【追悼】2012年から2015年に亡くなった芸能人・著名人まとめ

芸能界やスポーツ界、財界などで活躍する芸能人・著名人の訃報が流れると、世間では大きな衝撃が生まれて、その人物の特集記事やコーナーが組まれることが多く有る。本記事では「2012年」から「2015年」の間になくなった芸能人・著名人の情報を、その方の生前の活躍ぶりと共にまとめて紹介する。

出典: terusoku.ldblog.jp

猪瀬ゆり子

猪瀬直樹・東京都知事の妻。
7月21日、病気のため都内の病院で死去、65歳。
猪瀬知事とともに2020年五輪の東京招致のため海外に赴き、夫妻主催のレセプションを開くなど、招致活動にも取り組んだ。最近は体調不良を理由に、海外出張への同行は見合わせていた。

ヘレン・トーマス

約半世紀にわたり歴代米大統領を取材した名物記者。
7月20日朝、ワシントンの自宅で死去。92歳。
UPI通信に入社しホワイトハウス担当となったトーマスさんは、1961年に就任したケネディ大統領以降、オバマ大統領まで計10人の大統領を取材。72年2月の歴史的なニクソン大統領訪中の際は、唯一の女性記者として同行した。
ホワイトハウス会見室の最前列中央の「指定席」に陣取り、時の政権に毎日鋭い質問を浴びせてきた。ホワイトハウス記者会で初の女性会長も務めた。

出典: www.excite.co.jp

相原信行

60年ローマ五輪体操で団体とゆかで金メダルを獲得、群馬県体操協会名誉副会長、相原体操クラブ代表。
7月16日午後2時39分、肺炎のため群馬県高崎市の病院で死去、78歳。
1956年メルボルン五輪の体操男子で日本の団体2位に貢献するとともに、種目別ゆかでも銀メダル。60年ローマ五輪では団体とゆかで金メダルを獲得した。

出典: jp-sports.jp

石井晶

元阪急(現オリックス)の内野手で、阪神の2軍監督も務めた。
7月15日に死去。73歳。
東京都出身で足立高から東京鉄道局を経て60年に阪急入り。4番を打つなど、67年の阪急初優勝にも貢献した。実働12年で通算成績は1262試合に出場し、780安打を放ち打率2割5分の成績を残した。
現役引退後は阪急、ヤクルトでコーチ、阪神の2軍監督などを務めた。

出典: celebrity.glam.jp

コーリー・モンテース

人気の米ドラマシリーズ「グリー」に出演したカナダ人俳優で歌手。
7月13日、カナダ西部バンクーバーのホテルの部屋で死亡しているのが発見された。31歳。今年初め、少年時代からの薬物依存症を公表してリハビリ施設に入り、4月に退院していた。死因は不明。
高校の合唱部を舞台に全米優勝を目指す高校生と教師の姿を描く「グリー」で、モンティスさんは部のリーダー、フィン・ハドソン役を好演。NHKでもこれまで第1、2シリーズが放送され、新旧アーティストのヒット曲を毎回、見事に歌い上げるモンティスさんら出演者の歌唱力が人気を集めてきた。

吉田昌郎

東京電力福島第1原発事故の収束作業を指揮した東電社員で、福島原発の元所長。
7月9日に食道がんのため死去。58歳。
原子炉への海水注入の中断を求める東電本店の指示を無視し、独断で注入を続けるなど毅然とした態度が評価された一方、震災前に第1原発の津波対策の拡充を見送ったことも明らかになった。
1979年に東京工業大大学院を修了。旧通産省(現経済産業省)の内定を蹴って東電に入社、一貫して技術畑を歩いた。「親分肌」「面倒見が良い」と現場の信頼を集め、本店とは距離がある協力企業の作業員の人望も厚かったという。第1原発所長には2010年6月に就任し、同原発への勤務は4回目だった。

柴崎勇

JRA調教師の。
7月12日午前3時44分、茨城県龍ヶ崎市内の病院で病気のため死去。65歳。
千葉県出身で70年に騎手免許を取得。86年の安田記念(ギャロップダイナ)など、通算277勝(重賞10勝)を挙げた。94年に調教師免許を取得し、95年に開業。251勝(重賞4勝)を挙げ、今年も中山金杯をタッチミーノットで制している。6月9日東京4Rのグランデアリュールが最後の勝利となった。

