ジェローム・ディーン・デイヴィス(Jerome Dean Davis) J・D・デイヴィス ラッセル・トッテン
海外伝道組織アメリカン・ボードの宣教師。同志社英学校創立者の一人。南北戦争時は中佐。
南北戦争においては北軍の連隊旗手として軍務に就任し、シャイローの戦いで武功を上げ、最終的に中佐に昇格する。
後、京都に移り、新島襄と二人で同志社最初の教員になる。新島の死後1890年に英文で新島襄伝を表わした。
同志社大学京田辺キャンパスには、彼の名前を冠した「デイヴィス記念館(総合体育館兼講堂)」があり、正面ロビーには彼の言葉「My life is my message(私の生涯が、私の遺言)」が掲げられている。
日本最初の心理学教授 杉田勇次郎(すぎた ゆうじろう)
1858年、三田藩(現在の兵庫県三田市)に生まれる。従三位、勲二等瑞宝章。日本最初の心理学教授。
新島襄と共に同志社英学校の設立、運営に奔走したデイヴィスに随伴する形で同志社英学校に入学。その学資は、亡くなった父の代わりに母が衣類などを売って補填した。卒業後、東京英学校(後の青山学院)の設立に尽力し、教鞭をとった。
1883年、ボストン大学に留学し哲学を、1885年にジョンズ・ホプキンズ大学にて心理学・哲学を研究、奨学金を勝ち取った。
1890年、東京帝国大学に就任し、日本最初の心理学の教授となった。
1912年、死去。
礼保(れお)プロフィール
[氏名] 礼保(れお)
[生年月日] 1987年12月11日
[身長] 172cm
[血液型] A型
[出身地] 東京都
[過去の作品] メサイアにて小泉孝、さよなら、アルマにて王華峰な
金森 通倫(かなもり みちとも/つうりん) 別名 ポール・カナモリ 柄本 時生(えもと ときお)
宗教家、牧師。政治家、石破茂(いしば しげる)の母方の曽祖父にあたる。熊本バンドの一人。
新島襄に洗礼を受けた後、各地の牧師、神学校校長を歴任、自由党に入党し、『自由新聞』の主筆を担い、同志社大学設立の募金運動も推進した。
1898年、棄教し大蔵省嘱託として貯蓄推進運動を展開するが、妻の死をきっかけに再入信、救世軍に入隊する。その後、ホーリネス教会に入会し、教授を歴任するが、娘(浜健夫の妻)が胃がんになり、死去したことでホーリネス教会を脱退する。
1945年、福島県郡山市で死去。墓は東京都府中市の多磨霊園にある。
柄本 時生(えもと ときお)プロフィール
[氏名] 柄本 時生(えもと ときお)
[家族] 父:柄本明、母:角替和枝、兄:柄本佑
[生年月日] 1989年10月17日
[身長] 177cm
[血液型] O型
[出身地] 東京都
[所属] ノックアウト
[趣味] 映画鑑賞
[特技] 野球
[過去の作品] 功名が辻にて後陽成天皇、おひさまにて宮本タケオなど
公式サイト
http://www.knockoutinc.net/prof/tokio.html
第一銀行横浜支店長、横浜市長、朝鮮銀行初代総裁 市原 盛宏(いちはら もりひろ) 永岡 佑(ながおか たすく)
1858年熊本県に生まれた政治家、銀行家。
同志社英学校を卒業後、同志社で教える。新島襄を校内で補佐し、新島の代理を二度務めている。
新島とは対照的に学生の指導には高圧的で、反発を買った。
1895年、日本銀行に入行し、第一銀行横浜支店長、横浜市長、朝鮮銀行初代総裁と歴任した。
朝鮮銀行総裁のまま、京城で死去。
墓は雑司が谷霊園にある。
熊本バンドの一人、同志社第2代社長、日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長などを歴任 小崎 弘道(こざき ひろみち) 古川 雄輝(ふるかわ ゆうき)
1856年、現在の熊本県熊本市中央区に生まれた、熊本バンドの一人。牧師。伝道に努め、同志社第2代社長兼校長、日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長などを歴任した。
翻訳の成果も残しており、“Young Men's”を『青年』と訳したり、“Religion”を「宗教」と訳したのも小崎であるという。
1938年2月26日、81歳で死去。青山霊園、多磨霊園に遺骨がある。
世界宗教大会で日本代表として出席した際、日本文化の優位性を強調するなど、劇中のような強気の態度は実際にあったのかもしれないと思わせるエピソードがある。
古川 雄輝(ふるかわ ゆうき)プロフィール
[氏名] 古川 雄輝(ふるかわ ゆうき)
[生年月日] 1987年12月18日
[身長] 180cm
[出身地] 東京都
[所属] ホリプロ
[特技] ブレイクダンス、バスケットボール
[過去の作品] ビターシュガーにて川崎ジュン、夫のカノジョにて石黒靖など
公式サイト
http://horipro.co.jp/talent/PM051/
第8代同志社総長 海老名 喜三郎(えびな きざぶろう)後に弾正(だんじょう) 阿部亮平(あべ りょうへい)
伝道師、牧師。熊本バンドの一人。
同志社神学校卒業後は、前橋教会、本郷教会、熊本英学校、熊本女学校を創立し、伝道と教育振興に努めた。
晩年、第8代同志社総長も務めている。
その思想は国家主義的なところがあるとされ、『神道的キリスト教』と呼ばれたという。
阿部亮平(あべ りょうへい)プロフィール
[氏名] 阿部亮平(あべ りょうへい)
[生年月日] 1980年3月26日
[身長] 181cm
[血液型] A型
[出身地] 愛知県
[所属] JFCT(ジェイエフシーティー)
[趣味] 映画鑑賞
[特技] 野球、剣道
[過去の作品] 心の糸、新選組血風録にて永倉新八など
公式サイト
http://www.jfct.co.jp/a_abe.html
『國民新聞』の主宰者、『近世日本国民史』の著者 徳富 猪一郎(とくとみ いいちろう) 号を徳富 蘇峰(とくとみ そほう) 中村 蒼(なかむら あおい)
熊本バンドの一員となり同志社英学校に移るが学生騒動の中、中退。熊本にて『平民主義』の思想を形成していく。三国干渉を機に欧米を訪れ、帰国後は内務省勅任参事官に就任。政府批判を緩めた。日露戦争前後の艦隊増強案、ポーツマス条約賛成は政界と繋がった恩恵か、状況を見極めた主張といえる。満州事変後は軍部の宣伝の役割を果たしたためA級戦犯容疑をかけられたが、後に不起訴となった。
思想の振れ幅が大きく影響力が強かったため、日本に極端な行動と混乱をもたらしたが、あるいはマスコミを鵜呑みにせず、情報の取捨選択の重要性を意識させた人ともいえる。
1957年、熱海にて死去。満94歳。墓所は東京都立多磨霊園にある。
先日の『八重の桜』見てくれた方ありがとうございます。
徳富猪一郎。
オンエアを観て
改めて大河ドラマに出てる凄さと、喜びを感じました。
本当に感謝です。
猪一郎はまだ始まったばかり!
これからどんどん成長していきます。
お見逃しなく。
出典: yaplog.jp