Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の徹底解説まとめ
Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)とはアメリカのシンガーであり、マイケル・ジャクソンの妹である。1982年、16歳でデビュー。1986年のアルバム『Control』からは「When I Think Of You」が初の全米No.1に輝き、アルバムも初のNo.1となる。その後も『Rhythm Nation 1814』『Janet』とヒットを飛ばし、総売上枚数は1億枚以上、11枚のアルバム中7枚が全米1位、シングル10曲が全米1位を獲得した。世界No.1の女性R&Bシンガーある。
Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
『Rhythm Nation 1814』の1814は国歌の書かれた年
1986年のアルバム『Control』が全世界で1400万枚を売り上げる大ヒットとなったあと、世界中の期待を受けて1989年9月18日にリリースされた次のアルバムのタイトルは『Rhythm Nation 1814』。
この「1814」と言う数字は一体何なのか。
多くのファンにとってそれは謎めいた数字だったが、後にジャネットはそれが理にかなった数字だと説明している。
「タイトル・トラックをジャム&ルイスと書いていた時、私はふざけて、これってもしかして90年代の国歌になるかもね、と言ったんです。そこで、フランシス・スコット・キーがアメリカの国歌「星条旗(The Star-Spangled Banner)」をいつ書いたのか調べてみたら、1814年9月14日だったんです」
『Control』がジャネットにとってのジャクソンファミリーからの「独立宣言」だったとしたら、『Rhythm Nation 1814』はまさに国家(Nation)であり、ジャネットにとって独立を高らかに歌った国歌でもあったのである。
人気絶頂だったジャネットを奈落の底に突き落とした「ニップルゲート」事件
2004年2月1日「スーパーボウル」。全米で40%の視聴率を誇ると言われるアメリカンフットボールの祭典だが、そのゲームの間に開催されるハーフタイムショー。
並のアーティストでは出演することは出来ないと言われるこのショーに参加するということはそれだけでスーパースターの証でもある。
兄マイケルもかつて伝説のショーを披露したこのハーフタイムショーに、妹ジャネットも満を侍して登場する。
ところがそんな晴れの舞台で、全米を震撼させる事件を起こしてしまう。
世に言う「ニップルゲート」事件。翻訳すると「乳首スキャンダル」という意味である。
共演者のジャスティン・ティンバーレイクと登場したジャネットが、ハプニングから1億人以上もの視聴者の目に乳首をさらしてしまった事件である。
かつての日本であれば「芸能人水泳大会」での恒例の乳首ポロリシーンのように、半ばお約束的なところがあったりして国民目線はおおらかな傾向があったが、殊更アメリカではこのようなことに対しては伝統的に非常に厳しい。
ジャネットとジャスティンのふたりはすぐに謝罪と釈明をしたものの、わずか16分9秒のこの出来事はマスコミに大きく取り上げられ、全米を揺るがす一大スキャンダルとなってしまった。
「もし文化戦争に9.11に相当する出来事があるとすれば、それは2004年2月1日だ」
「なにしろアメリカのテレビで最も視聴率の高いイベントだから、世間から大ひんしゅくを買ってしまった」
そう語るのは、アフロ・アメリカン音楽とラップに詳しいジャーナリストのオリヴィエ・カシャン氏。
映像が放送された後、連邦通信委員会には50万件もの抗議が寄せられ、CBS放送局は55万ドルの制裁金が課せられ、全米アメリカンフットボール協会にはハーフタイムショーで得た事業収益1000万ドルの返金が命じられた。
このスキャンダルを受けて、CBSはふたりを2004年のグラミー賞授賞式出演者リストから除外した。しかし涙を浮かべて謝罪会見を行なったジャスティン・ティンバーレイクは最終的に授賞式でパフォーマンスを披露する権利を得た。
しかしジャネットの方はCBSの大物ディレクターであるレス・ムーンヴス氏の怒りを買い、彼は全米のラジオ局にジャネットを追放するよう圧力をかけたという。
敬虔なピューリタンが多数派のアメリカ社会において、ニップルゲートはジャネットにとって試練となった。
その一方で、ジャネットひとりが非難を浴び、ジャスティンはなんとか波を乗り切った。
ジャネットの歌手としてのキャリアを危うくした事件だったが、このことは、音楽界における女性の待遇の現状を明るみにすることにもなった。
