洗礼(楳図かずお)のネタバレ解説・考察まとめ

『洗礼』とは、楳図かずおによる漫画。『週刊少女コミック』誌上にて、1974年から1975年まで連載された。ホラー漫画の巨匠として有名な楳図かずおは、異形のものの怖さを直接的に表現する作風を得意としている。『洗礼』においてもそのようなシーンは見られるものの、人間の深層心理の不気味さを独特なストリーテリングで描かれていることが大きな特徴で、キャリア中期の代表作の1つとして高評価されている。かつて美貌を誇った大女優が、恐ろしい方法で実の娘に自分の人生を託す様子を描いたホラー作品である。

脳移植手術シーン

意識が明瞭なまま頭蓋骨に穴を開けられるさくら

『洗礼』のストーリー内で最も多くのファンを震撼させた場面として知られているのが、松子の脳をさくらの頭部へ移植する脳手術シーンである。村上先生がまつことさくらの身体中に針を刺し、頭蓋骨を切り開いて2人の脳髄を取り出して、松子の脳をさくらの頭部に移植したシーンは、楳図かずおが得意とするリアルでグロテスクな絵柄で描かれた。それでいて、手術そのものは余計な擬音がなく淡々と進んでおり、より恐ろしさが強調されている。また、さくらの意識が明瞭になっている点も大きなポイントとなっていて、『洗礼』屈指の名シーンとして語り継がれている。

大人の男性を口説くさくら

谷川先生に抱きつくさくら

松子の脳を移植されたさくらは、趣味嗜好が大人でありながら見た目は少女という不思議なキャラクターに変貌した。普通の女性として普通の恋愛をしたいさくらは、谷川先生を恋愛対象にロックオンした。ところが、中身が松子であることからさくらのアプローチは、子供の範疇を超えた過激なものとなっていく。はじめのうちは無邪気に抱きつくぐらいであったが、次第に性的なアプローチに変化し、ある時は風呂場で全裸になって谷川のもとへ行き、度を越したボディタッチを行った。果ては、酒に酔った谷川を上手く誘導して肉体関係を持ったかのようにでっち上げた。こうしたさくらの一連の行動は、『洗礼』という漫画におけるさくらというキャラクターの深層心理の不気味さが表現された名シーンだと評されている。

和代への凄惨ないじめ

ダイヤルに仕込まれたカミソリの刃で指を切った和代

脳手術後のさくらの異常性を際立たせているシーンに、さくらが和代に行った多くのいじめや嫌がらせがある。さくらは谷川を手に入れるために和代を排除しようとしたが、その方法はことごとく実力行使だった。谷川家で行われたパーティーで和代が作った料理に異物を混入したのを皮切りに、ゴキブリ入りのお粥を食べさせる、アイロンで和代の下腹部を焼こうとする、脳味噌のない犬の面を被って和代と貢を脅す、首吊りを強要する、電話のダイヤルにカミソリを仕込むなど虐待のオンパレードである。果ては、三河屋の御用聞きを誑かして和代を強姦させようして、嫌がらせは凄惨を極めた。その結果、和代はメンタルに支障をきたしてしまった。しかし、そう見えたのは谷川の作戦であり和代たちは実家へ避難していたのだった。

谷川先生「私が愛しているのは残念ながらお前だっ!!」

和代に詰問される谷川先生とその様子を見ているさくら

和代は、谷川が事あるごとにさくらのことを庇うことに納得がいかず、ある時「あなた!あの子と私のどちらを愛しているのですかっ!」と詰問したことがあった。その時、谷川は「私が愛しているのは残念ながらお前だっ!!」と返答している。多くの読者が「何故『残念ながら』と付け加えたのだろうか?」と疑問に思った名セリフだと評されており、谷川はさらに「よくも愛だのなんだのと薄汚い言葉を言わせてくれたな」と怒って和代のことを罵った。この一連の流れから、「楳図かずおは、愛情という形のない不確定なものを言葉にすることの空しさを描こうとしたのではないか?」という論調も見受けられた。

『洗礼』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

楳図かずおから見た芸能界

若草いずみの撮影風景

楳図かずおは、上京後の1960年代前半に『劇団ひまわり』に所属していたことがある。何作かの映画やテレビドラマに出演したが、劇団の上層部の人間から宗教への入信を勧められ、そのことで嫌気がさして退団した。そのため、彼は作品の中で芸能界を描くことがしばしばある。『おろち』の1編『ステージ』や『神の左手悪魔の右手』の1編『影亡者』、そして『洗礼』などである。自らの芸能活動の経験が反映されているのかは不明であるものの、彼の描く芸能界は虚構と現実がシニカルに描かれることで多くのファンを唸らせている。

