進め!電波少年のネタバレ解説・考察まとめ

『進め!電波少年』とは、1992年から1998年まで日本テレビ系列で放送されたバラエティ番組である。出演者はMCの松村邦洋と松本明子の2人。スタジオではセットを組まず、クロマキー合成を用い、出演者の顔が横に伸びるなどの斬新な手法がとられた。番組内容は無名タレントを起用した体験取材で構成されている。主なものは、日本や海外の政治家や著名人などにアポなしで突撃する、「アポなしロケ」や、海外を貧乏旅行する「ヒッチハイク」などである。斬新な内容から高視聴率もたびたび獲得した、伝説のバラエティ番組である。

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電波子(でんぱこ)

『進め!電波少年』のマスコットガールとして、「電波子(滝島梓/たきしまあずさ)」が登場した。電波子は「デビュー曲がオリコン20位以内に入ったらヌード写真集を出す」という企画に挑戦。結果27位だったが、別番組の企画でウッチャンナンチャンの南原清隆が一般女性の半ケツをとるという企画で、セミヌードをとることに。漫才師の林家パー子と、パー子パコというユニットも結成していた。
その後、電波子は2号から28号まで登場する。

ゲストが初めて海外ロケにいった企画 ボスニア一人旅/明石代表に明石焼きを食べさせたい!

出川哲朗(でがわてつろう)

「ボスニア一人旅/明石代表に明石焼きを食べさせたい!」は、電波少年で、ゲストが初めて海外ロケにいった企画である。当時の国連事務総長特別代表・明石康氏に明石焼きを食べてもらおうと、出川哲朗がボスニア・ヘルツェゴビナに海外ロケにいった企画。明石代表に明石焼きを食べてもらうことは成功したが、ロケ先のボスニア・ヘルツェゴビナは内戦中だったため、実際はクロアチアでロケがおこなわれた。
内戦中のため街中は銃弾が飛び交っていた。スタッフは出川に「撃たれて」と、カンペを出したといわれている。

電波少年が独立するきっかけとなった企画 ユン・ピョウは本当に強いのか体を張って確かめたい!

OA画面

「ユン・ピョウは本当に強いのか体を張って確かめたい!」は、香港のアクションスター、ユン・ピョウが本当に強いのか、ハリセンを片手に松村が突撃する内容。松村はハリセン片手にユン・ピョウに向かって突撃したが、ボディガードやユン・ピョウ本人からもボコボコにされてしまう。このVTRを見た当時のプロデューサー篠木為八男が「これはテロだ。こんなテロ行為をテレビで流すわけにはいかない」といい、OAを許可しなかった。しかし演出の土屋は、篠木に無断でOAしてしまう。OAした結果、好評だったことから、自分の感覚が違うことを感じた篠木が自ら番組を降りることに。その結果、『衝撃的電影箱』の枠から電波少年、ガキ使が独立する契機となった。「本当に強いのか、体を張って確かめたい」は以降、ジャッキーチェン、アーノルド・シュワルツェネッガー、宮沢喜一と続き、シリーズ化された。出川哲朗も「ヒクソングレーシーは本当に強いのか」で、ヒクソングレーシーに突撃したが門前払いされてしまった。

ヒッチハイクシリーズが誕生するきっかけ 電波少年的キャイ~ンのはじめてのおつかい

企画の内容を知らされるキャイ~ンの2人
左がウド鈴木(ウドすずき)・右が天野ひろゆき(あまのひろゆき)

キャイ~ンの天野ひろゆき(あまのひろゆき)とウド鈴木(ウドすずき)の2人が空港から離れた別々の場所から、ヒッチハイクをしながら徒歩で国境をめざし、出会った2人がダジャレを叫ぶ企画が「電波少年的キャイ~ンのはじめてのおつかい」である。
この企画でヒッチハイクの面白さに土屋が気づき、猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」ほかヒッチハイクシリーズが生まれたきっかけの企画である。この企画は全部で6回行われた。
ドイツ・オランダ編「この帽子ドイツんだ?オランダ!」、タイ・ミャンマー編「もうタイへん!どうもすみミャンマーせん」、チェコ・スロバキア編「チェコだけよ あんたもスロバキア」、ガーナ・コートジボワール編「ひと目会ったその日ガーナ、恋も花咲くコートジボワール」、インド・スリランカ編「このインドが目にスリランカ」、スイス・フランス編「スイスィスイスダラダッタ フラフランスイスイスイ」のダジャレを叫んだ。

松村降板騒動レギュラー司会者争奪サバイバルシリーズ

OA画面

「レギュラー司会者争奪サバイバルシリーズ」は松村邦洋が裏番組を宣伝したことにより、レギュラー司会者降板問題が持ち上がった。降板するしないをテレゴングにかけ、松村の降板が決定した。松村降板後のレギュラー司会者を誰にするかを決めるための企画である。
雨上がり決死隊・つぶやきシロー・爆笑問題・浅草キッド・山田花子・千原兄弟・アニマル梯団らが週替わりで企画に参加したが、誰もレギュラー司会者にはならなかった。

ヒッチハイクシリーズ ユーラシア大陸横断ヒッチハイク

猿岩石。
左が有吉弘行(ありよしひろいき)・右が森脇和成(もりわきかずなり)

