The Beatles(ザ・ビートルズ)の徹底解説まとめ
The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。
ジャケットは映画のシーンから4人のメンバーのアップを編集したもの。本来、本アルバムは「Get Back」というタイトルで「Abbey Road」よりも前にリリースされる予定であり、その時のジャケットはデビュー・アルバム「Please Please Me」と同じ場所、同じ構図で撮影されたものが使用される予定であった。この予定されていたジャケットは後日、編集アルバム「1967-1970」で陽の目を見ることになる。
アメリカ盤、日本盤ともにイギリス・オリジナル盤と同ジャケット、同収録曲であった。ただしイギリスと日本ではまず写真集付きの箱入り仕様のアルバムがリリースされたが、アメリカではこの箱入り仕様はリリースされなかった。イギリス、日本ともに約半年後にはいわゆる通常盤がリリースされている。
イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートでは、1970年5月23日に3位に初登場。翌々週6月6日に1位に輝くと、その後7月25日まで8週間1位に君臨していた。
アメリカのビルボード誌のチャートでは、1970年5月30日に104位に初登場。翌々週6月13日に1位に輝くと、その後7月4日まで4週間1位に君臨していた。
ドキュメンタリー映画「Let It Be」のサントラ盤ではあるが、実際に映画で使用されたものと同じヴァージョンなのは「Two Of Us」「Dig A Pony」「Dig It」「I've Got A Feeling」「One After 909」の5曲のみである。
マーティンは「『Let It Be』に関しては、しょっぱなからなにもかもがそれまでとは勝手が違って、まるっきり楽しめないレコーディングになってしまった。ちょうどメンバーの関係が最悪に落ち込んでいた時期だったし。『Let It Be』の着想自体は素晴らしかった。ポールのアイディアだったと思う。最初の計画では、リハーサルした新曲をいきなり観客の前で生演奏して、その模様をレコードとフィルムに収めることになっていた。つまりは新曲だけでライヴ・アルバムを作る。それまではだれもやったことのない試みだ。問題はその時期がイギリスの冬にあたることで、ビートルズが望むだけの聴衆を集めるには広い会場が必要とされたが、使えるような場所がなかったんだ。チュニジアの砂漠でコンサートをやろうかって話も出たくらいでね」
「ジョンが最初から譲らなかったのは、ありがちなレコーディング・テクニック(オーヴァーダビング)を絶対に使いたくないということだった。それで私たちは、リハーサルをそのままレコーディングしていったのさ。何時間も延々とね。だけどどうも、しっくり来る仕上がりにならない。何回も何回も録り直したのに。たった1曲を623テイクとったこともあるよ」
「うまくことを運ぶために、ポールがみんなをまとめようとしたんだ。それが時に親分気取りにも映ってしまって、ほかのメンバーから総スカンを食らったんだ。だけどほかにどうしようもなかった。ジョンはヨーコに熱を上げてうわついているし、ジョージは明日は来ないといいだす始末、よくある仲間割れだったよ。幻滅といってもいいが」と語っている。
ジョンは「だれかがローマのコロセウムをコンサート会場の候補にあげた。ポールなんて最初は太平洋のど真ん中のボートの上でやろうといってたし。で、僕はというと、精神病院を使うという案に、どんどんのめり込んでいった」と語っている。
マイケル・リンゼイ=ホッグはザ・ビートルズの「Paperback Writer」「Rain」「Hey Jude」「Revolution」のプロモーション・フィルムを撮影したことがあり、それが縁で今回の監督起用に繋がっている。ちなみに彼の実の父親は俳優のオーソン・ウェルズであると言われている(本人は公式に否定している)。
セルフ・プロデュースが可能、と踏んだポールではあったが、何かと指図してくる彼に対し、他の3人のメンバーが対立。ポールと口論になったジョージはその後、ジョンとも喧嘩をし、スタジオを飛び出してしまう。ジョージはビリー・プレストンをレコーディングに参加させることを条件に現場に復帰するが、もはやこの時点で外部の人間の介在なしには4人の関係は修復不可能にまで悪化していた。
1969年1月2日からトゥイッケナム・フィルム・スタジオでリハーサル開始。1月16日には同スタジオでのリハーサル終了。この間にドキュメンタリー映画の撮影は行われたが、前出の通り、ジョージが抜けてしまったため、後半部分は映画で使用できなくなる。また、リハーサル中、常に撮影カメラに晒されているという雰囲気が、メンバーの心象を悪くした一因にもなった。後日公開されたドキュメンタリー映画「Let It Be」には、ポールとジョージの口論のシーンも登場してくる。
ジョージはこの「Get Back Session」の直前までアメリカにいて、様々なミュージシャンと和気藹々としたセッションを行っていた。イギリスに帰国後、アメリカでのセッションとこの「Get Back Session」のあまりの落差に不愉快になり、1月10日にはついにスタジオを飛び出してしまう。
ジョージは「(アメリカでのセッションは)ポールがそれまで音楽上のことで僕に示してきた傲慢な態度とは、まったくといっていいほど対照的だった。普段なら僕もポールの態度を気にしなかったし、ことを荒立てないためにもあいつのやりたいようにさせていた。たとえそのせいで、僕の作品がレコーディングできなくなったとしてもね。」
「アメリカから帰ってきたときの僕は最高にご機嫌だった。でも、ポールは相変わらずだった。こりゃぶつかるなってすぐに思ったよ。案の定、目の前でカメラが回っているっていうのに、ポールは僕の演奏方法に『いちゃもん』をつけはじめた」
「映画の中でもポールと僕が言い争いをしている場面がある。僕らはなんとか取り繕おうとしたんだけどね。で、次の場面になると、僕はもういなくなってて、ヨーコが例のキィキィ声で叫んでいる。その途中で僕は出て行ったんだ。家に帰って『Wah-Wah』を書き上げた。ワーワー言いたい気分だったからさ。頭が痛くなりそうだったよ。言い争いをしたせいで。本当に頭が痛くなってきた」
「妙な気分だった。僕はミュージシャンでいることを楽しみ始めていたのに、ビートルズに戻ると、それがとても難しくなってしまうんだ。長い間一緒にいたせいで制約が多くなりすぎていた。だれもが型にはめられているような感じで、すごく欲求不満がたまったね」
