サクライケンタの徹底解説まとめ

サクライケンタとは、作詞家・作曲家・編曲家・音楽プロデューサーであり、株式会社ekomsの代表取締役。彼が頭角を現したのは、いずこねこのプロデューサーとしてであり、その後はMaison book girlの総合プロデューサーとして活躍している。スティーヴ・ライヒなどの現代音楽家に影響を受け、ポピュラー音楽にその現代音楽をミックスさせた「現音ポップ」を提唱している。Maison book girlだけでなく、クマリデパートのプロデュースや開歌-かいか-、大森靖子との仕事などで知られている。

サクライケンタのプロフィール・人物像

サクライケンタ

サクライケンタは1983年11月10日、大阪で生まれている。

サクライケンタが影響を受けた現代音楽家はスティーヴ・ライヒである。
スティーヴ・ライヒは1936年生まれのアメリカの作曲家。
最小限に抑えた音のシーケンスの積み重ねによる音楽「ミニマル・ミュージック」の先駆者であり、米ニューヨーカー誌からは「現代における最も独創的な音楽思想家」と評される現代音楽家の一人である。
彼がそのスティーヴ・ライヒの音楽に出会ったのは高校1年生の時であった。
そんな現代音楽の出会いと共に、サクライ自身も現代音楽の作曲を始めることとなる。

そんな彼が何故アイドルを手掛けるようになったかというと、サクラ自身も認めている「ロリコン」だからというのが要因の一つであるらしい。
アイドルのプロデュースを始めたのは、2011年のいずこねこが最初。
いずこねこのプロデュースはサイライケンタの持病であるうつ病が悪化し、自殺未遂まで起こした末に約3年で終了。
この精神が不安定な時期に大森靖子のライヴを見ているが、その時に大森が歌った「呪いは水色」という楽曲に「命が救われた」と語っている。
この大森靖子の友人がコショージメグミであり、大森を通じてコショージと出会ったことがMaison book girl結成の発端となった。

現在はMaison book girl、クマリデパートなどが所属している株式会社ekomsの代表取締役である。

サクライケンタの活動経歴

サクライケンタ

ここでは、サクライケンタの活動経歴を紹介する。
活動経歴ではあるが、彼の小学校から高校までの学生時代にも、その後の彼の音楽形成に重要な出来事が起こっているので触れておく。
なお、Maison book girlが結成された2014年11月5日までの経歴としておくが、一部、いずこねこの最終活動である「世界の終わりのいずこねこ」のみ、それ以降の出来事として触れておく。
いくつかのインタビューを抜粋しており、各インタビューで年齢などの差異が生じているが(例えば現代音楽を聴き始めたのを「高校1年」としているケースと「17歳か18歳」としているケースがある)、これはサクライケンタの記憶の曖昧さに由来するものと思われる。大勢に影響がないとの判断で、どちらのインタビューも掲載しておく。

1983年11月10日
大阪で生まれる。

1993年
小学校4年生。
個人レッスンでドラムを習い始めるのと同時に、小学校に通わなくなる。
以下、Tokyo Loco magazineのインタビューより抜粋。
――サクライさんの音楽との出会いについて伺いたいんですが、最初に始めた楽器がドラムだそうですね。
サクライ:小学校4年生くらいの時にドラムを個人レッスンで習い始めたんですけど、テレビで音楽番組を見ていて単純に面白そうだなと思ったのがキッカケですね。家にドラムセットはなかったので、その個人レッスンに行くか、練習スタジオに個人練習に2時間1000円とかで入って叩いてました。
――どういった曲のドラムを叩いていたんですか?
サクライ:姉の影響で渋谷系の音楽をよく聴いていたので、例えばフリッパーズ・ギターの曲を叩いたりしていましたね。ちょうど渋谷系が流行っていた時代で、渋谷系の中でもいろんな新しいアーティストが出てきていて、そういうものを幅広く聴いていた気がします。あと、つんく♂さんの作る曲が良くて、モーニング娘。は当時からすごく好きでしたね。

