天穂のサクナヒメ(ゲーム)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『天穂のサクナヒメ』とは、同人ゲームサークル「えーでるわいす」が制作し、マーベラスから発売されたアクションRPG。PS4、Nintendo Switch、PC版が発売されている。戦神であり豊穣神でもある主人公・サクナヒメが鬼の蔓延る島「ヒノエ島」で稲作に従事しながら鬼を退治し、島の秘密を解き明かしていく物語。ゲームは稲作とアクションの2つのパートに分かれて進行する。稲作パートの本格的な作りこみから「農林水産省のHPが攻略wikiになる」と話題になった。

二度目の春が訪れ、サクナヒメがしぶしぶながら自主的に働くようになった頃、ゆいが手芸の技術を持っていることがわかる。機織り機さえあれば一から着物も作れると言うゆいのため、サクナヒメは機織り小屋を建てる。ゆいは次々に着物を作るが、自分が機を織っているところは誰にも見せないのだった。
峠周辺の鬼退治がほとんど済んだ頃、峠の外が安全になったことから、峠の外にも田んぼを広げようと田右衛門が提案し、峠の全員で田植えをすることになった。幼いかいまると実体のないタマ爺以外の全員で田植えを始めるが、田んぼが広い分作業はきつく、なかなか終わらない。辺りをうろついていたかいまるが転んで泣き出したのをゆいがうるさいと怒り、きんたとサクナヒメも言い争いを始める。そんな子どもたちをミルテが叱るが、誰も言うことを聞かない。作業どころではなくなってしまったとき、田右衛門が歌を歌い始めた。サクナヒメにとっては聞いたこともない歌だったが、きんたはその歌を知っていた。百姓が田植えをするときに歌う「田植え唄」だ。きつく長い作業をしていると愚痴ばかりが口から出て気が滅入ってしまうため、作業を楽しく早く終わらせるために歌われるようになったものだった。
田右衛門にならって田植え唄を歌いながら田植えを終えたサクナヒメたちは、少しばかり互いの距離が近づいたように感じるのだった。

二つ世と創世樹

麓の世が荒れていると聞いて笑うサクナヒメ。

頂の世の外から来た田右衛門たちに神々の世界の成り立ちを教えるのは、主にタマ爺の役目だ。
神々の住む頂の世と、人間の住む麓の世、これらを合わせて「二つ世」と呼ぶ。二つ世は「創世樹」という途方もない大樹によって繋がれており、魂や気が循環するようにできている。片側で起こったことは創世樹を通し、もう片側にも何らかの形で表れる。麓の世が戦と飢饉で荒れると頂の世でも収穫が減り、怨嗟から多くの鬼が発する。それらをあるべき姿にするのが神の仕事で、神が豊穣の力を振るえば麓の世でも実りが増え、鬼を退治すれば戦で荒んだ心が静まる。どちらか片方が原因ということはなく、合わせてひとつの世界である。
ヤナトの神々と、海の向こうの大陸の国「黄華」の神々とは少なからず関わりがある。カムヒツキしか知らないような神は多くあるが、ミルテの信奉するフォロモス教の教えのように全てを凌ぐ神の存在は確認されていない。その話を聞いたミルテは、フォロモスの神とヤナトの神は、言葉は同じだが意味するところは違うのではないかと推測する。
ヤナトの主神カムヒツキは、二つ世を創る創世樹そのものであり、その体は創世樹の枝先が直に繋がっている。カムヒツキは全ての神々の祖であり、アシグモ族や鬼となった獣神たちのような都の外の神々もカムヒツキから生まれたものだ。しかしそれは初代のカムヒツキの頃の話で、二代目カムヒツキ以降に生まれた神々がどのように散っていったかまではわかっていない。

石丸の行方

天浮橋で退治する田右衛門と石丸。

田右衛門は橋から蹴り落とされた石丸の行方を気にしている。石丸はもともと田右衛門の仲間の山賊だったので、袂を分かってしまってはいるものの、生きてさえいればまた共に歩めるかもしれない、と田右衛門は希望を捨てない。そんな田右衛門に、タマ爺は天浮橋の下に立ち込めていた雲の話をする。
橋の下にある雲は、御柱都から見える雲海や、鬼島の沖に浮かぶ雲と同種のもので、時も処もなく、未だ何にも定まらぬ「何か」だ。二つ世ができる前は、どこまでもこの雲だけがあった。そこに何処からともなく伸びてきたのが創世樹だ。伸び行く創世樹は雲と交わって頂の世を作り、張り巡らされる根もまた雲と交わり、麓の世を生んだ。二つ世にあって二つ世ではないもの、それが「はじまりの雲」だ。そんなところに落ちた石丸がどうなったのか、どこへ行ってしまったのか、タマ爺たちには知る由もないのだった。

