The Beatles(ザ・ビートルズ)の徹底解説まとめ

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

Daydream/The Lovin' Spoonful

*レコーディング詳細
1966年
・6月8日
第1~第3テイクをレコーディング。
*この時点では「A Good Day's Sunshine」というタイトルだった。
・6月9日
第1テイクに手拍子やマーティンのピアノなどをオーヴァー・ダブ。
第1テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・6月22日
第1テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● And Your Bird Can Sing
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン自身はこの曲を評価していない。
ジョン「これもやっぱりゾっとするようなやつだ」「捨て曲のひとつだよ」
ジョージ「(CDを)聞いてみると、いくつか本当にいい感じの曲がある。『And Your Bird Can Sing』みたいにね。あれはポールと僕、いやジョンと僕だったかな。ギターでハモっているんだ。ミドルエイトの間はずっと。結構複雑なラインだった」

*レコーディング詳細
1966年
・4月20日
第1~第2テイクをレコーディング。
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われている。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・4月26日
第3~第13をレコーディング。
第10テイクにジョンのヴォーカル、ポールとジョージのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・4月27日
第10テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・5月12日
第6テイク、及び第10テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*これはアメリカ・キャピトル編集盤の「Yesterday And Today」用に行われたミキシング作業である。これによりこの「And Your Bird Can Sing」を含む3曲が「Revolver」から先行してこの「Yesterday And Today」に収録されることになる。また、イギリス用のミキシング作業はこれから行われるため、ミックス違いが生じることになった。
・5月20日
第6テイク、及び第10テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*2種類のリミックスが作られたが、アメリカ・キャピトル編集盤の「Yesterday And Today」、イギリス盤「Revolver」共に同じミックスが使用されている。
*ただし「Yesterday And Today」の初回盤はモノラル・マスターから作られた疑似ステレオ・ヴァージョンであった。
・6月6日
第4テイク、及び第10テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*イギリス盤「Revolver」用のミックス作業。

● For No One
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「これはスイスへ休暇でスキーに行ったときに書いた。雪に埋もれた貸別荘でね」
ジョン「これも僕が心底好きな彼の曲のひとつだ」

*レコーディング詳細
1966年
・5月9日
第1~第10テイクをレコーディング。
・5月16日
第10テイクにポールのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第10テイクをテープ・リダクションして第13テイク、及び第14テイクを作成。
*第11テイク、第12テイクは欠落。
・5月19日
第14テイクにフレンチ・ホルンをオーヴァー・ダブ。
・6月6日
第14テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・6月21日
第14テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Doctor Robert
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。ポールが少し手助けしている。
ジョン「これを書いたのは僕だよ。ポールがミドルの部分を手伝ってくれたと思う」「これは僕自身のことなんだ。ツアー先でいろんなクスリを持って行って分配するのは、いつだって僕の役目だった。最初のころはね。後になるとロード・マネージャーがやってくれるようになったけど」

実際にはこの曲はニュー・ヨークに実在した「Robert Freymann」という医師をモデルにした楽曲。彼は「スピード・ドクター (アンフェタミンやLSD、覚せい剤などを大量に処方してくれる医師のこと。ちなみにスピードとは覚せい剤のこと)」と呼ばれ、アンディー・ウォーホルなどニューヨークのアーティストの間では評判だった人物。ジョンの友人であるピート・ショットンは「Charles Roberts」という人物をモデルだ、と語っているが「Robert Freymann」という説の方が有力。ちなみに「Charles Roberts」は通常はボードウォー・ゲームを開発した人物として知られている。
ピート・ショットン「『Doctor Robert』は、ニュー・ヨークに実在するチャールズ・ロバーツ医師を……彼には「S」が付くんだけど……ジョンが半分皮肉りながら褒め称えた曲だ。普通とは違う処方箋を書いてくれるので、アンディ・ウォーホールの取り巻きたちは大のひいきにしていたし、ビートルズのメンバーもあの街に行った時はいつもお世話になっていた。はじめて『Doctor Robert』のアセテート盤を聞かせてくれた時、ジョンはしきりにニヤニヤしていたけれど、あれはきっと何百万というリスナーが何も知らずにこの曲を一緒に歌うんだと思っていたんだろう」
ポール「そう、彼は冗談みたいなもんだった。誰がなんの病気でも、覚せい剤や鎮静剤とかをあれこれ注射して治してしまうっていう。彼はニュー・ヨークをハイにしたのさ。『Doctor Robert』はそういう曲なんだよ。錠剤だけで全部片付ける医師のね。内輪のジョークのひとつだったんだけど、この曲を聞いたみんなが、それぞれに自分のケースに当てはめてくれれば、単なる内輪だけのジョークじゃなくなるし、そこが素晴らしいところでもあるんだ。僕らの曲を聞いてくれるみんなが、思い思いのレヴェルで、思い思いの意味合いを見つけてくれるっていうのが」

アメリカでは「Yesterday And Today」に収録されたが、この「Yesterday And Today」のモノラル・ヴァージョンは他と若干エンディングが異なる。
「Yesterday And Today」のモノラル・ヴァージョンは、他のヴァージョンに比べてフェイド・アウトするタイミングが早いが、最後までよく聞くと曲がきちんと完奏したところまで聞くことができ、曲が終わった直後に誰か(多分ジョン)が「OK.なんとか」と言っているのが聞こえる。

*レコーディング詳細
1966年
・4月17日
第1~第7テイクをレコーディング。
・4月19日
第7テイクへヴォーカルのオーヴァー・ダブ。
第7テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・5月12日
第7テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*これはアメリカ・キャピトル編集盤の「Yesterday And Today」用に行われたミキシング作業である。これによりこの「Doctor Robert」を含む3曲が「Revolver」から先行してこの「Yesterday And Today」に収録されることになる。また、イギリス用のミキシング作業はこれから行われるため、ミックス違いが生じることになった。
・5月20日
第7テイクよりステレオ・ミキシングが行われる。
*2種類のリミックスが作られ、リミックス1はアメリカ・キャピトル編集盤の「Yesterday And Today」、リミックス2はイギリス盤「Revolver」に使用された。よってステレオ・ミキシングでもアメリカとイギリスではミックス違いが生じることになった。
*ただし「Yesterday And Today」の初回盤はモノラル・マスターから作られた疑似ステレオ・ヴァージョンであった。
・6月21日
第7テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● I Want To Tell You
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ジョージ「この曲は、書いたり、話したり、伝えたりするのが難しい、ほとばしるような思いについて書いたものだ」

