RCサクセション(RC Succession)の徹底解説まとめ
RCサクセション(RC Succession)とは、1970年にデビューした日本のロック・バンド。ヴォーカリストの忌野清志郎とギタリストの仲井戸麗市を中心に、数々の名曲・名盤を残してきた。現在でも多くのミュージシャンが影響を受けたバンドとして名前を挙げている。1991年に活動休止状態に入り事実上の解散。2009年5月2日、忌野清志郎の死去により、RCサクセション復活の夢は永遠に絶たれた。
RCサクセション概要
RCサクセションは、1970年3月5日に「宝くじは買わない」で3人組のフォーク・ソング・ユニットとしてデビュー。ホリプロに所属する。1972年までにシングル5枚、アルバム2枚を発表と、それなりの活動を続けてきたが、1973年以降から不遇の期間、本人たちが言うところの「暗黒時代」に突入。1974年に、彼らを担当していたマネージャーが、同じくホリプロ所属の井上陽水とともに事務所を独立。残されたRCサクセションは「飼い殺し」、いわゆる「干される」という状態になってしまったのだ。
そんな中、ホリプロには秘密にレコーディングが進められたのが、今では名盤の誉れ高いサード・アルバム「シングル・マン」だった。このアルバムはホリプロとの契約が切れた1976年にやっと発売されることになる。
1977年7月にはオリジナル・メンバーの破廉ケンチが脱退。この頃から音楽性をフォークからロックに移行し始める。そして1979年11月には仲井戸麗市が参加。1980年には名曲「雨あがりの夜空に」を発表。ロックに転身したRCサクセションは、徐々にその頭角を現し始め、1981年のクリスマスにはついに武道館でのライヴを実現するまでに至る。
以降、テレビ番組への出演や、ライヴ活動、コンスタントな作品の発表が続くが、1984年には事務所独立でゴタゴタし、1988年には世間の耳目を集めることになった問題作「Covers」を発表。1990年にはドラムスの新井田耕造と、キーボードのGee2woが脱退。
1990年9月に事実上のラスト・アルバム「Baby a Go Go」を発表。同年12月25日、10年間に渡り毎年開催してきた武道館クリスマス・ライヴをもって無期限活動休止状態に入る。事実上の「解散」であった。
その後、忌野清志郎、仲井戸麗市ともにコンスタントにソロ活動を続け、1994年には一夜限りの共演ライヴ「GLAD ALL OVER」を日比谷野音で開催。2006年には再び二人の共演も決まった矢先、清志郎が喉頭がんにかかっていることを告白、すべての仕事をキャンセルすることになる。2007年には「完全復活祭」と銘打って日本武道館でライヴを行った清志郎だが、今度はがんが左腸骨に転移していることが判明、再び活動を休止し、療養生活に入る。
2009年5月2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため、忌野清志郎永眠。享年58歳。RCサクセションの復活への希望が絶たれた。それは同時に、日本のロックの一つの大きな幕が下ろされた日でもあった。
RCサクセションのメンバー
忌野清志郎(いまわのきよしろう)
忌野清志郎(いまわのきよしろう)
生年月日:1951年4月2日
出生地 :東京都中野区
本名 :栗原清志(くりはらきよし)
愛称 :キヨシロー、ボス
担当 :ヴォーカル、ギター
没年月日:2009年5月2日
RCサクセションのオリジナル・メンバーであり、日本のロック界を代表する不世出のアーティスト。ヴォーカリストとしての力量だけではなく、作詞家・作曲家としても、もっと評価されて然るべき存在。
芸名である「忌野」について、彼は1995年に放送された関西テレビ「ノックは無用!」にゲスト出演した際にこう語っている。「テレビアニメ『マイティ・ハーキュリー』の悪役『鉄仮面』が登場するシーンで、『あの忌まわしい鉄仮面』というナレーションを幼少期に『カッコイイ言葉だな』と感じ、『今わの際』という日本語と掛け合わせて『忌野』と命名した」。
