The Beatles(ザ・ビートルズ)の徹底解説まとめ

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

収録曲概説

● Drive My Car
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。ジョンが歌詞を少し手伝っている。
ポールの歌詞は当初「You can buy me golden rings」となっていたが、ジョンからその歌詞はくだらないと言われ、二人で相談し「You can drive my car」にしている。
ポール「お尻の軽い女の子のことを歌った曲ってことに変わりはないけれど、おかげでメインの歌詞が少し良くなった」

最後のヴァースでポールとジョンが歌う歌詞に少し違いがある。
マーティン「これは意図的にやったことじゃなくて、結果的にそうなってしまったんだ。みんな熱中してたし、そんなことには気づかなかった。全部終わってからわかったんだが、わざわざ彼らを呼び戻してそこだけ録り直すほどのものでもないと思ったのさ。人生は短いんだから」

間奏のリード・ギターはポールが弾いている(ジョージは、「ポールと一緒に被せた」と表現している)。またリフに関してはオーティス・レディングの「Respect」から拝借している。
ジョージ「(ポールは)曲を書くと、自分のパートを全部覚えてスタジオにやってくる。そして『これをやってくれ』という。こっちが何か質問する余裕なんて決してくれやしなかった。『Drive My Car』では、僕は単純にリフを弾くだけだったけど。知ってるかい、オーティス・レディングの『Respect』、あれの一節みたいにダーン、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダンってリフをギターで弾いたんだ。するとポールが僕のに合わせてベースを弾いた。そんな風にしてレコーディングしていって、そのあとリード・ギターのパートを一緒に被せたのさ」

Respect/Otis Redding

*レコーディング詳細
1965年
・10月13日
第1~第4テイクをレコーディング。
*初の真夜中12時を超えるレコーディングとなった。
・10月25日
第4テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月26日
第4テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Norwegian Wood (This Bird Has Flown)
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。ポールが歌詞を少し手伝っている。
ジョン「これを書いたのは僕だ。でも歌詞はポールに手伝ってもらった」「『Norwegian Wood』は完全に僕の曲だよ。つきあっていた女のことなんだ。相手がだれだったか、具体的には思い出せないけど」「煙幕を張って情事を凝りに凝って書きたいと思ったんだ」
ポール「『Norwegian Wood』の中で、家を燃やしてしまおうと決めたのは僕だ。大して意味のあることじゃないけど」
ジョンの友人のピート・ショットン「彼がアート・スクールの貧しい学生だったころ、スチュワート・サトクリフと共同のフラットで、暖炉によく家具をくべていたこともさりげなく触れている」

ザ・ビートルズの楽曲でインドの楽器シタールが使用されたのはこの曲が初めてであり、ジョージが弾いている。ジョージはこの楽器を、映画「Help!」の中で初めて聴き、すっかりその虜になってしまった。また、ジョージにインド人ミュージシャンで、後にジョージのシタールの師匠になるラヴィ・シャンカールの音楽を紹介したのは当時ザ・バーズのメンバーだったディヴィッド・クロスビーである。またこの「Norwegian Wood」でシタールを弾くことをジョージに勧めたのは作者のジョンである。
ジョージ「ロンドンで買ったうす汚いシタールを持っていった。それで『Norwegian Wood』のパートを弾いたんだ」
エンジニアのノーマン・スミス「(シタールのレコーディングについて)ピークがまちまちだし、波形がひどく複雑なので、録音がとても難しいんだ。メーターの針がいきなり赤のディストーション・ゾーンにまで振れちゃって、まともな音が録れなかった。リミッターを使えばよかったんだが、そうすると音に響きがなくなってしまうからね」

邦題「ノルウェーの森」はしばしば誤訳だといわれる。通常「森」を表す場合は「wood」ではなく「woods」と複数形になるからである。「ノルウェー産の家具」というのが正しい翻訳だ、という説もあるがこれも正解ではなく、ポールによると「ノルウェー産の材木、松の木」が正解であるとのこと。「ザ・ビートルズ・リマスターCDガイド」によると、「ノルウェーの森」というベスト・セラー小説を書いた村上春樹氏は、ジョージのオフィスに勤める女性から「最初は『Knowing she would』だったけれど、レコード会社からクレームがきて『Norwegian Wood』に変えた」という話を聞いたという。また佐賀県知事の古川康さんはこの件に関する文章をご自身のHPにアップしているという。藤本邦彦著による「ビートルズ213曲全ガイド」にも「北欧のポゴ・ポップスというバンドに90年代半ばにインタビューした際に訊いてみたところ『Knowing she would』の言葉遊びだ、と言っていた」と記述されている。案外とそれが正解かもしれない。ちなみに「Isn't it good? Knowing she would?」を大意すると「彼女がやらせてくれるとわかっているなんて、すてきじゃない?」という感じになる。