*レコーディング詳細
1966年
・6月2日
第1~第5テイクをレコーディング。第3テイクにジョージのヴォーカル、ジョンとポールのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。この第3テイクとテープ・リダクションして第4テイクを作成 (紛らわしいが第4テイクが2つ存在することになる)。
・6月3日
第4テイク(テープ・リダクションして作成されたテイクの方)にポールのベースをオーヴァー・ダブ。ベース・ギターのみに単独のオーヴァー・ダブはこの時が初めてだった。
第4テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・6月21日
第4テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Got To Get You Into My Life
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「管楽器を使ったのはこれが初めてのことだったと思う。ソウル・トランペットを使ったのもね」「マリファナに手を出した頃に書いた。この曲の相手は、人ではなくてマリファナなんだ」
ジョン「これも彼の傑作だろう。歌詞がいいし、しかも書いたのは僕じゃないんだから。LSD体験の結果生まれたに違いない」

モノラルとステレオではエンディングが異なる。
エンディングのポールのアドリヴによるヴォーカルがモノでは、「Every single day of my life」と続けて歌いその後もヴォーカルが入ってくるが、ステレオだと「Every single day」と歌った後に間をおいて「of my 」と歌い「life」はフェイド・アウトしてしまって聞こえない。また、モノの方がエンディングが若干長い。

*レコーディング詳細
1966年
・4月7日
第1~第5テイクをレコーディング。
・4月8日
第6~第8テイクをレコーディング。
・4月11日
第8テイクにギターのオーヴァー・ダブ。
・4月25日
第8テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*アセテート盤作成のための作業。アセテート盤とはメンバーやスタッフのために作成されるテスト盤のこと。
・5月18日
第8テイクにブラス・セクションをオーヴァー・ダブ。第8テイクをテープ・リダクションして第9~第11テイクを作成。第9テイクにヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第9テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・6月17日
第9テイクにギターをオーヴァー・ダブ。
第9テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・6月20日
第9テイクを元に作成されたモノ・リミックス7をコピーしてリミックス8を作成。そこにブラスに厚みを加えるために第8テイクのブラス・セクションをオーヴァー・ダブ。
この第9テイクのリミックス8を元にモノ・ミキシングが行われる。
・6月22日
この第9テイクのリミックス8を元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Tomorrow Never Knows
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「初めて書いたサイケデリック・ソング」「歌詞は僕が持っていた『チベットの死者の書』から引用した。タイトルにはリンゴが間違って口にした言葉を使っている。哲学的で重苦しい歌詞を軽くするためにね」
ポール「あれはまさしくLSDの曲さ。おそらくはあの曲だけがね」

マーティン「ジョンはダライ・ラマが山頂から歌っているような感じにしたがっていた。実際に言われたんだ。『あれが僕の欲しいサウンドなんだ』とね。そこで私は彼の声をラウドスピーカーに通して回転させてみた。すると実際に山の上から押し殺した鳴き声が聞こえてくるような感じになったわけだ」

ザ・ビートルズのメンバーはそれぞれ自宅で奇妙なサウンドを作って持参し、異なったスピードや逆回転をするなどしてバッキングに使用された。ジョンは8本のテープ・ループを作り、それを8台のテープ・レコーダーにかけて、好きなようにフェード・インさせたり、フェード・アウトさせたりしている。ポールが作った自分の笑い声のテープ・ループは鳥の鳴き声のように聞こえる。
ジョン「最初に考えたバッキングっていうのは往々にして実現しないものだ。『Tomorrow Never Knows』でも、僕が頭に置いていたのは、バックで何千人もの仏僧がお経を唱えているようなサウンドだった。もちろんこれは実現不可能だったから、結局は別の手を使うことになった。けっこうつまらない感じになって、僕はあまり気に入らなかったけど。僧侶が歌うっていう最初のアイディアに、もっとこだわるべきだった。今だとはっきりわかるんだ。あれこそ僕の欲しい音だったって」

モノラルとステレオではエンディングが異なる。また、イギリス盤モノラルには通常盤と初回盤が存在し、それぞれ異なるヴァージョンになっている)。
モノ、ステレオともにサウンド・エフェクトの入りタイミングやオルガン、タンバリンの有無などかなり細かい違いがあり、煩雑になりそうなので文章での記述は割愛する。ただし、イギリス盤モノラルの初回盤の大まかな違いのみ列記しておく。
・イントロにタンバリンが入っていない。
・テープ・ループのサウンド・エフェクトの量が、ステレオより少なく、通常盤のモノラルよりも多い。
・間奏の逆回転ギター音が、最後の1小節で欠落している。
・4番の「It is knowing」でオルガンが大きくかぶさってくる。
・エンディングが他より3秒ほど長いので、最後のピアノの続きを聞くことが出来る。
*イギリス盤モノラルが2パターン誕生した要因に関しては、下記の「レコーディング詳細」を参照のこと。

*レコーディング詳細
1966年
・4月6日
第1~第3テイクをレコーディング。
・4月7日
第3テイクにサウンド・エフェクトをオーヴァー・ダブ。
・4月22日
第3テイクにジョージのシタールとレズリー・スピーカーを通したジョンのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・4月27日
第3テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*この時に作成されたリミックス8が最終的に使用される(通常盤のモノラルに使用されたのがこのリミックス)。
・6月6日
第3テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*この日、リミックス10~リミックス12が作成され、一旦はリミックス11がベストに選ばれたが、アルバムのカッティング当日になってリミックス8に切り替わっている。
*通常のモノラル・ヴァージョンにはリミックス8が使用されたが、実はリミックス11を使用したレコードが一定量プレスされ、流通してしまった。これにより、イギリスでは初回盤と通常盤でモノラル・ヴァージョンが異なる。
・6月22日
第3テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

Side A
1. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
2. With A Little Help From My Friends
3. Lucy In The Sky With Diamonds
4. Getting Better
5. Fixing A Hole
6. She's Leaving Home
7. Being For The Benefit Of Mr Kite!

Side B
1. Within You Without You
2. When I'm Sixty-Four
3. Lovely Rita
4. Good Morning Good Morning
5. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
6. A Day In The Life

1967年6月1日にリリースされた8枚目のアルバム。
シングル「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」(両A面シングル)とザ・ビートルズ初のベスト盤「A Collection Of Beatles Oldies」の後にリリースされたが、シングルの楽曲は収録されなかった。

レコーディング経過は以下の通り。

●1966年

11月24日
以下をレコーディング。
・Strawberry fields Forever

11月25日
ファンクラブ向けの「Pantomine:Everywhere It's Christmas」をレコーディング。

11月28日
以下をレコーディング。
・Strawberry fields Forever
以下のモノ・ミキシング。
・Strawberry fields Forever

11月29日
以下をレコーディング。
・Strawberry fields Forever
以下のモノ・ミキシング。
・Strawberry fields Forever

12月2日
ファンクラブ向けの「Pantomine:Everywhere It's Christmas」をレコーディング。

12月6日
ファンクラブ向けの「Pantomine:Everywhere It's Christmas」をレコーディング。
以下をレコーディング。
・When I'm Sixty-Four

