Earth, Wind & Fire(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)の徹底解説まとめ

アース・ウインド&ファイアーとは、創設者のモーリス・ホワイトによって1969年にシカゴで結成された黒人R&B、ファンク、ディスコ、アフロポップグループである。「シャイニング・スター」「宇宙のファンタジー」「セプテンバー」「ブギー・ワンダーランド」「レッツ・グルーヴ」などヒット曲多数。2016年にモーリス・ホワイトは他界したが、フィリップ・ベイリーが継承し、50年以上経った今も活動するウルトラバンドである。グラミー賞6度受賞、全世界で約9千万枚のセールスを記録している。

バンドの創設者、総師モーリス・ホワイトは、1941年12月19日テネシー州メンフィスで生まれ、その後シカゴで青春時代を過ごした。14歳の頃同級生の仲間達とバンドを組み、早くもミュージシャンとしての活動を開始、この時のバンド仲間には、ブッカー・T・ジョーンズもいた。
シカゴのハイスクールを卒業して、シカゴ音楽院に通い、ベティ・エヴェレトのバンドからキャリアをスタートした。チェス・レコードから電話を受け、その後彼はチェスの専属ドラマーとなった。1960年代前半はチェス・レコードの黄金時代で、そこで同じシカゴ音楽院出身の大物ジャズ・ミュージシャン、ラムゼイ・ルイスと出会い、彼のバンドのドラマーに抜擢された。
ラムゼイ・ルイス・トリオに加わったモーリス・ホワイトは、バンドとともに世界各地を旅する。特にアフリカの大地は彼に強烈なインスピレーションを与えた。この頃から彼はカリンバというアフリカ生まれの楽器を使うようになる。1969年にラムゼイの下を離れ、アースの前身となるバンド『ソルティ・ペパーズ』を結成し、キャピトル・レコードからシングルを出す。モーリスは占星術によると土、風、火の要素があると言う事から1970年「Earth, Wind & Fire(土と風と火)」と改名した。また拠点をロサンジェルスに変え、ワーナー・ブラザース・レコードと契約した。『ソルティ・ペパーズ』時代から一緒だった弟のヴァーダイン・ホワイトを含めた10人の大所帯バンドとなる。1972年にコロムビア・レコードに移籍し、モーリスがスカウトしたフィリップ・ベイリーとラルフ・ジョンソン、ラリー・ダンが加入。EWFはモーリスとフィリップのツイン・ヴォーカル、重厚なホーン・セクションが特徴となる。ブルース、ソウル、ジャズなどの黒人音楽にロックやラテン、アフリカ音楽を混ぜ合わせた新しいファンク・ミュージックを生み出して行く。さらにそこにベテラン・プロデューサー、チャールズ・ステップニーが加わる。コロムビアには以後1990年まで在籍して、以降は古巣のワーナー・ブラザース・レコードに移籍する。モーリス・ホワイトは、チェス・レーベル時代からの友人でバンドのアレンジ、プロデュースも担当していたチャールズ・ステップニーとカリンバ・プロダクションを設立。自分たち以外のアーティストのプロデュースも手がけるようになる。中でも女性コーラス・グループのエモーションズは、「ベスト・オブ・マイ・ライフ」(1977年)で全米ナンバー1に輝いた。1983年のアルバム『Electric Universe』を発表後、活動を一時停止、各メンバーはそれぞれソロ活動に移る。モーリスは1985年に、生涯唯一のソロ・アルバムとなる『Maurice White』を発表、「I Need You」がヒットした。
1987年に活動を再開し『Touch the World』をリリースしたが、弟のフレッド・ホワイトとラリー・ダンはバンドには戻らなかった。1990年代に入ると、プロデューサー業にも力を入れるようになる。1994年の全米ツアーには参加せず。1996年にライヴ活動を辞め、自主レーベルのカリンバの活動、プロデューサー業に専念。1997年にモーリスは神経性障害と診断される。「パーキンソン病ではなく、元々神経質であることと、度重なるストレスから、震えが伴うことがある」とモーリスは発言していたが、後にやはりパーキンソン病を患っていたことが明らかになる。以降のEWFの活動はフィリップが中心となっている。またモーリスは同年にラムゼイ・ルイスらのグループ「アーバン・ナイツ」の立ち上げにプロデューサーとして関与している。
2004年にモーリスとともにEWFは来日公演したが、これがモーリス込みでの最後の公演となり、アーティストとしては引退した。EWFは2013年に22年ぶりにソニー・ミュージック(コロムビア)に復帰し、ラリー・ダンも30年ぶりに復帰した。また、モーリスは今までの音楽界の功績で、コロンビア大学とバークリー音楽大学から、名誉学位を受けた。
2016年2月3日、ロサンジェルスの自宅で死去した。74歳だった。彼の訃報はスティーヴィー・ワンダーなどの様々なミュージシャンを始め、当時の大統領のバラク・オバマも追悼のコメントを寄せた。

