信長の野望シリーズ(ゲーム)のネタバレ解説・考察まとめ

『信長の野望』とは、コーエーテクモゲームスから発売されている日本の戦国時代を舞台にした歴史シミュレーションゲームであり、これまでシリーズ化されている。ゲームプロデューサーはシブサワ・コウ。プレイヤーは戦国大名となり、内政開発や軍備増強をして、他の大名と戦って勢力を拡大し、最終的には日本全国を統一するのがゲーム目標となる。

本多忠勝

本多忠勝(1548~1610)
1571年から1600年までのシナリオに登場し、初出は『信長の野望・戦国群雄伝』である。
武将特徴として、足軽の兵科適性が高い。これは、忠勝が合戦で抜群の槍働きをしていたためと思われる。ちなみに所持していた槍は「蜻蛉切」という。
幼少の頃より徳川家康に仕え、各地の戦いで戦功を立てる。
一騎討ちで敵将を破ったこともある。
本能寺の変後で伊賀越えを進言し、小牧・長久手の戦いでは奇策で敵豊臣軍を圧倒するなど、主家のために活躍した。
家康が関東に領地を移された後、忠勝は上総に領地を与えられる。
関ヶ原の戦いでも活躍したが、その後、新しく領地として与えられた伊勢で亡くなる。
仮想シナリオで大名として登場する作品もある。

立花宗茂

立花宗茂(1567~1643)
1582年から1614までのシナリオに登場し、初出は『信長の野望・武将風雲録』である。
武将特徴として、騎馬の兵科適性が高い。これは数々の戦いで武功を立てたことによるものと考えられる。
大友家家臣・高橋鎮種(紹運)の長男として生まれたが、後に同じく大友家家臣の戸次鑑連(立花道雪)の養子となり、鑑連の娘と結婚する。
島津家との戦いでは、奇襲戦法などを用いて多くの兵を討つなどの戦功を挙げる。
豊臣秀吉の時代でも、文禄の役では明軍を圧倒するなどの活躍をする。
関ヶ原の戦いでは西軍についたため、筑後にあった宗茂の所領は没収され浪人となる。しかし江戸幕府開府後、1万石の大名として所領を与えられることになった。
作品によっては1614年大坂の陣のシナリオで、陸奥棚倉を本拠地とする大名として登場するものもある。
その大坂の陣では参謀役などとして活躍し、陣後旧領筑後の大名となった。晩年は養子に家督を譲り、江戸で亡くなる。

知将

知恵に優れた武将。知略が高い傾向にある。

片倉景綱

片倉景綱(1557~1615)
1582年から1614年までのシナリオに登場し、初出は『信長の野望・武将風雲録』である。
作品によって片倉小十郎と通称名で登場するものもある。
武将特徴として、知略に優れたことから、調略に関する特技や敵部隊を妨害する戦法を所持する。また、弓の扱いに優れていたことから弓の適性が高い。
元々は神職の家の生まれであり、姉の喜多は伊達政宗の乳母となった。
景綱は文武に励み、やがて伊達家に仕え、伊達政宗の傅役を務める。
政宗が当主になってからは、伊達家の合戦に参加して戦功を挙げる。
また、豊臣秀吉の小田原征伐に向かうように進言するなど、政略面でも活躍した。
関ヶ原の戦い後、陸奥白石に所領を与えられた。大坂の陣の頃は病に臥せ、1615年に死去した。
作品によっては、仮想シナリオで大名として登場するものもある。

直江兼続

直江兼続(1560~1619)
1582年から1600年までのシナリオに登場し、初出は『信長の野望・戦国群雄伝』である。
武将特徴として、才知に優れたことから、調略に関する特技と敵部隊を妨害させる戦法を所持する。
樋口家の出身で、幼い頃から上杉景勝(上杉謙信の養子)に仕えていたといわれている。
謙信の死後発生した跡目争いで景勝が勝利するが、跡目争いで活躍した直江信綱という武将が家中の者に殺害されてしまう。兼続は信綱の未亡人と結婚することになり、直江家を相続した。
その後は家老となり、政治面で功績を挙げる。主家が豊臣秀吉の命によって、陸奥会津に領地が変わった歳には、出羽米沢に所領を与えられる。
しかし関ヶ原の戦いで上杉家が西軍についたことで、所領が大幅に減らされてしまう。
そのため上杉家は財政状況が悪くなってしまうが、さまざまな内政政策で経済改善を図った。大坂の陣後の1619年に死去する。
作品によっては、仮想シナリオで大名として登場する作品もある。

