ウルフルズ(Ulfuls)の徹底解説まとめ

「ウルフルズ(Ulfuls)」とは、1988年に結成され、1992年にシングル『やぶれかぶれ』でデビューした、日本のロックバンドである。1996年にはNHK紅白歌合戦に初出場しているほどの人気ぶりだ。ウルフルズの魅力は何といってもボーカル、トータス松本の歌声である。圧倒されるほどのパワフルさに前向きな歌詞が見事にマッチし、聴く人に元気を与えてくれる。メンバーは4人だが、2024年時点で、ギター・コーラスのウルフルケイスケがウルフルズとしての活動を休止中であるため、3人で活動している。

ウルフルズ(Ulfuls)の概要

「ウルフルズ(Ulfuls)」とは、Vo&Gtトータス松本、Bassジョン・B・チョッパー、DrumsサンコンJr、Gtウルフルケイスケからなる日本を代表するロックバンドである。1988年に大阪の中津にある喫茶店でアルバイトをしていたトータス松本とウルフルケイスケが結成し、1992年に東芝EMIからメジャーデビューを果たした。しかし、デビューをしてもなかなか花が咲かずに迷走状態になってしまう。「これでダメならぼちぼち諦めようか」と覚悟してリリースした9枚目のシングル『ガッツだぜ』が1996年にブレイクする。そして、その年のNHK紅白歌合戦に初出場、さらには第34回ゴールデン・アロー賞音楽賞を受賞する。1999年にはBassのジョン・B・チョッパーが目指す音楽性の違いを理由にウルフルズを脱退し、作家活動を行うことを宣言する。こうして3人編成となったウルフルズだったが、2002年の「ウルフルズ10周年5時間ライブ!! 〜50曲ぐらい歌います〜」にて、脱退していたジョン・B・チョッパーがゲスト出演し、翌年のフリーライブを経てジョン・B・チョッパーが正式に復帰した。しかし、2018年にウルフルケイスケがソロ活動に専念するために活動を休止し、その後は現在に至るまで3人編成のままでウルフルズの活動を続けている。

ウルフルズ(Ulfuls)の活動経歴

ウルフルズ誕生

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ウルフルズの始まりの場所、喫茶店「カンテ・グランデ」の外観

「ウルフルズ(Ulfuls)」とは、1988年にD'fというバンドで活動していたウルフルケイスケが、D'fを解散した後に大阪の中津にある喫茶店「カンテ・グランデ」のバイト仲間であったトータス松本とともに作られたバンドである。少しの活動期間を経てDrumsが脱退したため、客としてライブに来ていたサンコンJr.を勧誘し、現在のメンバーでのウルフルズが誕生した。

メジャーデビュー後の苦労

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ブレイクのきっかけとなったシングル『ガッツだぜ』のジャケット写真

ウルフルズは結成当初、ほとんどのレコード会社から「暑苦しい」「キャラが濃すぎで東京向きではない」などと言われ、断られ続けていた。そんな中で1992年に東芝EMIから念願のメジャーデビューを果たす。デビュー後に出したファーストアルバム『爆発オンパレード』は売上げが3000枚程度と思うように売れず、しばらく迷走状態となってしまう。しかし「これがダメならぼちぼち諦めようか」と覚悟して1995年にリリースした9枚目のシングル『ガッツだぜ』が1996年にブレイクする。

ブレイク後

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吉本芸人を起用し、坂本九の『明日があるさ』をウルフルズがカバーしたジョージアのCM

バカ殿の衣装を着て、ストーリー仕立てで展開されるコミカルな『ガッツだぜ』のPVや、ストレートでパワフルな歌詞が注目され、ウルフルズの存在は、瞬く間に日本中に知れ渡ることになる。そして続く10枚目のシングル『バンザイ~好きでよかった~』でも50万枚のセールスを記録し、当時の結婚式の定番ソングだった。2001年には吉本興業のお笑い芸人をキャスティングした缶コーヒーのCMで坂本九の『明日があるさ』をカバーする。これが当時の不況下の世相にマッチし、社会的な流行になった。このCMソングは玉置浩二やTHE BOOMの宮沢和史といった大物ミュージシャンがオファーを断っていたが、ウルフルズの前向きなキャラクターとパワフルな歌声が、原曲と相まって日本中に勇気を与える曲として人気になる。2003年に発売された『ええねん』は地元である大阪のFM802というラジオ局のOSAKAN HOT 100ではJ-POPとしては最長の9週連続1位を記録した。

メンバーの脱退、再復帰、そして活動休止

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ジョン・B・チョッパーの復帰が正式に決定したフリーライブの会場である日比谷野外音楽堂。

ヒット曲を重ねたウルフルズだったが、1999年にはBassのジョン・B・チョッパーが目指す音楽性の違いを理由にウルフルズを脱退し、作家活動を行うことを宣言する。こうして3人編成となったウルフルズは変わらずに活動を続け、2002年の「ウルフルズ10周年5時間ライブ!! 〜50曲ぐらい歌います〜」にて、脱退していたジョン・B・チョッパーがゲスト出演した。そしてジョン・B・チョッパーは翌年、日比谷野外音楽堂のフリーライブを経て正式に復帰し、再び4人編成となった。ようやく本来の4人編成に戻ったが、2009年には、バンドを走り続けたことが仇となり、バンド活動につかれたウルフルズが1年くらいの休養を取るかどうかで悩んでいた。当時は解散でも活動休止でもどちらでもよかったが、ファンクラブの人に失礼だろうと一度活動を休止するという結末に至り、約4年半の間、ウルフルズは活動休止する。

活動再開、そして現在のウルフルズ

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ウルフルケイスケが活動休止し、3人編成になった後の最初のライブ

2014年に活動を再開し、ウルフルズのツアー以外にも、地元大阪での野外ライブや、ロック・イン・ジャパン、カウントダウンジャパンをはじめとする全国各地のロックフェスへの出演など、主にライブでの活躍が目覚ましかったが、2018年にウルフルケイスケがソロ活動に専念するために活動を休止する。2019年には「スリーピースでのバンド感を深めたい」との趣旨で、氣志團、サンボマスター、10-FEET、SHISHAMO、クリープハイプとの対バンツアーも敢行する。キャリアを積んでもなお、世代やジャンルの壁を越えての意欲的な活動をしている。トータス松本は「スリーピースはバンドがいちばん研ぎ澄まされたかたちであり、1番バンドをやっている感がある。すごくハラハラするけど自分の為になっていて、それが現在のウルフルズです。」と言った。そして3人編成のままウルフルズの活動を続けている。

ウルフルズ(Ulfuls)のメンバー

現在のメンバー

トータス松本(トータスまつもと)

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1966年12月28日生まれで、Vo&Gtを担当している。兵庫県多可郡黒田庄町(現在の西脇市)出身であり、本名は松本敦(まつもとあつし)という。アーティストだけでなく、俳優としての顔も持ち合わせている。趣味はサーフィンや動画鑑賞で、主にドラマを見ることが好きである。アルバイトとしてウルフルケイスケやジョン・B・チョッパーと共に喫茶店「カンテ・グランデ」で働いていた。巨大物恐怖症であり、その中でもとくに大仏が苦手である。それを克服するために、大仏を見に行ったりもする。

ジョン・B・チョッパー

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