テイラーの自伝によるとこうである。
「レイモンド・ジョーンズって男がやってきて、ザ・ビートルズのレコードがありませんか? ってエピソードは有名だけど、あれは僕がでっちあげたんだよ」
これにより「レイモンド・ジョーンズ」の架空人物説はダメ押しをされることになる。

2004年、イギリスの音楽雑誌「モジョ」に掲載されたインタビューによるとこうである。
「(前略)私はネムズ(ブライアンのレコード店)に行き、ブライアン・エプスタインに『ザ・ビートルズのレコードはないか?』と訊ねた。彼は『何者だい?』と聞き、私は『最高のグループなんですよ!』と言った。そのあとエプスタインはキャバーンに行って、自分の目で確かめた。私がビートルズを有名にしたわけじゃない。エプスタインがビートルズを有名にしたんだ。でも私がいなければ、そのあとの歴史は少しはちがうものになっていたかもしれないね」
このインタビューの主こそ、スペインの農場で隠居生活を楽しんでいるところを「発見」された「本物」の「レイモンド・ジョーンズ」であった。彼は架空の人物などではなく、実在したのだ。

Brian Epstein (ブライアン・エプスタイン)

ザ・ビートルズの二代目マネージャー。レコーディング契約からザ・ビートルズの初期のイメージ作り、映画界への進出やテレビをはじめとするメディア対応まで、さまざまな場面で手腕を発揮し、ザ・ビートルズを世界的スターに育て上げた人物。

1961年10月28日、レイモンド・ジョーンズという青年が「マイ・ボニー」というシングルを買いに、ブライアンの店を訪ねたことから、ザ・ビートルズの存在を知り、同年11月9日にキャバーン・クラブでザ・ビートルズのギグを体験、ほとんど直観でザ・ビートルズの未来を信じ、マネージャーになることを決断している。

彼が正式にマネージメント契約にサインしたとされるのは、1962年1月24日、当時のドラマー、ピート・ベストの自宅と言われている。その1月前にはデッカでオーディションを受けさせているが、合格には至らなかった。しかし、正式契約からわずか1ヶ月後の2月13日には、のちのザ・ビートルズの音楽プロデューサーとなるジョージ・マーティンと会談。5月9日には二度目の会談を行い、EMIとのレコーディングテストの約束を結んでいる。

1962年10月5日にはザ・ビートルズのデビュー・シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」がイギリス国内でリリースされている。ブライアンがレイモンドからザ・ビートルズの存在を知ってからここまでわずか1年以内の出来事である。このことだけでも、いかにブライアン・エプスタインが迅速でかつ的確な仕事をし、ザ・ビートルズを世に知らしめることに成功したかがわかる。

ただし、ある意味「水を差す」ような調査結果が最近になって発見されている。2016年に出版されたマーク・ルイソン著による「ザ・ビートルズ史」によるとこうである。
マーティンはEMIの上司にギャラのアップ交渉をしていた。ところがマーティンはのちの妻となる秘書のジュディと内密愛にあったことが発覚。怒った上司は罰としてEMIが興味を持っていなかったザ・ビートルズと契約しろ、とマーティンに命令した。つまりこれがザ・ビートルズがこんなにも早急にEMIと契約が取れた原因だったという。
真相はどうであれ(多分、これが真相なのだろう)こういう様々な事象や偶然がタイミング良く折り重なって、ザ・ビートルズという一つの奇跡が生まれたわけである。

ザ・ビートルズはセカンド・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がイギリスで大ヒット、その後アメリカに進出し大成功をおさめ、以降は全世界でその名を轟かせるまでに至るが、この間のブライアンの政治的手腕は特筆に値するだろう。彼の存在なくして、ザ・ビートルズの成功はなかった、あるいはもっと違った形になっていただろうことは想像に難くない。

1966年8月29日、サンフランシスコ・キャンドルスティックパークのコンサートを最後に、ザ・ビートルズはすべてのライヴ活動を中止。以降はレコーディング中心の活動となる。このことによりブライアンの仕事は激減。自分は必要とされていないのではないか、という思いに駆られ重度の鬱を発病してしまう。
そして、ザ・ビートルズのメンバーがインドへ向かって旅立った直後の1967年8月27日、アスピリンの過剰摂取により死去。享年32歳。自殺だったのでは、と言われているが、公式の検死は偶然の事故死とされた。ザ・ビートルズがライヴを中止してからわずか1年後のことであった。

George Martin (ジョージ・マーティン)

ザ・ビートルズのほぼ全ての音楽作品のプロデュースを務めた音楽プロデューサー。メンバーからの無理難題に近い要望にもきちんと対応し、ザ・ビートルズのみならず、ロック界や聴き手であるファンの音楽的成長をも促した人物でもある。

