LUNA SEA(ルナシー・LUNACY)の徹底解説まとめ

1990年代、数々のシングルをヒットさせ、ヴィジュアル系バンドの最前線を突っ走ったLUNA SEA。絶大な人気を誇っていたにも関わらず、2000年に惜しまれつつも活動を終幕させた。しかし、2007年以降は単発的にライブ活動を行い、2010年には本格的に活動を再開させた。その後はライブ活動やフェスの主催など精力的な活動を行っている。1992年のメジャーデビュー以降、数々のヴィジュアル系バンドがLUNA SEAに影響されたことを明かしている。

LUNA SEAの概要

LUNA SEA(ルナシー)は、1989年結成のヴィジュアル系ロックバンド。1992年にアルバム『IMAGE』でメジャーデビュー。「狂気」という意味を持つ「LUNACY」というバンド名で活動を開始し、メジャーでの活動を視野に入れた際、ひとつの意味に縛られることなく、音楽的にも「月のように変化があって、海のように深いものを」という思いから、「〜CY」箇所を「〜SEA」と変更し、その後使われ続ける表記である「LUNA SEA」に変更した。「全員が局面局面でイニシアチブを取れるから、責任を押し付けるようなリーダーはいらない」という理由で明確なリーダーはおらず、提案に対し決は取るが1人が否定すれば、その案は棄却されるという全会一致システムで話し合いを進めていくという。アルバム曲順を決める所からレコーディングの最終工程にもメンバーは関わるのが通例。
メジャーデビュー前から「チラシ作り」「アルバムジャケット・ライナーノーツ」「チケットの売り方」「チラシのコピー」「どこの媒体に、何色使って、何ページ使って、どんなデザインの広告にするか」等、ビジュアル面での細かい相談も全てメンバー5人でチェックしていた。その後も原稿と写真は必ずチェックしている。
そのようにメンバー全員のこだわりを詰め込んで作られる曲たちは大衆にも広く受け入れられ、メジャーデビューから一度解散するまでのシングルは全て売上10万枚以上という、日本の音楽史上に残る驚異的な記録を打ち立てた。
1998年にはテレビドラマ『神様、もう少しだけ』の主題歌に起用された「I for you」が大ヒットし、第18回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主題歌賞を受賞し、同曲で第49回紅白歌合戦への初出場も果たしている。
2000年に終幕(解散)を宣言して一度解散したが、2010年に活動を再開し、その後は自身が主催するロックフェス「LUNATIC FEST.」を開催するなど精力的な活動を続けている。
個々のメンバーが持つ音楽的な貪欲さが生み出す音楽と圧倒的な存在感は、ヴィジュアル系というジャンルに関わらず、後進のバンドが「憧れの存在」として挙げることも多い。

LUNA SEAの活動経歴

結成

1989年、INORANとJが所属していたバンドに、SUGIZO、真矢、RYUICHIが加入し活動を開始する。この頃は狂気をイメージさせるとしてバンド名を「LUNACY」としていた。
1990年にはメジャーになるにつれて活動の幅が広がったことで、バンド名を「LUNACY」から「LUNA SEA」に改めた。
1991年、X JAPANのYOSHIKIが主催するExtasy Recordsより、インディーズ1stアルバム『LUNA SEA』をリリースした。
初回プレス盤の1万枚が予約だけで完売した。

メジャーデビュー~解散

1992年、2ndアルバム『IMAGE』にてメジャーデビューを果たす。
1994年、3rdシングル『ROSIER』がオリコン初登場3位となり、ロングヒットを記録した。
さらに4thシングル『TRUE BLUE』がオリコン初登場1位を記録した。
1996年にリリースした5thアルバム『STYLE』では、アルバムで初めてのオリコン1位を記録する。
1999年には東京ビッグサイトにて総動員数10万人を記録したライブを行った。
2000年11月、突如終幕を発表。12月の東京ドームでのライブを最後に終幕となった。
テレビ番組に出演した際、RYUICHIは解散の理由について「自分の夢だったはずのものに対して、呼吸ができなくなっていった」と当時の実情を語っている。SUGIZOはそれを受けて、「強迫観念みたいになっていた。LUNA SEAで必死に走ってきたので、音楽も人としても、新しいエネルギーを吸収する必要があると思った」と語っている。

RYUICHIは「自分の夢だったはずのものに対して、呼吸ができなくなっていった」と当時の実情を語っている。SUGIZO(ギター)がそれを受けて、「強迫観念みたいになっていた。LUNA SEAで必死に走ってきたので、音楽も人としても、新しいエネルギーを吸収する必要があると思った」と語った。

出典: japan.techinsight.jp

バンドが解散する理由に「音楽性の違い」を挙げることがあるが、SUGIZOは「音楽性の違いは5人が集まった時からあった」と明かす。町田のライブハウスで出会った時から各自のスタイルは様々だったが、「音楽性が違っても『一緒にやろう、成功しよう』という意志があれば、なんら問題は無い」と彼は語る。

出典: japan.techinsight.jp

再結成

終幕後は各自ソロ活動を行っていたが、2007年、一夜限りの復活ライブを行う。
2008年には、hideの追悼イベントに参加した。
2010年、バンドを再結成し、ワールドツアーを行った。
2013年には、13年ぶりの8thアルバム『A WILL』をリリースした。
その後も初の主催フェス「LUNATIC FEST.」開催や、ライブツアーを行うなど精力的に活動を行っている。

LUNA SEAのメンバー

RYUICHI

ヴォーカル担当。本名は河村隆一で、ソロ活動を行う際は本名を名乗っている。
声の伸びや音域の広さに定評があり、ライブでの安定感は抜群と言われている。
ソロ活動でリリースしたアルバム『Love』は320万枚を売り上げており、これは国内の男性ソロアーティストのアルバム売上の最高記録である。
LUNA SEAのほかにRAYLAのボーカリストも務めており、また小説家としても活動している。
2019年に肺腺がんであることを公表して治療に臨んだが、手術後1か月でスピード復帰し、力強い歌声を届けている。

SUGIZO

リードギター担当。7月8日生まれで、本名は杉原康弘。愛称は「スギちゃん」「スギ様」。
ヴァイオリンやシタール、胡弓など様々な楽器を使いこなし、多くの楽曲でコーラスを担当している。
音楽プロデューサーとしても活動し、LUNA SEAと並行して、X JAPANやViolet UKのギタリスト、ヴァイオリニストとしても活躍している。

INORAN

リズムギター担当。本名は井上清信。9月29日生まれ。
解散後はソロ活動を中心としていたが、並行して、「FAKE?」、「Tourbillon」といったバンドに参加。過去にはJやX JAPANのhideと共に「MxAxSxS」を結成していた。
左利きだが、ギターを覚えた当初、左利き用のギターが高くて買えなかったため、右利き用のギターで練習した。現在でも右利き用のギターで演奏している。

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