信長の忍び(漫画・アニメ)のネタバレ解説・考察まとめ

『信長の忍び』とは、2008年に『ヤングアニマル』(白泉社)12号から連載を開始した重野なおきによる4コマ漫画、およびそれを原作としたアニメ作品である。重野いわく、「忍び漫画ではなく、忍びの目から見た戦国漫画」とのこと。基本的にギャグ漫画でありつつ、戦国時代の逸話、うんちくも盛り込まれ、ストーリーラインも史実をほぼ忠実におさえている。
少女忍者千鳥が、織田信長の夢に惹かれ、ともに天下布武を追っていく物語。信長を超甘党な男として描いたり、その他のキャラクターたちも強い個性を持っている。

CV:置鮎龍太郎
朝倉一門の「守護神」ともいうべき偉大な武将。朝倉義景の曽祖父、氏景の弟で、朝倉貞景、孝景、義景の三代に仕えた宿老。信長がまだ尾張の半分ほどを統一したころに、「織田信長は人使いが上手い」と評した。

『信長の忍び』の用語

信長包囲網(のぶながほういもう)

「信長包囲網」とは、織田信長と、政治的、あるいは宗教的利害の不一致から、対立した者達が、周辺勢力や諸大名と結んで織田家による天下統一をはばもうとした、大同盟連合のことである。一般的に、信長包囲網、と呼ばれるのは次の3つになる。

・第一次包囲網=主に畿内の諸大名(三好、六角、朝倉など)と、宗教勢力(石山本願寺、比叡山延暦寺)による、対織田同盟。のちに浅井家も加わり、信長と敵対。時期的には信長上洛の1568年から、姉川の戦いを制した1570年まで。

作中では、この第一次包囲網についてはあまり触れられていない。

・第二次包囲網=織田信長によって庇護されていた足利義昭だが、じょじょに自分に待遇に不満を持つようになる。そこから、義昭は各地の大名や周辺勢力と密かによしみを通じるようになった。浅井、朝倉、三好、本願寺教団と言った、従来の反織田派の勢力に加え、東国の武田信玄まで味方につけた、第一次包囲網よりも広域で強大な包囲網。時期的には信長が長島一向一揆を鎮圧した1571年から、信玄が義昭の求めに応じて上洛を試みるも陣中で病没した、1573年まで、とされている。

作中で大きく取り扱われているのはこの第二次包囲網である。

・第三次包囲網=第二次包囲網で中心的な役割を果たした足利義昭が、信長の手によって追放され、毛利家の領地に落ち延びた。ここから、毛利家の後ろ盾を得て、再起をはかろうとした際の包囲網。いまだに強固な勢力を有する、本願寺教団や、毛利家、上杉家といった地方の強豪大名を抱え、史上最大規模の包囲網となった。

これも作中ではそれほど大きく取り扱われていない。明智光秀の謀反により、信長が命を落とした、1582年まで、とされる。

『フロイス日本史』(ふろいすにほんし)

正確には『日本史』だが、「日本の歴史」との混同を避けるため、『フロイス日本史』と呼ばれることが多い。

フロイスにたいして、続いて日本を訪れ、布教活動をする宣教師たちの参考になるように、日本での布教活動の様子をまとめるように、とイエズス会から命令が出た。

フロイスは精力的に執筆を行い、日に10時間も書き続けていたこともあったという。あくまで、「布教活動の日誌」のようなものを求めていたイエズス会に対し、フロイスは多岐にわたる内容で記したため、資料は膨大な量となり、マカオの教会主は多忙を理由に目を通すことをせず、『フロイス日本史』は日の目を見なかった。

フロイスが没したのが1597年、『フロイス日本史』は長くマカオの教会に留め置かれ、200年近くたった1742年に、ようやくポルトガルの学士院が、同書の写本を作って本国に送った。しかしマカオのこの教会が火災で焼け落ちてしまったため、フロイスの原本は失われ、ポルトガルに送られた写本も散逸してしまい、とくに第1巻は全くの行方知れずとなってしまった。

20世紀になって、ようやく歴史的価値が見いだされ、徐々に刊行されるようになった。キリスト教の布教の様子にとどまらず、織田信長、豊臣秀吉などの大名の人物像、各地の武将の動向、戦国時代の庶民の暮らし、災害、事件などについて細かく書かれている。日本人に対する若干の誤解や、キリスト教を認めない人物に対しては評価が低いなど、偏見もまざっているが、優れた観察眼、正確な情報収集が裏打ちされており、日本史(戦国史)における重要な資料としての評価が高い。

フロイスが寝食を忘れて書き記した『フロイス日本史』が、歴史愛好家たちを熱狂させる「戦国時代」を伝えてくれている。

『信長公記』(しんちょうこうき)

『フロイス日本史』以外に、同時代の資料として真っ先に名が挙がるであろう書物が、『信長公記』である。

著者は信長の側近だった太田牛一。史上初めての織田信長の一代記であり、信長の幼少期から足利義昭を奉じて上洛する前までを首巻とし、以降、本能寺の変に至るまでの15年間を1年1巻とする、全16巻。

