山本家、会津の友人たち、会津松平家、山川家、会津藩家老、会津藩士、京都の人々、知識人、幕府、新撰組、朝廷、語り、主な制作スタッフ、八重の出身地である福島県について、の順でまとめています。
大河ドラマは『八重の桜』から『軍師官兵衛』へ! バトンタッチセレモニー
八重を演じた綾瀬はるかさんからは、福島県それぞれの地方の品々が贈呈されました。
浜通り「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)」
中通り「白河だるま」
会津地方「コシヒカリ」
『軍師官兵衛』を演じる岡田准一さんからは兵庫県姫路市の品々が贈呈されました。
「姫路はりこ」
「勘兵衛レンコン」
「姫路市の地酒」
日本初の篤志看護婦 新島八重(にいじま やえ) 旧姓:山本八重、川崎八重 綾瀬はるか(あやせ はるか)
戊辰戦争時には断髪・男装し、砲術を以て奮戦し、日清戦争、日露戦争時には志願して篤志看護婦となり、昭和天皇の即位大礼の際に銀杯を下賜される。1932年没。享年86歳であった。
学校法人 同志社の創立者、新島襄(劇中ではオダギリジョー)の妻でもある。旧姓は「山本」。
兄の元に出入りしていた新島襄と知り合う。明治8年(1875年)10月に新島襄と婚約。翌明治9年(1876年)1月3日に結婚。京都初の日本人同士のキリスト教式の結婚式を挙げた。
新島八重(にいじま やえ) 旧姓:山本八重、川崎八重 綾瀬はるか(あやせ はるか)
戊辰戦争時には断髪・男装し、砲術を以て奮戦した。
日清戦争、日露戦争時には志願して篤志看護婦となり、昭和天皇の即位大礼の際に銀杯を下賜される。
1932年没。享年86歳。
綾瀬はるか(あやせ はるか)プロフィール
[氏名] 綾瀬 はるか(あやせ はるか)
[生年月日] 1985年3月24日
[身長]165cm
[血液型] B型
[出身地] 広島県広島市安佐南区
[趣味] 映画鑑賞
[特技] バスケットボールなどスポーツ
[過去の作品] 世界の中心で、愛をさけぶ、南極大陸など
公式サイト
http://horipro.co.jp/talent/PF061/
八重の最初の夫 川崎尚之助(かわさき しょうのすけ) 長谷川博己(はせがわひろき)
洋学者。覚馬と共に会津に入る。
鶴ヶ城籠城戦では八重とともに大砲隊の指揮を執って戦う。
戊辰戦争に敗北した後、青森南部に強制移住させられてからも、困窮する会津藩の仲間のために尽力する中、米取引で訴えられ、不遇のうちに亡くなった。
長谷川博己(はせがわひろき)プロフィール
[氏名] 長谷川博己(はせがわひろき)
[生年月日] 1977年3月7日
[身長] 182cm
[血液型] A型
[出身地] 東京都
[所属] ヒラタオフィス
[趣味] 70年代映画、ホラー映画鑑賞
[スポーツ] バスケットボール
[過去の作品] 家政婦のミタ、BOSS、セカンドバージンなど
公式サイト
http://www.hirata-office.jp/
八重の夫 覚馬の義弟 同志社大学創立推進者 新島 襄(にいじま じょう) 本名:七五三太(しめた) オダギリ ジョー
上州安中藩士の子として生まれる。本名「七五三太(しめた)」。
幕府の軍艦教授所に学び聖書に感銘を受け、ボストンへ密航した。船中で「Joe(ジョー)」と呼ばれたことから襄(じょう)を名乗ったという。
洗礼を受けた後、大学で理学士の学位を取得、神学校在学中に駐米公使、森有礼に正式な留学生として認められた後、語学力を買われ岩倉使節団に参加する。
帰国後、キリスト教主義大学設立に奔走。当時京都府顧問であった山本覚馬の賛同も得て、同志社英学校、後に女学校を開校した。この時の縁で八重と結婚。
同志社大学設立を目前にして死去。享年46歳。京都東山若王子山頂に葬られた。墓碑銘は勝海舟の筆による。
八重の夫 覚馬の義弟 同志社大学創立推進者 新島 襄(にいじま じょう) 本名:七五三太(しめた) オダギリ ジョー
上州安中藩士の子として生まれる。本名「七五三太(しめた)」。
幕府の軍艦教授所に学び聖書に感銘を受け、ボストンへ密航した。船中で「Joe(ジョー)」と呼ばれたことから襄(じょう)を名乗ったという。
