毛皮のマリーズ(バンド)の徹底解説まとめ
毛皮のマリーズとはVo.志磨遼平、Gt.越川和磨、Ba.栗本ヒロコ、Dr.富士山富士夫の4人からなる日本のロックバンドである。2003年に結成され、2006年にインディーズデビュー。その後は国内のツアーや音楽フェスでライブを重ね、2010年に日本コロムビアからにメジャーデビューした。2011年12月に日本武道館でラストライブを行い同年12月31日をもって解散した。古典的なロック・ミュージックをルーツにした楽曲と情熱的なライブパフォーマンスで人気を博した。
毛皮のマリーズの概要
毛皮のマリーズとはVo.志磨遼平、Gt.越川和磨、Ba.栗本ヒロコ、Dr.富士山富士夫の4人からなる日本のロックバンドである。2003年に結成され、2006年にインディーズデビュー、その後は国内のツアーや音楽フェスでライブを重ね、2010年にメジャーデビューした。毛皮のマリーズの楽曲は、グラムロック、パンク、ブルース、ハードロック、古典的なロックミュージックが中心だが、アルバムごとに異なった音楽性を見せる。Vo.志磨遼平のカリスマ性と、情熱的なライブパフォーマンス、個性的な楽曲で熱狂的なファンを生んだ。国内ロックフェスに多数出演しており、2011年にはフェスキングと言われた。2011年12月に日本武道館でラストライブを行い同年12月31日をもって解散した。
毛皮のマリーズの活動経歴
バンド結成
2003年にVo.志磨遼平が中学時代からの友人であるGt.越川和磨、高校時代の同級生だったBa.栗本ヒロコ、志磨の前バンド「うつろ」のドラマーを加え「毛皮のマリーズ」を結成。その後、自主制作CDを発表し関西ツアーを行うが同年9月にドラマーが失踪する。その後サポートドラマーを加えてライブを行う。同年12月にはアルバム『毛皮のマリーズの世界』を制作した。同年8月には初の自主音源を制作し、関西・四国ツアーを行った。1ヶ月後の9月に、当時のドラマーが突如失踪し、ライブ活動を一時休止した。同年4月に自主音源『初期名曲集』を制作し、複数のレコード会社に売り込むがすべて断られる。同年6月にはカセットシングルを制作。同年12月にはアルバム『毛皮のマリーズの世界』を制作。しかしドラマーが見つからずライブ活動ができなかったため発表はされなかった。
富士山富士夫加入
2005年3月1日に新ドラマーとして、ドラム経験の無い富士山富士夫が加入し、9日後の3月10日に東高円寺U.F.O.clubでライブを行った。同年8月に自主音源を発表し、東名阪ツアーを行った。このころになるとライブは破壊的なパフォーマンスをするようになり、Gt.越川和磨が頭を縫う怪我をするほど激しいステージだった。同年12月21日に、レーベル会社であるDECKRECと契約を結んだ。
2006年8月31日には初の主催イベント「毛皮のマリーズのベートーヴェン宣言」を成功させる。そして同年9月20日、デビュー・アルバム『戦争をしよう』でインディーズデビューを果たす。このアルバムには代表曲「LOVEDOGS」が収録されている。同年11月には約1ヶ月に渡る全国ツアーを行う。
2007年6月5日に公式ホームページにて「バンドがマンネリ化している。次につまらないライブをやったら、我々は即座に解散します」と発表した。その後のライブは、楽器を壊しまくり、ステージ上での喧嘩が続いた。同年8月4日にはついに志磨遼平がバンドから脱退する事件にまで発展。しかし数日後には復帰しアルバムの制作に取り掛かる。そして同時期のライブ中に、今後も毛皮のマリーズを続けていくことを発表した。同年12月5日に2ndアルバム『マイ・ネーム・イズ・ロマンス』を発表。このアルバムは50年代のアメリカをテーマにした作品で、当時メンバーが同居していた部屋で録音された。その後、2008年1月から「My Name Is Romance Tour」を行い、同年5月14日にミニアルバム『Faust C.D.』を発表。同年6月に「FOOL IN THE HELL TOUR」を開催した。この頃からバンドの知名度が上がり、ライブを行った各地でソールドアウトを記録するようになった。