この曲はボブ・ディランから影響を受けてジョンが書いた、と言われており、そのボブ・ディランはこの曲のアンサー・ソングとして「4th Time Around」という楽曲をリリースしている(アルバム「Blonde On Blonde」に収録)。ジョンはこのことに関して気分を損ねたが、ディランは他意はなかったと発言している。

4th Time Around/Bod Dylan

*レコーディング詳細
1965年
・10月12日
第1テイクをレコーディング。
*「」
・10月21日
第2~第4テイクをレコーディング。
・10月25日
第4テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月26日
第4テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● You Won't See Me
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「シンプルな2音符だけで作った。モータウン風の、ジェームズジェマーソンの趣がある。彼はメロディアスなベースを弾くすごいベーシストでね」

ステレオ・ヴァージョンではイントロ、3秒くらいのところでポールの「ゴホッ」という咳の音を聴くことができる。

*レコーディング詳細
1965年
・11月11日
第1~第2テイクをレコーディング。
・11月15日
第2テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Nowhere Man
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「ある朝5時間もかけて、すごく意味があって申し分のない歌詞を書こうとしたんだけれど、結局諦めて寝転がってしまった。そしたら歌詞も曲も、全部がいっぺんに心に浮かんできて『Nowhere Man』ができたんだ」
ポール「あれは一晩中出歩いたあと、日が昇り始めたあたりのジョン自身を歌った曲あんだ。あの時期の彼は自分の生き方そのもの、つまりこれから自分がどこへ向かうのかを模索していたんだと思う」

*レコーディング詳細
1965年
・10月21日
第1~第2テイクをレコーディング。
・10月22日
第3~第5テイクをレコーディング。
・10月25日
第4テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月26日
第4テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Think For Yourself
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ジョージ「『Think For Yourself』はその感じから、特定の誰かのことを歌った曲に違いないんだけど、今となっては一体誰がインスピレーションになったのかを思い出せないんだ。もしかすると政府のことかも」

*レコーディング詳細
1965年
・11月8日
第1テイクをレコーディング。
・11月9日
第1テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● The Word
ジョンが中心になって作った曲で、リード・ヴォーカルはジョン。
ジョン「『The Word』はポールと一緒に書いた曲だけど、メインは僕だ。歌詞を読んでみると、結局言いたいのは、もっと利口になれってこと。マリファナ時代の曲さ。愛、愛と平和というね。合言葉は愛、そうだろ?」
ポール「たとえば『Long Tall Sally』のように、ひとつの音だけでいい曲を書くのは本当にむずかしいんだ。時折僕らがやろうとしていたことなんだけどね。『The Word』はそれに近いと思うよ」

*レコーディング詳細
1965年
・11月10日
第1~第3テイクをレコーディング。
・11月11日
第3テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*確実ではないが、この日のステレオ・ミックスはアメリカ盤に使用されたと思われる。
・11月15日
第3テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*確実ではないが、この日のステレオ・ミックスはイギリス盤に使用されたと思われる。

● Michelle
ポールが中心になって作った曲で、リード・ヴォーカルはポール。
ジョン「曲を書いたのは2人。ミドル部分を共作したんだ」

ミドル部分の「I love you」の繰り返しはジョンの提案による。
ジョン「一緒にどこかに泊まってたとき、ポールが部屋に入ってきて最初の数小節をハミングした。歌詞もつけて。そして『ここからどうしたらいいと思う?』と訊いてきた。僕はちょうどニーナ・シモンを聞いていた。多分「I Put A Spell On You」だったと思う。その中に『I Love You, I love You, I Love You』のフレーズがあったんだ。それをヒントにして『Michelle』のミドル・エイトを書いたんだよ。『I Love You, I love You, I Love You』ってね。つまり僕はポールの曲に、いつもちょっとブルージーな気分を加えていたわけだ。でなきゃ、わかるだろう? 『Michelle』はただのバラードになってたはずさ」
ポール「チェット・アトキンスのフィンガー・ピッキング・スタイルで書いたんだ。『I Love You』のパートは最初はコーラスだった」