「僕は『Let It Be』にビリー・プレストンを引き入れた。そうすれば他のメンバーも少しは自分を抑えられるだろうと思ってね。主にジョンとポールだけど、あのふたりはもっとみんなを尊重すべきだったんだよ」と語っている。
リンゴは「結局ジョージが一番難しい立場にいたんだ。ジョンとポールは彼のソロ・パートまで自分たちで書こうとしていたからね。ポールはソロ・パートをどう演奏するかについて、頑とした意見を持っていたし。だからジョージは欲求不満がたまる一方だったんだ」と語っている。
ジョンは「ポールは自分が僕らをリハーサルさせているような了見でいた。もちろん、そのころ僕らは20年近く一緒にやってたわけだから、当然そういう風にはいかない。それで、とにかく何曲か片付けたけど、結局、だれもノッてこなかった。朝の8時にトゥイッケナムのスタジオにいるのは本当にぞっとしなかったね。じじいどもが色つきのライトを目の前でちらちら点滅させながら、鼻先にカメラを向けてくるんだ。そんな状態でいいレコードが作れる訳がない。僕にいわせりゃ、できあがったものは、見てくれもサウンドも、8ミリのホーム・ムーヴィーのしょうもない海賊版みたいなもん。だからぜんぜん興味がわかなかったし、全員がそうだった」と語っている。
同年1月22日からアップル・スタジオでレコーディング開始。そして映画のハイライトにもなったアップル・ビル屋上でのライヴ・パフォーマンス、通称「ルーフ・トップ・コンサート」は1月30日に行われている。正真正銘、これがザ・ビートルズの「ラスト・ライヴ」である。
リンゴは「僕らは『Let It Be』で、本当にまたバンドの原点に立ち返った。この建物の屋上でライヴを行って、それをレコーディングしたんだ。でも、その時にはもう手遅れだったのさ」と語っている。
結局は72時間にも及ぶ膨大なセッション・テープが残り、すべてはグリン・ジョーンズの手に委ねられた。グリンはこの膨大なテープをなんとかまとめ、アルバム「Get Back」を完成させるが、ザ・ビートルズのメンバーはこのアルバムを認めることはなかった。
ジョンは「どうでもよかったんだ。グリンにすべてを任せ、『ほら、やってくれ』という感じだった。ファースト・アルバム以来、僕らが一切手出しをしなかった初めてのアルバムだよ。誰一人として口出しする気もなかった。僕らのどうしようもない状況をそのままの形で世間にわからせたかったんだ」と語っている。
この間にザ・ビートルズは実質上のラスト・アルバム「Abbery Road」のレコーディングを開始する。またジョンはプラスティク・オノ・バンド名義での活動を本格化し始める。グリンは「Get Back」の2度目の最終ミックスを完成させるが、再び却下され、結局はお払い箱になってしまう。
ジョンのプラスティック・オノ・バンド名義のシングル「Instant Karma」のプロデュースを担当したのはフィル・スペクターだった。彼はアメリカ人で、すでに伝説化した名プロデューサーでもあった。彼の仕事が気に入ったジョンはお蔵入りになっているアルバム「Get Back」をこのフィルに任せることにする。このことはポールには知らされていなかった。また当のポールはこの頃、変名を使用してEMIスタジオでソロ・アルバムをレコーディングしていたが、このことは他の3人のメンバーには知らされていなかった。
ジョンは「スペクターがやってきた時も僕らは『せいぜいやってくれよ。これはオーディションだから』という感じだった。彼は猛烈に仕事をしたよ。だって昔からビートルズと仕事をしたがっていたんだからね。ところが渡されたのは、最悪の状況で録音され、最悪の空気に包まれた、最低最悪の曲だけ。でもあいつはそれを何とかしてしまったんだ。見事な仕事ぶりだったよ。出来上がったものを聴いて、ゲロを吐かずにすんだんだから」と語っている。
フィルによってリ・プロデュースされたのが、現在オリジナル・アルバムとしてリリースされているものである。当初の「以前のようにメンバー4人で一緒に演奏してレコーディングしよう」「ならばオーヴァーダビング一切なしでやろう」といった主旨は全く無視された内容となっている。特にポールは、何の断りもなく自作曲に勝手にオーケストラをオーヴァーダビングされてしまったことに激怒している。
マーティンは「あのオーケストラはまったくビートルズらしくないと思ったな。私たちは何年もかかって、独特のスタイルを作り上げてきた。ビートルズの曲にどんな音をかぶせるか、ということに関してね。フィル・スペクターがやったことは、ビートルズらしくなかっただけでなく、まったくの間違いだったと思う。『Let It Be』があんな風になってしまって、本当にがっかりした」と語っている。
ポールは「『Let It Be』のベスト・ヴァージョンは、だれも手を付けていないものだった。グリン・ジョンズが最初にミキシングしたものは素晴らしかったよ。すごく質実剛健って感じがしてたけど、もしあれが出ていたら、最高にヒップなレコードになっていただろうな。あの生っぽい感じを残したままだったら、ビートルズ屈指の傑作アルバムになっていたはずだ。ちょっとアヴァンギャルド風でね。すごく気に入っていたよ」と語っている。
ジョージは「とても我慢できなかったな。これで終わりだと僕は思った。全然楽しくなかったし。実際にこのグループにいること自体がとてもアンハッピーに思えていたんだ」と語っている。
収録曲概説
*「Get Back Session」でレコーディングされた楽曲はテイク番号があやふや、あるいは不明であり、マーク・ルイソン著による「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」や日経BP社発行による「ザ・ビートルズ全曲バイブル」にも振られていないので、ここでも省略する。
● Two Of Us
ポールの作品でリード・ヴォーカルは殆どジョンと分け合っている。
ポール「リンダと付き合い始めた時期に、ギターを持ってリンダとドライヴしている時に作った。僕らの自由な生き方を思い出せるから大好きな曲だ」
元々はアップルからデビューした3人組のソフト・ロック・バンド、Mortimerのために書かれた曲だった(タイトルは「On Our Way Home」)。当時はリリースされなかったが、2017年に発掘音源として無事にリリースされている。
*レコーディング詳細
1969年
・1月24日
「Get Back Session」で演奏。
・1月25日
「Get Back Session」で演奏。
・1月31日
「Get Back Session」で演奏。
・4月25日
モノ・ミキシングが行われる。