元々はEMI傘下のパーロフォンのマネージャーであり、コメディアンのピーター・セラーズなどのコメディ作品を多く手掛けていた。ザ・ビートルズを手掛け始め、大成功を収めると1965年にEMIから独立をしている。ザ・ビートルズ解散後も、ジェフ・ベック、チープ・トリック、エルトン・ジョンなどを手掛け、また、ザ・ビートルズのCD化の作業や、トリビュート作品のプロデュースなども行う。1999年に聴力の衰えから引退。2016年3月8日死去。享年90歳。

1962年2月13日、ザ・ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインがマーティンの元にザ・ビートルズの売り込みにくる。その時にデモ・テープを聴いたマーティンは「ひどいしろものだった」と語っているが、彼はザ・ビートルズにレコーディングを要請している。同年5月9日にもブライアンと会ったマーティンは、6月6日にザ・ビートルズをEMIスタジオに招き、レコーディング・テストを行っている。その時の逸話として、彼は緊張しているメンバーに対し「何か気に入らないことはあるかね?」と訪ねると、ジョージ・ハリスンが「ええ、あります。あなたのネクタイが気に入らないです」と答えたという。もちろんジョークであり、そういったユーモアのセンスも含め、彼は「実際に会ったとたんに恋をしてしまった」と語っている。

ブライアン・エプスタインの紹介欄でも記述したが、ここである意味「水を差す」ような調査結果が最近になって発見されているのを紹介しなければならない。2016年に出版されたマーク・ルイソン著による「ザ・ビートルズ史」によるとこうである。
ジョージ・マーティンはEMIの上司にギャラのアップ交渉をしていた。ところがマーティンはのちの妻となる秘書のジュディと内密愛にあったことが発覚。怒った上司は罰としてEMIが興味を持っていなかったザ・ビートルズと契約しろ、とマーティンに命令した。つまりこれがザ・ビートルズがEMIと契約が取れた原因だったという。
真相はどうであれ(多分、これが真相なのだろう)こういう様々な事象や偶然がタイミング良く折り重なって、ザ・ビートルズという一つの奇跡が生まれたわけである。

当時のもう一つの逸話として、マーティンはピート・ベストのドラム・プレイが気に入らず、「彼のプレイではレコーディングできない」と指摘。それが引き金となった形でピートは解雇されてしまう、というものがある。ただし、のちに出版されたマーティンの自伝「耳こそすべて」によれば、彼はピートの解雇には一切かかわっていないと語っている。

マーティンはザ・ビートルズの音楽プロデュースだけでなく、オーケストラやブラスのアレンジ、ピアノなどによる楽曲への参加、テープの逆回転やサウンド・エフェクトの作成などにも貢献、キーやテンポが異なる二つのヴァージョンを一つの曲として完成させるといったことまで行っている。メンバーからの要望に答えることも多く、「ポールは音楽的に判りやすい要望をしてきた」と語っているが「ジョンは曲のイメージを抽象的に説明することが多く、彼のアイディアの実現は本当に大変だった」と語っている。

彼の存在なしでは、ザ・ビートルズの音楽的成長はなかったかも知れない。少なくともメンバーが抱いていたアイディアはアイディアのままで実現することは困難だったであろう。もちろんジョージ・マーティン一人の手腕だけでなく、レコーディング・エンジニアであったジェフ・エメリックの存在も大きいが、ザ・ビートルズの4人にジョージ・マーティンが加わったことで歴史は大きく変わったといっても過言ではないだろう。

The Beatlesの略歴

誕生と死去

●1926年
1月3日
ジョージ・マーティン誕生。

●1930年
2月21日
アラン・ウィリアムズ誕生。
7月27日
アンディ・ホワイト誕生。
スコットランドのドラマー。
リンゴの代わりに「ラヴ・ミー・ドゥ」でドラムを叩いた人物。
「アラン・ホワイト」と混同している書き込みが多いが、プログレッシッヴ・ロック・バンド、イエスのアラン・ホワイトとは全くの別人。

●1931年
12月18日
アラン・クライン誕生。
ザ・ローリング・ストーンズのマネージャーだったが、ミック・ジャガーに嫌われて解雇される。
そののち、1969年にザ・ビートルズのマネージャーに就任。
ザ・ビートルズが設立した会社「アップル・コア」の再建に乗り出すも、様々な軋轢を残す。
特にポール・マッカートニーからは嫌悪されていた。
1977年、アップル・コアがアランに420万ドルを支払うことで関係を清算。

●1933年
2月18日
オノ・ヨーコ誕生。

ジョン・レノンと小野洋子。

●1934年
9月19日
ブライアン・エプスタイン誕生。

●1935年
5月20日
アストリット・キルヒヘル誕生。
スチュアート・サトクリフの婚約者。
ザ・ビートルズのマッシュルーム・カットは彼女がスチュアートに施したのが最初と言われている。
5月27日
マル・エヴァンス誕生。
元はキャバーン・クラブの用心棒であり、ブライアン・エプスタインが彼をザ・ビートルズのロードマネージャーとして雇い入れている。
ザ・ビートルズとはよき友人の関係でもあり、ザ・ビートルズがツアーを辞めたあともグループの助手として働き続けた。

