Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)とは【徹底解説まとめ】

Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)とはアメリカのシンガーであり、マイケル・ジャクソンの妹である。1982年、16歳でデビュー。1986年のアルバム『Control』からは「When I Think Of You」が初の全米No.1に輝き、アルバムも初のNo.1となる。その後も『Rhythm Nation 1814』『Janet』とヒットを飛ばし、総売上枚数は1億枚以上、11枚のアルバム中7枚が全米1位、シングル10曲が全米1位を獲得した。世界No.1の女性R&Bシンガーある。

1997年 6thアルバム『The Velvet Rope』

1996年には初のベスト・アルバム『Janet Jackson 1986-1996 Design Of A Decade』を発表。タイトルが示すように、ジャネットは1986年以前の初期の2枚を自分のキャリアにカウントしていないことがわかる。この中からは16枚目となるゴールド・シングル「Runaway」が生まれた。

そして1997年、6thアルバム『The Velvet Rope』を発表。

長年結婚を秘密にしてきた夫、レネ・エリゾンドと離婚し、うちに秘めた悲しみを吐露したような楽曲が並び、それまでのアルバムとは趣きを異にする。
このアルバムからは「Together Again」がNo.1を獲得。

ATCQのQ-Tipをフィーチャーした1stシングル「Got Til It's Gone」は30代に入った彼女がそれまでのスタイルとは趣を変え、新しい方向性を示したミッド・グルーブ・ナンバーで、日本でも大ヒットを記録した。この他、シングル・カットされた「Go Deep」「I Get Lonely」もヒット。

アルバムは、R&B-2位、POPでは1位。全世界では800万枚のセールスとなり、過去3作と比べるとセールス的には劣るが、ジャネットのアーティスト性はさらに高まった。

80年代、90年代とシーンを駆け抜けたジャネットとジャム&ルイス。その活躍は2000年に突入する。

2000年 絶頂期からの一転

そして2000年、エディ・マーフィ主演のヒット映画『ナッティ・プロフェッサー2~クランプ家の面々』の主題歌「Doesn't Really Matter」を発表、世界中で大ヒットを記録、全米でも3週連続トップの座に付いた。その結果、ジャネットの全米No.1ソングは1986年の「When I Think Of You」から数えて合計9曲となった。

オリコンでは、日本での最大のヒットシングルとなり、同年のオリコン洋楽シングルチャートの年間1位を記録した。

映画ではジャネットも相手役で共演し、全世界で1億7500万ドルの興行収益を記録するヒットとなった。

2001年1月8日、ロサンゼルス「シュライン・オーディトリアム」で開催された第28回アメリカン・ミュージック・アワーズでジャネットは34歳という若さながら、これまでの偉大な功績を称えられ「功労賞」(Award Of Merit)を受賞。まさにジャネットは人種を超えたアメリカの音楽界の至宝であると認められた。

この頃からジャネットの新作アルバムへの期待は一気に高まり、2001年4月16日、前作『The Velvet Rope』から3年、『All For You』が日本先行でリリースされた。

ジャネット35歳、ジミー42歳、テリー45歳。

先行シングル「Doesn't Really Matter」に続くシングル「All For You」はR&B/POPとも1位を獲得、7週連続1位、2001年の年間チャートでも3位というメガヒットになる。アルバム『オール・フォー・ユー』は、POP、R&Bとも1位。全世界セールスは800万枚となったが、過去の作品に比べるとポップな内容が受け、日本では80万枚を超えるジャネットのアルバムとして最大のヒットとなった。

そして2004年、アメリカ中が注目し、毎回40%を超える視聴率を誇るスーパーボウルのハーフタイムショーに、38歳となったジャネットが登場する。

過去には兄・マイケルも登場し、そのパフォーマンスは伝説の一つとなっていた。このハーフタイムショーは、並のアーティストがオファーされることはなく、そこに登場すること自体がアメリカの国民的スーパースターの証でもあった。

そのハーフタイムショーで事件は起きた。

ジャネットは新鋭のジャスティン・ティンバーレイクと登場、しかしそのパフォーマンス中に、片方の胸を露出する事件を起こす。

当初はハプニングを装っていたが、後に意図的な演出だったことを告白。アメリカではこのようなハプニングに対しては非常にシビアで、生中継したテレビ局が罰金処分を受けたり、直後のグラミー賞やアカデミー賞の中継でハプニング防止策が取られるなど、大きな波紋を起こした。

