2012年から2015年に亡くなった芸能人・著名人まとめ

芸能界やスポーツ界、財界などで活躍する芸能人・著名人の訃報が流れると、世間では大きな衝撃が生まれて、その人物の特集記事やコーナーが組まれることが多く有る。本記事では「2012年」から「2015年」の間になくなった芸能人・著名人の情報を、その方の生前の活躍ぶりと共にまとめて紹介する。

小川文明

ロックバンド「すかんち」のキーボードを担当するなど、名キーボーディストとして知られた作・編曲家。
死去したことが26日、判明。53歳。
小川さんの公式サイトで「4月末より入院、闘病しておりました小川文明ですが、6月25日未明より容態が急変し、午後永眠いたしました」と報告された。
林田健司、筋肉少女帯、少年隊、光GENJI、SMAP、モーニング娘。、松浦亜弥らのレコーディングやステージをサポート。著書に「文明的鍵盤奏法のすすめ」「究極のキーボード練習帳」「鍵盤上達100の裏ワザ」などがある。

荻島正己

荻島正己

フリーアナウンサー。
6月21日午前2時35分、食道がんのため都内の病院で死去。62歳。
1975年、静岡放送入社。82年、TBS嘱託になり、同局「朝のホットライン」の司会者を務めた。85年のフリー転身後も「おはよう!CNN」「プロ野球ニュース」など、多くの番組で活躍した。

飯塚初美

出典: www.narinari.com

飯塚初美

タレントのダンカンさんの妻、初美(はつみ)さん。
6月22日午後8時34分、死去。47歳。
事務所によると、初美さんは数年前から乳がんを患っていた。自宅で闘病していたが、22日に容体が急変したという。

小松一郎

出典: okiraku-news.net

小松一郎

前内閣法制局長官。
6月23日に死去。63歳。
外務省出身で、国際法局長や駐仏大使を歴任。国際法局長時代には、安倍首相が第1次内閣で立ち上げた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)に関わった。
首相が集団的自衛権の行使容認に向け、昨夏、外務省出身者から異例の起用をした。しかし、その後に体調を崩し、今年1月に検査入院。腹腔(ふくくう)部に腫瘍(しゅよう)が見つかり抗がん剤治療を受け、2月の退院後も通院治療しながら国会答弁をしていた。

石川要三

石川要三

元防衛庁長官。
6月21日、肺炎のため死去、88歳。
東京都青梅市長を経て1976年の衆院選に旧東京11区から出馬し初当選、自民党所属で8期務めた。90年に第2次海部内閣で防衛庁長官に就任。在日米軍の整理縮小などに取り組んだ。

林隆三

林隆三

俳優。
6月4日、腎不全のため死去。70歳。
東京都出身。昭和42年、NHKミュージカル「ある愛の奇跡の物語」でデビューし、舞台「どん底」「美しきものの伝説」、ドラマ「天下御免」「国盗り物語」「夢千代日記」などに出演。52年に映画「竹山ひとり旅」で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。
幼少期を仙台で過ごし、東日本大震災では、宮城県石巻市で撮影した映画の出演料を被災地に寄付するなど支援に力を注いだ。
2014年1~3月放送のドラマ「ダークシステム」「チーム・バチスタ4」、6月下旬から放送のNHK連続ドラマに出演。5月28日に都内で行った音楽ライブが公に姿を見せた最後だった。

永谷脩

永谷脩

スポーツライター.
6月2日、急性骨髄性白血病のため死去、68歳。
フリーのスポーツライターとして「夕刊フジ」「Number」「週刊ポスト」などに寄稿した。

三瓶明雄

出典: shuntiku.com

三瓶明雄

人気番組「DASH村」で農業指導した農家。
6月6日、福島県伊達市内の病院で死去、84歳。
日本テレビ系のバラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!!」で、アイドルグループTOKIOが同県浪江町で農作業などをする人気企画「DASH村」に出演。メンバーに農作業の指導をしていた。

古田足日

出典: www.town-t.com

古田足日

絵本「おしいれのぼうけん」などで知られる児童文学作家で評論家。
6月8日、心不全のため死去、86歳。
愛媛県出身。児童文学の創作と評論で活躍。昭和35年、「現代児童文学論」で日本児童文学者協会新人賞。平成6年に巌谷小波文芸賞。主な作品に「おしいれのぼうけん」「大きい1年生と小さな2年生」など。日本児童文学者協会会長も務めた。

外山ひとみ

出典: www.amazon.co.jp

外山ひとみ

写真家、ジャーナリスト。
6月1日、急性骨髄性白血病で死去、55歳。
静岡県富士市生まれ。20年以上にわたって刑務所を取材した。小型バイクによるベトナム縦断撮影旅行や10代の少女のルポなどでも知られる。著書に「ニッポンの刑務所」など。

那珂太郎

那珂太郎

詩人、日本芸術院会員。本名は福田正次郎。
6月1日、肺炎のため死去、92歳。
東大卒。高校の国語教師を経て、昭和25年に第1詩集「ETUDES」を刊行。その後、萩原朔太郎の研究に取り組み、精力的に評論を発表した。40年刊行の第2詩集「音楽」が室生犀星詩人賞と読売文学賞を受賞。自由詩を成り立たせている言葉の奥底にある「音」を探る試みが評価された。
その後も「幽明過客抄」で現代詩人賞、「鎮魂歌」で藤村記念歴程賞。平成6年から日本芸術院会員。玉川大教授も務めた。

2014年5月

原貢

原貢

プロ野球巨人の原辰徳監督の父で、東海大系列校野球部総監督を務めた。
5月29日、心不全のため、神奈川県内の病院で死去。79歳。
福岡・三池工高野球部監督として昭和40年の夏の甲子園大会で当時無名だった同校を初出場初優勝に導き注目を集めると、翌年から神奈川・東海大相模高野球部監督に就任。春・夏合わせ計8度の甲子園大会で優勝1度、準優勝1度の成績を残した。
東海大を含め数多くのプロ野球選手を育てたが、特に長男である原辰徳監督との「親子鷹」は話題となった。巨人の菅野智之投手は孫にあたる。

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