●1938年
4月29日
クラウス・フォアマン誕生。
ドイツのミュージシャンでザ・ビートルズとの親交も深い。
1969年からはマンフレッド・マンのベーシストも務める。
ザ・ビートルズのアルバム「リヴォルバー」やアンソロジー・シリーズのジャケットは彼の手によるもの。

●1939年
9月11日
シンシア・パウエル誕生。

●1940年
5月21日
トニー・シェリダン誕生。
ドイツで無名時代のザ・ビートルズをバックに「マイ・ボニー」をレコーディング。

トニー・シェリダン。

6月23日
スチュアート・サトクリフ誕生。
7月7日
リチャード・スターキー誕生。
10月9日
ジョン・ウィンストン・レノン誕生。
12月26日
フィル・スペクター誕生。
ポピュラー音楽界に偉大な足跡を残した名プロデューサー。
ただしザ・ビートルズとの仕事では上手くいかなかった。
アルバム「レット・イット・ビー」をプロデュースしたが、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」にオーケストラを被せ、作者のポールを激怒させたりしている。
現在は殺人罪でカリフォルニア州立刑務所に服役中。

●1941年
5月24日
ボブ・ディラン誕生。
ノーベル文学賞まで受賞してしまったロック界の偉人。
ザ・ビートルズとの共演はないが交流はあり、彼らにドラッグを教えたのがボブだといわれている。
6月21日
レイモンド・ジョーンズ誕生。
9月24日
リンダ・イーストマン誕生。
10月13日
ニール・アスピノール誕生。
ザ・ビートルズのロード・マネージャー。
1968年にはザ・ビートルズが設立した「アップル・コア」の運営を任され、2007年4月10日に引退するまで任務を続けた。
11月24日
ピート・ベスト誕生。

●1942年
6月18日
ジェームズ・ポール・マッカートニー誕生。

●1943年
2月25日
ジョージ・ハリスン誕生。

●1944年
3月17日
パティ・ボイド誕生。

●1945年
3月30日
エリック・クラプトン誕生。
ザ・ビートルズのレコーディングに参加した数少ないミュージシャンの一人。
特にジョージ・ハリスンとは仲が良く、1991年にはそろって来日公演を行っている。
また、ジョージの前妻パティと結婚している(のちに離婚)。

●1946年
4月5日
ジェーン・アッシャー誕生。
ポールのガール・フレンドで婚約者だったが、ポールの浮気が原因で婚約を解消している。
8月4日
モーリン・コックス誕生。
9月2日
ビリー・プレストン誕生。
アメリカのミュージシャン。
ザ・ビートルズとの親交も深く、シングル「ゲット・バック」では「with Billy Preston」と名義がクレジットされている。
ザ・ビートルズの設立したアップルからレコードもリリースしている。

●1948年
5月18日
オリヴィア・トリニアード・アリアス誕生。
ジョージの二番目の妻。
ダーニ・ハリスンの母親。

●1956年
10月31日
メアリー・パトリシア・マッカートニー死去。
ポールの母親。

●1958年
7月15日
ジュリア・レノン死去。
ジョンの母親。

●1962年
4月10日
スチュアート・サトクリフ死去。
12月30日
ヒーザー・イーストマン誕生。
リンダと前夫の間に生まれた長女。
のちにポールと再婚する際の連れ子となる。

●1963年
4月8日
ジュリアン・レノン誕生。
ジョンとシンシアの間に生まれた長男。

●1965年
9月13日
ザック・スターキー誕生。
リンゴとモーリンの間に生まれた長男。

●1967年
8月19日
ジェイソン・スターキー誕生。
リンゴとモーリンの間に生まれた次男。

●1969年
8月28日
メアリー・マッカートニー誕生。
ポールとリンダの間に生まれた長女。

●1970年
11月11日
リー・スターキー誕生。
リンゴとモーリンの間に生まれた長女。

●1975年
10月9日
ショーン・レノン誕生。
ジョンとヨーコの間に生まれた長男。

左がショーン・レノンで右がジュリアン・レノン。

●1976年
1月5日
マル・エヴァンス死去。

●1978年
8月1日
ダーニ・ハリスン誕生。
ジョージとオリヴィアの間に生まれた長男。

●1980年
12月8日
ジョン・レノン死去。

●1992年
12月6日
メアリー・エリザベス・スミス死去。
通称ミミ伯母さん。
ジョン・レノンの育ての親。

●1994年
12月30日
モーリン・コックス死去。

●2001年
11月29日
ジョージ・ハリスン死去。

●2006年
6月6日
ビリー・プレストン死去。

●2008年
3月23日
ニール・アスピノール死去。

●2013年
2月16日
トニー・シェリダン死去。

●2015年
4月1日
シンシア・パウエル死去。
ジョンの最初の奥さんでジュリアン・レノンの母親。
11月9日
アンディ・ホワイト死去。

●2016年
3月8日
ジョージ・マーティン死去。

主な出来事

1956年~1961年

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