12月8日
以下の2曲をレコーディング。
・When I'm Sixty-Four
・Strawberry fields Forever

12月9日
以下をレコーディング。
・Strawberry fields Forever
以下のモノ・ミキシング。
・Strawberry fields Forever

12月15日
以下をレコーディング。
・Strawberry fields Forever
以下のモノ・ミキシング。
・Strawberry fields Forever

12月20日
以下をレコーディング。
・When I'm Sixty-Four

12月21日
以下の2曲をレコーディング。
・When I'm Sixty-Four
・Strawberry fields Forever
以下のモノ・ミキシング。
・When I'm Sixty-Four

12月22日
以下のモノ・ミキシング。
・Strawberry fields Forever

12月29日
以下のモノ・ミキシング。
・When I'm Sixty-Four
以下のステレオ・ミキシング。
・Strawberry fields Forever
以下のレコーディング。
・Untitled (のちの「Penny Lane」)
以下のモノ・ミキシング。
・Untitled (のちの「Penny Lane」)

12月30日
以下のモノ・ミキシング。
・When I'm Sixty-Four
以下のレコーディング。
・Penny Lane
以下のモノ・ミキシング。
・Penny Lane

●1967年

1月4日
以下をレコーディング。
・Penny Lane

1月5日
以下の2曲をレコーディング。
・Penny Lane
・Untitled
*「Untitled」はロンドンで開催されたイヴェント「Carnival Of Light」で使用されるために作られたサウンド・エフェクト・テープであり、現在までのところ未発表に終わっている。「Anthology 2」に収録される予定もあったが、ジョージ・ハリスンの反対にあって、実現はしなかった。
以下のモノ・ミキシング。
・Untitled

1月6日
以下をレコーディング。
・Penny Lane

1月9日
以下をレコーディング。
・Penny Lane
以下のモノ・ミキシング。
・Penny Lane

1月10日
以下をレコーディング。
・Penny Lane

1月12日
以下をレコーディング。
・Penny Lane
以下のモノ・ミキシング。
・Penny Lane

1月17日
以下をレコーディング。
・Penny Lane
以下のモノ・ミキシング。
・Penny Lane

1月19日
以下をレコーディング。
・In The Life Of (のちの「A Day In The Life」)

1月20日
以下をレコーディング。
・A Day In The Life

1月25日
以下のモノ・ミキシング。
・Penny Lane

1月30日
以下のモノ・ミキシング。
・A Day In The Life

2月1日
以下のレコーディング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

2月2日
以下のレコーディング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
以下のモノ・ミキシング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

2月3日
以下をレコーディング。
・A Day In The Life

2月8日
以下をレコーディング。
・Good Morning Good Morning

2月9日
以下をレコーディング。
・Fixing A Hole

2月10日
以下をレコーディング。
・A Day In The Life

2月13日
以下をレコーディング。
・Not Known (のちの「Only A Northern Song」)
*このNot Known (のちの「Only A Northern Song」)は「Sgt. Pepper's ~」には収録されず、アニメーションのサントラである「Yellow Submarine」に収録された。
以下のモノ・ミキシング。
・A Day In The Life

2月14日
以下をレコーディング。
・Only A Northern Song
以下のモノ・ミキシング。
・Only A Northern Song

2月16日
以下をレコーディング。
・Good Morning Good Morning
以下のモノ・ミキシング。
・Good Morning Good Morning

2月17日
シングル「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」リリース。
以下をレコーディング。
・Being for The Benefit Of Mr. Kite!
以下のモノ・ミキシング。
・Being for The Benefit Of Mr. Kite!

2月20日
以下をレコーディング。
・Being for The Benefit Of Mr. Kite!
以下のモノ・ミキシング。
・Good Morning Good Morning

2月21日
以下をレコーディング。
・Fixing A Hole
以下のモノ・ミキシング。
・Fixing A Hole

2月22日
以下の2曲をレコーディング。
・A Day In The Life
・Anything (別名「Drum Track (1)」)
*「Anything (別名『Drum Track (1)』)」はリンゴをメインとした、ドラムス、コンガ、タンバリンがフィーチャーされた実験的なレコーディング。未発表。
以下のモノ・ミキシング。
・A Day In The Life
以下のステレオ・ミキシング。
・A Day In The Life

2月23日
以下のステレオ・ミキシング。
・A Day In The Life
以下をレコーディング。
・Lovely Rita

2月24日
以下をレコーディング。
・Lovely Rita

2月28日
以下をレコーディング。
・Lucy In The Sky With Diamonds

3月1日
以下の2曲をレコーディング。
・A Day In The Life
・Lucy In The Sky With Diamonds

3月2日
以下をレコーディング。
・Lucy In The Sky With Diamonds
以下のモノ・ミキシング。
・Lucy In The Sky With Diamonds

3月3日
以下のレコーディング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
以下のモノ・ミキシング。
・Lucy In The Sky With Diamonds

3月6日
以下のレコーディング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
以下のモノ・ミキシング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
以下のステレオ・ミキシング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

3月7日
以下をレコーディング。
・Lovely Rita

3月9日
以下をレコーディング。
・Getting Better

3月10日
以下をレコーディング。
・Getting Better

3月13日
以下をレコーディング。。
・Good Morning Good Morning

3月15日
以下をレコーディング。
・Untitled (のちの「Within You Without You」)
以下のモノ・ミキシング
・Untitled (のちの「Within You Without You」)

3月17日
以下をレコーディング。
・She's Leaving Home

3月20日
以下の2曲をレコーディング。
・Beatle Talk
・She's Leaving Home
*「Beatle Talk」はBBCのキャスター、Brian Matthew によるインタビュー。
以下のモノ・ミキシング。
・She's Leaving Home

3月21日
以下の2曲をレコーディング。
・Getting Better
・Lovely Rita
以下のモノ・ミキシング。
・Lovely Rita

3月22日
以下をレコーディング。
・Within You Without You
以下のモノ・ミキシング。
・Within You Without You

3月23日
以下をレコーディング。
・Getting Better
以下のモノ・ミキシング。
・Getting Better

3月28日
以下の2曲をレコーディング。
・Good Morning Good Morning
・Being For The Benefit Of Mr. Kite!

3月29日
以下の3曲をレコーディング。
・Good Morning Good Morning
・Being For The Benefit Of Mr. Kite!
・Bad Finger Boogie (のちの「With A Little Help From My Friends」)

3月30日
以下をレコーディング。
・With A Little Help From My Friends

3月31日
以下をレコーディング。
・Being For The Benefit Of Mr. Kite!
以下の2曲のモノ・ミキシング
・With A Little Help From My Friends
・Being For The Benefit Of Mr. Kite!

