2012年から2015年に亡くなった芸能人・著名人まとめ

芸能界やスポーツ界、財界などで活躍する芸能人・著名人の訃報が流れると、世間では大きな衝撃が生まれて、その人物の特集記事やコーナーが組まれることが多く有る。本記事では「2012年」から「2015年」の間になくなった芸能人・著名人の情報を、その方の生前の活躍ぶりと共にまとめて紹介する。

出典: news.line.me

角銅秀人

「オールナイトニッポン」などを手掛けたニッポン放送ディレクター。
12月上旬にくも膜下出血で倒れ、病院に搬送。意識が戻らないまま、11日に亡くなったという。43歳。
角銅さんは、04年に「ナインティナインのオールナイトニッポン」を担当したのを契機に「福山雅治のオールナイトニッポン」「テリー伊藤のってけラジオ」「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」など多くの人気番組に携わった。リスナーや出演者からは「カタヤマ」や「姫」などの愛称で親しまれていた。

ジョー・コッカー

出典: mabillon.jugem.cc

ジョー・コッカー

英ロック歌手。
12月22日、米コロラド州で肺がんのため死去、70歳。
1944年、英中部シェフィールド生まれ。68年にビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のゴスペル風カバーで脚光を浴びた。ジェニファー・ウォーンズさんとデュエットした米映画「愛と青春の旅だち」(82年)の主題歌が大ヒットして83年にグラミー賞を受賞。

遠山一行

遠山一行

広範な教養に基づく詩的な文体で知られ、桐朋学園大学長などの要職を歴任した音楽評論家で文化功労者。
12月10日午後9時12分、脳梗塞(こうそく)のため、東京都内の自宅で死去。92歳。
1922年東京生まれ。東大で美学を専攻。24歳の時、音楽評論家の野村光一さんの推薦で毎日新聞の音楽評論を手がけるように。文学で「評論」のジャンルを確立した小林秀雄らの精神を継ぎ、吉田秀和さんとともにクラシック音楽評論の第一人者となった。

川北紘一

出典: gigazine.net

川北紘一

映画特技監督。
12月5日、肝不全で死去、72歳。
映画「ゴジラvsキングギドラ」などの平成ゴジラシリーズ6作や、テレビ「超星神グランセイザー」などの特撮を手がけた。

山内久司

山内久司

「必殺仕掛人」を手掛けた元プロデューサーで、朝日放送顧問、元専務。
8月13日死去していたことが12月に判明。82歳。
55年に朝日放送に入社。72年にプロデューサーとして時代劇「必殺仕掛人」を手掛け、故藤田まことさんが殺し屋の主人公、中村主水役を務めるなどして人気を集めた「必殺」シリーズの制作に92年まで携わった。

秋山千晶

秋山千晶

プロ野球ソフトバンク前監督の秋山幸二氏の妻。
12月9日に死去。
秋山前監督は今季、チームを3年ぶりの日本一に導いた。球団からは続投を要請されていたが、今季限りで退任していた。

蒲池猛夫

蒲池猛夫

1984年ロサンゼルス五輪射撃ラピッドファイアピストル金メダリスト。
12月4日、脳梗塞で死去、78歳。
宮崎・高原中卒業後、書店員を経て、自衛隊入隊。62年、自衛隊体育学校1期生となり、68年メキシコ五輪から5大会連続で日本代表。幻に終わったモスクワ五輪後に引退。草刈り中に鎌で右手人さし指のけんを切る大けがを負ったが、ロス五輪前に現役復帰。日本五輪史上最年長の48歳で金メダルを獲得した。

2014年11月

菅原文太

菅原文太

映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどで知られる俳優。
11月28日、肝がんのため死去。81歳。
仙台市生まれ。早稲田大第二法学部を中退後、58年に新東宝の「白線秘密地帯」で俳優デビュー。
72年に深作欣二監督の「人斬り与太」シリーズがヒット。73年には、やくざの抗争を実録風に描いた同監督の「仁義なき戦い」に主演し、強烈な存在感で一躍トップスターに。75年に始まった「トラック野郎」シリーズでは、男気あふれるトラック運転手役で人気を集め、全10作が作られた。

矢野清

矢野清

元プロ野球阪急選手。11月20日、肺がんで死去。74歳。
愛媛県大洲市出身。1959年に入団し、主に外野手として12年間で通算64本塁打、159打点。2000年から約3年間、オリックスの球団本部長を務めた。

呉清源

出典: www.spc.jst.go.jp

呉清源

戦前から戦後にかけて日本の囲碁界に君臨し、「昭和の碁聖」とも称された棋士。
11月30日午前1時11分、老衰で死去。100歳。
中国・福建省生まれ。父親の手ほどきで囲碁を始め、天才少年と呼ばれた。1928年に14歳で来日し、翌年に飛付三段でデビュー。33年に木谷実五段(当時)と発表した「新布石法」は、碁盤の中央で戦いを展開する戦術で、当時の囲碁界に旋風を巻き起こした。
84年に引退した後も、著作物を通じて序盤から中盤の新しい打ち方を提案するなど、囲碁界に影響を与え続けた。

中島啓江

中島啓江

テレビのバラエティー番組などでも活躍していたオペラ歌手で。
11月23日に都内の病院で呼吸不全のため亡くなっていた。57歳。17日に体調不良で入院し、21日に容体が急変したという。
昭和音楽短期大学声楽科卒。79年、藤原歌劇団に入団し、「修道女アンジェリカ」でオペラ歌手デビュー。85年、「マック・ザ・ナイフ」でミュージカルにも進出した。87年、宮本亜門氏の演出デビュー作となるミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で、タイトルロールのマーマン役を演じ、注目を集めた。

大倉洋一

大倉洋一

歌手、ジョニー大倉で知られる。
11月19日、肺炎のため死去、62歳。
1972年、歌手の矢沢永吉さんらとロックバンド「キャロル」を結成。「ファンキー・モンキー・ベイビー」などがヒットした。俳優としても活躍、映画「遠雷」「戦場のメリークリスマス」などに出演した。

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