I Put A Spell On You/Nina Simone
1分55秒あたりから「I Love You」の繰り返しが始まる。

フランス語のパートは、クォリーメンの元メンバーで、ジョンとポールの幼馴染でもあるアイヴァン・ヴォーンの奥さんから教わっている。
ポール「ちょうどなにかフランス語の詞を書きたいと思っていたんだ。友達の奥さんがフランス語を教えていてね。彼女に訊いたんだよ。フランス語で何か作れないかなって。そしたらすごくぴったり合う歌詞ができたのさ」「『Michelle』はパーティとかのために、ちょっとした洒落のつもりで作ったフランス語の曲でね。ほんと、それだけのものでしかなかったんだ。でもしばらくして、結構いい曲じゃないかと思いはじめて、本気で歌詞を付けてみたのさ」

ポールはベースの面白さが分かったのはこの曲が初めてだ、と語っている。

ボブ・ディランはこの『Michelle』を評価していない。
ボブ・ディラン「『わたしにもビートルズがわかるんだ』ってところをティーンの女の子に見せたくて『Yesterday』や『Michelle』を歌う奴がいるけど、はっきりいってあの2曲は体裁を繕っているだけだ。国会図書館へ行ってみなよ。もっとましな歌がいくらでもあるさ。ティン・パン・アレーには『Yesterday』や『Michelle』みたいなのがそれこそ腐るほどあるんだ」

アラン・トゥーサン(アメリカ・ニュー・オーリンズ出身のピアニスト、シンガー・ソングライター、プロデューサー)「メロディも歌詞もビートルズに勝るものはありません。わたしはポールのベース・ラインが好きです。『Michelle』『Norwegian Wood』『Yesterday』、みんな紛れもなく傑作ですよ。わたしの心のなかで、右に左にどこまでも広がりつづけていくんです」

*レコーディング詳細
1965年
・11月3日
第1テイクをレコーディング、その第1テイクをテープ・リダクションして第2テイクを作成。
*テープ・リダクション:いくつかのトラックにそれぞれ録音されたパートをミキシングし、別のテープ・レコーダーにまとめること。1台のテープ・レコーダー内で行う場合はピンポン録音と呼ばれる。ピンポン録音を例にすると、トラック1のドラムスとトラック2のベースをミキシングしてトラック3にレコーディングする。そうするとトラック3にはドラムスとベースが収められ、トラック1とトラック2は空きとなるので、他の楽器などをレコーディングすることが出来る。
・11月9日
第2テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
・11月15日
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。

● What Goes On
ジョンが中心になって作った曲で、リード・ヴォーカルはリンゴ。
ジョン「書いたのは僕。ごく初期の曲でね。リンゴとポールがレコーディングのとき、いっしょに新しいミドル・エイトを書いたんだ」

リンゴの名前が作曲者として初めてクレジットされたのがこの曲であった。ただし「単語を5つ考えただけ」とのこと。
リンゴ「ずっとみんなと同じように曲が書きたいと思っていたし、トライもしてみたけど、できなかった。歌詞はまあまあのができるんだけど、僕がメロディを考えて歌ってみせると、いつも『うーん、どっかで聞いたような感じ』と言われてしまうんだ。そう言われてはじめてああそうかってわかるんだ」
ポール「リンゴが3時間かけてすごい曲を書いたと思ったら、ディランの曲だった」

モノラルとステレオではテイクが異なる。ステレオではエンディングにジョージのギターが入っているが、モノラルではカットされている。

*レコーディング詳細
1965年
・11月4日
第1テイクをレコーディング。
・11月9日
第1テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● Girl
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「これは理想の少女のことを書いたものなんだ。昔はポールと僕で歌詞を書くと、よく二人で笑い飛ばしてたものさ。ティン・パン・アレイの連中がやるみたいにね。曲に見合った歌詞を書こうとするようになるのは、もっと後のことだ。この歌詞は気に入っている。ベストのひとつだね」
ポール「ジョンの息つぎを聞いてごらんよ。エンジニアに高音を強調してくれと頼んだんだ。だから息つぎの音がすごく大きくなって、まるでパーカッションかなにかに聞こえるだろう」

ジョンによると、バック・ヴォーカルの「チッ、チッ、チッ、」は「tit(おっぱい)」のことだそうだ。

ポール「最後のゾルバのような部分はジェーンとのギリシャ休暇後に僕が作ったんだ」
*ゾルバ:1964年にイギリス・ギリシャ・アメリカの合作で作成された映画「その男ゾルバ」からきている。ギリシャの作曲家ミキス・テオドラキスが音楽を担当しており、このミキス・テオドラキスの音楽と映画のために振付されたダンス「シルタキ」の組み合わせがしばしば「ゾルバ・ダンス」と呼ばれるようになった。ゾルバ・ダンスをギリシャの伝統的な舞踊と記述している書籍もあるが、それは誤り。