*このミキシングはラフ・リミックスであり、マスターとしては使用していない。
1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月25日
ステレオ・ミキシングが行われる。
● Dig A Pony
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョンの作った「All I Want Is You」と「Dig A Pony」という2曲を合体させたもの。
ジョン「これもまたどうしようもない曲だな」
*レコーディング詳細
1969年
・1月22日
「Get Back Session」で演奏。
・1月24日
「Get Back Session」で演奏。
・1月28日
「Get Back Session」で演奏。
・1月30日
アップル・ビルの屋上での、いわゆる「ルーフ・トップ・コンサート」でのレコーディング。
・2月5日
「ルーフ・トップ・コンサート」のレコーディングを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月23日
ステレオ・ミキシングが行われる。
● Across The Universe
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「ベッドで最初の奥さんの隣に寝そべっていたときのことだ。僕はイライラしていた。多分彼女がどうでもいいことを延々としゃべり続けていたせいだろう。そのうち彼女は眠ってしまったけれど、僕の耳には彼女の言葉が、尽きることのない流れのように、何度も何度も聞こえてきた。僕は階下へ降りて行った。そしたらそれが、イライラの歌から宇宙の歌に変わったんだ。とてもベッドで寝ていられる気分じゃなかった。書きたかったわけじゃないけど、ちょっとイライラしていて、それで下へ降りていったんだ。書いてしまうまでは眠れそうになかったからね」
この曲の由来に関しては上記以外の異説もあり、それは1967年のある朝、7時ころ目を覚ましたジョンは「Pools of sorrow, waves of joy」の一節を思いついて書き留め、後で歌詞を書き直した、となっている。
元々は1968年3月にリリースされたシングル「Lady Madonna」のB面に収録される予定だったが、土壇場で変更されている。
1968年2月4日、レコーディングの初日のセッションでジョンとポールは曲にファルセットのハーモニーを入れることにした。そこでポールはスタジオの外に集まっていたファンの中から、二人を選ぶと中に招いてコーラスをやらせている。
ジョン「オリジナルのテイクは本当につまらないものだった。僕の歌は調子っぱずれだし、ちゃんとしたコーラスじゃなくて外にいたファンを使っているんだから。アップル・スクラッフスとか呼ばれている連中さ。歌ったのはいいけれど、ずっと音を外してた。そもそもあの曲に関しては、誰もやる気がなかったんだ」
アルバム「Let It Be」に収録される前に、世界野生動物保護基金のためのチャリティ・アルバム「No One's Gonna Change Our World」に収録されており、イントロに鳥の羽ばたきが付け加えられたヴァージョンになっている。当ヴァージョンは後に「Rarities」や「Past Masters」に収録されている。
ジョン「大好きな曲のひとつ」「僕の傑作のひとつ。レコーディングはベストとはいえないけど、この歌詞が好きなんだ」「レコードの仕上がりはよくなかった。時々僕らは無意識に、僕らっていっても本当は殆どポールなんだけど、つまりポールは無意識にいい曲をダメにしてしまうっていうか。要するに例えば「Strawberry Fields Forever」みたいな僕の傑作を実験の場にしようとするんだ。あの曲も録音はひどいもんだった。曲の力でなんとか形にはなったけどね。それがポールの曲になると、たいてい何時間もかけて、細かいところまで修正していく。でも僕の曲は、特にそれが「Strawberry Fields Forever」や「Across The Universe」みたいな傑作だと、いつしかルーズで、いい加減で、実験的な雰囲気になってしまうんだ」「フィル・スペクターはテープの速度を落とし、ストリングスを付け加え、まったくすごい仕事をしてくれたよ」
2008年2月4日、設立50周年を迎えたアメリカのNASAが、その記念行事の一環として、この曲を北極星に向けて発信している。
イギリスのロック・シンガー、ディヴィッド・ボウイがこの曲をカヴァーしているが、バックでギターを演奏しているのはジョンである。
*レコーディング詳細
1968年
・2月4日
第1~第7テイクをレコーディング。第7テイクにジョンのヴォーカル、そしてスタジオの外にいたザ・ビートルズ・ファンの2人の女性のバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第7テイクをテープ・リダクションして第8テイクを作成。第8テイクにドラムスとベースの逆回転をオーヴァー・ダブ(ただしこの逆回転は使用されなかった)。
・2月8日
2月4日にオーヴァー・ダブされたドラムスとベースの逆回転を破棄、第8テイクにジョン、ポール、ジョージのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ
第8テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
1969年
・10月2日
第8テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。同時にイントロとエンディングに鳥の羽ばたき音のサウンド・エフェクトを追加している。
*1969年12月12日にリリースされたチャリティ・アルバム「No One's Gonna Change Our World」に収録された。ザ・ビートルズのアルバムとしては、1988年10月24日リリースのCD「Past Masters Volume Two」に収録。またモノラル・ヴァージョンは2009年9月9日リリースのCD「The Beatles In Mono」のボーナス・CDに収録された。
*イントロとエンディングに鳥の羽ばたき音のサウンド・エフェクトが追加されたヴァージョンのモノ・ミキシングがいつ行われたのかは不明。1968年2月8日のモノ・リミックスに追加されたものと思われる。
1970年
・1月5日
第8テイクを元にステレオ・ミキシングが行われている。
*グリン・ジョンズによる幻のアルバム「Get Back」用のミキシングであり、未発表に終わっている。
