ねこねこ日本史(ねこにほ)のネタバレ解説・考察まとめ

『ねこねこ日本史』とは、漫画家のそにしけんじが、日本の歴史を描いた学習4コマ漫画、および漫画を原作としたアニメ作品。小さな子供でも楽しめる歴史学習漫画を作りたいと考えた作者が、日本の歴史上の登場人物を全て猫にして描いた作品。内容はゆるくてかわいいのだが、意外と史実に添っているところもあり勉強にもなる。小中学生を中心として爆発的な人気を博しており、キャラクターグッズや関連本の販売、アニメ化に映画化など幅広い展開をみせている。

『ねこねこ日本史』の概要

『ねこねこ日本史』とは、実業之日本社のウェブコミックサイト、“COMICリュエル”で漫画家そにしけんじが連載中の4コマ漫画である。そにしけんじは、子供の頃から歴史が好きで、受験のときは歴史学習マンガを読んで勉強していた。その経験もあり、小さな子供でもゆるく楽しめる歴史学習漫画を作りたいと考え、登場人物全部を猫にしようと思いつき、卑弥呼を主人公に6~8ページのショートストーリーを1本描いた。その原稿が実業之日本社の目に留まり、WEB雑誌への掲載が決定した。その媒体は漫画だけにとどまらず、アニメ化され、2016年4月から2021年3月までNHK Eテレにて放送されていた。アニメのナレーションは山寺宏一、主役は基本的に小林ゆうが務めている。また映画化もされており、『ねこねこ日本史 龍馬のはちゃめちゃタイムトラベルぜよ!』が2020年2月22日に劇場公開され話題となった。更には絵本、ゲームアプリ、小説など多岐にわたった展開を見せている。ウェブ上には“ねこねこ日本史オフィシャルグッズショップ”も展開されており、好きな登場人物のデザインを選んで、Tシャツやパーカー、マグカップなどの商品を購入できるようになっている。
漫画は、ネームが完成した後、史実と異なっている箇所がないか、歴史研究家の福田智弘がチェックし、修正・完成となる。
タイトルの『ねこねこ日本史』は猫の日本史という意味ではなく、“ねこねこ日本の歴史”という意味がこめられており、小さい猫の国のなかでの話が描かれているので、実際の日本史ではないという。漫画1巻につき、約12人の偉人が登場し、それぞれの人物にまつわる4コマ漫画が約15本ずつ収録されている。
この作品の一番の魅力は、今までの歴史学習漫画と違い、“勉強するために読む”ものではなく、“楽しいから読む”という内容に仕上がっているところにある。歴史上の人物を猫(1部他の動物)化させている事により、キャラクターへの愛着を抱かせ、更にはギャグ漫画で笑わせることで、異色の歴史学習漫画となっている。

『ねこねこ日本史』のあらすじ・ストーリー

2巻 持統天皇(飛鳥時代より)

次の天皇について話し合う大海人皇子(左)と妻の鸕野讚良皇女(右)

西暦671年、天智天皇(てんじてんのう)が亡くなり、次の天皇を話し合う猫の大海人皇子(おおあまのみこ)(のちの天武天皇(てんむてんのう))と妻の鸕野讚良皇女(うののきららのひめみこ)(のちの持統天皇(じとうてんのう))。鸕野讚良皇女は、「うちのこ!!」と生後6か月(人間だと9才)の息子・草壁皇子(くさかべのみこ)を勧める。しかし次の天皇は、順当にいけば大海人皇子か、大海人皇子の甥の大友皇子(おおとものみこ)。結局、次の天皇は大友皇子に決まる。鸕野讚良皇女は、ゆくゆくは実子の草壁皇子を天皇にしたいという目論見があるため、夫の大海人皇子を天皇にすべく、大友皇子の元へ大軍を率いて向かう。これを壬申の乱という。嫌々戦おうとする大海人皇子であったが、鸕野讚良皇女は「やっぱり待って!!あなたが指揮を取る必要はないわ!もし万が一あなたの身に何かあったら…この子(草壁皇子)が天皇になれないじゃない」と言う。大海人皇子は「それかい!!」と突っ込む。戦いの指揮は、鸕野讚良皇女が指名した、皇子の中で最年長の高市皇子(たけちのみこ)がとる事になる。鸕野讚良皇女は、「だめでもあたしの子じゃないしね!」と草壁皇子をかわいがる。高市皇子は見事連戦連勝をおさめ、大友皇子は自害。
西暦673年、大海人皇子は天武天皇に、鸕野讚良皇女は皇后になった。残る皇子は草壁皇子以外に5人おり、天武天皇は西暦679年、皇子たちに争いをさけるよう言い渡し、皇子たちは「なかよくしまーす!!」と元気に返事をする。これを“吉野の盟約”という。西暦686年、天武天皇が死没。皇后は「さ!草壁ちゃん天皇のデビューよ!」と息巻く。ところが、全てにおいて草壁皇子よりも大津皇子(おおつのみこ)の方が勝っており、みんなが天皇にふさわしいと思っていたため、皇后は大津皇子を死罪にする作戦をたてる。大津皇子は計略にはまり死罪に。しかし、草壁皇子は病気で亡くなってしまう。皇后は「かくなる上は…孫よ!」と言う。孫の軽皇子(かるのみこ)は当時生後4か月(人間だと7才)。皇后(のちの持統天皇)は諦めない女である。