4月1日
以下をレコーディング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
以下のモノ・ミキシング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)

4月3日
以下をレコーディング。
・Within You Without You
以下のモノ・ミキシング。
・Within You Without You

4月4日
以下のモノ・ミキシング。
・Within You Without You
以下のステレオ・ミキシング。
・Within You Without You

4月6日
以下のモノ・ミキシング。
・Good Morning Good Morning
以下のステレオ・ミキシング。
・Good Morning Good Morning
*この日、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」と「With A Little Help From My Friends」、そして「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」と「A Day In The Life」の曲間をなくす処理(クロスフェイド)が行われた。

4月7日
以下の4曲のステレオ・ミックス。
・With A Little Help From My Friends
・Being For The Benefit Of Mr. Kite!
・Fixing A Hole
・Lucy In The Sky With Diamonds
*この日も、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」と「With A Little Help From My Friends」、そして「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」と「A Day In The Life」の曲間をなくす処理(クロスフェイド)が行われた。

4月17日
以下の4曲のステレオ・ミキシング。
・Getting Better
・She's Leaving Home
・When I'm Sixty-Four
・Lovely Rita

4月19日
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・Good Morning Good Morning
・Only A Northern Song
*「Only A Northern Song」は「Sgt. Pepper's ~」には収録されず、アニメーションのサントラである「Yellow Submarine」に収録された。

4月20日
以下のステレオ・ミキシング。
・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
以下をレコーディング。
・Only A Northern Song

4月21日
以下のモノ・ミキシング。
・Only A Northern Song
以下をレコーディング。
・Edit For LP End
*レコードの演奏が終了したあとの、通常は無音状態の引き込み溝に収録された笑い声などのサウンド。

6月1日
アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」リリース。

ジャケットはポールのアイディアを元に、彼の友人であるピーター・ブレイクが手掛けている。ポールは「このアルバムは大作だから、ジャケットも本当に面白いものにしたかったんだ。お揃いの上着を着たり、タートルネック姿の感じよさそうな写真はまっぴらごめんだった。パントマイムっぽくて、もっとミスター・ボージャングルみたいな感じにしたかったんだ」と語っている。またメンバー全員が生やしている口髭に関しては「(1967年に)若者が口髭を生やすのは革命的アイディアと思われていたんだ」と語っている。最も最初に口髭を生やしたのはポールだったのだが、これは口元にできた傷の縫い跡を隠すために生やしたものだった。

ほぼ同時期にジョージも口髭を生やし始めるが、これはインドのシタール奏者でジョージのシタールの先生でもあるラヴィ・シャンカールから「インドに来る前に変装として口髭を生やしてくれ」と言われたからであった。ジョージは「口髭はシンクロニシティでもあり、集合意識の表明でもあった」と語っている。

ジャケットには軍服に身を包んだザ・ビートルズのメンバー4人、ザ・ビートルズの蝋人形、マネキン2体、シャーリー・テンプルの布製人形、福助の人形、ヒンドゥー教の女神ラクシュミーの像などの他に、58人の著名人が並んでいる。これに対し、当時のEMI会長のサー・ジョセフ・ロックウッドは「こんなに多くの著名人を載せたらたちまち山のような訴訟沙汰になるだろう」と心配し、代案のジャケットの見本を持ってポールの元に訪ねている。その時ポールは会長に対して「ビートルズのアルバム・ジャケットに載るなんて普通じゃあり得ないこと。喜んでくれていると思うよ」と答えている

実際に肖像権使用の許可を取るために奮闘したのは、ブライアン・エプスタインのアシスタント、ウェンディ・ハンソンだった。彼女は「許可をくれた人もいたけれど、当然ながらくれない人もいた。たとえば、フレッド・アステアは快諾してくれたけれど、シャーリー・テンプルは先にアルバムを聴かないことには返事は出来ないと回答してきた。マーロン・ブランドとはすっかり意気投合したけれど、メイ・ウエストはロンリー・ハーツ・クラブ・バンドで自分は何をするのか説明してほしいと言ってきた」と語っている。

肖像権侵害で訴えてくる人物は一人もいなかったが、その当時は訴訟数もそれほどに多くなく、またポールが語ったように「ザ・ビートルズのジャケットに載れた」ことを喜んだ、ということもあったのかも知れない。

アルバム・ジャケットを手掛けたピーター・ブレイクは「ポールが公園で見かけるバンドのような感じにしてくれというんで、それじゃあ公園の花壇のすぐ隣にあるステージで演奏を終えたばかりの楽団が、大勢の観客に取り込まれている、というふうにしようとなったんだ。観客をもってくるんなら、そこにはだれでもありって感じにしようと決めたのが、わたしの一番の貢献だったんじゃないかな」と語っている。

ジャケットの製作費も膨大なものとなり、EMIはこのアルバムに通常よりも高い定価をつけている。

裏ジャケットに歌詞を載せたのも初めてのことである。ロード・マネージャーのニール・アスピノールは「裏ジャケットには少し時間がかかった。最後の最後まで残ったよ。裏には歌詞を印刷するつもりだったから、デザインと平行して、曲順も決める必要があったんだ。これが難航してね。たしかウエストエンドのキングリー・ストリートだったと思うけれど、ポールと歩きながら、曲の頭文字を並べるとなにかしゃれた言葉になるような順番にできないものかと思案したのを覚えている。最初は『Sgt. Pepper's ~』の”S”で決まっていた。で、次に母音をもってこようとしたんだけど、どうもピッタリのが見つからない。それであきらめて別の並べ方にしたんだ」と語っている。

アメリカ盤、日本盤ともにイギリス・オリジナル盤と同ジャケット、同収録曲であった。ただし日本盤はモノラルではなくステレオであった。イギリス盤と同仕様によるアナログ・アルバムのモノラル盤は1982年1月21日にオリジナル・モノ・シリーズとして限定リイシューされたのが初めてになる。

この時期にザ・ビートルズは「同一ジャケットで同一内容のアルバムを全世界でリリースすること」という内容を契約書に明記している。よって、このアルバム以降、イギリス・オリジナル盤をアメリカや日本で独自に編集したアルバムはリリース不可となった。

イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートでは、1967年6月4日付で、初登場1位に輝いている。その後10月28日まで22週間1位に君臨していた。

アメリカのビルボード誌のチャートでは、1967年6月24日に8位に初登場。翌週7月1日に1位に輝くと、その後10月7日まで15週間1位に君臨していた。

ザ・ビートルズの最高傑作と言われ、ロック名盤選出や、ランキングなどでは常に1位か上位に食い込んでくるアルバム。音楽的には「Rubber Soul」や「Revolver」をザ・ビートルズの最高傑作にあげるファンも多いが、アルバムの存在そのものでいえばやはりこの「Sgt. Pepper's~」に軍配が上がるだろう。