映画「その男ゾルバ」より。

*レコーディング詳細
1965年
・11月11日
第1~第2テイクをレコーディング。
・11月15日
第2テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● I'm Looking Through You
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「ジェーンの関わりの浅さにがっかりした僕の恋愛エピソードを歌にしたものだ。心の中まで見抜いているんだよ、っていうね」

アメリカ盤「Rubber Soul」にはイントロで2回ギターをミスしているヴァージョンが収録されている(要因は不明)。

*レコーディング詳細
1965年
・10月24日
第1テイクをレコーディング。
・11月6日
第2~第3テイクをレコーディング。
・11月10日
第4テイクをレコーディング。
・11月11日
第4テイクにヴォーカルをオーヴァーダブ。
・11月15日
第4テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● In My Life
リード・ヴォーカルはジョン。では誰がこの作品を書いたのか。
ザ・ビートルズの全楽曲の中で、ジョンとポールが「これは自分が書いた」とお互いに主張しあっている曲が2曲ある。ひとつは「Eleanor Rigby」でもうひとつがこの「In My Life」である。ジョンはこの曲をポールに一部手伝ってもらって書いたと主張し、ポールは作曲を全部自分が手がけたと主張している。

ジョン「ポールはミドル・エイトのメロディを手伝ってくれた。歌詞はすべてポールが到着する前に完成していたよ。曲に関して彼が貢献してくれたのは、ハーモニーとミドル・エイトの部分だ」「書いたのは僕だよ。ペニー・レインについて書こうとしたはずだ。僕が覚えている町のことなんかをね。いい曲だよ」「『In My Life』はメンローヴ・アヴェニュー250番地にあった僕の家から町までバスで来るところから始まるんだ。思い出す場所を全部並べながらね。バカみたいな内容だったけど『Penny Lane』もまだ書かれていないころのことだ。ペニー・レインにストロベリー・フィールズにトラムシェッズ……ペニー・レインのすぐ外にあった停車場のことさ。休日のバス旅行でやったこと、みたいな、それもいちばん退屈な代物で全然うまくいかなかった。でも寝転がっていると、懐かしいいろんな場所が歌詞になって浮かんできて、何日も何時間もかけてひとりよがりにならない歌詞を書こうと頑張った。そしてあきらめかけたとき、やっと『In My Life』が浮かんだのさ」「これは本当の意味で傑作といえる、僕の最初の作品だと思う。それまではいいかげんな書き殴りばかりだったけど、このとき初めて意識して、歌詞に自分の中の文学的な要素を取り込んでみたんだ」

ポール「『In My Life』に関する僕の記憶を話そう。曲作りのためジョンの家に赴いたら、ジョンは素敵な歌詞の書き出しを用意していた。僕らの歌にはよくあるパターンだけど、これもリヴァプールに対するノスタルジアの歌だった。別にリヴァプールに帰りたいという意味じゃない。誰だって若い頃を振り返るだろ? マハリシが黄金のガラスを通せば、すべてはきれいに見えるとよく言ってたけど、『あの頃は、ギターを抱えて夜に爪弾いたよなあ』なんてさ、楽しい時代であったはずだけど、後で振り返ると、単にギターを抱えて街を歩いたことですら、素敵に思える。ビートルズが有名になったから、浮浪者みたいに僕ら二人が街の中をギターを弾きながら歩いたことも、ロマンティックな伝説になるんだよ。映画には欠かせないシーンみたいにさ。それがジョンの曲のアイディアだったけど、でも彼が曲を準備していた記憶はない。僕の記憶はジョンの記憶と食い違うかもしれないけどね。僕は彼に言った。『曲が出来てないなら、僕にやらせてくれ』。そして階段の途中のメロトロンに向かって、頭にスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズを浮かべて曲を書いた。『You Really Got A Hold On Me』や『Track Of My Tears』に大きな影響を受けているしね。自分の大好きな曲を参考にして、そのスピリットを抽出して、新しい曲を作ろうと試みるんだ。メロディは全部僕が書いた覚えがある。分析してみても、まさに僕らしい曲だと思う。歌詞ももちろん作ったけど、曲の構成はいかにも僕らしい。ジョンには『お茶でも飲んで休んでれば、十分あれば一人で仕上げるから』と言った記憶がある。スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズをインスピレーションに、メロディックでありながらマイナーやハーモニーを入れてブルース風にしようと思ってね。そして部屋に戻って、『出来た! いい曲だと思う。どうかな?』とジョンに聴かせたら、『いいね』と言うんで、そこからそのメロディを使って残りのヴァースを二人で埋めていったんだ。共作した曲についていえば、大体はジョンが最初のヴァースをつくっていたね。曲の方向性が決まる指標のようなものだから、それだけでも十分なんだけど、こんな言い方は嫌だけど、要するに型板というかね。僕の記憶では、二人で書いて、後でイントロも加えた。これも僕が考えたと思うけど、ミラクルズのレコードを想像しながら、ギターのフレーズはスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズに感じがよく似てると思うよ。だから、この曲はジョンのインスピレーションを基に、僕のメロディとギター・リフで出来た曲だ。断言はしたくないけれど、僕の記憶は以上の通り。二人で仕上げた素敵な曲をジョンが歌ったわけさ」