以下、Real Soundのインタビューより抜粋。
――最初にサクライさんの音楽遍歴を簡単に教えて貰えますか?
サクライ:小4か小5の時に楽器を弾いてみたくなって、習いごとでまずドラムを始めたんです。2、3年続けたのかな。
――なるほど。ちなみにほとんど学校へは行ってないんですよね?
サクライ:はい。小4くらいから卒業まで行ってなくて。

1994年~1996年
小学校5年生~中学校1年生
親戚からギターをもらい、独学で弾き始める。また中学に入ってMTR(マルチトラックレコーダー)を親に買ってもらい、作曲を始める。
ちなみに中学校は1年の時は真面目に通っていたが、それ以降は通わなくなる。
以下、Tokyo Loco magazineのインタビューより抜粋。
――自分で曲作りを始めるのはいつ頃のことですか?
サクライ:小学5年か6年の時に親戚の人からギターを貰って自己流で弾き始めるんですけど、中学に入って親に頼んでMDのMTRを買ってもらって、それで曲を作り始めました。ちょうど同じ頃にノートパソコンが与えられて、テレホーダイで深夜にインターネットを使うようになって、それで音楽のことを調べたりもしていましたね。ドラムはリズムマシンで打ち込んでMTRに録音して、その上に何本もギターを重ねていくみたいな感じで作ってたんですけど、その工程とか感覚がとにかく楽しくて。
――その組み立てていく面白さって、ゲーム的な感覚ですよね。
サクライ:そうですね。この音にこの音を重ねたらこういう音が鳴るんだとか、ゲーム感覚で作曲をしていたかもしれないです。ゲーム自体はジャンルを問わず何でもやっていて、PlayStationとかセガサターンとかネオジオとか、新しいハードが出たら買って遊んでました。小学校の頃はゲームセンターにもよく行って格闘ゲームをしていましたね。本来学校がある時間に音楽作ったりゲームしたりしていて、学校が終わる時間から友達と遊んでました。
――アニメなどもその頃からよく見ていましたか?
サクライ:やっぱりエヴァンゲリオンですね。あの登場人物って14歳じゃないですか。自分が14歳のころにそれが始まって、本当にリアルタイムの世代という感じですね。最初の劇場版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」は、公開日の朝に映画館に並んで見ました。その後、最新の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」まで、全ての劇場版は公開初日の最初の上映を見続けています。

以下、Real Soundのインタビューより抜粋。
――最初にサクライさんの音楽遍歴を簡単に教えて貰えますか?
サクライ:中学に入ったら親がギターをどこかから貰って来て、ギターも弾くようになりました。聴いてた音楽は姉の影響でピチカートファイブとかフリッパーズギターとかトラットリアとかの渋谷系だったので、作曲もしてたけど普通のバンドサウンド的なポップスでしたね。
――現代音楽を取り入れた作曲をしたのもその頃ですか?
サクライ:そうですね。中学の頃は親にねだって買って貰ったMTRを使って、ギターとかドラムマシーンとかをライン接続で繋いで、録音するっていう方法で曲を作って遊んでたんですけど。
――なるほど。ちなみにほとんど学校へは行ってないんですよね?
サクライ:中学は最初の1年だけ真面目に通いました。

1999年
高校1年生。
バンド活動を始める。また現代音楽を聴き始める。これは音楽に詳しいライブハウスの店長に現代音楽のCDを借りたことがきっかけ。
ちなみに高校は5日程通って中退している。
以下、Tokyo Loco magazineのインタビューより抜粋。
――高校の頃にはバンド活動もしていたそうですね。
サクライ:高校には行きたいと思ってなかったんですけど、親からは行かないよりはマシみたいに言われていたので、一応高校には進みました。でも、学校に行ったのはたぶん5日間くらいだけです。その頃はいろんなバンドをやりましたね。コピーもやりましたし、オリジナルもやりました。パートも、ギターだったりドラムだったりで、その頃はメロコアが流行っていたので、ハイスタ(Hi-STANDARD)のコピーバンドでドラムを叩いたこともあります。オリジナル曲をやるバンドでは、自分が曲を書いたりもしていました。

