不思議発見!日本にちらばるミステリー都市伝説
日本中にちらばる都市伝説やミステリーを集めました。
源義経に関しても信頼できる資料は『吾妻鏡』であるが、22歳のときに駿河の黄瀬川に陣を布いた源頼朝を訪ね、兄弟の対面した記録が最初であり、その前には地方を放浪して、土民や百姓に使われていたとあるだけで不明な点が多い。
平家を滅ぼし武家政治の礎を確立したとされる源義経。兄の頼朝に追われた義経がもしチンギス・ハーンになったのだとしたら、その孫のフビライ・ハンがモンゴル大帝国を立てて日本に攻めてきたというのは歴史的には実に皮肉なことだ。
上杉謙信は女だった
出典: find-travel.jp
歴史小説家「八切止夫」はスペインの修道院で、15世紀から16世紀の船乗りや宣教師による「日本についての報告書」を手に入れた。その中にゴンザレスという船乗りが、国王に提出した佐渡金山に関する報告書があった。そこに登場する上杉景勝の叔母が「上杉謙信」のことと解釈できる部分がある。
他にも歴史記録の中に、上杉謙信が女だったと思わせるものがある。
長岡の瞽女頭・山本ゴイの唄本『越後瞽女屋敷・世襲山本ごい名』という本には、謙信のことを「男もおよばぬ大力無双」と歌った歌がある。謙信の死因は「大虫(生理からくる病気)」と書かれている。
京都に上洛し足利家と面会したとき、当主の妻と交流を深めていたがおとがめはナシ。女同士の交流だったため誰もきにしていなかったのかも。
「生涯不犯」を称して一生正室も側女も置かなかった。これらのことから上杉謙信は女だったのではないかといわれる。
上杉謙信と毘沙門天
出典: ja.wikipedia.org
越後の龍と呼ばれ圧倒的な武力を誇った上杉謙信。その戦績は70戦68勝2敗とほぼ無敵である。その強さや才覚、言動を見ていると実は上杉謙信はエイリアンの助けを借りていたのではないかと言われている。
上杉謙信が崇拝していた武神・毘沙門天。この毘沙門天こそが実はエイリアンである可能性が高いという。
謙信は戦に臨む際、必ず毘沙門天へ祈りを捧げた。武将が神仏に戦勝を祈願するのはよくある話だが、謙信の場合は少し様子が違う。
相手は誰か、なぜ戦に至ったのか、戦に勝てばどうなるのかといった合戦の詳細を並べ、自身の正当性を証明するため証文を作って毘沙門天に捧げていた。こうすることによって戦場では毘沙門天の庇護を賜ることができ、自らの戦を天罰と称して決して負けぬという確証を得ていた。
毘沙門天=人智をはるかに超えたエイリアンを味方につけて戦っていたとしたら…。
戦場では、例え無数の銃弾や矢が飛び交っていても「自分には当たるわけがない」とし、臆することなく平然と振舞っていたという。また甲冑も付けず、20騎前後だけで3万5千の敵陣を駆け抜けるといった信じられないようなことも史実に残されている。
謙信の率いる軍は、兵馬の数や武器の数を見ても他の武将たちのそれとなんら変わらない。にも関わらずその強さは圧倒的で、特に野戦では、電光石火の動きと巧みな用兵で抜きん出ていた。天下を征した織田信長を討てる唯一の存在とされたのである。
そして、謙信が大事にしていた毘沙門天の像は、合戦が終わって見てみると必ず足に泥が付いていたという。異星人は毘沙門天の変化を解き、謙信と共に戦に加わっていたのだろう。
織田信長に黒人の家来がいた?
織田信長には黒人の家来がいたという都市伝説がある。 その家来は弥助と名付けれられ、信長の身辺警護及びお付の人という役割だったそうだ。
目次 - Contents
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- 徳川埋蔵金の在り処
- 服部半蔵の正体
- 徳川家康、未知との遭遇
- 徳川家に仇なす妖刀 村正
- 井伊直政と本多忠勝の傷
- 日本初のメンタリスト
- 聖徳太子の予言
- 法隆寺の謎
- 平将門の呪い
- 菅原道真の怨霊
- 源義経=チンギス・ハーン
- 上杉謙信は女だった
- 上杉謙信と毘沙門天
- 織田信長に黒人の家来がいた?
- 豊臣秀吉には指が6本あった!?
- ヒヒイロカネ
- ダイダラボッチ伝説
- 八百比丘尼
- 虚舟
- 江戸時代の浮世絵にスカイツリー
- 与那国島海底遺跡
- 剱岳
- 剣山に隠されたソロモンの秘宝
- キリストの墓
- 杉沢村
- M資金
- 滝廉太郎の死の真相
- 日本に実在した超能力者
- 首都東京の鉄の結界
- 第2次世界大戦時に京都が空襲されなかった理由
- 四国に架かる3本の橋
- 羽田空港の大鳥居
- 六本木ヒルズの呪い
- 昭和ではなかった
- リアル南極物語