今を生きる若者が選択する未来とは
新海誠監督は、「天気の子」で今を生きる若者たちの姿を鮮やかに描きだしてくれた。
主人公の穂高(声・醍醐小太郎)は、家出した先の東京で、陽菜(声・森七菜)という少女に出会う。彼女は雨の空に祈ることで、空を晴れにすることができる不思議な能力を持っていた。
前半は穂高たちが陽菜の空を晴らす能力を使って花火大会や結婚式の当日を晴れにして、謝礼をもらう姿が明るく描かれる。中盤以降は晴れをもたらした代償として陽菜が空に連れ去られそうになったり、家出少年の穂高が警察に追われたりと急展開を迎える。
この作品を観る大人は、穂高の気持ちに正直ついていけないかもしれない。彼は作中でも危険人物として扱われているし、自分の大切なもののためなら人に銃を向けてしまうような危うさを持っている。
しかし彼は、ちゃんと彼なりに未来を選択している。高校生の頃を思い起こしてほしい。誰もが穂高のように向こう見ずで、好きな人のためならなんでも乗り越えられたのではないか。何かを願ってもそんなことはありえないとか、諦めようとか、大人になってから向き合わなければならない感情とは無縁なのだ。彼は全力で今を生きている。
そして穂高が生きている「今」というのは、紛れもなく我々が生きている現代の日本だ。日本は年々貧しい国になり、子どもの数はどんどん減っていく。こんな狂った社会の中で生きていかなければならない子どもたちが、どんな未来を選択するのか。
この映画では、子どもたちにとっての、そして今を生きる私たちのための、ひとつの解が示されている。生き方に迷っている人にこそ観てほしい作品だ。