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月23日
第8テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・4月1日
第8テイクをテープ・リダクションして第9テイクを作成。第9テイクにストリングスと合唱をオーヴァー・ダブ。
・4月2日
第9テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
● I Me Mine
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ジョージ「『I Me Mine』は自我の問題がテーマなんだ。LSDを経験してあたりを見回すと、目に入るものはなんでも自分の自我と関わっていることに気が付いた。例えば、僕の紙、とか、僕のフランネル、とか、僕にくれ、とか、僕だ、とかね。気が変になりそうだった。自分の自我にまつわるすべてが嫌になってしまった。ニセモノっぽい、長続きしない感じが嫌だったんだ。でも、僕は後になってわかった。ここには、いつもながらのおしゃべりな僕とは別の誰かがいる。僕はいったい何者なんだと考えるのが日課になった。ともあれ、そういうところから『I Me Mine』が生まれたんだ。アラン・クラインはイタリアの歌だと思っていた。『Cara Mia Mine』というのがあるだろう。でも、あの曲は自我について、永遠の問題を歌っているんだ」
*レコーディング詳細
1970年
・1月3日
第1~第16テイクをレコーディング。第16テイクにエレクトリック・ピアノ、ギター、バック・ヴォーカル、オルガン、アコースティック・ギターをオーヴァー・ダブ。
・1月5日
第16テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*グリン・ジョンズによる幻のアルバム「Get Back」用のミキシングであり、未発表に終わっている。
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月23日
第16テイクよりステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・4月1日
第16テイクを編集(テープ編集でサビを2回繰り返すようにしている)。第16テイクをテープ・リダクションして第17~第18テイクを作成。第18テイクにストリングスをオーヴァー・ダブ。
・4月2日
第18テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
● Dig It
アルバム・リリース時は「Lennon-McCartney」でクレジットされていたが(アメリカ盤は「Lennon-McCartney-Harrison-Starkey」)、現在は「Lennon-McCartney-Starkey-Harrison-」になっている。リード・ヴォーカルはジョン。ポールのアドリブでのヴォーカルはアルバム収録時にカットされてしまった。
50秒程の演奏しか収録されていないが、実際には12分を超えるジャム・セッションであった。
*レコーディング詳細
1969年
・1月24日
「Get Back Session」で演奏。
・1月26日
「Get Back Session」で演奏。
1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月27日
ステレオ・ミキシングが行われる。
● Let It Be
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「(歌詞に出てくるのは実の母親かと質問され)そうなんだ。60年代、僕は随分辛い時期があった。ベッドに寝転がって、これから先どうなるのかと考えると、気が変になりそうだった。きっとクスリのせいだったんだろう。そんなある時、母の夢を見た。僕が14歳の時に亡くなって以来、もうずいぶん長いこと母の声は聞いていなかったから、あれはほんとうに素晴らしい体験だった。僕に力を授けてくれたんだ」
同曲はアルバム「Let It Be」の2ヶ月前にシングルでリリースされているが、シングルはジョージ・マーティンのプロデュース・ヴァージョンであり、本アルバムに収録されているのはフィル・スペクターのプロデュース・ヴァージョンである。間奏のジョージのリード・ギターや、シングル・ヴァージョンはリフレインが1回少ない、などシングルとは異なるヴァージョンとなっている。また、ビートルズ研究家の藤本国彦氏の書籍には、シングル・ヴァージョンには、バック・ヴォーカルにメリー・ホプキンも加わっていると記述されているが、残念ながら裏付けできる資料が見当たらなかった。
ジョン「サイモン&ガーファンクルの『Bridge over Troubled Water』にインスピレーションを受けたんじゃないかな」
*サイモン&ガーファンクルの「Bridge over Troubled Water(明日に架ける橋)」は1970年1月20日にアメリカでリリースされている。「Let It Be」のスタジオでの初演はそれよりも1年前の1969年1月25日であり、それを考えるとジョンの発言にあるような、「Bridge over Troubled Water」にインスピレーションを受けた、とは考えにくい。ちなみにアメリカのビルボード誌において、「Bridge over Troubled Water」は1970年2月28日から6週連続で1位に輝いているが、そこから1位を奪ったのがこの「Let It Be」であり、1970年4月11日から2週連続で1位に輝いている。
*レコーディング詳細
1969年
・1月25日
「Get Back Session」で演奏。
・1月26日
「Get Back Session」で演奏。
・1月31日
「Get Back Session」で演奏。
・4月30日
第27テイク(映画撮影班の表示にならって第27テイクと呼ばれている)にギターをオーヴァー・ダブ。シングル・ヴァージョンで聞くことができるリード・ギターはこの時のもの。
・5月28日
第27テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
1970年
・1月4日