ジョンが亡くなってしまった今、真相は永遠には判らないが、二人の発言を要約すると、作詞:ジョン、作曲:ポール、とするのがしっくりくるように思える。
ポールはこうも言っている。
ポール「僕らが書いた全ての曲の中で、二人の記憶が食い違うものがたった二曲だなんて、喜ばしいことだよ」

これはジョージのお気に入りの曲でもあり、ザ・ビートルズ解散後の1974年後半のソロ・ツアーでも披露していた。ところが彼は「In My Life I Love You More」の歌詞を「In My Life I Love God More」と歌詞を変えて歌ったため、物凄い非難を浴びることになる。

In My Life ジョージ・ハリスン 1974年のソロ・ライヴより。
2度目の「In My Life I Love You More」の「You」を「God」に変えて歌っている。

*レコーディング詳細
1965年
・10月18日
第1~第3テイクをレコーディング。
・10月22日
第3テイクに、ジョージ・マーティンのバロック風のピアノをオーヴァーダブ。
・10月25日
第3テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月26日
第3テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Wait
ジョンとポールの共作で、サビのパートをポールが書いている。リード・ヴォーカルもジョンとポールが分け合っている。
ポール「ブランドン・デ・ワイルドと話をしながら作った。興味深そうに見ていたなあ」
*ブランドン・デ・ワイルド:映画「シェーン」に子役として出演していた俳優。

この曲は元々前作「Help!」に収録する予定でレコーディングされていたが、ボツとなり、本作「Rubber Soul」の収録曲が不足していたために復活した楽曲。「Rubber Soul」に見合うようにオーヴァー・ダブが追加されている。

*レコーディング詳細
1965年
・6月17日
第1~第4テイクをレコーディング。
*アルバム「Help!」のレコーディング・セッション。結局「Help!」には収録されなかった。
・6月18日
第4テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*アルバム「Help!」のレコーディング・セッション。結局「Help!」には収録されなかった。
・11月11日
第4テイクに、トーン・ペダル・ギター、タンバリン、マラカス、ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
*アルバム「Help!」のレコーディング・セッション時のテイクがそのまま使用されている。
・11月15日
第4テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*モノ・ミキシングは2回目だが、この時のミキシングが使用されたと思われる。

● If I Needed Someone
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ジョージ「これはカポタストを5フレットにはめたDのローコードのポジションで書いた曲だ」「この曲はDコードで書かれた無数の曲となんら変わるところがない。指を動かしさえすれば、ちょっとしたメロディはいくらでも出てくるだろう。このギター・ラインやそのヴァリエーションにはたくさんの曲でお目にかかれるし、いまだに同じ音符の順列組合せで新しいメロディができてるのには、本当にびっくりさせられる」

イントロの12弦ギターのフレーズはアメリカのロック・バンド、ザ・バーズが1965年にリリースした「The Bells of Rhymney」にインスパイアされて作られた。「The Bells of Rhymney」はイギリスの詩人、イドリス・デイビーズの詩に、アメリカのフォーク・シンガー、ピート・シーガーがメロディをつけて、1958年にレコーディングしたものがオリジナル。

The Bells of Rhymney/The Byrds

*レコーディング詳細
1965年
・10月16日
第1テイクをレコーディング。
・10月18日
第1テイクにジョージのヴォーカル、ジョンとポールのバック・ヴォーカル、リンゴのタンバリンをオーヴァー・ダブ。
・10月25日
第1テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月26日
第1テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

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