外道の歌(漫画)のネタバレ解説・考察まとめ

『外道の歌』は渡邊ダイスケによる日本の青年漫画。2016年から2023年にかけて『週刊漫画ゴラク』で連載され、WEBドラマ化もなされた。法の限界に挑む犯罪被害者と加害者を描き、社会的なメッセージを多分に含む。主人公のカモとその相棒のトラが、軽い刑罰や不当な釈放に苦しむ被害者のため、私的な制裁を加え独自の正義を貫く姿が物語の中心となる。冷徹で計画的な復讐劇の反面、復讐が正義か悩む内面も描かれている。

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朝食会(ブレックファーストクラブ)

復讐支援を行っている秘密結社のような組織。十分な罰が下っていない加害者に非合法で制裁を加える点はカモ達の営む復讐屋と同様だが、大きな違いとしては「依頼者本人に復讐をさせる」という点があり、依頼者本人に凶器を持たせて直接制裁を下してもらい、その後の始末は朝食会が引き受けるといった方式をとっている。
「加害者に対しては問答無用、自分達の判断で制裁を加える」復讐屋の方針と違い、加害者の犯した罪と被害者の苦しみとのバランスを取ることを重視している。警察関係者や政財界にも会員がいるが、非合法の組織であることから互いのプライベートは追及しない。
東京支部の支部長を務める榎加世子と復讐屋のカモはお互いの復讐に対する考えの違いから相容れず、ライバルのような存在となっている。ただし、緊急事態ではお互いの利害や方針に外れなければ協力することも。

復讐代行人(ふくしゅうだいこうにん)

復讐代行人とは、物語の中心に位置する鴨ノ目武とトラのことを指す言葉である。彼らは、法律で裁かれることなく自由の身となった犯罪者や、軽い刑罰で済まされた加害者に対して、被害者の代わりに復讐を実行する。被害者やその家族から依頼を受け、徹底的に調査し、加害者にふさわしい罰を下し、彼らは法の外で「私的な正義」を実行する存在として描かれ、物語の核となる役割を果たしている。

少年法(しょうねんほう)

日本の少年法は、18歳未満の未成年者による犯罪に対して適用される法律で、罪を犯した少年に対して更生の機会を与えることを目的としている。しかし、『外道の歌』では、この法律が犯罪被害者やその家族にとって不十分なものであると描かれることが多い。物語の中で、加害者が未成年であることを理由に軽い刑罰を受けたり、罪を逃れたりするシーンが繰り返し描かれ、その不公平さが鴨ノ目やトラの怒りの源となっている。

精神鑑定(せいしんかんてい)

精神鑑定は、犯罪者の精神状態を評価するために行われる法的手続きである。これにより、加害者が犯行時に精神的に正常な判断ができなかったと判断されれば、刑罰が軽減される場合がある。『外道の歌』では、犯罪者が精神鑑定を利用して責任を逃れたり、減刑を受けたりする場面が描かれ、これが鴨ノ目たちの憤りの一因となっている。彼らにとって、精神鑑定は加害者を守るための「抜け穴」として描かれ、復讐の動機を強める要因となっている。

復讐(ふくしゅう)

『外道の歌』のテーマであり、物語全体の中心に位置する概念である。法律が被害者を守ることができない場合、被害者やその家族が取る最後の手段として「復讐」が描かれている。復讐は、単なる個人的な怒りや憎しみに基づくものではなく、社会の不正を正すための行動としても捉えられており、鴨ノ目とトラは、この「復讐」を正義として実行するが、その行為が本当に正しいのか、作品全体を通じて問われている。

私刑(しけい)

私刑(しけい)とは、法によらず個人が独自に加害者を罰する行為を指す。『外道の歌』における鴨ノ目とトラの復讐行為は、まさにこの私刑に当たる。彼らは被害者の無念を晴らすために加害者に制裁を加えるが、それがしばしば残酷な手段で行われ、社会的な規範や法的な手続きから逸脱した行為であることが強調されている。私刑は道徳的な議論を呼び起こし、物語において重要なテーマとなっている。

『外道の歌』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

鴨ノ目 武 「誰もやろうとしないから 他の誰にも できない事だから」

主人公のひとりであるカモのセリフ。警察官僚の息子に自身の妻子を惨殺され、法で裁けなかったことから自身の手で復讐を実行したカモに、彼の叔父は「なぜお前がやる?なんのために?」と言葉を投げかける。そこでカモは「誰もやろうとしないから 他の誰にも できない事だから」と返している。この言葉には、「誰かがやらなければ、悪がはびこってしまう」という憤りと覚悟が込められている。彼は復讐者として生きることを選び、加害者に対する私的制裁を続けるが、その行為の正当性に対する問いかけが、作品全体のテーマに繋がっている。
「正義とは何か」を深く考えさせられる一方で、「誰かがやるべき」という重い責任感を背負う彼の苦悩も垣間見える発言だ。実際、彼の行動が被害者にとって必ずしも救いになるわけではないこともあり、物語はその複雑な心理描写によって、一面的な正義観を拒否している。

鴨ノ目 武 「許せなくてもいい 許せない人間だって いてもいい」

正義について語られる名言は数多くあるが、この作品では「正義は一つではない」という認識が重要なテーマとして描かれている。カモや他の復讐者たちは、法や社会が規定する「正義」では救済されないため、彼ら自身の手で復讐を果たすことを選ぶ。しかし、復讐そのものもまた、ひとつの正義としての位置付けに過ぎないことが暗示されている。
しかし、復讐を望む遺族に「そんなことをしても、あの人は喜ばない」といった言葉を掛ける人は多くいる。これは励ましのつもりでも、やり場のない悲しみを持つ人を追い詰める一言であることは間違いない。「加害者を許すことが正義ならば、私は間違っているのか」と嘆く被害者遺族にカモがかけた言葉がこの「許せなくてもいい 許せない人間だって いてもいい」である。
この言葉には、「正義」という概念が多面性を持つものであり、時には自己満足や利己的な感情が混ざり合うこともあるということを肯定するニュアンスが込められている。自身も犯罪被害者遺族であるカモから出る言葉だからこそ、これ以上ない重さと説得力を感じる言葉だ。

島田虎信「だがな俺は決めたんや 世の中のクズを一人残らずブッ殺すってな! そのためにはコイツが必要なんや」

朝食会に捕えられたカモを救出に向かったトラは、自身も命を落とす可能性があるのになぜ現れた、と問いかけられ「だがな俺は決めたんや 世の中のクズを一人残らずブッ殺すってな!そのためにはコイツが必要なんや」と答えている。普段は憎まれ口をたたき、カモの実行する苛烈なまでの復讐に引いている姿まで見せているトラだが、彼を大切に思っていることがよく表れている。

カモの最期

最大の敵である國松を始末し、表向きは平穏な日々を取り戻したカモメ古書店の面々。しかしカモは買い物の帰りに、國松の狂信者である梅沢に刺されて命を落としてしまう。
刺された瞬間のカモは抵抗することなく、自らの運命として受け入れた様子で大人しくしていた。作中には「自分がいつ復讐される側になってもおかしくないと覚悟はしている」といった旨の発言もしていることから、相当前から覚悟を決めていたのだろうということがうかがえる。
「人を呪わば穴二つ」という言葉もあるが、復讐の螺旋を下りることができなかったカモは、迎えにきた妻子や、別れを告げに来たトラの幻を見ながら薄く微笑み、この世を去っていった。

『外道の歌』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

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