スガ シカオ(Shikao Suga)の徹底解説まとめ

スガ シカオ(Shikao Suga)とは1997年にデビューしたシンガーソングライターである。自身の曲以外にも多くのアーティストに楽曲提供も行っており、「SMAP」の「夜空ノムコウ」では作詞を担当している。また代表曲にはNHK番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』のテーマソング「Progress」等がある。
深い歌詞と多様な音楽ジャンルを融合させた独自のスタイルで、90年代後半から活躍し続けている。

この曲はスガ シカオにとって2度目のメジャーデビューシングルで、小林武史プロデュースによる曲である。「Progress」を思い出させるような、でも「Progress」より歌詞が深くストレートに響くようにも感じられる。失敗して自分を責めてしまう辛い時に「何度だってやり直せば良い。何度だって恥ずかしくはないよ。」という歌詞を聴くと「もう少し頑張ってみよう」と勇気を貰える曲である。この曲も多くの人に力を与える曲だと感じられる。

「バニラ」

この曲のMVは当初過激な内容から一般公開できなかったが、完全版をベースに新たにつくられたものがYouTubeで公開されている。ファンの間では「ブラックなスガ シカオが帰ってきた!」と話題になり、「あまい果実」や「19才」の頃のスガ シカオが思い出され、そこに過激さが増したような仕上がりとなっている。

スガ シカオ(Shikao Suga)の名言・発言

「歌詞の意味は個々人が考えるもの」

インタビューで歌詞について語っていた時の言葉。「曲は世に出した時点で自分の手を離れている。歌詞の意味は個々人が考えるもの。解釈が人によって違っても、10人が居たら10人なりの答が必ず出る歌詞を書く。」

「家訓が金を稼げないやつは何も言うなだった」

デビュー当時にお金について語っていた時の言葉。「俺、自分の足で社会に立ってないと歌詞書いたり、人になにかを伝えることなんて出来ないと思ってて。偉そうなこと書いても、自分で金も稼げないのに何言ってるんだろうなって思っちゃうとこがあって。それはうちの家訓みたいなもんでさ「金を稼げないやつは何も言うな」みたいなね(笑)だから学生の時も、親の金で食いながらロックやるなってそういう気持ちがもの凄く強いアマチュアミュージシャンだったの。で、喧嘩とかしちゃうわけよ。バンド仲間と。てめぇ、なに親の金で食って偉そうなこと言ってんだ!なにがロックだ!とか言ってさ(笑)」

「自分が聴きたくない音楽だけは絶対作らない」

2000年のインタビューでの言葉。「自分が聴きたくない音楽だけは絶対作らない。手癖口癖の作業と進歩のないテクニックで楽曲を垂れ流すように発表し続ける、そんなやり方だけは死んでもしないって決めてる。」

「今の音楽環境に危機感を感じてます」

2010年のインタビューでの言葉。「今の音楽環境には危機感を感じています。新しい才能が育ちづらい。おれみたいに金がなくて年でも音楽だけが好きというだけで、トップ10まで這い上がっていける状況はない。このままじゃカバーとベストを作らない人は音楽を発表できなくなるかもしれない。むしろ退化してるように思います。」

「そんな状況が長くは続かないと思っていた」

独立後のインタビューでの言葉。「俺は景気が良かった音楽業界の恩恵を受けた最後の世代でした。俺がデビューした90年代は、まだ動画や音楽の配信サービスもなく、CDもよく売れて、業界全体が潤っていた。アーティストの活動パターンは今より限られていたけれど、景気が良かったせいで、多くの人が何の疑問も持たずそこに自分を当てはめていた。でも俺はそんな状況が長くは続かないと思っていた。」