自主レーベル設立
同年10月にDECKRECを離れ、「JESUS RECORDS」を設立した。そしてアルバム制作に取り掛かったマリーズは、2009年4月8日に3rdアルバム『Gloomy』を発表し、インディーズチャートで1位を記録した。後にVo.志磨遼平はこのアルバムについて「ロックに対する絶望感や憎悪から生まれた」と語った。同年12月3日には初のシングル『ビューティフル / 愛するor die』を発表。その後「ビューティフル」はファンの間でも人気の高い曲になり、ほとんどのライブで演奏された。
2009年に入ると1月に東名阪ツアー「TOUR 2009 “毛皮のマリーズがやって来る ゲス!ゲス!ゲス!”」を開催。同年7月18日には「AOMORI ROCK FESTIVAL'09 ~夏の魔物~」に出演。若手バンドとしては異例のトリを飾り、土砂降りの中のステージはファンに絶大なインパクトを与えた。同年8月1日には、「ROCK IN JAPAN FES.」に初出演。
メジャー1stアルバム発表
2010年2月1日に日本コロムビアへ移籍し、4月7日にタワーレコード限定シングル『NO MUSIC, NO LIFE.』を発表。同月4月21日にメジャー1stアルバム『毛皮のマリーズ』を発表した。この作品は、これまでのガレージロック感は薄れ、とても聴きやすいロックンロールアルバムとなった。同年10月27日にメジャー1stシングル『Mary Lou』を発表。初回限定盤は志磨遼平描き下ろしの漫画『Anarchy in the 1K』が付いた。
2011年1月19日にメジャー2ndアルバム『ティン・パン・アレイ』を発表。この作品は、ほとんどの作業を志磨遼平が担当。これまでとは作風がガラッと変わり、前作までの彼らの持つ凶暴性やダークなイメージは完全に無くなっている。オリコンチャート6位を記録するバンド史上最大のヒット作になった。
3月に入ると、「TOUR 2011 “MARIES MANIA”」を開催。このツアーは『ティン・パン・アレイ』の楽曲は封印し、インディーズ時代の楽曲のみが演奏された。その後、同年4月23日に『ティン・パン・アレイ』完全再現コンサート「CONCERT FOR “TIN PAN ALLEY”」を東京C.C.レモンホールにて開催。数十名のゲストミュージシャンを迎えてのコンサートになった。同年6月入ると公式ホームページで、謎のカウントダウンが始まる。 その後バンドは渡英し、アビーロード・スタジオでレコーディングを一週間ほど行った。
同年7月29日に「FUJI ROCK FESTIVAL」に初出演を果たす。同年8月24日には初のライブDVD『CONCERT FOR “TIN PAN ALLEY”』を発表。
ラストアルバム発表
同年9月6日にオフィシャル・サイトにて「本日深夜、志磨遼平本人より全国FMラジオ局にて重要なお知らせがあります」とアナウンスされ日付が変わる直前の0時近くに、全国のFMラジオ44局をジャック。志磨遼平自らの声でバンドの解散を告げ、同時にラストアルバムのタイトルが発表された。翌日9月7日にラストアルバム『THE END』が発売。このアルバムは、60、70年代ロックンロールやカントリーをベースにし、ポップな作品になった。同年10月8日からは最後の全国ツアー「“Who Killed Marie?”」を開始した。そしてツアーファイナルとなる12月5日に日本武道館でラストライブを行う。アンコールを含む全19曲を演奏、最後の曲は「THE END」であった。
同年12月31日、毛皮のマリーズは解散した。
解散から3ヶ月後の2012年3月28日に、ラストライブの模様を収めたドキュメンタリーDVD『完全犯罪、或いはそれに似た』を発表した。
毛皮のマリーズのメンバー
志磨遼平(シマリョウヘイ)