彼のヴォーカルの特筆すべき点のひとつは、その判りやすさにある。口をはっきりと開けずにモゴモゴと何を言っているのか判らないヴォーカリスト(本人はそれが格好良いと思っているのだろう)や、日本語を変な英語風のイントネーションでナヨナヨと気持ち悪く歌うヴォーカリスト(本人はそれが格好良いと思っているのだろう)たちとは明らかに異なる。彼は思いっきり口を開け、きちんと言葉を発し、自分が何を歌っているのか、何を歌いたいのか、何を伝えたいのかを明確に聴き手に届けてくれる。彼の歌にごまかしはない。自らを危険な立場に追い込むかも知れない言葉も、決して言い淀んだりはしない。腹の据わった、正々堂々とした、きちんと覚悟が出来た歌なのだ。だから聴き手はこれほどまでに彼の歌声に、喜怒哀楽のすべての情感を総動員して心を動かされるのである。彼の「言葉をはっきりと相手に伝える」歌い方は、例えば甲本ヒロトや、どんと、宮本浩次、中川敬らに受け継がれている。
数々の辛酸をなめてきた男であり、またその度にそれを乗り越えてきた男でもある。反骨精神に充ち溢れた男でもあり、それ故に色々な確執を生んできた男でもあった。たまらないくらいの優しさを発揮できる男でもあった。残念ながら「がん」という壁を乗り越えることは出来ず、この世を去ってしまったが、それは単にRCサクセションというロック・バンドのヴォーカリストの喪失に留まる出来事ではなかった。それは日本のロックの大いなる喪失であり、もう二度と現れないであろう偉大なアーティストを失った瞬間でもあった。
1957年、清志郎は国分寺にある「みふじ幼稚園」に転園してくる。そこでのちのRCのベーシスト小林和生と出会う。小林はすぐに別の保育園に移ってしまうが小学校で再会している。
1964年、清志郎と小林は、共に国分寺第三中学校に進学。1965年にとなりのクラスの田中利和と3人で「No Names」というバンドを結成。同年11月に転校してきた破廉も加わり4人組となるが数か月で解散。
1966年6月には小林、清志郎、破廉の3人で「Clover」を結成するが、翌1967年に解散してしまう。
中学卒業で3人はバラバラの高校に進学するが、1968年7月、彼らが高校2年生の時に国分寺第三中学校の2年先輩の武田清一を誘って4人で「The Remainders of The Clover」を結成。この「The Remainders of The Clover」も自然消滅してしまうが、同じ年の11月に、清志郎、小林、破廉の3人で「The Remainders of The Clover Succession」を結成。これが「RC Succession」となる。なお、武田清一はのちに「日暮し」のメンバーとしてデューしている。
いくつかのオディションに合格し、1970年に「宝くじは買わない」でデビュー。1972年までにシングル5枚、アルバム2枚を発表と、それなりの活動を続けてきたが、1974年に彼らの担当マネージャーが事務所から独立、その余波を食らう形で、いわゆる「干される」状態に陥ってしまう。彼らはこの期間を自ら「暗黒時代」と呼んでいる。この暗黒時代、清志郎は近所のピアノ教室に通っている。
1971年頃、仲井戸麗市と出会う。きっかけは楽屋でどちらかがチョコレートを分けたこと。お互いに「あれはお前がくれたんだよ」と言い合っている。
1978年に髪の毛をパンク風にカット、またこの年の9月17日、「屋根裏」でのライヴで初めてメイクをする。徐々に後の清志郎が形作られてきたのがこの頃である。また同じ頃に仲井戸は古井戸と掛け持ちの形で、RCのステージに頻繁に参加するようになる。もともと知り合いだった清志郎が「一緒にやろうよ」と誘ったのがきっかけで参加するようになったのだ。
1979年、久保講堂にて古井戸解散コンサート。そのステージで仲井戸がRCのメンバーになることが発表される。ここで清志郎と仲井戸というRCのフロントの両雄が揃うことになり、RCはどんどんと頭角を現すことになる。以降、1990年の解散まで、日本のロック・シーンのトップを走り続けることになる。
清志郎は、RC解散後もソロや様々なユニットで活動を続け、時折「君が代」をパンク風にアレンジした作品で物議を醸しだす、といった相変わらずな行動も怠ることはなかった。