出典: japan.cnet.com

アマー G.ボーズ

米国の音響機器メーカー、ボーズの創業者。
7月12日死去。83歳。
ボーズ氏は1929年生まれ。1964年にボーズを設立し、1968年には、間接音と直接音を組み合わせたユニークな形状の「901スピーカー」を発売。オリジナル技術を搭載したスピーカやヘッドホンを数多く提供してきた。業務用スピーカや車載用スピーカなども手がけている。

マキ・ザ・マジック

ライムスターのプロデュース等もやっていたHIPHOPグループ、キエるマキュウのマキ・ザ・マジック(本名:槙茂樹)。
7月14日に亡くなっていたことが判明。46歳。

出典: image.excite.co.jp

西沢実

放送劇作家。
7月2日、肺炎のため死去、95歳。
戦後、ラジオの黄金期にNHKの専属劇作家としてドラマなどの脚本を担当。歴史上の出来事を中継しているように伝える「架空実況放送」が人気を集めた。

出典: gigazine.net

金子勇

ファイル共有ソフト「ウィニー」の開発者で、東大情報基盤センター特任講師。
7月6日、急性心筋梗塞で死去。42歳。
映像や音楽を共有するファイルを開発して無料で公開し、ユーザーの支持を集めた。ソフト開発の実績を評価され、2002年に東大大学院の助手に採用された。一方で、違法コピーを可能にしたとして、04年に著作権法違反幇助(ほうじょ)罪に問われ、一審・京都地裁で有罪判決を受けたが、二審の大阪高裁では逆転無罪の判決。11年に最高裁が検察側の上告を棄却し、無罪が確定していた。

山口仙二

戦後、長崎で被爆者救済の先頭に立った日本原水爆被害者団体協議会(被団協)顧問で元代表委員。
7月6日、肺炎のため死去。82歳。
14歳の時、学徒動員先の長崎市の兵器工場で被爆、瀕死(ひんし)の重傷を負った。長崎原爆被災者協議会会長を務めたほか、被団協の代表委員を平成22年まで29年間務めた。昭和57年にニューヨークで開かれた第2回国連軍縮特別総会で、被爆者代表として初めて演説した。

ダグラス・エンゲルバート

マンマシンインタフェースの先駆者として知られる米国の発明家で、コンピュータの入力装置であるマウスや、ハイパーテキストという概念、GUI(グラフィカルユーザーインタフェース)などの開発に従事した。
7月2日、88歳で亡くなった。
同氏が1968年12月9日に行ったマウスを含むコンピュータ関連の発明についてのデモは「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)」として知られている
発明したマウスの特許は、SRIが取得し、後に米Appleに4万ドル足らずで売却した。
1997年にチューリング賞が贈られた他、2005年にはコンピュータ歴史博物館のフェローに選ばれた。

出典: blogs.dion.ne.jp

加賀八郎

ジャニーズ事務所に所属していたロックバンドTHE GOOD-BYEのメンバー。
7月2日、午前10時15分に死去。55歳。10年10月に多発性骨髄腫と診断を受け、闘病中であることをブログで告白していた。
加賀さんは、1983年に野村義男、曾我泰久、衛藤浩一と結成したバンド「THE GOOD-BYE」のボーカル、ベースとしてデビュー。同バンドは1990年に活動休止したが、2005年のライブを皮切りに活動再開し、今年9月でデビュー30周年を迎える。加賀さんはほかに、真心ブラザーズのサポートバンドなどで活動していた。

6月

出典: anime.goo.ne.jp

中村隆太郎

「serial experiments lain」などで知られるアニメ監督。
すい臓がんで6月29日に死去。58歳。
「サクラ大戦TV」「キノの旅」や、ゲーム「ポポロクロイス物語」のアニメパートの監督で知られ、特に「serial experiments lain」は今も高く評価されている。訃報を受け、アニメ関係者らが惜しむ声がTwitterに相次いで投稿された。