アメリカのタイム紙は「このアルバムほど新生ビートルズのすばらしさを劇的にしめすものはない。1曲1曲に心のおののきを呼び起こされずにはいられない内容がつまっている。若い世代と古い世代を対立させるように意図された各曲は、宇宙時代のエレクトロニクス的な効果を上げたり、がらりと変わって抒情的な気分を出したりしている。そしてばなによりもまず、ビートルズが音楽家として花開いたという事実が、ここに証明されている」と称賛している。

ポールは「ツアー三昧の時期は終わった。それはそれで素晴らしかったけど、あの頃の僕らはアーティストになろうとしていたんだ。毎晩パフォーマンスを披露する必要がなくなったから、とても自由になれたんだ。クレイジーなアイディアを色々と生み出すことが可能になったんだ。僕はアヴァンギャルドなアーティストを聴き、ジョージはインド音楽に熱中。ジョンは色々な美術館や展示会を回っていた。そしてヨーコに出会えたんだ。」
「アメリカはヒッピー・ムーヴメントでいっぱいだった。当時は『Laughing Joe & His Medecine Band』とか『Col Tuckers Medecional Blue & Conbound』とかいう名前のバンドがたくさんいた。だから僕らもそういう言葉遊びをしたんだ。『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』って感じにね。ロンドンに戻ってみんなにそのアイディアを話した。別のバンドになって演奏してみるってのはどうかなって。実はもうそのタイトルで1曲作ってあるんだけどってね」と語っている。

またポールは「『Sgt. Pepper's ~』にとって一番の影響はビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』だった。あのアルバムにはすっかりやられた。聴いた瞬間、思ったよ。『まいったな、これは後にも先にもないアルバムだ。じゃあ一体、僕たちはどうしたらいいんだろう』。そこがすべての出発点になったんだ。僕が考えたのは僕じゃない架空のバンドのアルバムにしようということだった。僕らは常に演奏しながら、これは自分達がやっているんじゃないと思うようにした。アルバムに一種の距離感を持たせる意味で、これはなかなかいい方法だったよ。ジャケットのアイディアも別のバンドになったつもりでクレイジーな衣装を着るというものなんだけれど、結局は昔っから着たかった衣装を着たっていうだけさ。そして壁を僕らのヒーローで埋め尽くしたんだ」と語っている。

世界初のコンセプト・アルバムと呼ばれており、それはザ・ビートルズが架空のバンド「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」に扮してショウを繰り広げる、といった形式によっている。オープニングに「Sgt. Pepper's~」のテーマ・ソングが流れ、続けてビリー・シアーズというシンガーに扮したリンゴの「With A Little Help From My Friends」がメドレー形式で流れる。後半、「Sgt. Pepper's~」の別テーマでショウは締めくくられ、アンコールで「A Day In The Life」が披露される、といった内容になっている。ただし、全編に渡ってこのコンセプトが適用されている訳ではなく、ジョンなどは「あれはコンセプト・アルバムじゃないよ」と語っている。

当時は8トラックのレコーディング・デッキがなかったので、2台の4トラック・デッキを同期させてレコーディングされている。

マーティンは「あれはポールの思いつきだったんだ。彼がやってきて『Sgt. Pepper's ~』という曲を書いたんだという。そのバンドが彼等、ビートルズ自身だというんだ。まずその曲をレコーディングしてから、次第にアルバムのアイディアが浮かんできたんだ」と語っている。

エンジニアのジェフ・エメリックは「機材の性能ぎりぎりのところまでやりました。技術面からいえば『Sgt. Pepper's ~』は今でも最高のアルバムです。なにしろあれだけのことをやってのけたんですからね。確かに苦労しましたし、今じゃとてもやれないでしょうが、テープを換えたり、なにかをコピーするたびに、僕らは全部を細かく並べ替え、バイアスをかけ直していたんです。『Sgt. Pepper's ~』はベースの音をダビングするのに1トラックまるまる使うなんて贅沢もしました。ポールがセッションが終わったあとも残って、ベースを全部重ねていったんです。ポールのアンプには、真空管のC12型マイクを使いました。時には8の字型になるようにセットしたり、8フィート離したところに置いたりして。信じられないかもしれませんが、ギターと卓を直接つなぐようになったのは『Abbey Road』からでした」と語っている。

ベース・プレイについてポールは「『Sgt. Pepper's ~』では、それまでよりメロディックなベース・ラインを導入している。実際、あの時のベースは僕のプレイの中でも5本の指に入る出来だ」と語っている。

リンゴは「このアルバムは僕らの最大の成果だ。あれは全員にすごく幅を与えてくれた。アイディアや素材を試すのにも、すごい自由が与えられた。ビートルズの素晴らしいところは、誰のアイディアであろうと一番いいものを採用したことなんだ。エゴをむき出しにする人はいなかった。だから楽曲も常に高い水準を保っていたんだ。このアルバムでは最初にペパー軍曹が出てくることになっていた。最初の感じだともっとロック・オペラ風に展開するものかと思っていたんだけど、最初の2曲で『どうでもいいや』と思っちゃったんだ」
「あのアルバムの頃には、マーティンは必要不可欠な存在になっていたんだ。僕らはストリングスやらホルンやらピアノやらをどんどんと詰め込み始めたんだけれど、それらの楽器を全部譜面に起こせるのは彼しかいなかったんだ。誰かが『このパートはデデディドリーって感じにしたいんだけど』っていうと、彼はもうそれを楽譜にしちゃうんだ。彼はもうバンドの一員だったね」と語っている。

ジョージは「あまり興味は沸かなかったな。タイトル曲とアルバム・ジャケットだけでいいという気がしていた。それまでの僕らはもっとバンドらしいレコーディングをしていたんだけど、あのレコーディングでは、いろんなことがtちょっとずつ違ってきたんだ。ポールがピアノを弾いてリンゴがテンポをとっているだけで終わることも多かった。流れ作業みたいになってしまって、ちょっと退屈でもあった。楽しいこともあったけど、僕はあの時点で『ファヴ・フォー』の一員であることに興味を失い始めていたんだ」と語っている。

ジョンは「あのアルバムは初めてのコンセプト・アルバムと言われているけど、そんなの何の意味もない。僕の曲はどれもペパー軍曹のアイディアとは全く関係がないんだ。成功したコンセプト・アルバムみたいに言われているけれど、よく聴いてみればつながっているのは最初の2曲と、最後の1曲前に収録されている『リプライズ』だけだよ。それ以外の曲はすべて他のアルバムに収録されていたって全く差し支えがないんだ」と語っている。

また、のちにジョンは「ポールはあのアルバムで『僕らのショウを見においで』と歌っていたけど、僕はそうしなかった一人だ。それでも何曲か作らなきゃならなかったので『A Day In The Life』の一部と「Mr. Kite」をやっつけ仕事で書き上げた。あの頃の僕はものすごい妄想に取りつかれていて、ほとんど体を動かすことすらできなかったんだ」と語っている。