山本勘助

山本勘助(1493または1500~1561)
1534年から1560年までのシナリオに登場し、初出は『信長の野望・戦国群雄伝』である。
初期の作品では山本勘助の名で登場するが、諱として伝わる山本晴幸で登場する作品もある。
武将特徴として、兵法や軍略に優れ、軍師的役割を担っていたとされることから、調略に関する特技や敵部隊を妨害させる戦法を所持する。
出身地は三河とされる。若い頃は武芸などを学ぶために諸国を訪れた。
壮年の初め頃、今川家に仕えるが、後に武田晴信(信玄)に仕え、軍略面で支えた。
川中島の戦いでは挟撃を行う「啄木鳥戦法」を提案したが、この策は上杉軍に見破られてしまう。
武田軍は劣勢となり、勘助はこの戦いで戦死する。
ゲームでは1534年のシナリオで浪人として登場することが多く、それ以降のシナリオでは武田家の武将として登場する。

足利将軍家

足利義昭

足利義昭(1537~1597)
1560年から1582年までのシナリオに登場し、初出は『信長の野望・戦国群雄伝』である。
作品によってはもともとの名前「足利義秋」で登場してから、「足利義昭」と改名するものもある。
武将特徴として知略が高く、調略に関する特技や敵部隊を妨害させる戦法を所持する。これは信長包囲網を画策したことによるものであると考えられる。
もともとは足利将軍家を継ぐ立場になく、出家して覚慶と名乗っていた(ゲームでは最初から足利家に武将として登場する)。
しかし、兄で将軍足利義輝が三好勢に殺害され、覚慶(義昭)も捕らえられ幽閉されてしまう。
後に将軍家家臣の助けにより脱出し、織田信長の助力により還俗してから将軍職に就く(還俗してからの名前が義秋で、将軍職に就く前に義昭に改名する)。
その後、信長と対立し、義昭は兵を挙げた。また、武田信玄など各地の大名などで作る信長包囲網を画策する。
しかし義昭は敗れ、信長により京から追放される。室町幕府は事実上この時に滅んだ。
それからは各地を回り、信長死後、秀吉の時代になって京への帰還を果たす。
ゲームでは1571年のシナリオで山城を本拠地にする大名として登場し、征夷大将軍の地位に就いている。

細川藤孝

細川藤孝(1534~1610)
1560年から1600年までのシナリオに登場し、初出は『信長の野望・戦国群雄伝』である。
作品によっては壮年期に「細川幽斎」と改名するものもある。
武将特徴として、弓術などの武芸に秀でていたため弓の適性が高い。また、教養に優れていたため政治も高い。
元々は三淵家の出身で、一族である細川家の養子となる。
足利将軍家に仕えていたが、将軍足利義輝が三好勢に討たれ、捕らえられた義輝の弟覚慶(足利義昭)を他の足利家家臣とともに救出する。
義昭が征夷大将軍になるように尽力したが、後に義昭と将軍就任に功績のあった織田信長が対立すると、織田家に仕える。
本能寺の変の際には明智光秀の誘いを断り、その後、豊臣秀吉の元で活躍する。本能寺の変後に幽斎と号する。
関ヶ原の戦いでは細川家は東軍につき、幽斎は居城を西軍の軍勢に包囲される。籠城を続けたが、朝廷により講和が結ばれ居城は開城される。
戦後、京で自由な生活を送り、同地で死去した。
ゲームでは義輝が討たれた後の1567年のシナリオでは大名として登場する。

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