Fred White(フレッド・ホワイト/dr)

(在籍期間1974年〜1983年)本名、フレデリック・ユージン・アダムス。1955年1月13日イリノイ州シカゴ生まれ。モーリス・ホワイト、ヴァーダイン・ホワイトとは異母兄弟。早くから音楽的才能に目覚めた彼は、16歳の時にダニー・ハサウェイのバックバンドに参加。アース・ウィンド&ファイアーの初期メンバーで、彼のドラムはアース・ウィンド&ファイアーのダンサブルなビートの核を担っていた。

Al McKay(アル・マッケイ/g)

(在籍期間1973年〜1981年)1948年2月2日ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。5人兄弟の長男。10歳のときにロサンゼルスに移り住む。1966年彼が18歳のとき、当時の人気R&Bバンド、アイク&ティナ・ターナーのバンド・メンバーになり、初めてプロとしての仕事をする。以後、ワッツ・ハンドレッド・サード・ストリート・バンド、サミー・デイヴィス・ジュニアのバックバンド、アイザック・ヘイズのバック・バンドを経て'72年、遂にモーリス・ホワイトに誘われる。アルは、モーリスの音楽的方向性に共鳴、アースの一員となり、彼はギタリストだけでなく、曲作りにも積極的に参加していく。
アース・ウインド・アンド・ファイアーは、'70年代中頃から次々と大ヒットを放ち未曾有の成功を収める。アルは非常に歯切れのいいギターをプレイし、その独特のフレーズで人気を集めアースにアル・マッケイのギターありと言われるほどにまでなる。「僕のギターのコンセプトは、ギターでドラム・ビートを叩き出す、というものなんだ。ギターをパーカッションのように使う、それが狙いなんだよ。」とアルは語る。アースはドラムとベースのリズム隊だけではなく、ボーカルも含めた全てのパートがGrooveを生み出す事が出来るバンドだった。
1979年3月、アースの一員として初来日。しかし1980年代に入ると、アルは、グループのリーダー、モーリスやメンバー達と音楽的方向性で少しずつ衝突するようになる。彼はグループを脱退することになったいきさつをこう振り返る。「まあ、ひとつにはモーリスとの衝突かな。彼は1979年の『アイ・アム(黙示録)』あたりから、スタジオ・ミュージシャンを起用するようになった。そのことによって、アースの音楽性が変化してきたんだ。バンド・サウンドではなくなってきたんだね。で、レコーディングに呼ばれないことも出てきた。それと、1979年には個人的に、子供ができたんだ。だから、アースとともに世界中ツアーに出かけるのがきつくなって、家にいてもっと子供と多くの時間を過ごしたいと思った。あの頃は実際ツアーに出続けて、疲れ、そして燃え尽きていたんだよ」アル・マッケイは結局、1981年までアースの多くの作品の曲作りとギタリストとして参加、数々の名曲とライヴにおけるパフォーマンスを残し、グループを脱退する。
グループを脱退したアルは、ロサンゼルスに居を落ち着け、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事や、プロデューサーとしての仕事を続けた。1991年、彼はアース時代の友人を誘い「LAオールスターズ」を結成、ライヴ活動を始める。ちょうどモーリス・ホワイトのアースはグループ活動を停止していたのでタイミング的にもよかった。このバンドは、アースのヒットをアースの時代のようなサウンドで聴かせることが目的だった。バンドは徐々に人気を集めた。2001年、アル・マッケイ・オールスターズとしてアルバム『太陽の刻印~新世紀伝説』を発表した。「ゲッタウェイ」、「セプテンバー」、「宇宙のファンタジー」など往年のアースのヒットが今風の新録で収録された。「昔の曲をやるのは、ある意味で挑戦だ。あのオリジナルのサウンドは、もはや誰も真似できない。だから、僕は自分なりに解釈するだけだ」とアルは謙虚に言う。「グループを辞めても、アースというグループは、いまでも世界最高のバンドだと思っているよ。その一員でいられたことを本当に誇りに思う」とアルは語る。