牛一自身、『信長公記』の奥書に、「故意に削除したものはなく、創作もしていない。これが偽りであれば神罰を受けるだろう」と記しているほどで、その信頼性は、他の軍記物とは一線を画す。著述姿勢もきわめて真摯で、資料としての信頼性が非常に高い。

読み物としての色合いが濃い軍記物ではなく、あくまで創作を省いた「記録」であるといえる。しかし、中世日本の、神道、仏教、儒教が融合した道徳観が見られたり、比叡山焼き討ちや、信長に離反した荒木村重の妻子らが処刑される様を憐れむ記述など、客観的でありながらも、牛一自身の価値観や人物観もうかがえる内容となっている。

牛一は、『信長公記』の中で、信長を、「果断にして正義を重んじる」、「精力的で多忙」、「情誼に厚く、道理を重んじる」、「古今無双の英雄」と書いた。ではその英雄は、なぜ本能寺の変で討たれなければならなかったのか。もし本能寺の変がなかったら、信長が生きていたら、歴史は大きく変わっていたかもしれないという事を読者に考えさせる書物である。太田牛一が見た「織田信長」が、歴史愛好家たちに熱い議論を投げかけてくる。

『信長の忍び』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

千鳥「戦もせずに、かといって従いもしない…、なにもしない戦国大名なんて、それだけで罪だと思うんです」

居城稲葉山城を攻められパニックになる斎藤龍興。

稲葉山城を攻められ、逆ギレした龍興に対して千鳥が放った言葉が、「戦もせずに、かといって従いもしない…、なにもしない戦国大名なんて、それだけで罪だと思うんです」である。「戦に勝てば国が豊かになり、国が強くなれば他国に侵略されることもないんです。悲しいけれど、この乱世では、戦に勝つことが領民のためなんです。信長様はそんな乱世を終わらせようとしている…。」と言う言葉に続く。それを聞いていた信長も、龍興に、「貴様はなんだ!ただいたずらにおのれの営みを守っていただけではないか!」と大いに怒る。千鳥の信長に対する信頼がよく現れた名セリフと言える。

千鳥「どんな窮地に追い込まれてもけっして諦めないでください。忍びの本分は『生きる』ことにあるのです」

千鳥が語る忍びの本分。

信長に乞われ、織田家の密偵役の者達に講義した際のセリフが「どんな窮地に追い込まれてもけっして諦めないでください。忍びの本分は『生きる』ことにあるのです」である。このあと「死ぬ気で生きてください!」と言ってしまい、織田家密偵役の面々から、「あまり賢くない…」とのレッテルを貼られてしまう。しかし千鳥は伊賀の忍者として信長の元に派遣されたときも、「忍びは侍ではないので、主君のために死ぬことはない。その代わり必ず生き抜いて情報を伝えるのが役目。」と語っている。千鳥の「忍び」としての自己認識(アイデンティティ)がうかがえる名セリフである。

真柄直隆「武者は、犬ともいえ(犬と言われようが)、畜生ともいえ(畜生と言われようが)『勝つが本にて候』だ!」

敵軍の中に一人取り残された真柄直隆。

朝倉宗滴話記より引用された、「武者は、犬ともいえ(犬と言われようが)、畜生ともいえ(畜生と言われようが)『勝つが本にて候』だ!」というセリフ、真柄直隆が最後に残した言葉である。姉川の戦いで、徳川軍の中に孤立して取り残されてしまった直隆だが、降伏やみっともなく逃げるという選択肢はない。武士には、潔い死などいらない、最後の最後までただ「勝つ」=一人でも多くの敵兵を討つべし、という宗滴の言葉を見事体現してみせた名セリフと言える。直隆は、その後、立ったまま絶命する。

千鳥「いいと思います」

自分自身の心を削りながら、信長のため刀をふるう千鳥。

比叡山焼討ちの際、延暦寺の僧から、「乱世を終わらせるため…、とか言ったよな…。そのためなら信長は何をしてもいいって言うのか!?」と問われて千鳥は「いいと思います」と即答している。「生半可な方法では100年続いた乱世は終わらない。」、「信長様にしか、この乱世を終わらせることは出来ないと確信している」と千鳥。信長こそが乱世を終わらせてくれる、そのためなら人を切る、千鳥の強い覚悟がうかがえる名セリフだと言える。

織田信長「お前は一人も殺していない、殺したのはワシだ」

明るく、気丈にふるまうことが多い千鳥。しかし本当は、人を切ることに後ろめたさも感じていた。

比叡山焼討ちに際して、先陣を買って出て、僧兵、僧侶、遊女、数多の無抵抗な人間を斬り殺した千鳥に、信長がかけた言葉が「お前は一人も殺していない、殺したのはワシだ」であった。続けて、信長は「お前はワシの命令に従ったにすぎない。」、「今までも、これからも、ずっと、お前は一人も殺すことはない。」、「地獄など信じぬが、あるとすればワシ一人で行く」と千鳥に告げる。信長もまた、乱世の終結のために、強い覚悟で臨んでいることがうかがえる。信長の、千鳥への主従を越えた思いやりを感じる名セリフである。千鳥はこの言葉を聞き、泣き崩れる。

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