「この出来事にそれぞれに半々の責任があるとすると、僕が受けた批判は10%程度にすぎないだろう」と、ジャスティンは2006年にMTVのインタビューで認めている。
「アメリカは女性に対してとても厳しい。アメリカは民族的マイノリティに対して不当に辛らつだ」とも発言している。
こうしたマスコミの妨害にもかかわらず、ジャネットは8枚目のアルバム「ダミタ・ジョー」を発表した。
「私の胸をめぐるこの滑稽な騒ぎを通して、自分がどれほど強いか、そして自分の国がどれほど狂っているかを知った」と、ジャネットは2004年8月に「Journal du dimanche」紙に語っている。
50歳で出産
2012年、ジャネットは3人目の夫でカタールの実業家ウィサム・アル・マナと極秘結婚した。
これまで3回結婚しているジャネットだが、元夫たちの間に子供はいなかった。アル・マナとの結婚後は養子をもらうという噂もあったが実は不妊治療も行っていたようで、2016年4月に前年から続けていた「アンブレイカブル・ワールドツアー」の延期をYouTubeでファンに向けて発表。
「夫と私は、家族を作る計画をしています。なので、ツアーを延期させてください。これが今必要なことだと理解してくれるとうれしいです。医者からは今は安静にして、休むように言われています」と述べた。
このことからジャネットは妊活をしているか、或いは既に妊娠しているのでははいかと言う噂が広まった。
ジャネット自身は妊娠について言及していなかったが、多くの米メディアはジャネットがドナーから卵子の提供を受けて妊娠したか、或いはジャネット自身が若い頃に卵子を凍結保存していたと報道した。
現在のテクノロジーでは、50~60代はまだ妊娠できる年齢なのだそうだ。しかし当然不妊治療にはお金がかかる為、ジャネット程のセレブでなければ50歳での高齢出産は現実的ではなさそうだ。
そして2016年10月に米People誌で妊婦姿を公開し、公式に妊娠していることを公表した。そして2017年1月3日、51歳の誕生日の直前にジャネットは第1子を出産した。体外受精で授かった待望の男の子はエイサと名付けられた。しかしその喜びから3カ月後、ジャネットはウィサム・アル・マナとの離婚を発表した。
以後、ジャネットは息子とふたりで日常の幸せを味わっている。「息子にキスするとき、息子にそっと子守唄を歌うとき、こういう神聖な瞬間、幸せでいっぱいになる。息子に命とエネルギー、そして愛を養分にしてのびのびと育つ力を授けてくれた神に感謝する」と喜びを噛み締めている。
ジャム&ルイスの全米No.1ヒットのほとんどがジャネットの曲
ジャム&ルイスがジャネットと組んで初の全米ビルボードHOT100でナンバーワンを獲得したのが1986年。そこから2001年までの15年間で、全米ナンバーワンソングを16曲生み出している。
これはマックス・マーティンに続いて、現役プロデューサーとしては2位の数字である。
以下16曲を列挙する。
1「When I Think Of You」ジャネット・ジャクソン
2「Human」ヒューマン・リーグ
3「Monkey」ジョージ・マイケル
4「Miss You Much」ジャネット・ジャクソン
5「Escapade」ジャネット・ジャクソン
6「Love Will Never Do」ジャネット・ジャクソン
7「Romantic」キャサリン・ホワイト
8「That's The Way Love Goes」ジャネット・ジャクソン
9「Again」ジャネット・ジャクソン
10「On Bended Knee」ボーイズ・トゥー・メン
11「4 Seasons of Loneliness」ボーイズ・トゥー・メン
12「Together Again」ジャネット・ジャクソン
13「Thank God I Found You」マライア・キャリー
14「Doesn't Really Matter」ジャネット・ジャクソン
15「All For You」ジャネット・ジャクソン
16「U Remind Me」アッシャー
全16曲中9曲がジャネットの曲である。その次に多いのがボーイズ・トゥー・メンの2曲と言うのを考えると、ジャネットとのワークがいかに突出しているかがわかる。
勿論、全米ナンバーワンが全てではない。1位になっていなくても素晴らしいプロデュース作品は沢山ある。
SOSバンドをはじめ、アレキサンダー・オニール、シェレール、マイケル・ジャクソン、メアリー・J・ブライジ、スティーヴィー・ワンダー、ライオネル・リッチー、ビヨンセ、TLC、エルトン・ジョン、スティング等そうそうたる顔ぶれをプロデュース、宇多田ヒカルの「Addicted To You」もジャム&ルイスのプロデュースだということを知らないファンも多い。