Larry Dunn(ラリー・ダン/key)

(在籍期間1972年〜1983年)アース・ウィンド&ファイアーの全盛期を支えたキーボード奏者で、1983年にグループを脱退した。グループ在籍中からカルデラや、ラムゼイ・ルイスのプロデュースを行っていたが、グループ脱退後もラムゼイ・ルイス、ヒューバート・ロウズ、スタンリー・タレンタイン、ダイアン・リーブスなど多くのミュージシャンのプロデュースを行い音楽活動を続けた。
2013年9月に発売されたアース・ウィンド&ファイアーのアルバム『NOW, THEN & FOREVER』ではゲストとして参加し、大半の曲でキーボードを披露した。

Greg Moore(グレッグ・ムーア/g)

アース、ウィンド&ファイアーの元ギタリスト。彼はパトリース・ラーシェン、アニタ・ベイカー、ロイ・エアーズ、ティーナ・マリーなどのアーティストともコラボレーションしている。2002年にアース・ウィンド&ファイアーに参加し、2003年のアルバム『ザ・プロミス』、2005年のアルバム『Illumination』、2013年のアルバム『Now, Then & Forever 』に参加した。

GARY BIAS(ゲイリー・バイアス/sax)

カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ。11歳の時にサックスを演奏し始めた。ジェラルド・オルブライトとパトリース・ラーシェンと同じ高校に通った。1981年にバイアスはデビューアルバム「イースト101アポン・ニンバス・レコード」をリリースした。レゲエバンド、サードワールドの1983年のアルバム『オール・ザ・ウェイ・ストロング』でサックスとして参加、そその後、アルトサックスのナジーの1986年のアルバム『ナジーのテーマ』とモンゴ・サンタマリアの1987年のアルバム『So Yo』で作曲家を務めた。同年、アニタ・ベイカーの「スウィート・ラブ」を共同作曲したことで、グラミー賞、ベスト・リズム&ブルース・ソング部門を受賞した。 そして同じ年、アース・ウインド・&ファイアーの加入。1990年のアルバム『ヘリテージ』で演奏し、作曲も担当した。同年に、ホイットニー・ヒューストンのアルバム「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」でサックス奏者として参加した。1991年にはMCハマーのアルバム「トゥー・レジット・トゥー・クイット」にも参加した。

Johnny Graham(ジョニー・グラハム/g)

(在籍期間1973年〜1983年)1951年8月3日、ケンタッキー州ルイビル生まれ。本名レオ・ジョニー・グラハム。16歳の時にプロとしてギターを弾き始めた。1973年にアース、ウィンド&ファイアーに参加、「ラブズ・ホリデー」のソロなど、グループのリードギタリストとして10年以上在籍した。後年、彼は元アース、ウィンド&ファイアーバンドのメンバー、フレディ・ホワイトとアンドリュー・ウールフォークとアル・マッケイの「L.A.オールスターズ」に参加した。現在は日本に住み、ソウルソースを含む複数のグループと共演している。

Jessica Cleaves(ジェシカ・クリーブス/vo)

1972年の『Last Days and Time(地球最後の日)』1973年の『Head to the Sky』にリードボーカルとして参加。EWFの他、フレンド・オブ・ディスティンクション、パーラメント、ファンカデリック、ロウ・シルクでもリードシンガーを務めた。

Roland Bautista(ローランド・バウティスタ/g)

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