マーティンは「あれは信じられない作品だった。わたしたちがひとり歩きして、独自の人格を身につけ、日々成長していくんだ。あれで人生は根本から変わった。とても骨の折れる、長時間レコーディングの連続でね。今になって思うんだが、もし連中がドラッグをやっていなかったら、そして逆にわたしがドラッグをやるような人間だったら『Sgt. Pepper's~』は絶対にあの通りにはならなかっただろう。あそこまで首尾一貫したものにはならなかたはずだ。ずいぶん辛抱させられたからね。なにしろ向こうはいつもくすくす笑っているんだ。かりに連中がドラッグをやっていなくても『Sgt. Pepper's~』みたいなものはできたかもしれない。でもあれほど華やかなものにはならなかっただろう。おそらくね。」と語っている。

イギリスのロック・バンド、ザ・フーのギタリストであるピート・タウンシェンドは「信じられないほど非肉体的」と語っている。

アメリカのミュージシャン、アル・クーパーは「『Sgt. Pepper's~』はまずなによりもドラミングを変えたアルバムだ。あのアルバム以前のロックン・ロールのドラム・フィルはどれも似たようなもので、みんな基本的なことしかやっていなかった。でもこのレコードには、僕が『空間的なフィル』と呼ぶ、とてつもなくすき間の大きいフィルがある。それが僕にとっては音楽面で一番の魅力だな。それにドラムのサウンドもぐっとよくなっている。これは永遠に偉大なレコードだ。時代を超越している」と語っている。

アメリカのロック・バンド、ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバッシャンは「まるで顔に手袋をたたきつけられたみたいだった。それほど強烈な挑戦だったんだ。同じようなことをやっても、あれに追いつくのはとうてい無理だと思えたね」と語っている。

アメリカのロック・バンド、ママス&パパスのミッシェル・フィリップスは「『Sgt. Pepper's~』が出てからは何日も何週間もぶっ通しで聴き続けたわ。レコードを何回も何回もひっくり返して。あれはモンタレー・ポップ・フェスティヴァルのために働いていた人たちのテーマ曲だったのよ」と語っている。

アメリカのロック・バンド、ザ・バーズのロジャー・マッギンは「僕は『Sgt. Pepper's~』が出たときにはもうサイケデリックなものにドップリ漬かっていたから、驚愕するほどでもなかったけど、ほかの人ならあれを聴いてぶったまげたんじゃないかな。あのアルバムはたしかに世界中に衝撃を与えたし、多くのものごとを変えた。だけど最近聴き返してみると、あのころにはあると思っていた連続性がないんだ」と語っている。

収録曲概説

● Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「ビートルズであることに僕らはうんざりしていたんだ。で、分身が作ったアルバムを作ろうってことになったんだ」
ジョン「アメリカ公演の後にポールが書いた。西海岸の長ったらしい名前のバンドの影響さ」
マーティン「この曲のレコーディングが終わった時に、ポールが『本当にペパー・バンドがいて、ペパー軍曹がレコードを作っているみたいにやってみないか?』と言い出した。私はそのアイディアがひどく気に入った。その瞬間から『Sgt. Pepper's』は独自の生命を持つアルバムになったんだ」
エンジニアのジェフ・エメリック「『Sgt Pepper's』とそのリプライズでリンゴが叩くスネアとバスドラは、まるで雷のような音をさせてますが、あんな音、当時は誰も聴いたことがありませんでした。実際にはバスドラの中に、ウールの布きれを詰めただけでしたが。その後、僕らはフロントの皮を取るようになりました。それまでバスドラの録音というのは、もっぱら曲のビートを取ることが目的だったんです。ですからそれを前面に出すと、かなり迫力が出ましたし、聞く人にも衝撃を与えました。僕は風圧が震動版を揺すらないように、マイクをバスドラから6インチほど離れたところに、少し床面に向けて置いていました。でもフロントの皮を取ってからは、当然、その中にマイクを置くようになりました。僕らが欲しかったのは切れのいいキック音だったので、音を殺してソリッドにするために、マットとかボロ布とかを一緒に詰めこんだんです。今では普通にやっていますが、当時は画期的なことでした」

「Sgt. Pepper's」の名称は、ポールが休暇でケニアに出かけた際にひらめいている。ケニアからの帰りの飛行機の中で付き人のマル・エヴァンスが機内食の時に「S」と「P」の印字が付いた調味料の袋を手にとった。そして「ソルト・アンド・ペパー」とつぶやいた時に、「サージェント・ペパー」という名称をひらめいている。

冒頭のオーケストラのウォーミング・アップの音は、「A Day In The Life」のレコーディングの際に収録された音を使用している。

次曲「With A Little Help From My Friends」に繋がる観客の歓声の音は、ザ・ビートルズのハリウッド・ボウルのライヴから抜粋されている。

このアルバムがリリースされてからわずか3日後の1967年6月4日に、ロンドン・サヴィル・シアターで行われたジミ・ヘンドリックスのショーのオープニングはこの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のカヴァーであった。

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band/Jimi Hendorix
残念ながらロンドン・サヴィル・シアターでのライヴ映像ではない。

*レコーディング詳細
1967年
・2月1日
第1~第9テイクをレコーディング。
・2月2日
第9テイクにポールのヴォーカルと、バック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第9テイクをテープ・リダクションして第10テイクを作成。
第10テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングはアセテート盤作成のための作業。アセテート盤とはメンバーやスタッフのために作成されるテスト盤のこと。
・3月3日
第10テイクにブラス・セクションのオーヴァー・ダブ。
・3月6日
第10テイクにサウンド・エフェクトをオーヴァー・ダブ。
第10テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● With A Little Help From My Friends
ポールを中心に書かれた作品でリード・ヴォーカルはリンゴ。
ポール「リンゴのために職人のようにジョンと作った。リンゴ用の曲ではこれがベストじゃないかな。マリファナ時代の作品だから、『I Get High』という言葉は入れておきたかった」

アメリカのフォーク・シンガー、リッチー・ヘブンズ「(1968年7月12日のコンサートでこの曲を歌う前に)僕がこの全宇宙で一番好きな曲を歌います」

*レコーディング詳細
1967年
・3月29日
第1~第10テイクをレコーディング。第10テイクをテープ・リダクションして第11テイクを作成。第11テイクにリンゴのヴォーカルをヲーヴァー・ダブ。
・3月30日
第11テイクにギター、タンバリン、ベース、ジョンとポールのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・3月31日
第11テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・4月7日
第11テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Lucy In The Sky With Diamonds
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。歌詞の一部をポールが手伝っている。
曲名の頭文字「Lucy」「Sky」「Diamonds」をつなげると「LSD」になる、ということでドラッグ・ソングと認識されることもあるが(事実、イギリスのBBC放送はこの曲をドラッグ・ソングとして放送禁止にしている)、実際には当時3歳だったジョンの息子、ジュリアンが幼稚園で描いた1枚の絵であった。そこにはイアモンドと一緒に空に浮かぶ女の子が描かれていた。それは何かとジョンに訪ねられ、ジュリアンは「ダイアモンドを持って空に浮かんでいるルーシーだよ」と答え、それがインスピレーションとなってこの曲が誕生している。
この絵に描かれていたルーシーとはジュリアンと同じ幼稚園に通っていたルーシー・ヴォッデン(旧名:ルーシー・オドネル)のこと。残念ながら2009年9月22日に46歳の若さで 免疫の病気で亡くなってしまった。その年の11月、ジュリアンは彼女へのトリビュート・ソング「ルーシー」をリリースしている。

