スーパーJOCKEY(スーパージョッキー)のネタバレ解説・考察まとめ

『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)とは、1983年より毎週日曜13時から日本テレビ系列で放送された、ビートたけしが総合司会のお笑いバラエティ番組である。番組開始当初は、ジョッキーシリーズの『TVジョッキー』(テレビジョッキー)を引き継ぐ形での視聴者参加型番組であった。その後、たけし軍団などが番組に参加し、体をはって笑いをとる「THEガンバルマン」が名物企画になった。「THEガンバルマン」の企画「熱湯風呂」から生まれた「熱湯コマーシャル」のお色気路線が人気を博した、伝説の番組である。

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『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)の概要

『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)とは、1983年1月9日から1999年3月28日の期間、毎週日曜日の13時から14時に放送された伝説のバラエティ番組である。
総合司会はビートたけし。
1986年12月21日から1987年7月5日までのフライデー襲撃事件に伴う謹慎期間中は山田邦子、回によって所ジョージが代理を務めた。
1994年8月7日から1995年2月26日までのバイク事故による療養期間中はガダルカナル・タカが実質的な総合司会を行ったが、細川ふみえが行うこともあった。
当初は「ジョッキーシリーズ」の『TVジョッキー』(テレビジョッキー)をリニューアルする形で、番組がスタートした。
番組当初は視聴者参加のコーナーとトーク中心の構成であったが、今一つ盛り上がりに欠ける内容であった。
生放送でスタートした番組だったが、事前収録も交えた構成へと変化していった。
番組開始3カ月後からビートたけしの弟子であるたけし軍団などが「THEガンバルマン」に参加し、体をはった笑いでバラエティ色の強い番組へと変化していった。
フライデー襲撃事件でたけし軍団の多くが謹慎となり出演できなかったが、事件に参加しなかったつまみ枝豆・井出らっきょ・ラッシャー板前らを中心に、ダチョウ倶楽部や大川興業なども参加し、番組を盛り上げていった。
その後、「THEガンバルマン」の名物企画「熱湯風呂」がリニューアルされ、「熱湯コマーシャル」が生まれ、名物企画になっていった。
「熱湯コマーシャル」がスタートすると、女性の若手タレントやグラドルなどが多数起用され、お色気色の強い番組内容となっていった。
その他にも人気アイドル歌手が歌を披露するコーナーもあった、伝説のバラエティ番組である。

『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)の歴史

『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)は1983年1月9日の第1回から1999年3月28日の終了まで、16年にわたって放送されたバラエティ番組である。
『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)は番組当初の視聴者参加型から、たけし軍団ら芸人による体をはった企画「THEガンバルマン」が人気を博し、そこから生まれた「熱湯コマーシャル」により、お色気路線へと番組内容が大きく変化していった。

番組初期:1983年~1986年ごろ

熱湯風呂に落とし合うたけし軍団

初期は、「ジョッキーシリーズ」を引き継ぐ形で、視聴者参加型の企画に芸能情報、映画、音楽など、トークを中心に据えたバラエティ番組であった。
開始から3カ月後にたけし軍団が参加したことにより、番組はたけし軍団らの体をはった笑いを中心とする内容に変化していった。
1984年には「熱湯風呂」の原型である「どれだけ耐えられるか熱湯風呂地獄に挑戦!!」が「THEガンバルマン」で行われたのである。
1986年12月9日にビートたけしとたけし軍団は「フライデー襲撃事件」を起こし、謹慎に追い込まれ、番組最大の危機を引き起こしてしまう。
主な企画として「JOCKEY-1」、「JOCKEY-2」、「THEガンバルマン」などが行われていた。人気アイドル歌手の歌や、トークも行われていた。

番組中期:1987年~1991年ごろ

熱湯風呂に入るビートたけし

「フライデー襲撃事件」で謹慎したビートたけしに代わり、総合司会を山田邦子、回によっては所ジョージにより番組が続けられた。
名物コーナーの「THEガンバルマン」はたけし軍団の多くが謹慎となって存続が危ぶまれたが、「フライデー襲撃事件」に参加していなかったつまみ枝豆、ラッシャー板前、井出らっきょらの残留組に加えてダチョウ倶楽部、大川興業などが新たに加わり行われた。
ビートたけしはレギュラー番組の中で一番早く『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)で復帰を果たす。
復帰した1987年7月12日放送回は、関東地区で20.5%という番組歴代最高視聴率を獲得する。
1989年には番組の代名詞ともいわれる「熱湯コマーシャル」が始まった。
1990年代に入ると従来のレギュラー陣に加え、松村邦洋、蛭子能収らが加わり、よりバラエティ色の濃い番組内容となっていった。

番組後期:1992年~1999年

『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)=「熱湯コマーシャル」といわれるほど、「熱湯コマーシャル」が番組の顔となっていった。
「生着替え」や日本テレビアナウンサーの菅谷大介が熱湯アナウンサーとして「熱湯クエスチョン」という企画も登場した。
加えて熱湯クイーン、熱湯三姉妹などの女性グラビアアイドルも人気となり、お色気路線が加速していった。
1994年にはビートたけしがバイク事故を起こし、2度目の番組離脱となったが、ガダルカナル・タカを中心に番組を盛り上げていった。
番組最後期には「ゾロ目でドーン!」などの一般参加型の企画も行われた。
あわせて、人気アイドルの出演も増えていったのである。
時代を象徴する番組『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)だったが、企画のマンネリ化、テレビ番組の自主規制などもあり、1999年3月28日に最終回となった。
番組終了にあたっては日本テレビの氏家斉一郎社長が、日本民間放送連盟の会長に就任した際に放送番組の風紀向上を謳ったところ、自社で行っている『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)をやめろ、といった声が起こり、番組の打ち切りにつながったともいわれている。

『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)のメンバー・出演者

総合司会

ビートたけし

ビートたけし

『スーパーJOCKEY』(スーパージョッキー)の総合司会である。
1986年12月の「フライデー襲撃事件」と1994年8月バイク事故で2度の離脱をしている。

代理MC

山田邦子(やまだくにこ)

山田邦子

お笑いタレントである。
ビートたけしがフライデー襲撃事件の謹慎中の1986年12月21日から1987年7月5日の間、総合司会を代理で務めた。

所ジョージ(ところジョージ)

所ジョージ

シンガーソングライター、コメディアン、俳優、司会者である。
ビートたけしがフライデー襲撃事件の謹慎中の1986年12月21日から1987年7月5日の間、回によって総合司会を代理で務めた。

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