スガ シカオ(Shikao Suga)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

暗黒の予備校時代

2年予備校に通っていた時の事を本人は「暗黒時代だった」と語っている。予備校2年目には恋愛にハマってしまい、相手に二股をかけられ酷い振られ方をした事で泥沼化し、立てないぐらいの片頭痛に悩まされながら何とか予備校に通う日々だったという。後のインタビューで「近くの医者に行くまで、いつもだったら5分くらいの距離なんですけど、塀をつたいながら30分かかって行って(笑)もうここまでかなみたいな感じの日々が続いて、地獄でしたね。あれでだいぶ人生の人間形成が、いろんな意味で固まった気がするんだよね(笑)」と語っているように、この日々の事がその後の恋愛観に大きく影響しているそうだ。そして初期のスガ シカオの楽曲の歌詞は、この経験が影響していると予想出来るものが多く、彼の歌詞の世界観が重くて毒々しいものが多い理由の1つである事が感じられる。アルバム『CLOVER』に収録されている「月とナイフ」はまさにこの予備校時代の恋愛経験を歌った曲である。また、デビュー後初めての武道館公演のMCでは「俺の印税は印税ではなく、俺を振った女からの慰謝料だ! まだまだ取るぞ!」と叫んでいたという、彼らしいエピソードがある。

アイドルの付き人をやっていたサラリーマン時代

大学卒業後に某大手制作会社に就職し、入社後すぐに任された仕事は「アイドルの付き人」だった。アイドル歌手のタマゴに付き添う仕事で、歌のレッスン、ダンスのレッスン、ヘアカット、衣装のフィッティングなどいろんな所へ連れて行き、ダンスレッスンでは一緒に踊らされることもあったという。ダンスの先生には「リズム感はメチャクチャ良いけど、体が固い、致命的。ダンサーにはなれないわね!」と言われたそうだ。他には長崎の造船所に出向し、船の中にある舞台関係の企画に携わる業務を行っていたこともあるという。また、新入社員時代に指導してくれていた女性上司から、「スガ君ね、自分のアイデアや企画を可愛がり過ぎたら絶対ダメよ」と言われ、その言葉はプロミュージシャンとしてデビューしてからも一度たりとも心の中から消し去った事がないと語っている。サラリーマン時代の様々な経験が彼のアーティスト活動に活かされているのである。

デビュー曲のジャケットに込められたメッセージ

デビューシングル『ヒットチャートをかけぬけろ』のCDのジャケットには「If you get my tricky rhythem on the radio, call me like you used to」(俺のイカサマ音楽がラジオから聞こえたら電話をくれよ)という言葉が書かれていた。これは、自分の曲がヒットチャートに上がれば当時失踪していた友人が気付いてくれるかもしれないという思いを込めた言葉だった。
また、その3年後にリリースした4枚目のアルバムは『4Flusher』というタイトルであるが、この「4Flusher(four flusher)」とは、トランプゲーム(ポーカー)の用語で「イカサマ野郎」という意味で、実はファーストシングルから繋がっているタイトルであると語っている。また、「ファンクだソウルだって言っても、インチキじゃん!俺のやってることなんて、英語で歌ってる訳でもないし。そういう意味でも開き直って誇りを持つべきだと思ってて」という彼の謙遜した思いも込めらている。

サングラスと山崎まさよし

スガ シカオのトレードマークといえばサングラスだが、彼がサングラスを掛け始めたのはデビューして6枚目のシングル『僕たちの日々』からである。また、掛け始めた当初はレンズが小さめで色が濃いサングラスだった。ある日当時同じ事務所の山崎まさよしに「俺どうやったら売れるかなー」と相談していたところ、山崎から「サングラスの色ちょっと薄くしてみたら?」と冗談でアドバイスされ、その後スガ シカオがレンズの色が薄くて少し大きめのサングラスに変えてみたところ、本当にブレイクし始めたという。彼は「山ちゃん、サングラスの色薄くしたら売れたよ!」と無邪気に報告したところ、山崎から「売れた原因はそこじゃねーだろ!(笑)」と突っ込まれたそうだ。通常芸能人は人目を避ける為にサングラスを着用する場合が多いが、スガ シカオは逆でサングラスを外すらしい。2008年には眼鏡が似合う著名人に贈られる「第21回日本メガネベストドレッサー賞」を受賞している。

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