以下、Real Soundのインタビューより抜粋。
――最初にサクライさんの音楽遍歴を簡単に教えて貰えますか?
サクライ:現代音楽を聴き始めたのは、高1の時。音楽に詳しいライブハウスの店長と仲良くなって、いろいろCDを借りてる中に現代音楽もあって。もともとドラムをやってたのもあって、リズムが面白くて。楽器的にもテレビやラジオで流れてるようなものじゃないし。クラシック楽器を使って、面白いことをしてるなって、すごく新鮮に感じて、ハマりました。いろいろ聴いたけど、一番最初に好きになって、今でも好きなのは、スティーブ・ライヒ。6年前くらいに1回だけ東京に来てコンサートをしたんですけど、それにも行ったくらい、好きです。
――現代音楽を取り入れた作曲をしたのもその頃ですか?
サクライ:高校に入ってからは、マックと音楽製作ソフトを買って、DTMで現代音楽を取り入れたインスト曲を作り始めるようになりました。そうやって遊んでいるうちに企業のWEBのCM動画のBGMを作らせて貰ったり、自然とそれが仕事になって行きました。
――なるほど。ちなみにほとんど学校へは行ってないんですよね?
サクライ:高校は5日で辞めました。

スティーブライヒ「クラッピング・ミュージック」
サクライケンタが影響を受けた作曲家。
Maison book girlの重要な要素の一つであるクラッピングのみで楽曲を構成している。

スティーブライヒ「シックス・マリンバス」
同じくサクライケンタが影響を受けた作曲家。
マリンバの音もMaison book girlの重要なポイントの一つである。

同じくサクライケンタが影響を受けた作曲家。
ストリングスの使用や、執拗なシーケンスも重要なポイントの一つとなっている。

2000年~2001年
すでに高校を中退している。
17歳の時に一人暮らしを始め、その頃にパソコンのMacと音楽ソフトであるLogicを購入。いわゆるDTM(デスクトップミュージック)の環境を整えて作曲をするようになる。
以下、Tokyo Loco magazineのインタビューより抜粋。
――中学の時にMTRで始めた曲作りの環境は、どのように変化していったのですか?
サクライ:17歳で家を出て暮らし始めたんですけど、その頃にMacを買ってPCで音楽を作れる環境を整えて、今も使っているLogicというソフトで作曲するようになりましたね。
――現在のサクライさんの音楽的なベースのひとつである現代音楽との出会いはその頃ですか?
サクライ:17歳か18歳くらいの時に大阪のライブハウスの店長と仲良くなって、いろんなCDを貸してもらっていたんです。その中に現代音楽の作品とかもあって、それが聴いていて面白かったですね。その頃は、インスト曲を作りまくっていた時期です。
――その時に聴いた作品の中で具体的に好きだったものって覚えていたりしますか?
サクライ:衝撃を受けたのは、スティーヴ・ライヒですね。他にも現代音楽のいわゆる定番的な作品もいくつか聴いたんですけど、ライヒの音楽は現代音楽だけどちゃんと展開があって、ひとつひとつの楽器が役割を持っていて、作曲者の意図が理解できるような感じが面白かったです。いまだにライヒからの影響は大きいです。