第27テイクにポールとジョージ、リンダ・マッカートニーのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第27テイクをテープ・リダクションしながらブラス・セクションをオーヴァー・ダブ。第28~第30テイクを作成。第30テイクにジョージのギター、リンゴのドラムス、ポールのマスカラ、チェロをオーヴァー・ダブ。また、既にレコーディングされていたジョンのベースが消され、ポールによって新たにベースがオーヴァー・ダブされている。
・1月8日
第30テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このヴァージョンがシングルに使用される。
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月26日
第30テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*ジョージのリード・ギターは1969年4月30日にオーヴァー・ダブされたものから、1970年1月4日にオーヴァー・ダブされたものに差し替えられている。
● Maggie Mae
リヴァプールに古くから伝わる伝承歌で、リード・ヴォーカルはジョン。クォリーメンの初期レパートリーでもあった。
「Maggie Mae」とは、盗みを働いていた娼婦のことで、実在した人物とのこと。売春の有罪判決を受けて、オーストラリアに島流しになったという。
作詞・作曲のクレジットが「4人のメンバーの連名である」と記述されている書籍があるが、実際のクレジットには「Trad.arr.Lennon-McCartney-Harrison-starkey」と表記されており、「arr」つまりアレンジをしたのが4人のメンバーであり、作詞・作曲はあくまでも「Trad」つまり「トラディショナル・ソング」である。
*レコーディング詳細
1969年
・1月24日
「Get Back Session」で演奏。
1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月26日
ステレオ・ミキシングが行われる。
● I've Got A Feeling
ポールの「I've got a feeling」と、ジョンの「Everybody had a hard year」をひとつにした楽曲で、リード・ヴォーカルも二人で分け合っている。
ポール「僕らはまだ一緒に仕事をしていたんだ。お互いの曲を気に入ってなかったら、あんなに簡単に一緒に録音はできないよ」
*レコーディング詳細
1969年
・1月22日
「Get Back Session」で演奏。
・1月24日
「Get Back Session」で演奏。
・1月27日
「Get Back Session」で演奏。
・1月28日
「Get Back Session」で演奏。
・1月30日
アップル・ビルの屋上での、いわゆる「ルーフ・トップ・コンサート」でのレコーディング。
・2月5日
「ルーフ・トップ・コンサート」のレコーディングを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月23日
ステレオ・ミキシングが行われる。
● One After 909
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョンが1957年ころに書いた作品で、1963年3月5日のセッションでも一度レコーディングされている(「Anthology 1」に収録)。
ジョン「17歳の頃に書いた。『Hello Little Girl』の前後だったかな」
ポール「ずっと好きだった曲を再発見した。ジョンとのブルース調の貨物列車の歌だ」
*レコーディング詳細
1969年
・1月28日
「Get Back Session」で演奏。
・1月29日
「Get Back Session」で演奏。
・1月30日
アップル・ビルの屋上での、いわゆる「ルーフ・トップ・コンサート」でのレコーディング。
・2月5日
「ルーフ・トップ・コンサート」のレコーディングを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月23日
ステレオ・ミキシングが行われる。
● The Long And Winding Road
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
プロデューサーのフィル・スペクターは、ポールに無断でオーケストラやコーラスをオーヴァー・ダビングしているが、ポールはこれに激怒。ザ・ビートルズの解散を求める訴状の中にも理由のひとつとしてあげている。
ポールは、フィルのアレンジによるオーヴァー・ダビングが施されていないヴァージョンをアルバムに入れようとしたが、アラン・クラインに反対されている。ポールはその直後、ザ・ビートルズを抜けるつもりだとジョンに語っている。
マーティン「『The Long And Winding Road』はポールの作品で、実に実にいい歌だった。だが、残念なことに、リリースされたものは、フィル・スペクターによってオーケストラ用に編曲されていた。オーケストラ用の編曲は常に難しさが伴うんだ。ビートルズのようなバンドと仕事しているときは特にね。私はいつも、非常にすっきりしたクラシックのスタイルを保とうと一生懸命だった。だが、リリースされたあのヴァージョンは、編曲と多くの楽器によって、かなり改悪されてしまったと感じた。ポールも同じように感じていたと思うよ。彼も前の方がよかったと言っていたからね。それでも、人々はあれを気に入り、受け入れた。私としては、あれはもっといい曲になれたはずだと思っているんだけどね」
ポール「レイ・チャールズを想定した。たどり着けないドア、行き着けない道を歌ったんだ」
ジョン「これはポールの曲。僕らが最終的に割れてしまう前のポールにはスパートがかかっていた。ヨーコと僕との間に起きていたことのショックが彼にクリエイティヴなスパートをかけさせたのだと思う。それが『Let It Be』やこの曲を生んだんだ。この曲は彼の最後の輝きだ」
ポールを激怒させたオーケストラの編曲を担当したのはリチャード・ヒューソン。ただポールはリチャードに対しては悪感情を持っていなかったようで、ザ・ビートルズ解散後のポールのソロ・アルバム「Ram」のインストゥルメンタル盤である「Thrillington」で編曲とオーケストラの指揮を担当しているのは、このリチャード・ヒューソンである。また、ウィングスのデビュー・アルバム「Wings Wild Life」に収録されている「Dear Friend」のオーケストラの編曲を担当したのもリチャードである。元々、ポールとリチャードの関係は、ポールがプロデュースしたメリー・ホプキンのシングル「Those Were The Days」の編曲をリチャードが担当したことから始まっている。