ジョン「息子のジュリアンがある日、ルーシーという同級生の女の子を描いた絵を持ってきた。背景の空には星がいくつか描きこんであって。その絵のタイトルが『ダイアモンドと空に浮かぶルーシー』だったんだ。それだけさ」
ジョンの友人のピート・ショットン「僕もあの日、たまたま居合わせていたから知っているけど、ジュリアンがいろんな色で爆発している星を背景に、クラスメートのルーシーの顔を描いた絵を持って学校から帰ってくると、いつもは息子が描いたものに感心を寄せたためしのないジョンがその絵はなんていうタイトルなんだって訊いたんだ。そしたらジュリアンは『ダイアモンドと空に浮かぶルーシーだよ、パパ』と答えたんだ・確かに『Lucy In The Sky With Diamonds』を書いたころ、ジョンは随分アシッドをやっていたけれど、頭文字がLSDになったのは、全くの偶然だよ」

ジョン「あれは『不思議の国のアリス』をイメージして作った曲だ。ボートに乗ったアリスってとこかな。アリスが卵を買うとそれがハンプティ・ダンプティに変わり、店の女が羊に変わる。すると次の瞬間には、全員がどこかに流れて行くボートの中にいる。そんな風に想像して書いた曲だよ。それにいつの日か空から降りてきて、僕を救ってくれる女の人のイメージを加えた。それが『a girl with kaleidoscope eyes』、つまりヨーコのことさ。でもその時はまだヨーコを知る前だったからね。もし知っていたら『Yoko In The Sky With Diamonds』になってたんじゃないかな、きっと」
ポール「僕らのところへやってくる人の多くが訳知り顔で『わかってます。わかってます。LSDでしょ』というんだ。確かにあの時期、新聞はみんなLSDの話題でもちきりだった。だけど僕らはそんなこと考えたこともなかった。僕らが考えていたのは、全体を『不思議のl国のアリス』っぽくやろうってことだけさ。ボートで川をゆっくり流れに乗って下ると、巨大なセロファンの花が頭の上にそびえてるっていうのも、アリスの世界そのままなんだ。そしてそこに裂け目ができると、空いっぱいに『ダイアモンドと空に浮かぶルーシー』が現れる。このルーシーは偉大な神であり、白ウサギなんだ」

ジョン「(『Lucy In The Sky With Diamonds』は何かの暗号だったのでは? という問いに対して)暗号だったことなんてないのに、誰も僕のことを信じてくれなくてね。ある有名人が……誰だったか忘れてしまったけど……レノン=マッカートニーのについての番組を紹介していたのを見たよ。ああ、あれは(アメリカのジャズ・シンガー)メル・トーメだった。彼が『Lucy In The Sky With Diamonds』はLSDのことだと言っていたんだ。真相はこうだよ。僕の息子が描いて持ち帰った絵に、飛び回っている変わった目の女の子の姿があったんだ。僕が『何だい、これは?』と訊いたら『これはダイアモンドを持ったルーシーがお空にいるところ』と言われてね。『これは美しい』と思ったから、すぐにそれを曲にしたんだ。そして曲ができて、アルバムが発表されたところ、主な単語の最初の文字をつなげたら『LSD』になることに気付いた人がいたんだよ。僕はそんなことは露ほども考えていなかったのに。もちろんその後は、文字を繋げたらどうなるか、全部の曲を調べた。他の曲は何も意味をなさなかった。どれひとつとしてね。だから、そういった話では全くなかったのさ」

ジョンは「newspaper taxis」というフレーズを作ったのはポールで、最後のヴァースも彼が手伝ってくれたかもしれない、と語っている。

ジョンは後年、この曲を批判している。
ジョン「昨日の晩、ラジオで『Lucy In The Sky With Diamonds』を聞いたけど、ありゃ最低のシロモノだった。どうしようもないトラックなんだ。つまり、曲自体はすごくいいんだけど、つくりが全然なってないってことさ」

モノラル・ヴァージョンとステレオ・ヴァージョンを比べると、ステレオの方が若干回転数が早く、キーも高くなっている。またステレオでは「that grow so incredibly high」の直後にジョンが「high」と繰り返しているが(ほとんど聞き取れないくらいに小さく入っている)、モノラルにはそれがない。

*レコーディング詳細
1967年
・2月28日
*この日はリハーサルのみが行われる。
・3月1日
第1~第7テイクをレコーディング。第7テイクをテープ・リダクションして第8テイクを作成。
・3月2日
第8テイクにジョンのヴォーカル、ポールのバック・ヴォーカル、ジョージのリード・ギターをオーヴァー・ダブ。
第8テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・4月7日
第8テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Getting Better
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。ジョンが歌詞を手伝っている。
ポール「この曲はセント・ジョンズ・ウッズの僕の家で書いたんだ。覚えているのは『it's getting better all the time(いつだって前より良くなってるんだ)』というヴァースだけど、あれは僕が考えたもので、ジョンの方は『it couldn't get much worse(これ以上悪くなれやしない)』という伝説的なくだりを提供してくれてね。僕もジョンのこのいいまわしはとてもいいと思った。なんてたって底抜けに楽天的な曲だからね。曲の精神には合ってなくても、ああいう皮肉っぽい1行がすごく効くんだ。いかにもジョンらしい」

タイトルの「Getting Better」というのは、ザ・ビートルズ初のワールド・ツアーの時に、扁桃炎の悪化で緊急入院したリンゴの代役を務めたドラマー、ジミー・ニコルの口癖だった。メンバーがジミーに対して「どんな調子だい?」と尋ねると、彼は必ず「It's getting better(だんだん良くなっているよ)」と答えていたという。

ジョンは、女性につらくあたっては殴りつけるというくだりは自分が書いたものだと語っている。
ジョン「僕は妻にいつもつらくあたっていた。いや、妻だけじゃなくてどんな女性に対しても、うまく言いたいことが言えないと、つい手が出てしまうんだ」「女性に対して残酷だったんだ。平和を求めるのはこういう経験があったからだ」