美醜への拘り

『フラワーコミックス』版『洗礼』 3巻表紙

楳図かずおは、美醜に拘る人間の業の深さや恐ろしさを描いてきた漫画家である。また、自分あるいは自分に近しい者が異形のものへ変貌することの潜在的な恐怖をも表現してきた。例えば、『おろち』の1編『姉妹』では18歳になると醜くなる家系に生まれた美人姉妹のドラマが展開されてきたし、『赤んぼ少女』のタマミは自分が醜女であるが故に義妹の葉子に辛く当たり続けた。『洗礼』では、親子2代に渡る美醜への拘りが描かれた。一見すると若草いずみ(松子)の拘りのみがクローズアップされがちだが、実はさくらも母親のような顔にアザのある女性に成長したくないという拘りが内包されており、楳図かずおの表現者としての凄さが浮き彫りにされている。

「脳は移植されていなかった」という衝撃のラスト

読者に向かって指を指す谷川先生

『洗礼』を傑作たらしめている大きな理由に、「実は脳の移植など行われていなかった」というラストの大どんでん返しを挙げるファンや読者も少なくない。手塚治虫の長男でビジュアリストの手塚眞は楳図かずお作品の大ファンとして知られており、『洗礼』の小学館文庫1巻の巻末で解説を務めた。その文中で手塚眞は、「『洗礼』のラストは楳図かずおの画力+漫画というメディアだからこそできた力業」という趣旨の発言をしている。また、「漫画以外のメディアでこのラストを行ってしまうのは陳腐極まりない」という意味の主張もしており、あえてそのような最後を描いた楳図かずおの漫画家としてのスキルを手放しで高評価していた。

『洗礼』の実写映画版

totsuki-natsukib3
totsuki-natsukib3
@totsuki-natsukib3

Related Articles関連記事

漂流教室(楳図かずお)のネタバレ解説・考察まとめ

漂流教室(楳図かずお)のネタバレ解説・考察まとめ

『漂流教室』とは、1972年から1974年まで『週刊少年サンデー』にて連載された楳図かずおによるSF漫画作品。公害と「時間を越えた母子の愛」がテーマになっている。小学6年生の高松翔が通う大和小学校が、ある日大きな爆音と揺れに襲われる。揺れが収まり門の外を見てみると、荒廃した大地が広がっていた。生徒のみならず教師までもパニックに陥り次々と死んでいく。環境破壊によって滅びた未来の世界に放り込まれた子供たちは、なんとか生き延びようと様々な困難に立ち向かう。

Read Article

まことちゃん(楳図かずお)のネタバレ解説・考察まとめ

まことちゃん(楳図かずお)のネタバレ解説・考察まとめ

『まことちゃん』とは、楳図かずおによる漫画。『週刊少年サンデー』にて1976年から1981年まで連載された。続編的な位置付けの『超!まことちゃん』も存在する。恐怖漫画家の楳図かずおが、ホラーの手法を用いつつもハイテンションのギャグを生み出したことで大ヒットを収め、『がきデカ』と共に1970年代を代表するギャグ漫画として認知されている作品である。幼稚園児の主人公沢田まことが、通っている聖秀幼稚園や沢田家などで大騒動を巻き起こす様子と、それに巻き込まれた人々が描かれている。

Read Article

わたしは真悟(楳図かずお)のネタバレ解説・考察まとめ

わたしは真悟(楳図かずお)のネタバレ解説・考察まとめ

『わたしは真悟』とは、楳図かずおによる漫画。1982年から1986年まで『ビッグコミックスピリッツ』誌上にて連載された。恐怖漫画の第一人者楳図かずおが、来るべき近未来を描いた長編SF作品であり、連載終了後もラジオドラマ化やミュージカル化されるなどの大ヒットを記録した。また、楳図かずおの1980年代の代表作としても知られている。ともに小学6年生である近藤悟と山本真鈴の淡い初恋と、2人の行動の影響で自我を持つに至った産業用ロボットを中心にしてストーリーが展開される。

Read Article

目次 - Contents