槇原敬之(マッキー)の徹底解説まとめ
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槇原敬之(まきはらのりゆき)とは日本のシンガーソングライターである。「マッキー」の愛称で知られる。1969年大阪府生まれ。1990年にデビューし、翌年の1991年に発表したシングル「どんなときも。」でミリオンセラーを叩き出す。その後も「もう恋なんてしない」など多くのヒット曲を世に出している。2003年にSMAPに提供した「世界に一つだけの花」は記録的な大ヒットとなった。オリジナル曲に関してはほぼ全曲作詞、作曲、編曲を自身でこなし、編曲家、音楽プロデューサーとしても活動している。
槇原敬之(マッキー)の概要
槇原敬之(まきはらのりゆき)とは日本の音楽シーンに多大な影響を与えてきた平成を代表するシンガーソングライターである。1990年代初頭から音楽キャリアを本格スタートさせ、「どんなときも。」「冬がはじまるよ」「もう恋なんてしない」や、SMAPに楽曲提供した「世界に一つだけの花」など、記録的ヒット曲を生み出した。その他多くのミュージシャンへ楽曲提供している。
槇原敬之の音楽は多岐にわたり、ポップ、ロック、R&B、バラードなど様々なジャンルを取り入れている。恋愛心理を巧みに描いた楽曲を得意とし、人気を博した。
槇原の歌詞は感情豊かで、日常の中で感じる喜びや悲しみ、愛といったテーマを繊細に優しく描き出している。そのようなメッセージソングを彼は「ライフソング」と提唱している。「詩先」と呼ばれる歌詞を先に書く手法を用いるのも槇原の特徴だ。
槇原敬之はまた他のアーティストへの楽曲提供やプロデュース活動も積極的に行っており、テレビやラジオへの出演も多く、幅広い層から支持を得ている。
槇原敬之(マッキー)の活動経歴
幼少期
槇原敬之は5歳の時、保育園の先生が弾く「エリーゼのために」を聴き、その音色と曲に「雷が落ちたかと思うほどの衝撃を受けた」ことがきっかけで、ピアノを習い始める。槇原の両親はピアノを習う男児が珍しかった当時に、惜しげもなく息子を応援した。高価なオーディオやキーボードを購入してくれたという。父親は仕事が忙しい中でも、よくコンサートに連れて行ってくれたりした。
6歳年上のROLLY(すかんち)は父方の従兄で、一人っ子の槇原は兄のように慕っていた。ROLLYの姉たちも含め、幼少時代からバンドのように4人でよく一緒に楽器を鳴らしたり音楽で遊んでいたという。また、槇原は父親が営む電気屋でラジオを聴くことが好きな少年だった。小学生の頃にウォークマンを手に入れたことで「人生が変わった」とインタビューで答えている。幼少期から音楽に触れ、音楽が好きだったことがうかがえる。
学生時代、デビュー前
中学の頃にはより音楽にのめり込むようになり、才能は開花する。友人とポップス同好会を作り、2年生の時に作詞作曲を始めた。大きな影響を受けたのはYMOで、シンセサイザーに感動し、槇原も安いものを購入した。近所に住む同級生だった沢田知久(ミキシングエンジニア)が多重録音することができるマルチ・トラックレコーダーを持っており、一緒にデモテープを作成するようになった。そのデモテープはすぐに完売するほど大人気だったのだとか。
1985年、高校1年生の時に坂本龍一が担当していたNHK-FM放送の番組『サウンドストリート』のデモテープコーナーに、アーティスト名「C・M・C」(コンプレッサーズ・ミュージック・クラブ、後にコンプレッサーズ・ミュージック・カンパニーに改名)として「HALF」という曲を応募する。この曲は槇原が中学時代に作ったもので、デモテープではROLLYがギターを担当した。レコーディングとミキシングエンジニアを担当したのは沢田である。「HALF」を聴いた坂本龍一は「よいバランスに仕上がっていて、言うことなし!」と絶賛したという。そしてラジオでは異例のフルコーラスで曲を流した。
進学校へ通学していた槇原だが、勉強より音楽をしている方が好きだったようで、大学へは3浪して入学している。
1990年には「AXIA MUSIC AUDITION '89」でグランプリを獲得し、音楽ファンの投票で「一万人審査員賞」にも選ばれダブル受賞となった。
デビュー後
浪人中の1990年にシングル「NG」でデビューし、大学入学後の1991年にはシングル「どんなときも。」が大ヒットしてオリコンチャートで1位を獲得した。本曲は映画の主題歌やCMソングに起用され、春の選抜高校野球入場行進曲にも選ばれた。大学はわずか2ヶ月でやめることとなる。1992年にはアルバム『君は僕の宝物』がアルバムで初のミリオンセラーを達成した。アルバム内のシングル「冬がはじまるよ」はCMソングに、「もう恋なんてしない」はドラマ主題歌に起用された。