2003年~2007年
少しずつ作曲を仕事を始める。ここでの仕事が後のいずこねことの活動に繋がっていく。
以下、Tokyo Loco magazineのインタビューより抜粋。
――MacとLogicで音楽を作り始めて、作曲の仕事で初めてお金をもらったのはいつのことですか?
サクライ:20歳前後くらいだと思います。大阪のデザイン界隈と仲良くなり始めて、僕がインスト曲を作ってるという話をしてCDを渡したりしていたら、デザイン事務所から映像に音楽をつけてくれという依頼がもらえるようになって、そこからいろんな代理店から仕事が来るようになりました。25歳くらいまではインストの曲を作りつつ、たまにそういう仕事もしつつ、バイトをしていた時期もあったんですけど、何年かニートの期間があって、その期間は曲を作ってるか、ゲームしてるかくらいのダメな生活をしてました。
――そういう仕事がアイドルへの楽曲提供へ繋がっていくわけですね。
サクライ:大阪でも地下アイドルの文化が出てきて、僕も歌ものの曲を遊びで作ったりはしてたんで、自然な流れで、あの曲っぽいのを作ってくださいというような依頼をもらうようになりました。そういう仕事は、その後のいずこねこの活動に繋がっていきます。
――その頃もアイドルは聴いていたんですか?
サクライ:ハロプロのグループをメインに聴いてましたね。その頃にBerryz工房と℃-uteが始まって、僕は℃-uteが好きで、コンサートにも一人でよく行ってました。特に、サングラスを掛けていたころのマイマイ(萩原舞)を推していました。
――アイドル以外だと、どんな音楽をよく聴いていましたか?
サクライ:聴いていたのは現代音楽の作品かアイドルソングやアニメソングで、極端な聴き方をしていました。高校以降は流行のJ-POPとかは全然聴かなくなりましたね。
――お気に入りのアニメソングやサウンドトラックはありますか?
サクライ:電脳コイルというアニメのサントラは特に好きですね。NHKでやってたアニメなんですけど、音楽だけを聴くと現代音楽な感じがするサントラです。
やっぱり美しいことを書きたいというのが僕の根底にあって、キレイなことも汚いことも全部含めた美しさを最終的に形にできたらなと常に思っています。
サクライ:センターをあまり作りたくないという思いがあって、最初の段階からメンバーは4人にしようと思っていました。音楽面で比較すると、いずこねこの方がポップスの要素が強かったと思うんですけど、もっと削ぎ落として音数も少なくして、聴きやすいものをと。聴きやすいというのは自分の中で重要なポイントなので意識してますね。
――聴きやすいという点では、サクライさんの楽曲は変拍子が多用されていながら、非常に聴きやすい印象を受けます。曲作りの最初のイメージの段階から、変拍子のパターンで出てくるのでしょうか?
サクライ:そうですね、初めのイメージからです。4分の5拍子だろうが4分の7拍子だろうが、自分としては音楽的な聴こえ方の違いしかなくて、そこを特に意識しているわけではなく、聴いていて気持ちいいということを一番大切にしてますね。

サクラィ学院「チョコっとだけ愛してください」
サクライケンタが作った初めてのアイドルソング。

2007年
友人であったサオリリス作詞による「チョコっとだけ愛してください」の作曲を担当する。これはサクライケンタによる初のアイドルソング。
2013年7月7日、新木場STUDIOCOASTにて開催された「アイドル横丁夏まつり!!~2013~」において「サクラィ学園」によってパフォーマンスされた。ちなみに「サクラィ学園」は「さくら学園」のパロディ。

2008年
この頃から「うつ」を発病する。2011年からいずこねこのプロデュースを始めるが、結局この病気が原因でいずこねことの活動は終了している。
以下、snaccのインタビューより抜粋。
――そこからは順調に活動の幅を広げられていったと思うんですけど、うつ病を抱えていた時期もありましたね。
20代中盤くらいかな。はじめにパニック障害みたいな症状が出て、電車に乗れなくなってしまったんです。そこからうつ病を併発して。
そのときは「いずこねこ」をやっていたんですけど、だんだん忙しくなってしんどくて、薬の量も増えました。でも、結局薬でごまかしてるだけなので、ちょっとしたことで溜まっているものが爆発してしまうというか。
――薬を飲んでいるうちは治らない的な?
そうなんですよ。薬をなくさないと治らないなと思って、いろいろ病気のことについて調べたり、病院も何回も変えたりして、けっこうむりやり薬を減らして、よくなりました。
まわりの人たちには迷惑や心配をかけてしまったんですけど、理解者もたくさんいたおかげで助けられました。

2010年7月28日
大阪を中心に活動していたアイドルグループMary Angelの3rdシングル『瞬間 -shine heart-』がリリースされる。
ここに収められた3曲は全曲サクライケンタ作詞・作曲であり、彼の作品にとって初のフィジカルメディアでのリリースとなった。

