不思議発見!日本にちらばるミステリー都市伝説

日本中にちらばる都市伝説やミステリーを集めました。

桓武天皇

794年に桓武天皇により定められた「平安京」。約1000年の永きに渡って日本の首都であったが、黒船の来航により明治維新が起こり、首都は東京へ移される。

「それから二百年過ぎた頃、クハンダが来るため、その東の都は親と七人の子供のように分かれるだろう……」

「クハンダ」とは仏教用語で「末世に現れる悪鬼」のことである。「クハンダ」の正体は、隕石の来襲、核攻撃、福島原発から 出てくる放射性物質などいろいろ考えられる。しかし最も可能性が高いのが、富士噴火でなかろうか?

実際に富士山が噴火すれば、大量の火山灰が東京にも降り注ぐ。当然、東京は壊滅するので、首都機能も八箇所に分断されることになる可能性がある。いずれにせよ、首都の東京に大きな影響を与えることが起きるそうです。

いずれにせよ、首都の東京に大きな影響を与えることが起きるそうです。

そ れは、お釈迦様の亡くなった日から数えて二千五百年後。釈迦入滅の日は諸説あるが、欧米の学者の計算によれば、BC483年、484年、487年、500 年となっている。一番早い運命の時は2000年と2013年であるが、これはもうとっくに過ぎてしまっている。

次に来るのは、2016年、遅くとも 2017年には破滅の時がやって来ることとなる……。

法隆寺の謎

奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山であり、別名斑鳩寺。飛鳥時代の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は607年とされ、金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられ、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群であり、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」正岡子規の俳句でも有名である。

聖徳太子が創建した寺院であると一般的には考えられているが、聖徳太子は謎の多い人物であり、実在しなかったという説もある。

そして法隆寺にある五重の塔は高さ32m、五重の屋根に一本の太い柱(心柱)が塔の先端に突き抜けている。木造塔として世界最古であり、国宝である。

法隆寺に使われている木材は日本では建材として最高品質とされるヒノキであり、正しく使われたヒノキの建築では1000年を超える寿命を持つと言われる。しかし当時の建築家はこのような塔の建築は初めてと思われるだけに、ヒノキの知識と共に謎とされている。

そして五重の塔は今まで地震や台風などで倒れたことは皆無であり、心柱は塔の構造に直接関わっておらず一番上の相輪を支えているに過ぎない。各階が独立した空間を重ね合わせているため外力がかかっても分散して伝わり、やじろべえ構造となっているため階ごとに力がバランスしているのではないかと想像されているが、まだ完全には判っていない。

607年に聖徳太子が建立したとされ、聖徳太子創建のままであるという伝承を持っていた。しかし670年落雷により全焼したと「日本書紀」に記され、その後何時再建されたのかどの古文書にも記されていないという。

再建論、非再建論とあったが、再建設が有力である。しかしそれならば尚のこと、一大建築である再建について触れられていないことが不可思議である。

平将門の呪い

出典: ja.wikipedia.org

平将門は当時関東地方を支配していた。しかし、当時は今のように政治・経済の中心ではなく辺境の地と呼ばれる地域でした。そのことに平将門は日頃から不満を募らせていて、あるとき自らを「新皇」(新しい天皇)と称し都と対立した。

慌てた朝廷は、討伐隊を関東に派遣し、一ヶ月ほどの攻防の後、平将門は討ち取られてしまう。

戦の後、将門の首は京の都へ運ばれ、見せしめのために七条河原で晒し首にされるが、不思議な事にその首は何日経っても腐らなかった。それどころか、夜な夜な怪光を発し、「体を返せ!胴とつないでもう一度、戦をせん」と叫び続けたという。

そして、曝されていた首が三日目に光を放ちながら夜空に舞い上がり、切り離された胴体を求めて関東まで飛んでゆき、その後いくつかに分裂して落ちたが、その中で最も有名なのが、大手町の首塚とされる。

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