Earth, Wind & Fire(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)とは【徹底解説まとめ】

アース・ウインド&ファイアーとは、創設者のモーリス・ホワイトによって1969年にシカゴで結成された黒人R&B、ファンク、ディスコ、アフロポップグループである。「シャイニング・スター」「宇宙のファンタジー」「セプテンバー」「ブギー・ワンダーランド」「レッツ・グルーヴ」などヒット曲多数。2016年にモーリス・ホワイトは他界したが、フィリップ・ベイリーが継承し、50年以上経った今も活動するウルトラバンドである。グラミー賞6度受賞、全世界で約9千万枚のセールスを記録している。

1981年発表の11枚目のアルバム『Raise! 』からのファーストシングル。1970年代後半から1980年代初頭にかけて、ディスコ音楽は激しく逆風を受けていたが、それにもかかわらず、アースは以前のようなディスコサウンドに敢えて挑んだ。結果、セールス的にも成功し、アースを代表する曲の一つとなった。

FALL IN LOVE WITH ME

1983年のアルバム『Powerlight』からの先行シングル。1982年11月にリリースされた。大ヒットした前作の「レッツ・グルーヴ」のカウンターパート的なトラック。モーリス・ホワイト、ウェイン・ボーン、ワンダ・ボーン・オブ・ザ・エモーションズによって作曲された。ビルボードR&Bシングルチャートで4位、ビルボード・ホット100チャートで17位となった。

MAGNATIC

1983年のアルバム『エレクトリック・ユニバース』からのシングル。それまでのホーンセクションを使ったサウンドとは決別し、シンセサイザーを多用したエレクトリックサウンドに拒否反応を示したファンは多かった。アースの中でも最も議論の分かれるヒット曲。ビルボード・ホットR&Bシングルチャートで10位、全米ビルボード・ダンスクラブ・プレイ・チャートで36位となった。

SYSTEM OF SURVIVAL

活動休止を経て4年ぶりに発表した‎1987年のアルバム『タッチ・ザ・ワールド』に収録されたファーストトラック。R&Bとダンスのシングルチャートで久々の1位を獲得し、見事な復活を果たした。曲の冒頭で、当時のレーガン大統領の言葉をまじえたサンプリングで幕を開ける。この発言は1987年3月19日に行われた記者会見で、当時のレーガン政権は、アメリカがイランに武器を売って得た金でニカラグアの反政府組織を支援しようとした「イラン・コントラ事件」で揺れていた。曲のイントロで使われているレーガンのコメントは、記者から「国民に真実を話す義務があるとお考えですか?」と問われた際に「アメリカ国民を騙すつもりはない。ほかの連中なら、ともかく」とジョークで答えたもの。ヒップホップを連想させるEWFの新たなスタートを感じさせる。

THINKING OF YOU

1987年のアルバム『タッチ・ザ・ワールド』からの第二弾シングル。モーリス・ホワイト、ウェイン・ボーンとエモーションズのワンダ・ボーンとの共作。1988年、日本ではバブル絶頂期の中、ディスコでもスマッシュヒット、ビルボード・ホット・ダンス・ミュージック・クラブ・プレイ・チャートで堂々1位、ビルボード・ホット・ソウル・シングル・チャートで3位に輝いた。

HERITAGE

1990年発表の『ヘリテイジ』からの表題曲。モータウンの少年グループ、ザ・ボーイズをフィーチャーした。当時流行したニュー・ジャック・スウィングのリズムを積極的に取り入れたナンバー。PVでは今までのアースには見られなかったラフなストリート系ファッションに身を包み、上手くヒップホップの要素を取り入れている。ビルボード・ホットR&Bシングルチャートで5位を記録した。

WANNA BE THE MAN

1990年のアルバム『ヘリテイジ』からのシングルで、ビルボードホットR&Bシングルチャートでは46位と振るわなかったが、目玉はなんといっても、当時全世界で人気を博したMCハマーの起用である。アースの典型的なファルセットコーラスと、MCハマーの高速ラップは全く違和感なく融合し、無駄のない軽快なファンクが完成した。チャート以上にインパクト、話題性をさらったナンバーである。

Earth, Wind & Fire(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)の名言・発言

モーリス・ホワイト「私もジョン・コルトレーンやFunkadelicやKool&the Gangからいろいろ盗んでる。そこにオリジナリティを足して次の世代に受け渡すのがお前たちの仕事だ」

自他共にアース・ウインド&ファイアーのファンである事を認める「DREAMS COME TRUE(以下ドリカム)」のメンバーの中村正人氏。初めてアースを聞いた時は本当に雷に打たれたようで、その後の人生を変えてしまったと言う。そしてEWFの曲のテイストをふんだんに取り入れ、自分の音楽としていく。その後人気が出て、1994年ドリカムは大尊敬するモーリス・ホワイトと、シングル「Wherever you are 」で共演する機会に恵まれる。そのとき、モーリスに曲をパクったことを打ち明ける。「私はあなたの作った音楽をさんざんパクって日本で今売れちゃってます」その時のモーリスの返事が表題の言葉である。
この言葉を受けた中村氏は、ロサンゼルスのスタジオで大号泣したという。そんなドリカムの曲の中でも特にパクリが顕著だと言われているのが「決戦は金曜日」と言うドリカムの代表曲。「Let's Groove」とかなりニュアンスが似ているのがわかる。

フィリップ・ベイリー「僕がアース・ウィンド・アンド・ファイアーのリーダーになってから、20年になるけど、バンドとして決断が必要な時には、いつもモーリスが尊重するだろうと思うことを念頭に入れている。そのことが、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのDNAの一部ということだけでなく、アース・ウィンド・アンド・ファイアーとしてやっていくための方法だということをみんなわかっているんだ」

モーリス・ホワイトは90年代のはじめにパーキンソン病と診断されており、1994年にバンドとともにツアーをすることを止め、それ以降は実質フィリップ・ベイリーがバンドを牽引していく。残念ながら2016年にモーリス・ホワイトは亡くなるが、モーリスの弟、ヴァーダイン・ホワイトはバンドに残っており、リーダーのフィリップ・ベイリー、更には息子のフィリップ・ベイリーjrもメンバーに加わっており、アースの遺伝子は確実に受け継がれている。アースは50年にも及ぶキャリアの中で、常にこのモーリスイズムを継承しながら、時代の流行りも取り入れ今日にいたる。アースはまさにブラックミュージックの歴史そのものである。アースの全盛期は70年代と言われるが、見方をかえればそれはブラック音楽シーンそのものが、今よりも昔の方が熱かったことを物語る。アースはまさにブラックミュージックを反映する鏡である。

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