ジャネットもかなりのバッシングを受け、国民的スターまで上り詰めたジャネットがここで一転、下降のベクトルに転じてしまうのである。

そしてその状況下で自身のミドルネームを冠したアルバム『ダミタ・ジョー』が発表される。

2004年 再起をかけた『Damita Jo』

2004年『Damita Jo/ダミタ・ジョー』を発表。
プロデュースはジャム&ルイスと、それ以外にも当時新鋭として出てきたカニエ・ウェスト、ダラス・オースティンそしてベイビーフェイスまでも参加している。

ジャネットのアルバムにこれだけの多彩なプロデューサーが参加するのは初めてであり、これだけのトッププロデューサー達が集ったのもジャネットの力による。

ジミーは45歳、テリーは48歳。ジャム&ルイスは多くの曲を制作しているが、結果このアルバムからは遂にヒット曲は誕生しなかった。
どんな大御所アーティストでもピークの後は衰退が待っているものだが、ジャネットの場合はスーパーボウルでのバスト露出事件を含め、ここがターニングポイントになったと言える。

それでもアルバムは、R&Bで1位。POPで2位に輝くが、セールス的には伸びず。アメリカではミリオンにもいかず。全世界で300万枚というセールスに終わる。前作の800万枚から更に落とす結果となった。

ジャネットは再起をかけて、06年の『Control』から20周年記念を意味するタイトル『20Y.O.』が発表。プロデューサーにも大きな変化が起きる。

2006年 ジャム&ルイスと組んで20周年『20Y.O.』

2006年ジャム&ルイスと初めてタッグを組んでからちょうど20年。それを記念して再起アルバム『20Y.O.』を発表する。

勿論プロデュースはジャム&ルイスだが、一つ異変がある。ジャネットの恋人のジャーメイン・デュプリ(1972年生、この時34歳)が参加しているのである。

ジャーメイン・デュプリは、92年のクリス・クロスの「jump」でメガヒットを放ち、97年のUsherの2nd『My Way』のヒットでトッププロデューサーの仲間入りをする。その後もアッシャー作品でシーンを牽引していた。

ジャネットの方が6歳上になるが、ジャネットは、デュプリのことをソウルメイトとまで評してた。しかし仕事のパートナーと恋人というのは通常両立するのが難しい。デュプリも80年代のジャム&ルイスのスタイルに影響をうけており、非常にリスペクトしていたが、ジャム&ルイス色はあまり感じないアルバムとなった。

アルバムからの先行シングルはネリーとのコラボ「Call On Me」。ネリーの力もあってかR&Bで1位を獲得する。

『20Y.O.』はレコード会社もかなり力をいれたにもかかわらずビックヒットにはならず、ジャネットの復活もならなかった。R&Bで1位、POPでも2位になるが、チャート的には一気に下降。アメリカでは60万枚のセールス、全世界で120万枚のセールスに終わる。

1993年の「Janet」の2000万枚をピークに下降の一途を辿り、今作ではなんとデビュー時の2枚のアルバムと、売り上げ的には同じ水準にまでなってしまった。

デュプリはヴァージンレコードのプロモ不足を非難し、彼自身もヴァージン傘下にいた自身のソー・ソー・デフ・ジャムごと離脱し、レーベルごとアイルランドレコードへ移籍する事態となる。

ジャーメイン・デュプリとジャム&ルイスというトッププロデューサーの共演も結果不発に終わった。

2008年 ジャム&ルイスと離れる『Dicipline』

2008年、『Dicipline』発表。ジャネット42歳。04年からヒットが出ない状況は続いている。そして1986年の『Control』以降、初めてジャム&ルイスが参加しない作品となり、またジャネット自身も作詞・作曲に一切関わっていない異例なスタイルで制作された。

敏腕プロデューサーでもあるLAリードがCEOを務めるユニバーサル・ミュージックの傘下のアイランド・レコードに移籍し、アルバムの総指揮は、前作からのジャーメイン・デュプリが担当。

