金谷ヒデユキ
お人気度:★☆☆
笑い芸人、ミュージシャン、声優。芸人だった当時『ボキャブラ天国』以外の番組にはあまり出ていない。同番組での芸風は、ギターを演奏しながら他者(主にボキャブラ天国の出演者)をネタにした替え歌を歌うというものだった。一方ライブではオリジナルの歌も発表していた。
フォークダンスDE成子坂
人気度:★☆☆
桶田敬太郎と村田渚で構成されていたお笑いコンビ。何かするようで何もしない、わざとハズしにかかるシュールな芸風と、桶田の特異な発言、村田の鋭いツッコミが特徴。「お笑い第四世代」に属していた。
東京プリン
1997年
人気度:★☆☆
伊藤洋介(右プリン)と牧野隆志(左プリン)の2人組の歌手グループ。いつも、プリンのかぶり物にサングラス、スーツにネクタイという風変わりなファッションに身を包んでいる。1997年にヒットしたデビュー曲『携帯哀歌』をはじめ、コミックソングを多数世に送り出す。左プリンこと牧野が2014年2月7日午前0時30分、肺がんによる呼吸不全のため、死去。49歳没。
米良美一
1997年~1998年
人気度:★★☆
歌手。宮崎駿が監督するアニメーション映画『もののけ姫』(スタジオ・ジブリ、徳間書店)のテーマ曲歌唱に起用され、映画のヒットとともに米良の声種であるカウンターテナーが日本で一般に知られるきっかけとなった。
エキセントリック少年ボウイ
1997年
※企画モノなので一発屋というニュアンスではないが
人気度:★☆☆
フジテレビ系列で放送された番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』から誕生した(単発)ユニット。キャラクターと歌詞、メロディーラインともに、ヒーローもののテレビアニメもしくは特撮番組のパロディである。
オジャパメン
1996年
※企画モノなので一発屋というニュアンスではないが
人気度:★☆☆
1996年に「ダウンタウンのごっつええ感じ」内で韓国語でカバーされたことで知られる。元ネタは韓国のアイドルグループ「消防車(ソバンチャ)」が1987年にリリースした楽曲「オジェパメ・イヤギ (夕べのこと) 」
川本真琴
1996年~1998年あたり
シンガーソングライター。本名は川本 和代(かわもと かずよ)。1996年にシングル「愛の才能」でメジャーデビュー。代表曲は「1/2」「DNA」「桜」など。1997年にリリースした1stアルバム『川本真琴』は、100万枚を超えるセールスを叩き出し、第39回日本レコード大賞で「ベストアルバム賞」を受賞した。
ぜんじろう
1995年頃
人気度:★☆☆
吉本興業所属のお笑いタレント。本名、金谷 善二郎(かなたに ぜんじろう)。師弟関係の上では、上岡龍太郎の弟子という位置付けにある。1992年、関西一円で人気を博し、1995年からは全国区進出。しかし、東京の業界人が求めるものとぜんじろうの資質との間には元々大きなギャップがあったことから、東京で抱えた番組は全て降板。1998年からは活動の場を海外へと移した。2001年頃から日本に戻って仕事をし、海外での仕事は日本から出向いているらしい。
H Jungle with t
1995年
人気度:★★★
浜田雅功(ダウンタウン)と小室哲哉による音楽ユニット。フジテレビの音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』の共演で浜田と小室が意気投合し、番組内で浜田が「僕にもヒット曲プロデュースして下さい」と話した事がきっかけで1995年に結成。デビューシングル『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』は200万枚を越えるヒットを記録し、『第46回NHK紅白歌合戦』に出場。
宮路社長
1990年代中頃
人気度:★★☆
実業家。家電量販店「城南電機」を運営する信光電機創業者。身長154cmという小さな体躯と独特のダミ声に加え明るいキャラクターで、多くのテレビ番組にも出演した。晩年、社長業に加えてタレント業をこなす日々を送ったが、1998年(平成10年)5月5日、肺炎のため東京都新宿区の東京医科大学病院に緊急入院。5月9日死去。69歳。
EAST END×YURI
1994年~1995年
人気度:★★☆
1990年代に活動した日本のヒップホップユニット。1994年8月、1st Single『DA.YO.NE』をメジャー(SONY)よりシングルカット。当初のセールスは不調であったが、徐々に人気に火が付き、最終的にミリオンヒットを記録した(最高位3位を記録)。1995年2月、ユニットとしての2nd Single『MAICCA -まいっか-』を発売。初登場3位。「DA.YO.NE」と共にベストテンにチャートインし、共に新語・流行語大賞にノミネートされた。ヒップホップグループとして初めてNHK紅白歌合戦に出場した。
鈴木蘭々
1993年~中盤
人気度:★★☆
本名、鈴木智子。タレント・女優・歌手。1993年(平成5年)頃からドラマ・バラエティ番組などに出演した。1994年(平成6年)よりフジテレビ系子供番組『ポンキッキーズ』に安室奈美恵とのコンビ・シスターラビッツとして出演し、一躍注目を集める。その後はいわゆるバラエティーアイドルとして活躍し、ボーイッシュなショートヘアと明るいキャラクターで人気を博す。
篠原ともえ
