10-FEET(テンフィート)とは【徹底解説まとめ】

10-FEET(テンフィート)とは、名曲「その向こうへ」などを歌う日本のスリーピースバンドである。ロックを中心に、パンク、ヘヴィメタル、ヒップポップ、レゲエなど複数のジャンルを織り交ぜ、TAKUMA、NAOKI、KOUICHIの3名で1997年に京都で結成された。2001年にインディーズでデビューしたのち、2003年にメジャーデビューを果たす。2007年には地元・京都で野外フェス「京都大作戦2007」を企画。メンバーと同世代の40代から10代の若者まで、幅広い年齢層からの支持を得ている。

初期のヒップポップやレゲエ色はそのままに、優しいTAKUMAの歌声と力強い歌詞が魅力的な曲である。

10-FEETの名言・発言

TAKUMA「人はどんな過去でも前向きに活かす事が出来んねん。一秒でも過ぎた事は過去の事。学びに変えて実りに結びつけていくんよ。絶対出来るし。出来るよ。絶対。よかったら一緒にどうや?ライブってそういう魂の躍動アクロバットやねん。俺にとって。めっちゃ大事な表現集合試合やねん」

2021年のTAKUMAの公式Twitterより。
プロゴルファーの渋野日向子が2年ぶりに優勝し、「すごいなぁ。俺もがんばろうと思えたよ。」とツイートしたあと、自らも「人はどんな過去でも前向きに活かす事が出来んねん。一秒でも過ぎた事は過去の事。学びに変えて実りに結びつけていくんよ。絶対出来るし。出来るよ。絶対。よかったら一緒にどうや?ライブってそういう魂の躍動アクロバットやねん。俺にとって。めっちゃ大事な表現集合試合やねん」とファンに向けて応援メッセージをツイートした。「ありがとう。勇気が出ました」「TAKUMAが言うなら頑張ってみようかな」と多くの声が寄せられた。

TAKUMA「俺らも頑張るから、オマエらも頑張れよ。死ぬな、負けるなよ」

京都大作戦の終演を迎え、観客へ向けてお礼をする10-FEETの3人

2017年の京都大作戦にて、アンコールで「river」「風」を演奏したあとのTAKUMAの一言。その年の京都大作戦では他バンドのメンバーが各々、亡くなってしまったバンド仲間達への敬意を示す言動が取られていた。TAKUMAも京都大作戦の締めくくりに「俺らも頑張るから、オマエらも頑張れよ。死ぬな、負けるなよ」と観客へ発言。10-FEETのライブではこういった発言が多くあり、「笑って終わりたい」という願いが込められている。観客からは盛大な歓声があがり、2017年の京都大作戦は終演した。

10-FEETの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

バンド名の由来は「届きそうで届かない距離」

結成初期のNAOKI(画像左)、KOUICHI(画像中央)、TAKUMA(画像右)

当初、スケールの大きなバンド名がいいと「1000-FEET(センフィート)」と候補にあがったが、「ださい」、「ワンサウザントフィートと読み間違えられそう」ということから「10-FEET(テンフィート)」という名前に決まった。また、10-FEETとは約3メートルで、「届きそうで届かない距離」という意味もこめられている。

2013年の京都大作戦で号泣したTAKUMA

憧れの横山(画像中央)を前に号泣するTAKUMA(画像手前)

TAKUMAを始めとした10-FEETのメンバーは、先輩バンドであるHi-STANDARDのファンでもあった。2013年当時、Hi-STANDARDは東日本大震災のために1度ライブをしたきり実質の活動休止状態であり、2013年の京都大作戦にはHi-STANDARDは出演していない。しかし、Hi-STANDARDのメンバーである横山健と難波章浩はそれぞれ別バンドとして出演しており、10-FEETはアンコールでHi-STANDARDの名曲「STAY GOLD」を演奏してほしいと2人に打診。「今日はHi-STANDARDとして来たんじゃないから。」と断られた10-FEETはアンコールで10-FEETが演奏することを許可してもらい、「STAY GOLD」を演奏。そして曲の途中に差し掛かった時、ステージに横山と難波が現れ、TAKUMAとNAOKIからそれぞれ楽器を借り、KOUICHIと一瞬の打ち合わせ。憧れだった名曲を自分のフェスで自分の楽器で目の前で演奏する様子にNAOKIはパニック、KOUICHIは一緒に演奏するプレッシャーから1度は間違えてしまう。TAKUMAにいたっては子供のように飛び跳ね走り回り、曲が終わる頃には床に突っ伏して号泣していた。観客の中にもHi-STANDARDのファンが多くおり、この1曲は伝説として受け継がれている。

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