ビルボードHOT200では『All for you』以来の1位を獲得したものの、セールスの減少は止められなかった。1stシングル「Feedback」はビルボードHOT100で最高19位。しかし、他のシングルカットはビルボードHOT100にランクインせず。

レーベルが数か月でプロモーションを放棄したことをジャネットは非難し、わずか1年、1作品のみで、アイランドとの契約を終えた。

そしてそのことも関係してか結婚カウントダウンとみられていたジャネットとデュプリは別れることになる。

2009年9月、新曲「メイク・ミー」をインターネットで発表。11月には同曲を含むベストアルバム『ザ・ベスト・オブ・ジャネット・ジャクソン』を発売。

2010年以降

2012年にイスラム教徒でカタールの実業家ウィサム・アル・マナと結婚した。

ジャネットは2009年に兄のマイケル・ジャクソンを亡くし、その後7年間交際していたジャーメイン・デュプリと破局したことで精神的に不安定になっていた。2010年、ウィサムはちょうどいい時期にジャネットの前に現れた。

そして2015年、ジャネットはイスラム教に改宗した。実はジャクソン家の三男で、マイケルとジャネットの兄であるジャーメイン・ジャクソンも1989年ごろにイスラームに改宗している。これは、彼の中東ツアーでバーレーンを訪問したことがきっかけといわれている。

そして2015年11月2日、7年ぶりとなるニュー・アルバム『Unbreakable』を全世界同時発売。
再タッグはもうないかと思われていたジミー・ジャム&テリー・ルイスが再びジャネットを手がける。この時ジミー(56歳)、テリー、(59歳)、ジャネット(49歳)。

久々のジャネットとのレコーディングに、ジミーも「自転車に乗るようなもので、ずっと乗っていなくても、乗ればすぐ感覚が取り戻せるようなものだった。そんな感覚かな」と語っている。

2016年10月13日、ジャネットは妊娠を公表。2017年1月に男児を出産した。ジャネット50歳にしての第一子出産だった。

2019年にはロックの殿堂入りを果たし、授賞式ではジャネール・モネイがプレゼンターを務めた。

2020年、ジャネットはニューアルバム『Black Diamond』を年内にリリースすると発表。スタジオ・アルバムのリリースは2015年の『Unbreakable』以来。通算12作目。しかしコロナの影響によりアルバムリリースは延期されている。

2021年2月13日、ジャネット・ジャクソンがファンに感謝の気持ちを伝えるセルフィー動画をツイートした。1986年2月4日にリリースされ大きな影響を及ぼしたジャネットの『Control』が35周年を迎え、ファンの後押しにより、2021年2月4日の直後にApple Musicの“Top 40 US Pop Albumチャートで首位を獲得した。

「皆さんが、35年経ってから再びコントロールをNo.1にしてくれたことにお礼を言いたくて。こんなことが起きるなんて、思いもしませんでした。皆さんに感謝しています。とても愛しています。どうもありがとう」と、ジャネットは感極まった声で綴っていた。

2022年1月28日、29日の2夜にわたって、ジャネットの謎に包まれた私生活や仕事ぶりに迫った4時間のドキュメンタリー『Janet』が放送され、番組のエンドロールで新曲「Luv I Luv」が発表された。

Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)のディスコグラフィー

アルバム

Janet Jackson/ ヤング・ラヴ(1982年)

01. SAY YOU DO
02. YOU'LL NEVER FIND(A LOVE LIKE MINE)
03. YOUNG LOVE
04. LOVE AND MY BEST FRIEND
05. DON'T MESS UP THIS GOOD THING
06. FOREVER YOURS
07. THE MAGIC IS WORKING
08. COME GIVE YOUR LOVE TO ME

82年にリリースされた、ジャネット・ジャクソンの記念すべきデビュー・アルバム。シングル「ヤング・ラヴ」はビルボード・ホット100ではヒットしなかったが、R&Bチャートで6位を記録した。

まだアイドルっぽさや、バブルガムソウル的な誰でも口ずさめる、気軽に楽しめる雰囲気も残り、アーティストとしてのジャネットが確立されていない頃のアルバム。本人も初期の2枚はキャリアとしてカウントしないことが多い。

Dream Street /ドリーム・ストリート(1984年)

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