山川大蔵の妻 山川登勢(やまかわ とせ/トセ) 白羽ゆり(しらはね ゆり)
山川大蔵(玉山鉄二) の妻。山川家に尽くす。籠城戦では「焼玉押さえ」に失敗、重傷を負う。登勢は介錯を義母、艶に懇願するが、なされなかった。照姫(稲森いずみ)の安否を気遣いながら、夫、大蔵が到着しないうちに息を引き取る。
白羽ゆり(しらはね ゆり)プロフィール
[氏名] 白羽ゆり(しらはね ゆり)
[本名] 戸浪 由香(となみ ゆか)
[生年月日] 1978年12月28日
[身長] 162cm
[血液型] A型
[出身地] 福島県福島市
[所属] ホリプロ
[趣味] 旅行
[過去の作品] 華麗なるスパイ、冬のサクラなど
公式サイト
http://horipro.co.jp/talent/PF119/
宝塚出身
山川大蔵の姉 山川 二葉(やまかわ ふたば) 市川 実日子(いちかわ みかこ)
山川家長女。山川大蔵(玉山鉄二) の姉。
会津戦争においては、婦女子の先頭に立って働いた。後、梶原平馬と結婚。景清をもうける。のち、離婚。景清は二葉が養育した。
斗南から東京へ移住後、東京女子師範学校の生徒取締となり、28年間務める。明治の女子教育に果たした功績から従五位に叙せられる。
山川大蔵の姉 山川 二葉(やまかわ ふたば) 市川 実日子(いちかわ みかこ)
山川家長女。山川大蔵(玉山鉄二) の姉。
会津戦争においては、婦女子の先頭に立って働いた。後、梶原平馬と結婚。景清をもうける。のち、離婚。景清は二葉が養育した。
斗南から東京へ移住後、東京女子師範学校の生徒取締となり、28年間務める。明治の女子教育に果たした功績から従五位に叙せられる。
市川 実日子(いちかわ みかこ)プロフィール
[氏名] 市川 実日子(いちかわ みかこ)
[家族] 姉:市川実和子
[生年月日] 1978年6月13日
[身長] 169cm
[血液型] A型
[出身地] 東京都大田区
[所属] スールキートス
[趣味] 写真、手芸
[過去の作品] めがねのハルナ、篤姫のお龍など
公式サイト
http://www.suurkiitos.com/
山川家次女 山川ミワ(美和)(やまかわ みわ) 守田 菜生(もりた なお)プロフィール
山川家次女。桜井弥一右衛門政衛(さくらい やいちえもん まさえい)の妻。
夫の政衛は、白虎隊隊長として解隊式を行っている。
戦後、政衛は青森で教育に尽くし、ミワもまた教壇に立ち、女子生徒に裁縫を教えたという。
[氏名] 守田 菜生(もりた なお)
[生年月日] 1984年3月18日
[身長] 168cm
[出身地] 東京都
[所属] キャスト・プラス
[趣味] 舞台鑑賞、手芸、料理
[特技] 日本舞踊
[過去の作品] 寧々〜おんな太閤記にてはな(南殿)、坂の上の雲にて児玉久子など
公式サイト
http://www.castplus.co.jp/profile/morita.html
山川操(やまかわ みさお) 竹島 由夏(たけしま ゆか)
山川家三女。小出光照(こいで みつてる)の妻。
会津戦争の際には『主君のためには水火をも辞せぬという忠義の心から出た戦』として死ぬ覚悟で籠城戦に臨み、弾丸と糧食の作成、看護と活躍した。
その覚悟が本物であったことは、攻撃の最中にも関わらず、南門の攻撃がゆるいという理由で南門から城外に抜け出し、大根を取ってきたり、負傷兵のために弾丸飛び交うなか、水を汲みにいったという逸話からも伝わってくる。
その後、ロシアに留学し、ロシア語、フランス語を習得。
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)付き女官兼通訳となった。
竹島 由夏(たけしま ゆか)プロフィール
[氏名] 竹島 由夏(たけしま ゆか)
[生年月日] 1986年6月3日
[身長] 157cm
[血液型] A型
[出身地] 東京都
[所属] カートプロモーション
[趣味] 映画鑑賞、読書
[特技] フルート、バトン、日本舞踊
[過去の作品] 仮面ライダークウガにて夏目実加、大魔神カノンにて深津かなめなど
公式サイト
http://www.kart-promotion.co.jp/index.php
山川大蔵、二葉の弟、捨松の兄 白虎隊出身の日本人最初の物理学教授 大学総長 山川 健次郎(やまかわ けんじろう) 勝地 涼(かつじ りょう)
山川家末弟。白虎隊出身。大学総長。男爵。
白虎隊の中でも年少組であったために待機となり、生き延びた。