ヒノエ島

島の全景。峠は島の中心あたりにある。

島で生まれ育ったアシグモは、鬼島のことを「ヒノエ」と呼ぶ。鬼島とは御柱都での呼び名で、島を併合できずに業を煮やした先代のカムヒツキが苛立ち紛れにそう呼んだことが由来だ。アシグモ族という名前も、都から差し向けられた軍を葦に隠れながら迎え撃ったことから「葦隠(アシグモ)族」と都で呼ばれたものだ。かつて島で暮らしたサクナヒメの父タケリビがそう呼び続けたために、当人たちも自称するようになったのだという。
ヒノエは漢字にすると「日恵」と書き、過酷そうな「鬼島」よりずっと明るい印象を受ける。自分たちもこの島で暮らしていくのだからそう呼ぼうという田右衛門の提案を皆受け入れ、以降、サクナヒメたちは鬼島を「ヒノエ島」と呼ぶことにする。

宣教師ミルテの旅

過酷な旅を通して人間の醜さを見たミルテ。それでも人の世に絶望しない強さを持っている。

フォロモス教の宣教師であるミルテは様々な国を渡り歩いて布教をしてきたが、ヤナトでの旅は決して楽しいものではなかった。どこの国でもよそ者を嫌うものだが、ヤナトではそれが特に顕著だった。ミルテは司祭と共に様々な町で布教をしたが、町のほとんどの人はミルテたちを悪し様に罵り、石を投げたり唾を吐きかけたりした。それでもときどき良くしてくれる人がいたが、フォロモス教の信徒が増えることを嫌った寺に命令されればそれもできない。一番苦しいときは住む家もなかった。
きんたがヤナト人はみんなそんなものだと吐き捨てると、ミルテはそれは違うと思う、と返す。人にはよい心も悪い心も備わっている。ミルテに石を投げた人でも、違う場面では優しい人になるかもしれない。よいところと悪いところ、どちらも知ることが大切なのだとミルテは語る。
ミルテの強さに感心する一同だが、ミルテが「国ごとに風土や人は大きく変わるのに、どこの国でも必ず糞を投げられた」とおかしそうに話すのを聞いてすっかり気が滅入ってしまうのだった。

問題児ゆい

ゆいの振る舞いについて相談されるサクナヒメ。峠のリーダーとして、多かれ少なかれ人間たちの悩み事に関わることになる。

ゆいときんたは同じ地域の育ちで、ふたりの話す方言はサクナヒメにはさっぱりわからない。きんたは悪戯や減らず口ばかりの問題児であるが、ゆいはサクナヒメの前では大人しく、礼儀正しい少女だった。
あるとき、サクナヒメはミルテと田右衛門が困った様子で話しているところに遭遇する。話を聞いてみると、ゆいがミルテや田右衛門の言う事を全く聞かずに困っているという。家事を手伝う約束を取り付けても平然とすっぽかされると聞いたサクナヒメは、普段それほど問題を起こさないゆいがそのような振る舞いをすることが信じられない。聞けば、ゆいが仲良くするのはきんたやサクナヒメだけで、大人たちには極めて愛想が悪いということだった。
サクナヒメがゆいを探すと、機織り小屋の影からきんたを見つめているところだった。何をしているのか尋ねると、きんたに悪いことが起こらないように見張っているのだと言う。本当はずっとそうしていたいのだが、ミルテがしつこくて断り切れなかったので約束をすっぽかしたと悪びれないゆい。
サクナヒメがなぜそこまできんたに肩入れするのかと聞くと、ゆいはきんたに命を助けられたことがあり、きんたは覚えていないだろうが、その恩返しがしたいのだと言う。サクナヒメが詳細を尋ねようとすると、サクナヒメはこの峠でいちばん偉いから教えただけで、本当は誰にも話したくない、だからこれ以上は言わない、と拒否される。
サクナヒメはややこしそうな気配を察知してそれ以上は追求せず、ゆいと暮らしているのはきんただけではないのだから、他の者とも折り合ってもらわねば困る、と念を押した。ゆいはしぶしぶ了承するのだった。