1994年8月13日には、日比谷野音で仲井戸と久しぶりに共演。2006年には再び二人の共演も決まった矢先、清志郎は喉頭がんにかかっていることを告白、すべての仕事をキャンセルすることになる。
一時は回復し、2007年には「完全復活祭」と銘打って日本武道館でライヴを行ったが、今度はがんが左腸骨に転移していることが判明、再び活動を休止し、療養生活に入る。
そして2009年5月2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため、忌野清志郎永眠。享年58歳。
彼は幼い頃に両親と死別しており、叔母夫婦に養子として引き取られ育てられている。小・中学校時代は漫画家になることを本気で目指していたこともあったという。
事務所に干されたり、発表したい作品を発売禁止にされたり、自転車を盗まれたり、最後にはガンに侵されたり、と波乱万丈な人生だったに違いない。
そんな彼の強烈な生き様は我々の胸に深く突き刺さり、彼の歌声は今も我々の心を捕えて離さない。
小林和生(こばやしかずお)
小林和生(こばやしかずお)
生年月日:1951年12月5日
出生地 :東京都国分寺市
本名 :同じ
愛称 :林小和生(りんこわしょー、りんこわせい)、リンコさん
担当 :ベース・ギター
RCサクセションのオリジナル・メンバーであり、清志郎とともにRCの最古参メンバー。清志郎とは幼稚園の時に出会うが、小林はすぐに別の保育園に移ってしまう。その後、小学校で再会。それ以降、解散するまでずっと活動を共にして、RCサクセションを支えてきた重要な人物である。実弟の小林キンスケ(一樹)もエンジニアとしてRCと関わっている。
ベーシストとしての彼の力量はあまり語られてはいないが、ロックに転じる前のRCではフレットレスであるウッドベースを弾いている。それはそれなりにテクニックが必要な楽器でもある。また、後述するように、RC不遇の時代に彼は東京芸術大学のベース科に入学し、そこでベースの理論とテクニックの勉強をし直している。RCのサウンドを低音でしっかりと支えられる強靭なベーシストであったことに間違いはない。
1964年、小林と清志郎は共に国分寺第三中学校に進学。1965年にとなりのクラスの田中利和と3人で「No Names」というバンドを結成。同年11月に転校してきた破廉も加わり4人組となるが数か月で解散。
1966年6月には小林、清志郎、破廉の3人で「Clover」を結成するが、翌1967年に解散してしまう。
中学卒業で3人はバラバラの高校に進学するが、1968年7月、彼らが高校2年生の時に国分寺第三中学校の2年先輩の武田清一を誘って4人で「The Remainders of The Clover」を結成。この時期、小林はギターからベースに転向、新宿の丸井でウッドベースを購入している。この「The Remainders of The Clover」も自然消滅してしまうが、同じ年の11月に、清志郎、小林、破廉の3人で「The Remainders of The Clover Succession」を結成。これが「RC Succession」となる。なお、武田清一はのちに「日暮し」のメンバーとしてデューしている。
いくつかのオディションに合格し、1970年に「宝くじは買わない」でデビュー。1972年までにシングル5枚、アルバム2枚を発表と、それなりの活動を続けてきたが、1974年に彼らの担当マネージャーが事務所から独立、その余波を食らう形で、いわゆる「干される」状態に陥ってしまう。彼らはこの期間を自ら「暗黒時代」と呼んでいる。
この暗黒時代、小林は東京芸術大学のベース科に入学。ベースの理論とテクニックの勉強をし直す。
RCは1990年に事実上の解散。結成当初から最後まで在籍していたのは、清志郎と小林だけであった。
RC解散後は、フリーのベーシストとして、加奈崎芳太郎のツアーへの参加や、遠藤ミチロウとのジョイント・ライヴなどを行っていた。
現在は音楽業界から引退し、左官をしているという。
仲井戸麗市(なかいどれいち)
仲井戸麗市(なかいどれいち)
生年月日:1950年10月9日
出生地 :東京都新宿区(戸山ハイツ)
本名 :加藤秀明(かとうひであき)
愛称 :CHABO(チャボ)