11巻 考謙天皇(奈良時代より)

西暦756年、聖武上皇(しょうむじょうこう)が亡くなり、娘の考謙天皇(こうけんてんのう)と上皇の妻の光明皇太后(こうみょうこうたいごう)を藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)が補佐する政権が誕生。考謙天皇の跡継ぎは、聖武上皇の遺言により皇太子は道祖王(ふなどおう)と決められていたが、考謙天皇と光明皇太后がやめさせ、新しい皇太子に大炊王(おおいおう)を立てる。西暦758年、大炊王は名を改め淳仁天皇(じゅんにんてんのう)として即位。考謙天皇は上皇に。考謙天皇は「仲麻呂!いっしょにあそぶのニャ!!」と藤原仲麻呂を誘うが、藤原仲麻呂は恵美押勝(えみのおしかつ)に名前を変え、天皇のお世話に勤しみ、光明皇太后も忙しく、考謙天皇は孤立してしまう。西暦760年、光明皇太后は亡くなり、これを機に淳仁天皇と恵美押勝が実権を握る。西暦761年、考謙上皇は病に倒れ、保良宮で療養し、高僧・道鏡(どうきょう)のいやし効果で病を治す。翌年、上皇は法華寺に移り出家。上皇は、すっかり道鏡になつき、「師匠に一生ついて行きます」と言う。上皇は「これからは大きな仕事は私が行うのニャ いいね」と同じく道鏡のいやし効果を受けた淳仁天皇の承諾を得る。そこに、「それは許さーん!」と恵美押勝が恵美押勝の乱を起こすが、考謙上皇が吉備真備(きびのまきび)に討伐を命じ、乱は鎮められた。
西暦764年、淳仁天皇は廃位となり、考謙上皇は出家したまま再び天皇に。考謙上皇改め称徳天皇(しょうとくてんのう)として仕事を始めるが、称徳天皇は仕事が好きではなく、道鏡を天皇にしようと画策する。まず、道鏡を法王にして仕事を押し付けようとするが、周りに止められる。西暦769年、宇佐八幡宮から神のお告げを伝えに使者がやってきて、「道鏡を次の天皇にしなさい」と告げるが、実は称徳天皇がカンペを使者に読ませていたことが発覚。このお告げが本当かどうか、和気清麻呂(わけのきよまろ)に宇佐八幡宮に確認させるため行かせる。戻ってきた和気清麻呂は、「道鏡を天皇にしてはいけません」と言う。怒った称徳天皇は、和気清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に改名させて流罪に。結局、道鏡は皇位につけず、称徳天皇は亡くなるまで仕事をした。

10巻 清少納言(平安時代より)

一条天皇の后・藤原定子(ふじわらのていし)が、清少納言(せいしょうなごん)(中宮・定子の侍女)に、「みてみてー兄の伊周(これちか)から紙をもらったのニャー」と料紙を見せる。一条天皇(いちじょうてんのう)は『史記』を書き写すと言い、清少納言は定子を誘って、「枕にしましょ」と2人で料紙にあごをのせてうたた寝を始める。清少納言はうたた寝しながら、「春は夜明けが一番すてきニャー」「夏は夜が一番すてきニャー」「秋は夕暮れ」「冬は早朝」「…でも昼になって外がだんだん暖かくなるのはいまいち」などと思いつき、目覚めた後、紙にその内容をしたためる。こうして、『枕草子』が誕生。定子と少納言は、まだ料紙の上でうたた寝を続ける。夢の中で、二人の頭の中に、ある日の出来事が思い浮かぶ。定子が「香炉峰の雪ってどんな感じかニャー?」と言うと、少納言は白楽天の詩にある「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」とある事から、定子に御簾をあげて雪景色を見せる。「そんなことありましたニャー」と清少納言は、その事も紙につづる。このように、料紙の上でうたた寝をしては、日々の出来事を書き留めて『枕草子』ができあがる。それを目に留めた伊勢守源経房(いせのかみみなもとのつねふさ)が「これおもしろーい!みんなに見せちゃおー」と持ち出し、『枕草子』は広く知れ渡った。