2011年3月16日
大阪を中心に活動していたアイドルグループ「Mary Angel」のデビューアルバム『まじかる・スター☆≡』がリリースされる。
サクライケンタは「トキメキハイスピード」に作詞・作曲で参加している。

2011年6月29日
大阪を中心に活動していたアイドルグループ「Mary Angel」の4thシングル『succeed』がリリースされる。
サクライケンタは「I need back」に作詞で参加している。

2011年10月
いずこねこのプロデュースを始める。

2011年11月11日
いずこねこのデビューシングル『JuPiter girL』がリリースされる。

2011年12月18日
いずこねこの2ndシングル『rainy irony』がリリースされる。

2012年2月25日
いずこねこの3rdシングル『nostalgie el』がリリースされる。

2012年4月14日
いずこねこの1stEP『IZUKONEKO EP』がリリースされる。

2012年8月4日
いずこねこの1stアルバム『最後の猫工場』がリリースされる。

2012年8月8日
大阪を中心に活動していたアイドルグループ「Mary Angel」の2ndアルバム『Happy☆days!!』がリリースされる。
サクライケンタは作詞・作曲・編曲で3曲に、編曲のみで1曲に参加している。

2013年1月23日
いずこねこの2ndEP『ROOM EP』がリリースされる。

2013年4月3日
いずこねこのライブアルバム『なみえて Live CD』がリリースされる。

2013年8月1日
株式会社ekoms設立。
それまでサクライケンタの個人事務所だった「アトリエ・シレンシオ」を法人化したもの。

2013年11月4日
東京・東京キネマ倶楽部にていずこねこ2ndワンマンライブ東京公演「猫と煙と赤いカーテン」が開催される。
初めてバンドを編成したライブであり、サクライケンタもギターでバンドに参加している。
このライブの模様は2014年06月25日にリリースのDVD『2nd oneman LIVE 「猫と煙と赤いカーテン」in 東京キネマ倶楽部』に収録されている。

2013年11月27日
いずこねこの3rdEP『last summer EP』がリリースされる。

2014年3月14日
恵比寿LIQUIDROOMで開催された大森靖子「絶対少女が夢見るBBa'14ツアー」を観に行く。
これがきっかけとなり大森靖子との親交が始まり、彼女の友人でもあったコショージメグミとの繋がりもできることとなる。
もしもこの日、サクライケンタが大森靖子のライブに行かなければ、Maison book girlは存在しなかったかもしれない。

2014年5月21日
いずこねこの活動終了を発表。

2014年6月25日
いずこねこのDVD『2nd oneman LIVE 「猫と煙と赤いカーテン」in 東京キネマ倶楽部』がリリースされる。
これは2013年11月4日に東京・東京キネマ倶楽部で開催されたいずこねこ2ndワンマンライブ東京公演「猫と煙と赤いカーテン」の模様を収めた映像作品。

2014年6月末
サクライケンタはこの頃にコショージメグミと初めて会っている。
以下、Real soundのインタビューより抜粋。
――初めてのアイドルプロデュースとなるいずこねこを始めたのが、2011年10月ですよね。いろいろあっていずこねこが2014年8月に終了することが発表されたのが、2014年3月。その3月から、ブクガが始まる11月までの経緯を教えて貰えますか?
サクライ:いずこねこの終了が決まる前から、「世界の終わりのいずこねこ」という映画のプロジェクトが既に動いてたんですよ。いずこねこは終わるけど、茉里ちゃん(いずこねこは当時の茉里のソロ名義)も僕も、映画製作は続行したいという意見が一致して。だから映画のサントラや、いずこねこの最後の新曲の製作作業を4月あたりから始めて。5月くらいには、もう何か新しいことをやりたいと考えてました。そんな時に知人からの紹介でコショージと6月末に初めて会うことになって。そこからメンバーを集め始めました。
――もうアイドルはやりたくないとは思わなかったんですか?他の音楽の仕事をするとか。
サクライ:やっぱり自分でやりたいというのがすごいあって。コショージは自分がやりたいことの雰囲気をすごく掴んでくれてる感じがあったので。やって貰うことにしました。
――アーティストではなく、アイドルにした理由は?
サクライ:入り口が広いからですね。今までもいずこねこっていうアイドルをやってたし、コショージもBiSというアイドルをやってたわけですし。興味を持ってくれる人が多いかなと思いました。