担当 :ギター、ヴォーカル
清志郎と並ぶ、RCの両雄の一人であり、日本を代表するギタリストの一人。作詞・作曲や自らヴォーカルを取ることもある。もともとはアコースティック・ギターを弾いていたため、エレキ・ギターの腕前を疑問視する声もあるようだが、切れのよいカッティングや、聴くものをワクワクさせるフレージング、時にブルージーに、時にギンギンのロックにと弾き分けるリード・ギターを聴けば、彼のギタリストとしての才能を疑う人はいないだろう。
1968年、奥津光洋と古井戸を結成。ブルースやリバプール・サウンドのコピーを演奏していた。その後、加奈崎芳太郎と出会い加奈崎芳太郎&古井戸として活動。
1970年、度々共演していた泉谷しげると共にエレックレコードに所属。加奈崎芳太郎とのフォーク・デュオ「古井戸」としてデビュー。
1971年頃、清志郎と出会う。きっかけは楽屋でどちらかがチョコレートを分けたこと。お互いに「あれはお前がくれたんだよ」と言い合っている。
1978年頃から、仲井戸は古井戸と掛け持ちの形で、RCのステージに頻繁に参加するようになる。もともと知り合いだった清志郎が「一緒にやろうよ」と誘ったのがきっかけで参加するようになった。
RCが不遇の期間、本人たちがいうところの「暗黒時代」、仲井戸が在籍する古井戸も行き詰まっていた。そして、加奈崎がソロ・アルバムを出すという話がきっかけとなり古井戸は解散することになる。
1979年、久保講堂にて古井戸解散コンサート。そのステージで仲井戸がRCのメンバーになることが発表される。以降、1990年の解散まで、清志郎とともにRCのフロント・メンバーとして活動する。
RC在籍中の1985年には初のソロ・アルバム「THE仲井戸麗市BOOK」をリリース。1988年には旧友の泉谷しげるのバック・バンド「LOSER」にギタリストとして参加するなど、RC以外の活動も活発に行う。
1990年、セカンド・ソロ・アルバム「絵」を春日博文のプロデュースでリリースするが、この際の春日の言動がRCの解散の原因になっているといわれている(ただし、春日本人はそのことを認めていない)。
RC解散後は当時ストリート・スライダーズに在籍していた土屋公平と共に麗蘭を結成。また自身の事務所7th Mother/セブンス・マザーを設立。1996年には「CHABO BAND」を結成する。
1994年8月13日には、日比谷野音で清志郎と久しぶりに共演。また2008年12月8日、日本武道館で行われた「忌野清志郎 完全復活祭」にも参加している。
2009年5月2日、忌野清志郎の最期を看取る。
芸名の「仲井戸」は、古井戸結成当初に由来がある。当時3人のメンバーが古井戸に在籍しており、背の高い順に「大井戸」(奥津光洋)、「中井戸」、「小井戸」(加奈崎芳太郎)と芸名を付けたものが引き継がれている。
麗市(れいち)は、「サンシャイン・スーパーマン」や「メロー・イエロー」のヒット曲で有名な、スコットランドのミュージシャン「ドノヴァン・フィリップ・レイチ(Donovan Philip Leitch)」が由来となっている。
愛称の「CHABO(チャボ)」は、ツアー先で見かけたチャボ(ニワトリの品種)のちょこまかしてる動きが似ているところから付けられた。
ちなみに誕生日の「10月9日」はジョン・レノンと一緒である(ジョン・レノンは1940年10月9日生まれ)。
新井田耕造(にいだこうぞう)
新井田耕造(にいだ こうぞう)
生年月日:1953年3月25日
出生地 :東京都台東区浅草
本名 :同じ
愛称 :コーちゃん
担当 :ドラムス
RCのサウンドをしっかりと支えるドラマー。派手なプレイをすることはないが、彼の安定感のあるドラミングがあったからこそ、清志郎もチャボも思いっきり暴れまわれることができたのだ。チャキチャキの江戸っ子であり、小さい頃からお祭りで太鼓を叩いていたという。生まれながらの太鼓叩き野郎なのだ。
1970年中頃より、カルメン・マキ & OZ、シーナ & ロケッツ、杉真理、ミスター・スリム・カンパニーなどで活動。
