洗礼(楳図かずお)のネタバレ解説・考察まとめ

『洗礼』とは、楳図かずおによる漫画。『週刊少女コミック』誌上にて、1974年から1975年まで連載された。ホラー漫画の巨匠として有名な楳図かずおは、異形のものの怖さを直接的に表現する作風を得意としている。『洗礼』においてもそのようなシーンは見られるものの、人間の深層心理の不気味さを独特なストリーテリングで描かれていることが大きな特徴で、キャリア中期の代表作の1つとして高評価されている。かつて美貌を誇った大女優が、恐ろしい方法で実の娘に自分の人生を託す様子を描いたホラー作品である。

『洗礼』の概要

『洗礼』(せんれい)とは、楳図かずおによる漫画作品。『週刊少女コミック』1974年50号から1976年16号まで連載された。コミックスは『フラワーコミックス』版全6巻、『秋田コミックスセレクト』版全3巻、『小学館文庫』版全4巻、『My First Wide』版全2巻、『ビッグコミックススペシャル』版全3巻など様々なバージョンが存在するが、電子書籍で読むことができるのは『ビッグコミックススペシャル』版である。また、本編連載終了から20年後の1996年には実写映画版が公開された。原作者の楳図かずおは、1955年のデビュー以降ホラー漫画を多く手がけており、同分野の第一人者として知られている。特に『週刊少女フレンド』にて連載された『へび少女』や『紅グモ』、『赤んぼ少女』などは、彼のホラー漫画家としての知名度を全国的なものにした名作群である。その後、活躍の場を『週刊少年サンデー』に移した楳図かずおにとって、『洗礼』は久しぶりの少女漫画誌連載作品となった。楳図かずおは、異形のものを恐ろしく描く能力に長けており、陰影の濃い独特の絵柄や書き文字による直接的な恐怖表現で多くの読者を怖がらせてきた。その後、『おろち』や『イアラ』などで人間の深層心理の不気味さを描く手法を身に着けたことでホラー漫画家としての幅を広げてきた彼は、『洗礼』で直接的な恐怖描写と深層心理描写をバランス良く組み合わせることで更なる高みへと昇っていった。キャリア後期の傑作と言われる『わたしは真悟』や『14歳』への橋渡し役となった作品だという評価も多数見受けられる。『洗礼』は、序盤の圧倒的なホラー描写、中盤の主人公の心理や行動の不気味さとそれに引きずられる人々、そして終盤の大どんでん返しといったストーリーの流れが高評価されており楳図かずおの代表作の1つに数えられている。また、『おろち』や『赤んぼ少女』などで見られる人間の美醜に対する異常なまでの拘りがストーリーの核になっており、読む者に強烈なインパクトを与えた。

かつて美貌の大女優と謳われた若草いずみ(わかくさいずみ)が、人知れず生んだ娘の上原さくら(うえはらさくら)に対して極めて非現実的で恐ろしい方法で自分の人生を託す。そして、娘さくらの脳に移植され生まれ変わったいずみは普通の女としての幸せを求めて行動するが、そのことが周囲の人々に悪影響を与えていくことになる物語である。

『洗礼』のあらすじ・ストーリー

プロローグ

かつて美貌と演技力で日本中を沸かせた大女優の若草いずみ(わかくさいずみ)は、人気絶頂だった当時深刻な悩みを抱えていた。彼女は長年に渡る化粧や撮影用照明の影響などで、顔に醜いアザができていた。そのアザを隠そうと厚化粧を施し続けたので、さらに肌に深刻なダメージを受け続けている。そして、どんな人間でも絶対に抗うことができない老化現象も始まっており、深いシワも刻まれていた。自分の美貌を武器にして生きてきたいずみにとって、これらの事象は死刑宣告にも等しいことだった。思い余った彼女は、幼少期からの主治医である村上先生(むらかみせんせい)を自宅に呼び出して思いの丈を吐露した。村上はいずみの悩みを全て聞き入れるとあるアドバイスを行った。いずみは晴れ晴れとした表情となり仕事に復帰する。ところが、彼女はそれまで口にしてこなかった「子供が欲しい」という願望を言うようになった。そして、端正な容姿の男性と付き合い、後に女児を出産した。いずみが娘の父親の存在を明かさなかったため、マスコミがこぞってゴシップ記事を書いた。ほどなくしていずみは芸能界を引退し、自宅からも姿を消してしまう。突然の引退に日本中が驚き、やがていずみは伝説の存在になっていった。