4巻 足利義満(室町時代より)

室町幕府を作った足利義満(あしかがよしみつ)の祖父・足利尊氏(あしかがたかうじ)が亡くなった頃、尊氏の息子の義詮(よしあきら)に男の子・義満(よしみつ)が生まれる。義満は尊氏にそっくりであった。義詮は、家臣の細川頼之(ほそかわよりゆき)に義満のことを任せ、亡くなる。幼い義満は3代将軍となる。西暦1378年、義満は室町に立派な屋敷を建て、西暦1390年に美濃の土岐康之(ときやすゆき)を滅ぼし、1391年には山陰の山名氏清(やまなうじきよ)も滅ぼした。こうして室町幕府は安定し、更に義満は南朝にある三種の神器を取り戻して北朝に渡し、南北朝を統一。西暦1394年、将軍職を息子の義持(よしもち)にゆずり、公家の最高位である太政大臣となる。さらに西暦1395年、太政大臣をやめて出家し僧侶になった。出家した義満は、新しい家として金閣寺を建てた。西暦1401年、「幕府のお金が足りなくなりました!」との報告を受けて、明との貿易を決意。明は日本と貿易をするにあたり、「海賊の倭寇を取り締まること」「日本は明の家来になること」という条件を提示。義満は倭寇をたおし、明の家来として日明貿易がスタート。室町幕府はおおいにうるおった。

3巻 松尾芭蕉(江戸時代より)

西暦1680年の江戸。松尾桃青(まつおとうせい)(のちの芭蕉(ばしょう))は、談林派の俳諧の師匠としてお金持ち猫達の俳諧に点数をつけていたが、嫌になって師匠をやめる。ド田舎の深川に土地を移し、「ここで一から俳諧の修行をするのニャ!」と決意する。弟子の1人である杉風(さんぷう)が小屋を用意したが、その小屋は鯉のいけすの見張り小屋で、猫達は鯉が気になって俳諧作りに身が入らない。そこでいけすが隠れるように、いけすの周りに芭蕉を植えた。桃青は芭蕉の葉の下が気に入って、修行どころか葉の下で寝てばかり。それを見た人々が、「あれじゃあ、松尾桃青じゃニャくて松尾芭蕉だニャー」と言い出し、名前はいつしか松尾芭蕉となった。「このままでは何も浮かばない!」と芭蕉は一念発起し、旅に出る事に。弟子の千里(ちり)をつれて最初の旅が始まり、「古池や かわずとびこむ 水の音」を作り、新しい俳諧が完成。それからは、「ちょっとひと足!鹿島紀行の旅」「てんこもり!!和歌の浦・奈良・大阪・須磨・明石・京都だぜ!笈の小文の旅」 「これでどうだ!大満足!!大津・岐阜・名古屋・鳴海・更科&善光寺!更科紀行の旅」と次々に旅へ出た。そして芭蕉最大の旅「添乗員・曽良(そら)と歩く 全長2400km!!おくのほそ道の旅」に出発し、途中、有名な句を次々と詠んだ。

『ねこねこ日本史』の登場人物・キャラクター

登場人物

卑弥呼(ひみこ)

弥生時代後期3世紀頃の邪馬台国の女王。倭国(日本)はもともと男性の王が治めていたが、戦乱が絶えず、卑弥呼が女王に就任することによって戦乱が治まった。170年頃に生まれ、247年~248年に死没。ねこじゃらしを両手に持ち、勾玉のネックレスをつけ、白い着物を着た黒髪の猫として描かれている。

聖徳太子(しょうとくたいし)

飛鳥時代の皇族・政治家。574年生まれ、622年に死没。近年は、厩戸皇子と呼ばれる事も多い。髭を生やした、賢そうな白猫として描かれている。

聖武天皇(しょうむてんのう)

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