1990年代末期
人気度:★★★
歌手、タレント。フジテレビ『HEY!HEY!HEY!』でのダウンタウンへの機転の利いた傍若無人ぶりやレギュラー出演の『LOVE LOVEあいしてる』ゲストの楽屋襲撃コーナー「篠原ともえのプリプリプリティ!!」で人懐こいハイテンションなキャラクターで人気を得ると、数々のバラエティ番組でひっぱりだこに。1990年代末期に個性的なファッションと強烈なキャラクターで、「シノラー」ブームを巻き起こした。
山田雅人
1990年代
人気度:★☆☆
タレント、俳優。1984年、『第一回松竹芸能タレントオーディション』に森脇健児他とともに合格を果たし松竹芸能所属となりプロ入り。競馬が好きで、特にテンポイントの大ファンであり番組等で様々なエピソードを披露している。また、大の阪神タイガースファンでもあり、特に掛布雅之を崇拝。いつの間にか表舞台で見かけることがなりました。
グレートチキンパワーズ
1994年~1995年
人気度:★★☆
北原雅樹と渡辺慶からなる日本のお笑いコンビ、俳優。通称「グレチキ」。2005年解散。大阪府立箕面高等学校で同級生だった2人は、高校2年生のときに「K-KiD's」というコンビを結成。ストリートパフォーマンスを経て、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のお笑い甲子園全国大会に出演し優秀賞を受賞する。(最優秀賞は京都の高校生男女コンビ)1994年に芸能界デビュー。芸人というよりもアイドル的な扱いだった。
森田童子
1993年
人気度:★☆☆
女性シンガーソングライター。本名不詳(森田童子は芸名)。一部ではカリスマ的な人気を博しつつも森田のファンは全国的に見れば少数で、森田本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり、その作品はマスコミなどに表立って紹介されることもなかったが、1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に「ぼくたちの失敗」が使われ、話題となる。
つぶやきシロー
人気度:★★☆
栃木訛りでネタをつぶやくのが芸風。90年代後半に『ボキャブラ天国』(フジテレビ)シリーズに突如現れ、一躍人気人気者となる。しかしブームが去った後は一時忘れ去られ、死亡説まで流れた。現在ではむしろ「一発屋芸人の代名詞」として語られている。
越前屋俵太
人気度:★☆☆
本名、谷 雅徳(たに まさのり)。元お笑いタレント、書家。1981年、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)への出演をきっかけに全国区デビュー。その後も『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)や『OH!たけし』(日本テレビ)、『世界・ふしぎ発見!』(TBS)などに出演し、関西では『TV-JACK』や上岡龍太郎局長時代の『探偵!ナイトスクープ』(いずれも朝日放送)に出演した。特にナイトスクープには初代探偵として出演し、視聴率調査、抽象的なテーマについて市井の人々から強烈な個性のある意見を引き出す「調べてください」シリーズで絶大な人気を得た。2003年から芸能活動を休止。
横山弁護士
1995年
本名、横山 昭二(よこやま しょうじ)。検察官・弁護士。2007年に死去。正確な死亡日時、死因は不明。1995年のオウム真理教事件で松本逮捕の後、松本の弁護人を買って出たことで一躍有名に。そのまま松本の私選弁護人となる。1996年に大阪弁護士会から除名処分を受け弁護士を廃業した後は、歴史(主に世界史)を研究しながら余生を送った。
川上剛史
1990年代のどこか
人気度:★☆☆
気功師。幼少の頃、厳しい修行を経て初代気功師父の元、気功催眠術を開眼したらしい。日本テレビ「とんねるずの生でダラダラいかせて」によく出演していました。
信じるか信じないかは貴方しだい??
細川ふみえ
1990年代
元グラビアアイドル、タレント。愛称はフーミン。1990年、講談社のミスマガジン・グランプリに選ばれて芸能界にデビュー。90cm・Fカップのバスト(当時)を武器に、"巨乳グラビアアイドルの草分け"として活躍。デビュー時から野田義治が社長を務めていたイエローキャブに所属していたが、2000年6月に個人事務所「ウエルメイド」を設立し独立した。
たま
1990年
音楽バンド。フォークロックを主体にしながら非常に独創的な音楽性で異彩を放った。1984年に結成され、1990年にメジャーデビューし、2003年に解散した。パブリックイメージでは「たまのボーカル」と言うと柳原・知久を指す事が多いが、実際は全員が均等にむらなく作詞作曲およびボーカルをとる。1990年のメジャーデビューシングル『さよなら人類』は売上げも58.9万枚を記録。NHK紅白歌合戦への出場も果たした。
織田無道
1980年代後半~1990年代
自称織田信長の子孫。臨済宗建長寺派圓光禅寺の第49代住職。一時期は「霊能者」として頻繁にテレビ出演しており、本人は当時を「出すぎだった」と振り返っている。2002年9月11日に、宗教法人の乗っ取りを図り虚偽の登記を行ったとして、公正証書原本不実記載・同行使の容疑で逮捕。織田自身は無実を主張したが、懲役2年6か月・執行猶予4年の有罪判決を受けた。