1994年11月から翌年4月まで全国30カ所56公演のコンサートツアーを行い、約15万人を動員した。しかしツアー終了後に喉のポリープが発覚し入院、その後休養に入った。1996年に復帰し、1997年に初のベスト・アルバム『“SMILING” 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』を発売。オリコン1位を獲得し、190万枚を売り上げた。このアルバムで日本ゴールドディスク大賞のポップス部門を受賞した。1998年、同アルバムが第12回ゴールドディスク大賞でベスト・ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。同年、初のアリーナ・ツアーを全国5カ所で開催した。
1999年にリリースされたシングル「Hungry Spider」がテレビ主題歌に起用され、大ヒットとなった。
活動休止~復帰
「Hungry Spider」がヒットした一方、1999年8月、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、音楽活動を休止。12月には懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。槇原の逮捕により、コンサートツアーの中止、レギュラーラジオ番組の打ち切り、CDの回収が発生し、ファンが過去の作品を買い求め売上が伸びる現象が起きた。
2000年に活動を再開し、2003年にSMAPに提供した「世界に一つだけの花」が記録的大ヒットとなった。本曲は翌年の春の選抜高校野球入場行進曲に選ばれた。
その後は大きなヒットとはならなかったものの、多くのアルバムやシングルをリリースしている。
2020年に再び覚せい剤取締法違反などの疑いで逮捕された。逮捕の一報を受け、前回同様CDの回収が予想されたことで、売上ランキングでアルバムが上位にランクインした。一部店舗では販売が休止されたが、結局回収は行われず、ネット配信も継続された。
槇原は「当面の活動を休止する」と発表したが翌年「活動を休止し、今後についてよく考えに考えた末、やはり私には音楽しかないという気持ちに気付き、楽曲制作をすることに決めました」と活動を再開した。逮捕前に発売予定だったセルフカバーアルバム『Bespoke』は発売無期延期となっていたが、2022年3月2日にリリースされた。
槇原敬之(マッキー)のプロフィール・人物像
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槇原敬之(まきはら のりゆき)は、「マッキー」の愛称で知られる日本のシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサーである。1969年5月18日、大阪府高槻市生まれ。O型。保育園の先生の影響で、5歳でピアノを習い始める。音楽の才能はみるみる開花し、中学2年生の頃には作曲を始め、父方の従弟であるROLLYや同級生だった沢田知久(ミキシングエンジニア)とデモテープを作製するなどした。高校1年生の時、坂本龍一のラジオ番組にデモ曲を送り坂本龍一本人に大絶賛された。高校2年の1986年にはCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンターテイメント)のオーディションを受けているが、プロになる意識はなく、賞金目当てだったとか。結果は不合格だった。
槇原は授業中に歌詞が思い浮かぶとすぐに書き留めていて、勉強より音楽に力が入っていた。進学校だったが成績は振るわず、3浪して大学へ進学している。
浪人中にシングル「NG」でデビューし、翌年「どんなときも。」が大ヒットとなる。大学はわずか2ヶ月で退学した。その後も次々とヒットを飛ばし、平成を代表するシンガーソングライターとなった。
1999年と2020年に覚せい剤取締法違反で2度逮捕されているが、「自分には音楽しかない」と活動を再開している。
2007年、会員制サイト『第2日本テレビ』のインタビューにて同性愛者であることを公表した。
槇原敬之(マッキー)のディスコグラフィー
シングル
『NG』
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1990年10月25日発売。
1. NG
2. RAIN DANCE MUSIC
槇原敬之のデビューシングル。
デビューアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』と同時発売。
2曲とも失恋ソングである。「タイトル通り、売上はNGだった」と本人は言う。
「NG」は2000年発売のベストアルバム『10.Y.O. 〜 THE ANNIVERSARY COLLECTION〜』に新バージョンで収録された。