1978年3月17日、清志郎が通っていた日野高等学校の同級生阿部昇のセッション・バンドのライヴに清志郎が参加。その日にドラムを叩いていたのが新井田耕造だった(ちなみにキーボードは柴田義也であった)。ドラマーを捜していた清志郎は新井田に目をつけ、翌月4月に正式にRCへの参加を要請。こうして新井田耕造はRCに参加することになる。
1990年、「Baby a Go Go」をレコーディング中に、清志郎、ミキサーのヘンリー・ハシュ、ディヴィッド・ドマーニッチ、プロデューサーの春日博文たちとの間に意見の対立が発生。新井田は激怒し、RCを脱退してしまう。
RC脱退後は、梅津和時のユニットバンド「シャクシャイン」、「こまっちゃクレズマ」、「KIKI BAND」に参加、またヒカシューやヤプーズなどでも活動している。
清志郎に対して激怒はしたが、晩年の清志郎と最も活動することが多かったメンバーでもあり、清志郎完全復活祭にも参加している。
2013年12月1日、再結成した憂歌団に故島田和夫(自殺と言われている)の代わりとして参加。
柴田義也(しばたよしや:Gee2wo)
柴田義也(しばたよしや)
生年月日:1954年9月17日
出生地 :兵庫県神戸市
本名 :同じ
愛称 :ごんた、GONTA2号(ごんた2ごう)Gee2wo、G2(じーつー)
担当 :キーボード
RCのキーボーディストで、音楽の基礎知識も豊富にあったため、バンドのアレンジも手掛けていた。もともとはジャズ・ピアノを弾いていた。テクニック、センスともに申し分のないプレイヤー。
高校時代から音楽活動を始めており、国立音楽大学作曲科に入学。先輩に梅津和時、同級生に佐山雅弘がいた。その佐山雅弘から1974年頃、RCのシングル・マンのレコーディングに誘われ、「夜の散歩をしないかね」に参加。その後、原田真二を始めとして、数々のアーティストのバック・ミュージシャンとして活躍。
1979年頃からRCのサポートに参加するようになり、1980年5月、正式にRCに参加。参加当初より、清志郎に負けないくらいのメイクを施していた。ちなみに佐山雅弘も1976年頃に、RCのサポートを行っており、当時のステージ・ネームは「セクシー佐山」であった。
清志郎が明大前に住んでいた頃、柴田もその近所に住んでおり、よく一緒に遊んだり、作曲したりしていた。また、自転車好きという趣味も清志郎と同じだったために、よく2人で自転車でリハーサル・スタジオまで通っていた。
「HEART ACE(ハートのエース)」までは彼がバンドのアレンジをメインに担当していたといわれており、RCがその知名度や音楽性を向上させる功労者の一人でもあった。ただし、徐々に彼の口出しの多さが他のメンバーに煙たがられたり、意見の食い違いなどが多くなり、1990年、結果的にRCを脱退することになってしまう。
RC脱退後は、「遺伝子達の黄昏」、「オー、マニアック」といった作品を発表したり、PUFFYのバック・バンドで活動。同時にパーカッションの修行を行い、2007年からは長野県のミュージック・スクールでピアノとパーカッションの講師を務めている。
RCサクセションの元メンバー
破廉ケンチ(はれんけんち)(1968年 ~ 1977年)
破廉ケンチ(はれんけんち)
生年月日:1951年9月19日
出生地 :九州
本名 :桶田賢一(おけだけんいち)
愛称 :ハレン、ケンちゃん
担当 :ギター
*左利きである。
RCサクセションのオリジナル・メンバー。
1965年11月に国分寺第三中学校に転校し、そこで忌野清志郎と小林和生に出会う。彼らが組んでいたバンド「No Names」に参加するが数か月で解散。翌年には清志郎、小林、破廉の3人で「Clover」を結成するも1967年に解散。
中学卒業で3人はバラバラの高校に進学するが、1968年7月、彼らが高校2年生の時に国分寺第三中学校の2年先輩の武田清一を誘って4人で「The Remainders of The Clover」を結成。このバンドも自然消滅してしまうが、同じ年の11月に、清志郎、小林、破廉の3人で「The Remainders of The Clover Succession」を結成。これが「RC Succession」となる。なお、武田清一はのちに「日暮し」のメンバーとしてデューしている。