ミルテの学校

必ず面白い話をするから話を聞いてほしい、と子どもたちに提案するミルテ。

ある日、ミルテがきんた、ゆい、かいまるの3人を呼び集め、学校を始めると言いだす。合理と哲学と神について教える時間を毎日設ける、というミルテの発案を、子どもたちは露骨に嫌がる。
子どもたちが将来大人になったときに生きる知恵を持つためだと説得するミルテに、きんたはミルテこそヤナト言葉が完ぺきではないくせにいけすかない、余計なお世話だと吐き捨てる。ゆいもミルテを無視して立ち去ろうとし、かいまるも嫌そうな様子を隠さない。とうとうミルテは大声で子どもたちの声を遮ってしまい、その場は散々な結果に終わる。そんな様子を離れた場所から見ていた田右衛門はサクナヒメに、ミルテにも考えがあってのことだろうから助け船を出すのはもう少し様子を見てからでもいいだろう、と言う。同じく様子を見ていたタマ爺は、この島では各々乗り越えねばならないことが山ほどあるようだ、と独り言ちる。
数日後、ミルテがサクナヒメに子どもたちを集めるよう頼んだ。その方が角が立たないだろうと応じたサクナヒメによって、再びきんた、ゆい、かいまるが集められ、その横にサクナヒメも並ばされる。自分は大人なのに何故こちら側に並ぶのかと納得のいかないサクナヒメを、タマ爺が子どもたちに見本を示すためだと宥める。ミルテが話し始めた。
この前は皆が聞きたくない話を無理矢理しようとして悪かった。でも、時々でいいからこうして勉強を教えたい、これを続ければミルテはもっと嫌われるかもしれないが、皆が生きる力を持つ方が大切だ。その代わり、一度にひとつ、絶対に面白い話をすると約束する。そして、きんたの言う通りヤナトの言葉をもっと勉強する。
サクナヒメは、お金も身分もない子どもが無料で渡来の博学者から教われることなど滅多にない、ミルテも面白くすると言っているのだから、騙されたと思って付き合ってみてはどうか、と助け船を出す。
子どもたちはしぶしぶながらミルテの話に耳を傾け始め、サクナヒメも交えたミルテの学校は大いに盛り上がるのだった。

かいまるの才能

合鴨農法の様子。放っておきすぎると育った稲まで食べてしまうので、どのタイミングで鴨を放すかはプレイヤーの判断次第だ。

あるとき、かいまるが峠の外から犬を連れてきた。峠の外にひとりで出たことをサクナヒメは叱るが、ゆいがかいまるの言うところを訳すると、その犬は鬼の気配を察知して避けて通ることができるらしく、犬さえいれば峠の人間たちも採集に出かけられる、というのだった。喃語しか話せないかいまるの言いたいことを何故ゆいが理解できるのかは謎だったが、食料や素材を人間たちが取りに行けるならば、願ってもない話だった。かいまるはその後もたびたび犬を連れて戻り、やがて峠の全員が犬を連れて外出できるようになったのだった。
またあるとき、かいまるが猫を連れて戻った。峠で鼠を見かけたことはないが、とりあえず鼠取り役として置いておこうとサクナヒメは決める。猫は何かの役に立つという事はなく、ただ食料が減るばかりであったが、その愛らしさにやられてサクナヒメは追い出すこともできない。結局サクナヒメが喜ぶので、かいまるはしょっちゅう猫を連れてくるようになり、峠の至る所で猫がゴロゴロしている姿を見るようになるのだった。
またまたあるとき、かいまるは小鴨の群れを連れて戻ってきた。食料にでもしようかとサクナヒメは考えるが、母トヨハナが納屋に残していた農書に「合鴨農法」のやり方が載っていることが判明する。幼い鴨を田に放して、雑草や虫を食べてもらう農法のことだ。かいまるは毎年春になると新しい小鴨を連れてくるようになり、サクナヒメは鴨を使った農法で米の質を上げることができるようになった。
力がなく、言葉もろくに話せないかいまるだが、彼なりに皆の役に立つことを考えて行動しているようだ。

きんたと麦飯

楽しみにしていた麦飯を盗まれて怒り心頭のサクナヒメ。

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