落城後、猪苗代に謹慎となっていたが、藩命により脱走。秋月悌次郎(北村有起哉)の手配で長州藩の奥平謙輔の助力を得、新潟から東京へ出た後、苦学して10代でアメリカの名門、イェール大学に留学。
帰国後、東京開成高校で教え、東京帝国大学に改組された後は物理学教授となる。その後は東京・九州・京都の各帝国大学の総長を歴任、「白虎隊総長」と呼ばれる。
『会津戊辰戦史』を出版し、その中で東軍、西軍という表現を初めて使った。また、兄、大蔵が残した「京都守護職始末」を引き継ぎ、会津の復権に努める。
山川家末弟 山川 健次郎(やまかわ けんじろう) 勝地 涼(かつじ りょう)
山川家末弟。白虎隊出身。大学総長。男爵。
白虎隊の中でも年少組であったために待機となり、生き延びた。
落城後、猪苗代に謹慎となっていたが、藩命により脱走。秋月悌次郎(北村有起哉)の手配で長州藩の奥平謙輔の助力を得、新潟から東京へ出た後、苦学して10代でアメリカの名門、イェール大学に留学。
帰国後、東京開成高校で教え、東京帝国大学に改組された後は物理学教授となる。その後は東京・九州・京都の各帝国大学の総長を歴任、「白虎隊総長」と呼ばれる。
『会津戊辰戦史』を出版し、その中で東軍、西軍という表現を初めて使った。また、兄、大蔵が残した「京都守護職始末」を引き継ぎ、会津の復権に努める。
ちらりとですが、素晴らしい作品に関われてとても嬉しく思います。
本当に、想いのあふれる作品に関われることの幸せよ。(中略)
先輩の背中、しっかり見て、進んでいこうと思います。
今晩、よかったら。ぜひ。
出典: kicchomoon.exblog.jp
山川大蔵、健次郎、二葉の妹 大山巌の妻 大山 捨松(おおやま すてまつ) 旧姓:山川さき→咲子 『不如帰』による中傷を受けた人物 水原 希子(みずはら きこ)
山川家五女。大蔵、健次郎を兄、二葉を姉とする。
8歳で会津籠城戦を経験し、負傷者手当て、炊き出しなどを行った。11歳で日本初の女子留学生の一人として送り出される際に、母の艶は咲子という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という思いを込めて、「捨松」と改名させた。女子が10年もの間留学することは、当時それほどのものであった。
アメリカの大学を卒業した初の女性として帰国し、国際外交の舞台である夜会や舞踏会に出席できる女性として、薩摩閥の大山巌と結婚。反対は激しいものであった。
鹿鳴館の花と呼ばれるほど社交に秀でた女性ながら、日本初の看護学校設立資金を工面した。
享年58。
大山 捨松(おおやま すてまつ) 旧姓:山川さき→咲子 『不如帰』による中傷を受けた人物 水原 希子(みずはら きこ)
山川家五女。大蔵、健次郎を兄、二葉を姉とする。
8歳で会津籠城戦を経験し、負傷者手当て、炊き出しなどを行った。11歳で日本初の女子留学生の一人として送り出される際に、母の艶は咲子という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という思いを込めて、「捨松」と改名させた。女子が10年もの間留学することは、当時それほどのものであった。
アメリカの大学を卒業した初の女性として帰国し、国際外交の舞台である夜会や舞踏会に出席できる女性として、薩摩閥の大山巌と結婚。反対は激しいものであった。
鹿鳴館の花と呼ばれるほど社交に秀でた女性ながら、日本初の看護学校設立資金を工面した。
享年58。
水原 希子(みずはら きこ)プロフィール
[氏名] 水原 希子(みずはら きこ)
[出生名] ダニエル・オードリー・希子
[生年月日] 1990年10月15日
[身長] 168 cm
[血液型] A型
[出身地] アメリカ テキサス州ダラスに生まれ、兵庫県神戸市にて育つ
[国籍] アメリカ合衆国
[所属] エイジアクロス
[趣味] ショッピング、映画音楽鑑賞
[特技] 食べること
[過去の作品] ノルウェイの森にて小林緑、へルタースケルターにて吉川こずえなど
公式サイト
http://www.kiko-m.net/
父がアメリカ人、母が在日韓国人とのこと。
山川二葉、山川大蔵、咲子(のちの大山捨松)らの母 山川艶(やまかわ えん) 秋吉 久美子(あきよし くみこ)
山川二葉、山川大蔵、咲子(のちの大山捨松)らの母。
会津戦争では、二葉や大蔵の妻、登勢たちとともに入城、女子の総取締となる。