*レコーディング詳細
1969年
・1月26日
「Get Back Session」で演奏。
・1月31日
「Get Back Session」で演奏。
1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月26日
ステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・4月1日
1月31日のレコーディングをテープ・リダクションして第17~第19テイクを作成。第18テイクにストリングスをオーヴァー・ダブ。
・4月2日
第18テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
● For You Blue
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ジョージ「シンプルな12小節のブルース形式の曲。通常のブルースの原則にすべて則っている。ただし、明るく楽天的なところだけは例外」
*レコーディング詳細
1969年
・1月25日
「Get Back Session」で演奏。
1970年
・1月8日
ジョージのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
ステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・2月28日
ステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月25日
ステレオ・ミキシングが行われる。
・3月30日
ステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
● Get Back
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
アルバム「Let It Be」の約1年前にジョージ・マーティンのプロデュースでシングルとしてリリースされている。本アルバムにはそのシングルとは異なるフィル・スペクター・プロデュース・ヴァージョンが収録されている。
ポール「僕らはスタジオに座っていて、この曲を何もないところから作り出した。まず歌詞から初めて、完成すると、アップルのスタジオでレコーディングして、ジェットコースターのBGMに打ってつけな曲に仕上げた」
ジョン「『Lady Madonna』の上出来ヴァージョン。またそろウケを狙って書いたんだ。ヨーコがあの場にいることにあてつけた部分もある。『Get back to where you once belonged (もといたところに帰れ)』ってスタジオで歌う時、あいつはいつもヨーコをじろじろ見ていたからね」
初期ヴァージョンには以下の歌詞が含まれていた。
「Siddiatawher was a Pakistani living in another land. Always heard it all around. Don't dig no Pakistanis taking all the people's job (シディアワターは別の国に暮らすパキスタン人。いつもそんな話を聞かされた。パキスタン人がみんなの仕事を奪ってしまうのはたまらない)」
この歌詞は、ポールが人種差別主義者であることを示すものだ、という指摘もあった。
ポール「僕らが『Let It Be』をやっていたとき、『Get Back』には2通りの歌詞があったけど、どっちも人種差別だなんてとんでもない。人種差別に反対してるんだ。あのころ新聞には、パキスタン人がアパートに溢れて、ひと部屋に16人も一緒に住んでいるなんて記事がたくさん載っていた。だから『Let It Be』のセットで作って没なった『Get Back』の歌詞の中にも『Too many pakistian's living in a council flat (あまりにも多くのパキスタン人が公営アパートに押し込まれている)』ってくだりがあったのさ。人種差別に反対しているグループがあるとしたら、それはビートルズだよ。だって、僕らのひいきにしていたミュージシャンはみんな黒人だったからね。モータウンを初めて世界に紹介したのは、ある意味、僕らだったんだ」
*レコーディング詳細
1969年
・1月23日
「Get Back Session」で演奏。
・1月27日
「Get Back Session」で演奏。
・1月28日
「Get Back Session」で演奏。
・1月30日
アップル・ビルの屋上での、いわゆる「ルーフ・トップ・コンサート」でのレコーディング。
・2月5日
「ルーフ・トップ・コンサート」のレコーディングを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・3月26日
モノ・ミキシングが行われる。
*アセテート盤作成のための作業。アセテート盤とはメンバーやスタッフのために作成されるテスト盤のこと。・4月4日
モノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*シングル盤リリース用のミキシング作業であり、モノはイギリス盤、ステレオはアメリカ盤に使用される。元となったレコーディングは1969年1月27日をメインに、ブレイク後にフェイド・アウトしていくエンディングのパートには1969年1月28日にレコーディングされたヴァージョンが使用されている。
*このモノ、及びステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・4月7日
モノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*4月4日のリミックスに不満があったポールがグリン・ジョンズとともに再度ミキシングを行い、これがマスターとなった。
1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月26日
ステレオ・ミキシングが行われる。
*シングルに使用されたマスターに、会話などを追加。また、ブレイク後のリフレインをカットしてライヴ感を出している。
編集アルバム・その他
ここでは、主な編集アルバム、ザ・ビートルズ解散後に準新作としてリリースされたアルバムなどを取り上げる。なお、既発作品を集めただけのボックス・セットや、ピクチャー・ディスク、デビュー前の音源を集めた作品などは割愛する。