洗礼を受けた後、大学で理学士の学位を取得、神学校在学中に駐米公使、森有礼に正式な留学生として認められた後、語学力を買われ岩倉使節団に参加する。
帰国後、キリスト教主義大学設立に奔走。当時京都府顧問であった山本覚馬の賛同も得て、同志社英学校、後に女学校を開校した。この時の縁で八重と結婚。
同志社大学設立を目前にして死去。享年46歳。京都東山若王子山頂に葬られた。墓碑銘は勝海舟の筆による。
オダギリ ジョー プロフィール
[氏名] オダギリ ジョー
[本名] 小田切 譲(おだぎり じょう)
[配偶者] 香椎由宇
[生年月日] 1976年2月16日
[身長] 176cm
[血液型] O型
[出身地] 岡山県津山市
[所属] 鈍牛倶楽部
[趣味] 企画、構成、ドラム、アクセサリー作り、殺陣、ジャグリング
[特技] 映画、作詞、作曲、絵画、創作活動
[過去の作品] 新選組!にて 斎藤一、時効警察にて 霧山修一朗など
公式サイト
http://www.dongyu.co.jp/profile/JoeOdagiri/
新島襄の少年期、新島七五三太(しめた)は小林 海人(こばやし かいと)が演じた。
[氏名] 小林 海人(こばやし かいと)
[生年月日] 2001年12月11日
[身長] 128cm
[血液型] O型
[所属] テアトルアカデミー
[趣味] 釣り
[特技] 和太鼓、ドラム、ピアノ
[過去の作品] ゲゲゲの女房にて飯田貴司、龍馬伝にて楢崎次郎など
公式サイト
http://www.theatre.co.jp/talent/172.html
新島襄の母 新島登美 香野 百合子(こうの ゆりこ)プロフィール
[氏名] 香野 百合子(こうの ゆりこ)
[生年月日] 1951年4月22日
[身長] 159cm
[出身地] 東京都
[所属] 劇団俳優座
[趣味] エアロビクス、美術鑑賞、ハイキング
[過去の作品] 獅子の時代にて平沼玲、八代将軍吉宗にて清姫など
公式サイト
http://www.haiyuza.net/俳優座連名/演技部-女性/香野百合子/
盲目の賢者 八重の兄 山本覚馬(やまもと かくま) 西島秀俊(にしじまひでとし)
4歳で唐詩選の五言絶句を暗唱、藩校日新館に学んで頭角を現す。22歳で江戸に出て武田斐三郎、勝海舟らと佐久間象山の塾に入る。
1864年(元治元年)砲兵隊を率いて参戦した禁門の変において勲功を挙げ、公用人に任ぜられるが、不幸にも眼病を患い殆ど失明同然の状態になる。
鳥羽伏見の戦いに際しては薩摩藩に捕われ、同藩邸に収容されたが、同藩首脳部はその人物の優秀さを知っており決して粗末に扱わなかった。
この幽閉中に建白書「管見」を口述筆記し藩主に上程、これを読んだ西郷隆盛らは益々敬服、一層待遇を良くしたという。明治元年仙台藩邸の病院に移され、ここで岩倉具視の訪問を受け、翌年釈放された。
八重の兄 山本覚馬(やまもと かくま) 西島秀俊(にしじまひでとし)
会津藩士、砲術家。山本家の遠祖は山本勘助。
明治維新後は地方官・政治家として初期の京都府政を指導した。現在の同志社大学今出川校地の敷地を譲った人物としても知られている。
八重の義姉 覚馬の最初の妻 山本うら(やまもと うら) 長谷川京子(はせがわきょうこ)
覚馬(西島秀俊)の妻。旧姓は樋口。
鳥羽・伏見の戦で覚馬は敵に捕まり処刑されたと伝わり、八重とともに籠城戦を戦う。
山本覚馬とうらの次女 山本みね (やまもと みね)
生後すぐ、父の覚馬は京都守護職を拝命した松平容保に随行した。敗戦後、米沢に行ったが、後に覚馬を頼り京都へ赴く。その後洗礼を受け、明治14年に横井時雄(横井小楠の長男、同志社第3代総長)と結婚し、長男、平馬を出産するが、その翌年に死去。24歳であったという。
山本覚馬とうらの次女 山本みね (やまもと みね)
生後すぐ、父の覚馬は京都守護職を拝命した松平容保に随行した。敗戦後、米沢に行ったが、後に覚馬を頼り京都へ赴く。
その後洗礼を受け、明治14年に横井時雄(横井小楠の長男、同志社第3代総長)と結婚し、長男、平馬を出産する。
が、その翌年に死去。24歳であったという。