ある母娘

若草いずみの芸能界引退から数年後、とある街に非常に仲の良い母娘が住んでいた。娘の名前は上原さくら(うえはらさくら)といい、とても可愛い容姿の小学生である。一方、母親の松子(まつこ)は顔の左側に大きなアザがあり、恰幅の良い中年女性だった。松子は常にさくらの身体のことを気遣っており、栄養価の高い食べ物を食べさせたり牛乳を毎日飲むようにアドバイスしていた。さくらはそのような母親のことが大好きで、「わたしのやさしいおかあさん」という作文を書き文部大臣賞に選ばれている。ある日、さくらは額に小さな傷をつけて帰宅した。それを見た松子は大いに驚いて事情を尋ねる。バレーボールをしていてクラスメイトの良子(りょうこ)の指が当たったとさくらが明かすと、松子は逆上して良子宅へ赴いて鬼の形相で良子を暴行した。このように、松子のさくらへの思いは時として常軌を逸することもあり、娘を庇ってトラックにはねられた時も、さくらの身体が全く傷ついていなかったことを何より喜んだのである。

恐ろしい手術

さくら(手前)が麻酔の効かないまま脳移植される場面

さくらが書いた作文が文部大臣賞を受賞したことで、上原母娘にテレビ出演の話が舞い込んできた。自分1人だけでも出演したい考えのさくらだったが、松子は頑なに拒否する。ある日の夜、夜中に目覚めたさくらは松子がいないことに気がつき家の中を探した。すると、松子が庭で野良犬に眠り薬入りの団子を食べさせている光景を目にする。松子は、犬を2階へと運んで行った。2階には松子の主治医が住んでいて何かの研究をしているということだったが、さくらは主治医に会ったことがなかった。不気味に思ったさくらはまんじりともせず一夜を過ごしたが、翌朝会った松子は野良犬の話を一切せず「先生の実験が成功したからこれからは穏やかに過ごせる」と不可解な言葉を残したのである。カレンダーには15日に印が付けられており、松子にとって何かのXデーであることは明らかだった。心優しい母の闇の部分を感じ取ったさくらは、思い切って2階の部屋を探索する決意をした。さくらが2階へ行くと、顔に蝿が付いた。そこで彼女が目にしたのは、犬や猫そして猿などおびただしい数の動物の死骸だった。奇妙なことにそのどれもが脳味噌を取り出されている。恐怖に慄くさくらは、不思議な形をしたベッドの存在に気づいた。人の形にくり抜かれており、さくらにピッタリのサイズだったのだ。自分に脅威が迫っていることを悟った彼女は嘔吐してしまう。そして、矢庭に鳴った電話に出た。電話の主は松子であり、彼女は「予定の日まで待てません。さくらの頭の中へ私の脳を移してください」と懇願した。「そのためにさくらを産んだ」とまで言うのだった。さくらは思わず松子の言葉を繰り返してしまう。電話の相手が主治医でなかったことに気づいた松子は慌てて2階へやって来てさくらを拘束した。松子は自分の正体が往年の大女優若草いずみであることを告白し、自分が若返るためにさくらを産んだことを改めて話した。狂乱して泣き叫ぶさくらをよそに、恐ろしいことが実行されようとしている。松子はさくらが体調不良で長く休むことを良子や学校に伝えた。そしてさくらが拘束された3日後に主治医が姿を現し、松子とさくらの修羅場を見た後で脳移植手術を敢行した。針麻酔をされても意識を失わなかったさくらは、自分の頭蓋骨が切断されて脳髄を取り出されるところを明瞭な状態で味わうことになる。こうして恐ろしい手術は成功し、松子の脳が移植されたさくらは松子の遺体とさくらの脳を処分して高笑いするのだった。

さくらの生きる目的と凄惨ないじめ

松子の脳を移植したさくらには、ある目的があった。それは「普通の女性として生きる」ことである。そのために、さくらは大女優だった頃にできなかった恋愛が必要だと考え、クラスの担任教師谷川(たにがわ)をその対象とした。長い休みを経て復学したさくらを目の当たりにして、良子や中島(なかじま)といった仲の良い女生徒やボーイフレンドの島(しま)は、以前のさくらとは様子が違うことに気づいていた。彼女たちの不信感をよそに、さくらは女生徒からも受けの良い谷川に近づこうとするが、その過程で彼に妻の和代(かずよ)と息子でまだ赤ん坊の貢(みつぐ)がいることを知る。そこで、さくらは和代から谷川を奪うべく、谷川家に生徒たちを呼んで行われたパーティーの席で和代が作った料理に腐った物を入れる嫌がらせをして谷川に取り入ることに成功した。さくらは和代を排除することに決め、ゴキブリ入りのお粥を食べさせたりアイロンで和代の下腹部を焼こうとするなどの様々な虐待行動に及ぶ。さくらの標的は貢にも及び、脳味噌のない犬の仮面を被ってひきつけを起こさせようとするなど蛮行は続いた。遂に和代はメンタルに異常をきたして病院送りとなってしまい、さくらがそのまま谷川家に居座ることになった。