出典: gendai.ismedia.jp

下山敏郎

オリンパス光学工業(現オリンパス)の社長、会長を務めた。
6月30日、肺炎による呼吸不全のため死去。89歳。
下山氏は1984年から93年まで社長、2001年まで会長を務めた。オリンパスの巨額損失隠し事件では、時効のため刑事責任を問われなかったが、3日の東京地裁判決で「損失隠しを決めた」として関与を認定されていた。
事件を受けてオリンパスから損害賠償を求める民事訴訟を起こされ、係争中だった。

ジム・ケリー

格闘技の使い手としても知られる俳優。
6月29日、がんのためサンディエゴの自宅で死去、67歳。
アクション映画『燃えよドラゴン』(1973年)に登場した長身のアフロヘアの空手家役で有名。
70年代にいくつかの映画に出演したが、その後は作品に恵まれず、プロテニスの選手に転向。

吉永祐介

戦後最大の疑獄、ロッキード事件などを手掛け、「ミスター検察」「特捜検察の顔」と呼ばれた元検事総長。
6月23日、肺炎のため東京都内の病院で死去。81歳。
岡山大卒業後の1955年に検事任官。東京地検特捜部に通算約14年間在籍。副部長時代には、76年に故田中角栄元首相を逮捕したロッキード事件で主任検事を務めた。
東京地検特捜部長としてダグラス・グラマン事件、東京地検検事正としてリクルート事件を陣頭指揮。大胆で緻密な手腕は検察内部で「特捜の鬼」と称された。

稲垣稔

ギタリスト。
6月26日、胸腺がんで死去、54歳。
パリに留学し、1980年にセゴビア国際ギターコンクールで優勝。93年、文化庁芸術祭賞を受賞。日本を代表する実力派のクラシックギタリストの一人として活躍した。

出典: s.cinematoday.jp

リチャード・マシスン

映画「アイ・アム・レジェンド」「激突!」などの原作者でSF作家。
6月23日に死去。享年87歳。自然死という。
1926年2月20日米ニュージャージー州生まれ。ブルックリンで育ち、大学卒業後の1950年にデビュー。優れたストーリーテリング力で、短編から長編まで数多くの名作を手掛けた。短編ではスティーヴン・スピルバーグ監督の長編デビュー作『激突!』のほか、『運命のボタン』『リアル・スティール』など、その作品の多くが映像化されている。

出典: www.cinematoday.jp

ジェームズ・ギャンドルフィーニ

米人気ドラマ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」に主演した俳優。
6月19日、休暇で訪れていたローマで死去。51歳。心臓まひで死亡したとみられる。
07年の「ザ・ソプラノズ」終了後、映画「ゼロ・ダーク・サーティ」などに出演。最近では、HBOで放送が予定されていた犯罪ドラマに出演することが決まっていたという。
米ニュージャージー州生まれのギャンドルフィーニさんは、かつてトラック運転手やナイトクラブのマネージャーなどの仕事に就いていたが、友人と演劇クラスに通ったことがきっかけで、芸能界入りした。

出典: www.saga-s.co.jp

酒井田柿右衛門

有田焼の代表的な窯元柿右衛門窯の当主で、色絵磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)の十四代。
6月15日午前8時45分、佐賀市の佐賀大学医学部附属病院で、直腸がんと転移性肝腫瘍のため死去。78歳。
十三代柿右衛門(1906~82年)の長男として有田町で生まれ、多摩美術大学日本画科を卒業。十二代(祖父)と父に師事し、1982年の十三代の死去に伴い十四代を襲名した。
日本工芸会副理事長や佐賀県陶芸協会会長を歴任。99年から11年にわたり九州産業大大学院芸術研究科の専任教授を務めた。県立有田窯業大学校長なども務め、後進育成にも力を注いだ。

出典: news.goo.ne.jp

石森達幸

「ONE PIECE」のセンゴク役などで親しまれた声優。本名は達幸。
6月5日、心不全のため、死去。81歳。
長崎県出身。アニメ草創期から声優の仕事を始め、「ミスター味っ子」のブラボーおじさん役など数多くのアニメ作品に出演した。『キン肉マン』の委員長などを多数の声を担当。洋画の吹替えとしても長きに渡り活躍した。

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