モノラル・ヴァージョンとステレオ・ヴァージョンに違いがある。
「Me used to be angry young man」から「I'm doing the best that I can」の8小節の間、ステレオでは右チャンネルからピアノの音が聞こえるが、モノラルでは聞こえない。「ザ・ビートルズ・リマスターCDガイド」によれば「入っていてもかなり小さくされている」とされている。確かにステレオではきちんとピアノの音が聞こえてくるが、モノラルでは聞き取ることが出来なかった。

*レコーディング詳細
1967年
・3月9日
第1~第7テイクをレコーディング。第7テイクをテープ・リダクションして第8~第12テイクを作成。第12テイクがベストとなる。
・3月10日
第12テイクにジョージのタンブーラ、ポールのベース、リンゴのドラムスをオーヴァー・ダブ。
・3月21日
第12テイクをテープ・リダクションして、第13~第14テイクを作成。第14テイクにポールのヴォーカル、及びバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・3月23日
第14テイクにポールのヴォーカルをオーヴァー・ダブ(録り直し)、第14テイクをテープ・リダクションして第15テイクを作成。第15テイクにリンゴのボンゴをオーヴァー・ダブ。
第15テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・4月17日
第15テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Fixing A Hole
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「あれは僕が書いた」
ジョン「あれはポールの曲だよ。またしてもいい歌詞をモノにしたってわけ」

ポールがこの曲を書いたのは、スコットランドにある彼の農園の屋根を修理している時であり、実際に雨漏りのする屋根の穴からインスパイアされている。しかし、この曲のタイトルは一部で、薬を注射する麻薬中毒患者と解釈された。
ポール「この曲は雨漏りする屋根の穴のことを歌ったもので、その穴を埋めるというのは、雨に邪魔されず、心が気ままにさまよっていけるようにすることの単なる比喩なんだ。それにファンのことでもある。もしあんたが部屋の中に座ってクスリを打ってる麻薬中毒患者なら、そういう意味にもなるだろう。だけど僕は、壁に傷があったりカラフルじゃなかったりしたらペンキを塗るっていっているだけなんだ」

藤本国彦著「ビートルズ213曲全ガイド」にはイントロのハープシコードの奏者をポールと記述しているが、ジョージ・マーティンがプレイしていると記述している書籍も多い。マーク・ルイソン著による「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」によれば、ニール・アスピノールはビートルズのファンジン「The Beatles Book」にポールが演奏している、と書いたが、セッション・テープにはベースとハープシコードが同時に録音されており、ベース・プレイはポールのスタイルであることから、この説に疑問を投げかけている。

*レコーディング詳細
1967年
・2月9日
第1~第3テイクをレコーディング。
・2月21日
第1テイクをレコーディング(実際には第4テイクとなるべきもの)。2月9日の第2テイクをテープ・リダクションして第3テイクを作成 (2月9日の第3テイクとは別のテイク)。この第3テイクにオーヴァー・ダブ(詳細は不明)。
この日に作成された第3テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・4月7日
2月21日に作成された第3テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● She's Leaving Home
ポールの曲でリード・ヴォーカルもポール。ジョンが歌詞を手伝っている。
ポール「この曲に出てくる彼女とは、まだほんの少女でエリナー:リグビーよりずっと若いけれど、抱えている寂しさは同じものだ。ヒントは『デイリー・ミラー』紙の記事。そこには娘に家出された父親が『なんでも与えてやったのに。なんで家出なんかしたのかさっぱりわからない』と嘆いているとあった。でも実際は、自分でいうほどその父親はなんでも与えてたわけじゃないのさ。娘が本当に欲しいものはやらなかった。だから彼女は家を出たんだ」

ポールが参考にした『デイリー・ミラー』紙の記事。

ストリングスとハープのアレンジはマイク・リーンダー。それまでは、ザ・ビートルズのストリングスはジョージ・マーティンが行っていた。そのジョージ・マーティンによると、彼はポールから電話で明日の午後にこの曲のアレンジをやってほしいと依頼されたが、別のレコーディング・セッションの予定が入っていたので、それは無理だと答えた。そこでポールはリーンダーに連絡を取ったのだが、マーティンは彼が自分を待ってくれなかったので、非常に傷ついたという。
ポール「マーティンが忙しいのはよく分かっていたけど、僕はあの曲のアレンジに早く取り掛かりたくて、うずうずしていたんだ。インスピレーションを感じていたから。でも、マーティンがあんな仕打ちをした僕をなかなか許せないというのも、もっともだと思う。僕は彼を傷つけてしまった。そんなつもりではなかったんだけれど」
マーティンは傷ついてはいたが、大人の対応として、リーンダーのアレンジしたスコアを演奏するオーケストラの指揮を担当した。

ポール「いかにもあの頃の僕らしいバラードだ。僕の娘も気に入っている。娘のひとりがね。今でも通用する曲なんだろう」

*レコーディング詳細

1967年
・3月17日
第1~第6テイクをレコーディング。
*この日のレコーディングはストリングスのみ。
・3月20日
第1テイクをテープ・リダクションして第7~第9テイクを作成。第6テイクをテープ・リダクションして第10テイクを作成。第9テイクにポールのヴォーカルと、ジョンのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第9テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・4月17日
第9テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Being For The Benefit Of Mr Kite!
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「『Mr. Kite』は他からそっくりそのままいただいてきた曲だ。曲のネタ探しをしていたときに、歌詞がむこうからこっちを見てるのに気がついてね。以前、骨董屋で買った古いポスターの文句だった。たしかサレーかどこかで撮影をしていた時だったと思う。休憩中にふらっと入った骨董屋で、昔のヴァラエティ・ショウの宣伝ポスターを買ったんだ。主役を張るのはミスター・カイト。つい最近までパブロ・ファンク一座に出ていた、ヘンダーソン一家総出演とも書いてあった。輪や馬や火のついた大樽を人が潜り抜けるというのもあったし、馬のヘンリーの名前もあった。楽団の演奏が6時10分前に始まるというのも、場所はビショップデイトだということも。ほら、これがそのポスターさ。ミスター・カイトの名前が一番上にあるだろう? 僕が考えた言葉なんてほんの数えるほどしかない。ただ順番にここに載ってる言葉をつなぎ合わせただけなんだ。文字通りポスターから歌詞に移し替えただけの代物さ」
ジョンの友人のピート・ショットン「ジョンは額に入った壁のポスターを横目でちらちら見て、指でそれにふさわしいメロディ・パターンを探しながら『Mr. Kite』を作曲した」
ポール「ヘンダーソン一家なんて、こんなのいくら頭を絞ったって出てこないよ」
*このポスターは『Penny Lane/Strawberry Fields Forever』のプロモーション・フィルムを撮影した時にジョンが購入したもの。1843年2月14日のショウを宣伝するものだった。

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