いくつかのオディションに合格し、1970年に「宝くじは買わない」でデビュー。1972年までにシングル5枚、アルバム2枚を発表と、それなりの活動を続けてきたが、1974年に彼らの担当マネージャーが事務所から独立、その余波を食らう形で、いわゆる「干される」状態に陥ってしまう。彼らはこの期間を自ら「暗黒時代」と呼んでいる。
この期間、破廉はのちの俳優「三浦友和」と福生で同居していたという。その頃のエピソードに「お金のない彼らはバイトとして、府中のビール工場で働くことになった。清志郎、破廉、三浦の3人で働けばいくらかは楽になるだろう、と目論んでいたのだが、バイト当日、やはりというか清志郎だけが朝起きることができず、結局は破廉と三浦の2人だけでバイトにいった」というものがある。
バンドはこの頃からエレクトリック化を模索し始めていた。破廉もエレキ・ギターを弾くように求められたのだが、アコースティック・ギターしか弾いたことのない彼はそれに対応できずにいた。また、将来の展望が見えない状態や、極度の貧乏、不摂生な生活環境などが重なり、精神的に追い詰められ、やがて鬱状態に陥ってしまう。
鬱状態のまま、ギターを弾くこともままならなくなり、1975年10月頃には、破廉に代わり清志郎が通っていた日野高校の同級生だった阿部昇がギターを担当し始める。またドラムスやキーボードもバンドに参加、当時は古井戸のメンバーだった仲井戸麗市もたびたびバンドに参加するようになる。
破廉の鬱はますますひどくなり、1976年には1年間の休養期間に入るが、休養を明けても結局ギターを弾くことが出来ず、1977年7月にやむなくRCを脱退している。
RC脱退後は、加藤和彦やフリッパーズ・ギターのマネージャーをしたり、デビュー前のフィッシュマンズをスカウトしたりし、現在は株式会社ポリスターの音楽プロデューサーに収まっている。
2002年には、音楽誌「ロック画報10 特集RCサクセションに捧ぐ」において、久々に清志郎と対面。対談を行っている。
小川銀次(おがわぎんじ)(1979年 ~ 1980年)
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名前が変わったバンド・ユニットまとめ!RCサクセションなど
ここでは活動途中で名前が変わっているバンド・ユニットをまとめた。忌野清志郎が所属した「RCサクセション」はもとは「ザ・クローバー」という名前で活動していた。他にも昔「ギビニバンコ」という名前だった「RIP SLYME」などを紹介している。
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目次 - Contents
- RCサクセション概要
- RCサクセションのメンバー
- 忌野清志郎(いまわのきよしろう)
- 小林和生(こばやしかずお)
- 仲井戸麗市(なかいどれいち)
- 新井田耕造(にいだこうぞう)
- 柴田義也(しばたよしや:Gee2wo)
- RCサクセションの元メンバー
- 破廉ケンチ(はれんけんち)(1968年 ~ 1977年)
- 小川銀次(おがわぎんじ)(1979年 ~ 1980年)
- 春日博文(かすがひろふみ)(1978年、1990年 ~ 1991年)
- RCサクセションの略歴
- 1950年~1967年:結成前夜
- 1968年~1972年:RC結成からデビューへ
- 1973年~1979年:暗黒時代
- 1980年~1984年:ロック界の頂点へ
- 1985年~1987年:ソロ活動の活発化
- 1988年~1990年:アルバム「COVERS」、そして終焉へ
- RCサクセションのディスコグラフィー
- 1969年
- 11月1日:アルバム「カレッジポップス・コンサート実況録音盤」
- 1970年
- 3月5日:シングル「宝くじは買わない」
- 12月5日:シングル「涙でいっぱい」
- 1972年
- 2月5日:シングル「ぼくの好きな先生」
- 2月5日:アルバム「初期のRC・サクセション」
- 7月5日:シングル「キミかわいいね」
- 12月5日:アルバム「楽しい夕に」
- 12月20日:シングル「三番目に大事なもの」
- 1976年
- 1月21日:シングル「スローバラード」