A Collection Of Beatles Oldies
Side A
1. She Loves You
2. From Me To You
3. We Can Work It Out
4. Help!
5. Michelle
6. Yesterday
7. I Feel Fine
8. Yellow Submarine
Side B
1. Can't Buy Me Love
2. Bad Boy
3. Day Tripper
4. A Hard Day's Night
5. Ticket To Ride
6. Paperback Writer
7. Eleanor Rigby
8. I Want To Hold Your Hand
1966年12月10日、イギリスでリリースされた初の公式ベスト・アルバム。アメリカでのリリースはなかった。
ザ・ビートルズは年に2枚のアルバムをリリースする契約を結んでいたが、1966年は「Revolver」リリース後、新しいアルバム制作には入らなかったため、契約を履行するためにパーロフォンが企画したのが本アルバムだった。
当時、アルバムはモノラルとステレオがリリースされていたが、シングルはモノラルでのリリースだけであった。本アルバムもモノラル、ステレオの両方をリリースする必要があったため、シングルのみでリリースされていた楽曲は今回初めてステレオ・リミックスが行われることになった。以下は本アルバムのために行われたステレオ・リミックス作業である。
1966年10月31日
・Paperback Writr
11月7日
・I Want To Hold Your Hand
*この曲に関してはすでに2種類のステレオ・ミックスが存在していたが、それでは飽き足らなかったということで、再度リミックスが行われている。
11月8日
・She Loves You
*オリジナルのマスター・テープが使い物にならなかったため、エンジニアのジェフ・エメリックは、シングルのモノラル・マスター・テープから「疑似ステレオ」が作成された。
11月10日
・This Boy
・Day Tripper
・We Can Work It Out
*「Day Tripper」は1965年10月26日にステレオ・リミックスされているが、これも不十分という理由で今回新たにリミックスされた。「We Can Work It Out」は1966年に8月9日にステレオ・リミックスされたマスター(未使用に終わっている)が破棄されてしまったため、今回新たにリミックスされた。
*「This Boy」は本アルバムに収録されていないが、収録曲のラインナップが電話で伝えられた際に「Bad Boy」を「This Boy」と取り違えてしまったため、この日ステレオ・リミックスが行われた。「Bad Boy」に関しては1965年5月10日にステレオ・リミックス済。
ちなみに、この古いヒット曲を集めたアルバムのためのリミックスが終了したわずか2週間後から、「Strawberry Fields Forever」のレコーディングが開始されている。
以下、収録曲を簡単に紹介する。
● She Loves You
1963年リリースのシングル曲。
イギリスでは初のステレオでのリリースになったが、マスター・テープが使い物にならなかったため、モノラル・マスターを使用しての疑似ステレオになっている。
● From Me To You
1963年リリースのシングル曲。
イギリスでは初のステレオでのリリース。
● We Can Work It Out
1965年リリースのシングル曲。
イギリスでは初のステレオでのリリース。
● Help!
1965年リリースのシングル曲。
● Michelle
1965年リリースのアルバム「Rubber Soul」から。
● Yesterday
1965年リリースのアルバム「Help!」から。
*当時のイギリスではシングル・リリースされなかった。
● I Feel Fine
1964年リリースのシングル曲。
イギリスでは初のステレオでのリリース。
● Yellow Submarine
1966年リリースのシングル曲。
● Can't Buy Me Love
1964年リリースのシングル曲。
● Bad Boy
アメリカでは1965年6月14日リリースのアルバム「Beatles VI」に収録されていたが、イギリスでは初リリース。
楽曲概説に関しては「Past Masters Volume One」を参照のこと。
● Day Tripper
1965年リリースのシングル曲。
イギリスでは初のステレオでのリリース。
● A Hard Day's Night
1964年リリースのシングル曲。
● Ticket To Ride
1965年リリースのシングル曲。
● Paperback Writer
1965年リリースのシングル曲。
ステレオでは初のリリース。
● Eleanor Rigby
1965年リリースのシングル曲。
● I Want To Hold Your Hand
1964年リリースのシングル曲。
イギリスでは初のステレオでのリリース。
Hey Jude
Side A
1. Can't Buy Me Love
2. I Should Have Known Better
3. Paperback Writer
4. Rain
5. Lady Madonna
6. Revolution
Side B
1. Hey Jude
2. Old Brown Shoe
3. Don't Let Me Down
4. The Ballad of John and Yoko
キャピトル、というよりもアラン・クラインが先導して作成された編集アルバム。元々は「The Beatles Again」というアルバム・タイトルが予定されていた。アメリカで1970年2月26日にリリースされている。イギリスでのリリースはなし。
アランはビートルズともっと有利な、もっと儲けのよい契約を結びたいと思っており、特に新しいアルバムからの収入に熱心であった。そしてアップルの職員でもあったアラン・ステックラーにその任を指示した。アラン・ステックラーは後に「The Beatles Solo On Apple Records」という書籍を書いた人物である。ステックラーは、アメリカにおいてキャピトルからのアルバムに収録されてこなかった楽曲を選曲。特に最近のシングルに注目をしていた。
ザ・ビートルズの楽曲がキャピトルのアルバムから漏れた原因は、ザ・ビートルズがシングル曲をアルバムに収録することを望まなかった結果であり、1964年リリースの「A Hard Day's Night」のアルバムを「United Artists」からリリースする契約を結んでしまった結果であり、またキャピトル自身がザ・ビートルズのオリジナル・アルバムを再構築してしまったからであった。