「ユーラシア大陸縦断ヒッチハイク」は、お笑いコンビがヒッチハイクをしながらユーラシア大陸を縦断し、ゴールを目指す企画である。
起用されたのは、無名のコンビ、有吉弘行(ありよしひろいき)と森脇和成(もりわきかずなり)の猿岩石であった。
プロデューサーの土屋は「ユーラシア大陸縦断ヒッチハイク」の出演者を決めるオーディションを実施した。
当初は東貴博(あずまたかひろ)と深沢邦之(ふかさわくにゆき)のコンビTake2の起用がほぼ決まっていたが、深沢が新婚を理由に出演を辞退したことで、猿岩石の起用が決まった。オーディションには、後に有名になるバナナマン、劇団ひとりらも参加していた。
猿岩石に決定した理由は、オーディション参加条件の半年間スケジュールが白紙だっただけではなく、プロデューサーの土屋が「野宿ができるのがいい」という理由で猿岩石に起用が決定した。
猿岩石の2人は広島から上京した際に、上京物語を後に語れるよう、東京ドーム周辺で野宿をする。この野宿が起用の決め手となり、オーディションに合格する。
猿岩石は、1996年の4月に香港で行われた『電波少年INTERNATIONAL』の前説をするよう土屋から呼び出される。その会場で香港を出発し、ユーラシア大陸をヒッチハイクで縦断、ゴールはロンドンという内容を土屋から告げられる。旅の資金10万円を渡され、あとは自分で稼ぎながらゴールを目指すというものであった。
何も知らなかった2人は軽い気持ちでこの企画を受け入れてしまうが、10万円は中国のビザ代などですぐに底をつき、アルバイトで日銭を稼ぎボロボロになりながら、ゴールのロンドンを目指した。
企画開始の直後は視聴率につながらなかった。
しかし、インドをヒッチハイクしていたころから、人気も視聴率もうなぎ上りになっていく。猿岩石のヒッチハイクは、爆風スランプによる旅の応援歌『旅人よ〜The Longest Journey』の発売でさらに反響を呼ぶことになる。
実現はしなかったが、2人のヒッチハイクを見た俳優の渡哲也から救援物資の打診をされたこともあった。
猿岩石の2人は1996年の4月13日に香港を出発し、190日目の10月19日にロンドンのトラファルガー広場にゴール。ヒッチハイクの期間は6カ月ほどであった。
ゴール直後の猿岩石2人に、「南北アメリカ縦断ヒッチハイク」か日本へ帰国するかを迫られるが、2人は迷わず日本へ帰国する。
帰国した2人は『猿岩石日記』を出版しベストセラーに。『白い雲のように』で、CDデビューしミリオンセラーになり大人気を博したが2004年に解散した。

ヒッチハイクシリーズ 南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク

ドロンズのヒッチハイクのスタート風景。
左が大島直也(おおしまなおや)・右が石本武士(いしもとたけし 現ドロンズ石本)

「南北アメリカ縦断ヒッチハイク」はお笑いコンビがヒッチハイクをしながら、ゴールをめざす企画である。
猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」に続き、「南北アメリカ縦断ヒッチハイク」に挑んだのはドロンズの大島直也(おおしまなおや)石本武士(いしもとたけし 現ドロンズ石本)の2人。当初この企画は別のコンビが起用されることが決まっていた。起用が決定していたのはスープレックス川島省吾(かわしましょうご 現劇団ひとり)と秋永和彦(あきながかずひこ)の2人。しかし、松村のMC降板をめぐって電波少年と、松村、スープレックスが所属している太田プロがもめ、スープレックスの出演はとりやめに。
当時、電波少年の前説を担当していたマセキ芸能社所属のドロンズが急きょ起用されることになった。
ドロンズの2人は前説の最中に突然カンペが出され、「南北アメリカ縦断ヒッチハイク」をすることになった。
ドロンズの2人は1996年の11月3日にチリのプンタ・アレーナスを出発。スタートは、スタートと書いた棒が立っているだけのさびしいものであった。
そこからゴールのアラスカのエンドエンド・オブ・ザ・ロードにたどりつくまで、1年2カ月がかかった。
道中は、麻薬地帯を通過するなど危険なものであった。同行ディレクターが暴行されたり、ヒッチハイクした車が横転したり、ドロンズ自身も銃を発砲されるなど、生死にかかわる危険な旅であった。特に、コロンビアでは4回もおそわれるはめに。
同時に、旅の道中の人々とのふれ合いも。小学校でスペイン語を習うようにアドバイスされたり、石本が体調不良で入院したときには、ヒッチハイクで知り合った人が入院費を全額払ってくれたり、などのエピソードもあった。「南北アメリカ縦断ヒッチハイク」は、さまざまな人とのふれ合いでドキュメンタリー色の強い内容となった。
ゴールは1997年の12月31日、アラスカのエンド・オブ・ザ・ロード。ゴールの模様は生中継され、紅白歌合戦の裏番組であったにもかかわらず、15.9%の高視聴率を獲得した。
生中継のエンディングに1枚のボードがドロンズに手渡された。そこには「進め!電波少年は本日をもって終了します」と書かれ、それを見たドロンズの2人はぼうぜんとした表情で旅は終了した。

『進め!電波少年』のメンバー・出演者

MC

松本明子(まつもとあきこ)

松本明子(まつもとあきこ)

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