- 4月21日:アルバム「シングル・マン」
- 10月11日:シングル「わかってもらえるさ」
- 1979年
- 7月21日:シングル「ステップ!」
- 1980年
- 1月21日:シングル「雨あがりの夜空に」
- 5月21日:シングル「ボスしけてるぜ」
- 6月5日:アルバム「RHAPSODY」
- 10月28日:シングル「トランジスタ・ラジオ」
- 12月5日:アルバム「PLEASE」
- 1981年
- 6月1日:アルバム「EPLP」
- 11月21日:アルバム「BLUE」
- 1982年
- 3月21日:アルバム「HARD FOLK SUCCESSION」
- 4月5日:アルバム「Yeahhhhhh...at武道館」
- 6月23日:シングル「SUMMER TOUR」
- 10月25日:アルバム「BEAT POPS」
- 12月10日:アルバム「The Day of R&B」
- 12月15日:シングル「つ・き・あ・い・た・い」
- 1983年
- 6月1日:シングル「Oh! Baby」
- 7月5日:アルバム「OK」
- 11月7日:シングル「ベイビー!逃げるんだ。」
- 12月5日:アルバム「The KING of LIVE」
- 1984年
- 7月21日:シングル「不思議」
- 7月21日:アルバム「EPLP-2」
- 9月21日:アルバム「The LiVE!」
- 11月23日:アルバム「FEEL SO BAD」
- 12月21日:アルバム「MIX & MIX-ER」
- 1985年
- 4月21日:シングル「すべてはALRIGHT(YA BABY)」
- 11月21日:アルバム「HEART ACE(ハートのエース)」
- 12月21日:シングル「SKY PILOTスカイパイロット」
- 1986年
- 4月23日:アルバム「NAUGHTY BOY」
- 10月21日:アルバム「the TEARS OF a CLOWN」
- 1988年
- 2月25日:アルバム「MARVY」
- 3月25日:シングル「NAUGHTY BOY」
- 8月15日:シングル「LOVE ME TENDER」
- 8月15日:アルバム「COVERS」
- 12月16日:アルバム「コブラの悩み(Cobra In Trouble)」
- 1990年
- 9月5日:シングル「I LIKE YOU」
- 9月27日:アルバム「Baby a Go Go」
- 1995年
- 9月25日:アルバム「SOULMATES」
- 2005年
- 10月26日:アルバム「RHAPSODY NAKED」
- 2011年
- 11月23日:アルバム「sings soul ballads」
- 2013年
- 5月3日:アルバム「悲しいことばっかり(オフィシャル・ブートレグ)」
- 2015年
- 12月16日:アルバム「日暮し Bonus Tracks」
- 2016年
- 2月5日:アルバム「PLEASE ROCK ME OUT at 日比谷野外音楽堂 1981.5.30 - 5.31」
- 3月30日:アルバム「SUMMER TOUR’83 渋谷公会堂 ~KING OF LIVE COMPLETE~」
- RCサクセションの代表曲
- 宝くじは買わない
- ぼくの好きな先生
- 冷たくした訳は
- スローバラード
- 雨あがりの夜空に
- よォーこそ
- トランジスタ・ラジオ
- いい事ばかりはありゃしない
- ロックン・ロール・ショー
- 多摩蘭坂
- つ・き・あ・い・た・い
- Oh!Baby
- ドカドカうるさいR&Rバンド
- ベイビー!逃げるんだ。
- 自由
- 腰をふれ
- 海辺のワインディング・ロード
- ヒッピーに捧ぐ
- 明日なき世界
- サマータイム・ブルース~ラヴ・ミー・テンダー
- I Like You
- あふれる熱い涙
- RCサクセションの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 三浦友和の俳優デビューのきっかけ
- 暴言・暴走など
- 最後の共演
- デザートはあなた
- 君はLove Me Tenderを聴いたか?
- 解散について
- 原発音頭