カップリング曲「RAIN DANCE MUSIC」は、英語バージョン「DANCING IN THE RAIN」として『SMILING3 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』に収録されている。
「DANCING IN THE RAIN」が発表される前に、「RAIN DANCE MUSIC」がJFN「槇原敬之のHITACHI CLOSE TO YOU」で一度だけ放送されたが、商品化はされていない。
『彼女の恋人』
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1993年4月25日発売。
1. 彼女の恋人
2. CLASS OF 89
このイメージの曲は、デビュー作「NG」の頃より作ろうと考えていた槇原が好きな黒人音楽を少し取り入れてたものである。しかし、理由は不明だが、その頃プロデューサーの木崎賢治が発売禁止令を敷いていた。その禁止令が解かれたため、本作が完成した。
「CLASS OF 89」はアルバム未収録曲。
『ズル休み』
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目次 - Contents
- 槇原敬之(マッキー)の概要
- 槇原敬之(マッキー)の活動経歴
- 幼少期
- 学生時代、デビュー前
- デビュー後
- 活動休止~復帰
- 槇原敬之(マッキー)のプロフィール・人物像
- 槇原敬之(マッキー)のディスコグラフィー
- シングル
- 『NG』
- 『彼女の恋人』
- 『ズル休み』
- 『雪に願いを/Red Nose Reindeer』
- 『2つの願い』
- 『SECRET HEAVEN』
- 『COWBOY』
- 『まだ生きてるよ』
- 『素直』
- 『モンタージュ』
- 『足音』
- 『HAPPY DANCE』
- 『STRIPE!』
- 『桃』
- 『Are You OK?』
- 『雨ニモ負ケズ』
- 『花火の夜』
- 『これはただの例え話じゃない』
- 『Wow』
- 『君の名前を呼んだ後に』
- 『Good Morning』
- 『優しい歌が歌えない』
- 『僕が一番欲しかったもの』
- 『明けない夜が来ることはない』
- 『ココロノコンパス』
- 『ほんの少しだけ』
- 『GREEN DAYS』
- 『赤いマフラー/お元気で!』
- 『Firefly〜僕は生きていく』
- 『WE LOVE YOU.』
- 『ムゲンノカナタヘ〜To infinity and beyond〜』
- 『林檎の花』
- 『恋する心達のために』
- 『四つ葉のクローバー』
- 『Life Goes On〜like nonstop music〜』
- 『FALL』
- 『超えろ。』
- 『理由』
- 『記憶』
- オリジナル・アルバム
- 『君が笑うとき君の胸が痛まないように』
- 『君は誰と幸せなあくびをしますか。』
- 『君は僕の宝物』
- 『SELF PORTRAIT』
- 『PHARMACY』
- 『Ver.1.0E LOVE LETTER FROM THE DIGITAL COWBOY』
- 『UNDERWEAR』
- 『Such a Lovely Place』
- 『Cicada』
- 『太陽』
- 『Home Sweet Home』
- 『本日ハ晴天ナリ』
- 『EXPLORER』
- 『LIFE IN DOWNTOWN』
- 『悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた』
- 『Personal Soundtracks』
- 『不安の中に手を突っ込んで』
- 『Heart to Heart』
- 『Dawn Over the Clover Field』
- 『Lovable People』
- 『Believer』
- 『Design & Reason』
- 『宜候』
- 槇原敬之(マッキー)の代表曲
- 『ANSWER/北風』
- 『どんなときも。』
- 『冬がはじまるよ』
- 『もう恋なんてしない』
- 『No.1』
- 『SPY』
- 『どうしようもない僕に天使が降りてきた』
- 『Hungry Spide』
- 槇原敬之(マッキー)のミュージックビデオ(MV/PV)
- 『どんなときも。』
- 『もう恋なんてしない』
- 『冬がはじまるよ』
- 『どうしようもない僕に天使が降りてきた』
- 槇原敬之(マッキー)の名言・発言
- 「僕の選択肢は一生、音楽しかないと思います。」
- 「僕自身の『音楽好きの歴史』というのは50年になるわけです。」
- 槇原敬之(マッキー)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- すかんちのROLLYとは従兄弟同士
- 才能が開花された中学時代
- 槇原自身が抱えていた強い葛藤と決意が反映されている「どんなときも。」
- 槇原の願いを込めて作った「世界で一つだけの花」