しかしやはり、ジャム&ルイスの功績はジャネット無しではなし得なかったし、ジャネットもジャム&ルイスとの出会いがなければ、姉のラトーヤと同じ程度の成功で終わっていた可能性もある。
ジャネットとジミー・ジャム & テリー・ルイスはまさに三位一体の存在と言える。
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目次 - Contents
- Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の概要
- Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の活動経歴
- 幼少期 子役活動
- 1982年 16歳でレコードデビュー
- 名プロデューサー ジャム&ルイス
- 1986年 3rdアルバム『Control』で大躍進
- 1989年 更なる躍進『Rhythm Nation 1814』
- 1993年 最高傑作『Janet』
- 1995年 兄マイケル・ジャクソンとの共演
- 1997年 6thアルバム『The Velvet Rope』
- 2000年 絶頂期からの一転
- 2004年 再起をかけた『Damita Jo』
- 2006年 ジャム&ルイスと組んで20周年『20Y.O.』
- 2008年 ジャム&ルイスと離れる『Dicipline』
- 2010年以降
- Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)のディスコグラフィー
- アルバム
- Janet Jackson/ ヤング・ラヴ(1982年)
- Dream Street /ドリーム・ストリート(1984年)
- Control/コントロール(1986年)
- Janet Jackson's Rhythm Nation 1814/リズム・ネイション1814(1989年)
- Janet/ジャネット(1993年)
- The Velvet Rope/ザ・ヴェルヴェット・ロープ(1997年)
- All For You/オール・フォー・ユー(2001年)
- Damita Jo/ダミタ・ジョー(2004年)
- 20 Y.O/トゥエンティ・イヤーズ・オールド(2006年)
- Discipline/ディシプリン(2008年)
- Unbreakable/アンブレイカブル (2015年)
- コンピレーション・アルバム
- Design of a Decade 1986-1996/デザイン・オブ・ア・ディケイド・グレイテスト・ヒッツ(1995年)
- Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の代表曲
- What Have You Done For Me Lately
- Nasty
- When I Think Of You
- Control
- Let's Wait A While
- The Pleasure Principle
- Miss U Much
- Rhythm Nation
- Escapade
- Alright
- Come Back To Me
- Black Cat
- That's The Way Love Goes
- If
- Anytime Anywhere
- Whoops Now
- Again
- Doesn't Really Matter
- All For You
- Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)のミュージックビデオ(MV/PV)
- Dream Street
- The Best Things In Life are Free
- Scream
- Runaway
- Together Again
- Just a Little While
- No Sleep
- Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の名言・発言
- ジャネット・ジャクソン「結婚生活は監獄のようだった」
- ジャネット・ジャクソン「私のキャリアにおいて、岐路のような時期でした。もし良い結果につながらなかったら、ビジネスの法律でも学びに学校に戻るつもりでした。ですが、もう一度だけ音楽を試してみようと思ったのです」
- Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 『Rhythm Nation 1814』の1814は国歌の書かれた年
- 人気絶頂だったジャネットを奈落の底に突き落とした「ニップルゲート」事件
- 50歳で出産
- ジャム&ルイスの全米No.1ヒットのほとんどがジャネットの曲