異常気象への警笛
映画「君の名は」で、一躍有名になった監督、新海誠の作品。アニメを普段見る人も、あまりよく知らない人も、君の名はから興味を持って待っていた人は多いと思う。実際に映画を観た感想としては、とにかく映像が美しく、実在の東京と、アニメの中の東京があまりにもリンクし過ぎて、その雰囲気や空気感、街を彩る息遣いなど、そこに生きている人がそっくりそのまま東京の人間そのもので、終始鳥肌が立った。そして、タイトル通り、雨粒の紫がかった雨の色の中に、鮮やかなブルーの波紋が浮き出てきたり、晴天の日の雲のすき間から太陽の日差しがさしかかったり。何と、雨のシーンと晴れのシーンで、こちらの心情まで揺れ動いてしまう。それ程に、自然をよく観察して、そしてこちら側に訴えてくる。きっと今後このアニメーションは、異常気象のカウントダウンへ導かれた人類へ問題を投げ続けるだろう。この作品を観た人は、最後に何を想うだろうか。環境の破壊され尽くした世界で、最愛の人と手を取り合って生きるか。それとも、大切な人の命と引き換えに、地球のサイクルを捻じ曲げるのか。何だか、未来の環境破壊や異常気象の問題が見え隠れして、とてもフィクションだけで終わらす気になれなかった。そういえば、この地球が正常に生きていけるのも、太陽や雨、自然の流れが今のところ正常だから。そんな、普段なら気づかない部分まで、問題提起として、しっかりと記憶に刻まれた。作品を鑑賞後。とても胸が苦しくなった。生きている事に、感謝し、人々が何不自由なく暮らすこの世界こそが、素晴らしく愛しいものだと思った。そして、ここで多少のネタバレになるが、何と、登場人物全てが、犯罪者の烙印を押されてしまう。それは、理不尽で不平等で不条理な世界に、少しでも自由を求めた代償なのか。そんなに自分の意思を貫く強さが、時として大勢の犠牲を産み、罪と罰を受け入れなければならないのか。それぞれに、それぞれの正義があって、誰も選択に理解を求めてくれない。何故なら、天気の巫女の存在自体が、ひとつの都市伝説の様なもので、人間は、自分の眼で観たもの以外は、脳内で都合よく自分勝手に処理されてしまう。大人と子供の境界線。それは、犠牲を伴っても運命に抗う覚悟があるか否か。例え、どんな世界になっても、この場所で、愛する人と生きるという確固たるメッセージ。最後の主人公の気持ちが、勇気に変わる。アニメという二次元的手法で、こんな世界を創れるなんて。いずれ、何十年後の日本や世界で。滅茶苦茶になった気候に不安を感じた時。ぜひとも、もう一度、この作品を観たい。きっと、誰を責めるでもなく、受け入れてそこから強くなる強さに、人間は何度でも気づくだろう。