さくらの綻び

さくらは自分の正体が別人だと推理している中島のことを邪魔に感じて、事故に見せかけて廃墟に閉じ込めて殺害しようとした。後に中島は発見されて助かったのだが、恐怖のあまり記憶を失っていた。全てがさくらの思うとおりに進んでいるかと思われていたが、谷川はさくらの様子が普通の少女のそれとは大きく異なっていることに気がついていた。そして、和代を入院させたふりをして貢とともに彼女の実家に返し、逆にさくらにカウンセリングを受けるように動いていたことがわかる。その事実を知ったさくらは、大きく動揺する。また、さくらの肉体にも綻びが出始めていた。松子と同じような顔のアザが現れたのだ。谷川が本当に愛しているのは和代であり彼から妻の座を奪うことが不可能で、さらに自身の肉体に限界が見えてきたさくらは恐ろしい計画を実行に移すべく動く。その計画とは、自分の脳を和代の肉体に移植して谷川の妻になりすますことだった。

本当に狂っているのか誰か

さくらは、以前行った世にもおぞましい脳移植手術を再び行うべく村上先生に連絡した。また、和代の誘拐に協力者が必要であると感じ、良子を呼び出して自分の正体が若草いずみであることを打ち明けた上で、半ば強引に和代誘拐の共犯に引き込むことに成功する。その最中に、さくらは若草いずみの消息を追っているルポライターの波多あきみ(はたあきみ)につきまとわれる。そこで彼女は村上先生から伝授された針麻酔を用いてあきみを殺害して、いよいよ自宅にて和代の身体への脳移植へと取り掛かった。その場に居合わせた良子は、重大な異変に気がついた。さくらが村上先生と話しているはずの電話の線が抜けていたのだ。また、村上先生が現れても彼の存在を視認できているのはさくらのみだった。そこへ谷川もやって来てさくらに衝撃の事実を伝えた。実は村上先生は何十年も前に亡くなっていたのだ。しかし、さくらは村上先生の存在を信じ切っており、谷川と良子の説得にも心を閉ざしてしまう。ひとまず谷川は、和代を連れて上原家を出た。残された良子が何とかさくらを説得しようとすると、死んで地中に埋められたはずの松子が姿を現した。狂乱状態で母親から逃げようとするさくらに良子は「よく聞いて!!手術なんかしなかったのよ、それはきっとさくらちゃんのただの想像だったのよ!」と懸命な説得を行った。苦しんでいたさくらだったが、最後には村上先生の存在が消えて、松子との再会を果たした。すると、さくらの顔のアザは消えていた。さくらと松子はそのまま入院となる。2人を見舞った谷川と良子は、上原母娘がずっと抱えていたお互いへの内なる葛藤について話し合い、谷川の「だが、さくらを誰が責めることができるだろうか!さくらはただ敏感に感じ取ったのだ…自分の周りがいびつなことを。いびつな者は自分でそれを感じることはできない、そしてそれを感じた者がいびつにされる!!狂った世界の中にただ1人狂わない者がいたとしたら、果たしてどちらが狂っていると思うだろう?」というモノローグで『洗礼』の物語は完結したのだった。

『洗礼』の登場人物・キャラクター

上原家(うえはらけ)

上原さくら(うえはらさくら/演:今村理恵)

本作品の主人公の1人。年齢は不明だが、容姿と曙小学校に通っている点から小学校高学年と思われる。母親の松子と2人で暮らしており、父親はいない。往年の大女優若草いずみの少女時代にとてもよく似ている美人だが、さくら自身はいずみと松子が同一人物であることを知らずに育てられた。いずみの若返りのために設けられた娘だったことが、後に母親の口から語られた。さくら自身は自らの美しい容姿にあまり頓着せず、クラスメイト思いの優しい性格の持ち主である。しかしながら、実は自分の容姿が顔にアザのある母親に似ていくことを潜在的に恐れていることが示唆された。いずみの脳を移植された(と思い込んでいる)後のさくらは、子供扱いされることを嫌い女性のエゴを剥き出しにしていく。

若草いずみ(わかくさいずみ/演:吉田美江)、上原松子(うえはらまつこ/演:秋川リサ)

縛られて泣いているさくらに昔の自分の写真と同じメイク同じ衣装の現在の自分を見せる若草いずみ

本作品のもう1人の主人公ともいえるキャラクターで、本名は上原松子(うえはらまつこ)。子役時代からスター街道をばく進していた大女優であり、彼女の主演した映画はことごとく大ヒットした。しかしながら、厚化粧や強い照明などで肌を酷使してきたことと、老いの兆候が見られたことで苦悩する。そして、幼少期からの主治医だった村上先生から助言を受けて、女の子を出産して成長した頃に自分の脳を移植して人生をやり直すという恐ろしい決意をした。女優引退後は本名の松子に戻り、とある街でさくらとともに暮らしている。自分の正体が若草いずみであることは誰にも明かしておらず、脳移植手術の機会をジッと窺っていた。基本的には穏やかな性格だが、さくらの容姿に変化があると烈火の如く怒り出しその原因を徹底的に排除しようとする。

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