1982年3月6日生まれ。ボーカル担当。和歌山県和歌山市出身。ほとんどの楽曲で作詞作曲を担当し、実質バンドのリーダー的存在である。ロックンロールを基本とした楽曲や、過激なライブパフォーマンスで毛皮のマリーズの世界観を作り出している。普段は大人しいがステージに上がると表現者に変貌し、過激なパフォーマンスを見せる。毛皮のマリーズ解散後は、「ドレスコーズ」というソロプロジェクトを行っている。
越川和磨(コシカワカズマ)
1981年10月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。ギター担当。愛称は西くん。Vo.志磨遼平とBa.栗本ヒロコとは高校の同級生である。ギブソン社のギターであるギブソンレスポール、サンダーバードを使用することが多かった。毛皮のマリーズ解散後は、ロックバンド「BEAT CRUSADERS」のヒダカトオルが中心の、パンクバンド「THE STARBEMS」に参加。志磨遼平のソロプロジェクト「ドレスコーズ」にも参加している。
栗本ヒロコ(クリモトヒロコ)
1981年12月21日生まれ。ベース、コーラス担当。愛称はヒロティ。フェンダー社のプレシジョンベースを主に使用。一部の曲ではボーカルを担当している。毛皮のマリーズ解散後は、RADWIMPSのボーカルである野田洋次郎のソロプロジェクトにライブメンバーとして参加。志磨遼平のソロプロジェクトドレスコーズ」の制作にも関わっている。
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目次 - Contents
- 毛皮のマリーズの概要
- 毛皮のマリーズの活動経歴
- バンド結成
- 富士山富士夫加入
- 自主レーベル設立
- メジャー1stアルバム発表
- ラストアルバム発表
- 毛皮のマリーズのメンバー
- 志磨遼平(シマリョウヘイ)
- 越川和磨(コシカワカズマ)
- 栗本ヒロコ(クリモトヒロコ)
- 富士山富士夫(フジヤマフジオ)
- 毛皮のマリーズのディスコグラフィー
- シングル
- ビューティフル / 愛する or die
- NO MUSIC,NO LIFE.
- Mary Lou
- ミニアルバム
- Faust C.D.
- アルバム
- 戦争をしよう
- マイ・ネーム・イズ・ロマンス
- Gloomy
- 毛皮のマリーズ
- ティン・パン・アレイ
- THE END
- MARIES MANIA
- DVD
- CONCERT FOR “TIN PAN ALLEY”
- 完全犯罪、或いはそれに似た -毛皮のマリーズ ラストライブ "Who Killed Marie?"
- 毛皮のマリーズの代表曲
- REBEL SONG
- ビューティフル
- 恋をこえろ
- ボニーとクライドは今夜も夢中
- 毛皮のマリーズのミュージックビデオ(MV/PV)
- スタッガー・リーを撃て
- LOVEDOGS
- おはようミカ
- 愛のテーマ
- 毛皮のマリーズの名言・発言
- 志磨遼平「僕、50mくらい先のコンビニ行って帰る間までに3回職質されたことがあって(笑)」
- 志磨遼平「これはただのロックンロールアルバムでそれ以上でもそれ以下でもない」
- 志磨遼平「毛皮のマリーズは常に新しいものを提示していきたいし、聴き手の想像を遙かに超える尋常じゃないスピードで突っ走っていきたい」
- 志磨遼平「ゴールディーズ(黄金時代) と呼ばれた50’sアメリカン・グラフィティをテーマとしたこの作品は、そのまま毛皮のマリーズの黄金時代でもありました」
- 毛皮のマリーズの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 2012年のインタビューで解散の理由が明かされた
- バンド名の由来は寺山修司の『毛皮のマリー』から頂いた
- インディーズ3rdアルバム『Gloomy』の曲順は、曲ができた順番で収録された
- ラストアルバム『THE END』はチープな作品にするつもりだった
- Vo.志磨遼平とGt.越川和磨は、人間椅子のGt.和嶋慎治とバイト先が一緒だった