ステックラーはリンゴがドラムスを担当した「Love Me Do」、キャピトルではなく、ユナイテッド・アーティスツからリリースされたアルバムに収録されていた「A Hard Day's Night(シングルはキャピトルからリリースされている)、シングル「Help!」のB面であった「I'm Down」、シングル「Lady Madonna」のB面であった「The Inner Light」などは選曲しなかった。また「From Me To You」、「Misery」、「There's A Place」といった初期にVee Jay からリリースされ、キャピトルのアルバムには収録されなかった楽曲を見落とした。「She Loves You」のドイツ語ヴァージョン「Sie Liebt Dich」や「Get Back」のシングル・ヴァージョンも除外された。
* 「From Me To You」は「1962-1966」に、「Misery」「There's A Place」は「Rarities」に収録されるまで、キャピトルからのアルバムには収録されていなかった。もっとも、この3曲はシングルでもキャピトルからのリリースはなかった。つまりこの3曲がキャピトルからリリースされたのは、ザ・ビートルズ解散後になってからである。
今回のリリースにあたり、「Rain」「Lady Madonna」「Hey Jude」「Revolution」のステレオ・リミックスが急遽行われている。この4曲はそれまではシングルのみのリリースであり、モノラル・ヴァージョンしか存在しなかった。以下は本アルバムのために行われたステレオ・リミックス作業である。
1969年12月2日
・Lady Madonna
・Rain
1969年12月5日
・Hey Jude
・Revolution
*「Hey Jude」に関しては1968年8月2日に3種類のステレオ・リミックスが作成されているが、満足できる内容ではなかったため、今回再びリミックス作業が行われた。
以下、収録曲を簡単に紹介する。
● Can't Buy Me Love
キャピトルからシングルはリリースされたが、アルバムは「United Artists」からリリースされた「A Hard Day's Night」に収録されていたため、今回キャピトルのアルバムに初収録となる。また、アルバム「A Hard Day's Night」は疑似ステレオだったため、リアル・ステレオ・ヴァージョンがアメリカでリリースされるのは初となる。
● I Should Have Known Better
キャピトルからシングル(「A Hard Day's Night」のB面)はリリースされたが、アルバムは「United Artists」からリリースされた「A Hard Day's Night」に収録されていたため、今回キャピトルのアルバムに初収録となる。また、アルバム「A Hard Day's Night」は疑似ステレオだったため、リアル・ステレオ・ヴァージョンがアメリカでリリースされるのは初となる。
● Paperback Writer
アメリカでのアルバムへの収録は初。
イギリス編集盤「A Collection Of Beatles Oldies」に使用されたステレオ・リミックスを使用しているが、右チャンネルと左チャンネルが逆になっている。
● Rain
英米ともにアルバムへの収録、及びステレオ・ヴァージョンは初。
● Lady Madonna
英米ともにアルバムへの収録、及びステレオ・ヴァージョンは初。
● Revolution
英米ともにアルバムへの収録、及びステレオ・ヴァージョンは初。
● Hey Jude
英米ともにアルバムへの収録、及びステレオ・ヴァージョンは初。
● Old Brown Shoe
英米ともにアルバムへの収録は初。
● Don't Let Me Down
英米ともにアルバムへの収録は初。
● The Ballad of John and Yoko
英米ともにアルバムへの収録は初。
1962-1966
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目次 - Contents
- The Beatlesの概要
- The Beatlesのメンバー
- John Lennon (ジョン・レノン)
- Paul McCartney (ポール・マッカートニー)
- George Harrison (ジョージ・ハリスン)
- Ringo Starr (リンゴ・スター)
- The Beatlesの元メンバー
- Stuart Sutcliffe (スチュアート・サトクリフ)
- Pete Best (ピート・ベスト)
- The Beatlesの関係者
- Allan Williams (アラン・ウィリアムス)
- Raymond Jones (レイモンド・ジョーンズ)
- Brian Epstein (ブライアン・エプスタイン)
- George Martin (ジョージ・マーティン)
- The Beatlesの略歴
- 誕生と死去
- 主な出来事
- 1956年~1961年
- 1962年~1966年
- 1967年~1970年
- イギリスでのアナログ作品リリース
- シングル
- 4曲入りEP
- アルバム
- アメリカでのアナログ作品リリース
- シングル
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- アルバム
- 日本でのアナログ作品リリース
- シングル
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- アルバム
- ソロ作品
- 関連作品
- ザ・ビートルズのCD
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- Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
- Magical Mystery Tour
- The Beatles
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- 編集アルバム・その他
- A Collection Of Beatles Oldies
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- 1962-1966
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