2014年7月8日
神奈川・横浜アリーナにてBiSの解散コンサート「BiSなりの武道館」が開催される。
この日のステージで、サクライケンタとBiSの元メンバーであるコショージメグミが新プロジェクト「book house girl(仮)」として活動を開始することが発表された。
また同じステージでいずこねこ改めミズタマリとBiSの元メンバーであるカミヤサキによる二人組ユニット・プラニメの結成も発表された。

2014年8月31日
いずこねこの活動終了。
ただし、制作中であった映画「世界の終わりのいずこねこ」のプロジェクトは継続され、映画関連に限り「いずこねこ」名での活動は継続されることとなった。

2014年11月5日
book house girl改め、Maison book girlが発表された
メンバーはコショージメグミ、宗本花音里、矢川葵、井上唯の4人。

2014年12月20日
東京・渋谷WWWにていずこねこのラスト・ライヴ「世界の終わりのいずこねこの終わりの始まり」が開催される。

2015年3月4日
いずこねこ主演映画のサウンドトラックアルバム『世界の終わりのいずこねこ オリジナル・サウンドトラック』がリリースされる。

映画『世界の終わりのいずこねこ』予告編

2015年3月7日
映画「世界の終りのいずこねこ」公開。
キャストとしていずこねこ(一人二役)、蒼波純、永井亜子、ライムベリー、ゆるめるモ!などの他に、コショージメグミと宗本花音里も出演している。
以下、サクライケンタのコメントを抜粋。
「いずこねこは僕の精神的な病のせいで終わることになってしまったんです。当時は本当に映画が作れるような状況ではなくて。撮影中も茉里ちゃんと和解できていませんでした。でもこの映画があったおかげできちんとした形で活動を完結させることができたし、今は茉里ちゃんと普通にLINEできるくらいになりました。惜しくもいずこねこの活動は今回のプロジェクトで終焉を迎えますが、この映画作品でいずこねこでやろうとしていた事を全部詰め込みたいと思います!素晴らしく美しい、いずこねこのフィナーレを!よろしくお願い致します」

2015年12月23日
いずこねこ主演映画のDVD『世界の終わりのいずこねこ+いずこねこ LAST LIVE (2014.12.20)』がリリースされる。

サクライケンタ関連のディスコグラフィー

Mary Angel

Mary Angel

Mary Angelは、大阪Ruidoを拠点とし関西を中心に2007年2月から2015年2月まで活動していたYu-ka、Risa、Mayaの3人によるアイドルグループ。
コンセプトは「裸足で応援したくなるアイドル」で、グループ名の「Mary」はメンバー3人の頭文字(Maya、Risa、Yu-Ka)が由来となっている。
2007年2月10日、当時小学4年生と5年生の小学生アイドルユニットとして結成される。
2011年9月30日、Mayaが卒業。
2015年2月15日に開催された「卒業ライブ~サバイバルライブファイナル~」をもって活動を終了している。

2010年7月28日3rdシングル『瞬間 -shine heart-』をにリリース。
ここに収録された3曲が全曲サクライケンタの作詞・作曲であり、これは彼の作品にとって初のフィジカルメディアでのリリースとなった。

2010年7月28日:『瞬間 -shine heart-』

『瞬間 -shine heart-』

1. 瞬間 -shine heart- (作詞・作曲:サクライケンタ)
2. 小さな花 (作詞・作曲:サクライケンタ)
3. waku2@dreamer (作詞・作曲:サクライケンタ)

3rdシングル。
全曲がサクライケンタの作詞・作曲であり、彼の作品にとって初のフィジカルメディアでのリリースとなった記念すべきCD。

「小さな花、瞬間 -shine heart-」

2011年3月16日:『まじかる・スター☆≡』

『まじかる・スター☆≡』

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