Eric Clapton(エリック・クラプトン)の徹底解説まとめ

Eric Clapton(エリック・クラプトン)とはイギリスのシンガーソングライター、ギタリストである。1945年3月30日、イギリスのリプリーに生まれる。クラプトンは祖父母に育てられながら、幼いころよりブルースの影響を受け13歳でギターを弾き始めた。さまざまなバンドに参加しながらギターテクニックを身につけていった。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジらと英国3大ギタリストと呼ばれている。ギターの神様の異名を持ち、ニックネームは「スローハンド」と呼ばれている。音楽シーンで影響力のあるギタリストである。

Eric Clapton(エリック・クラプトン)のプロフィール・人物像

エリック・クラプトン(Eric Clapton)、本名はエリック・パトリック・クラプトン(Eric Patrick Clapton)。1945年3月30日イギリスのリプリーで生を受ける。母親が16歳、父親が23歳という若さであっため母方の祖父母に育てられた。クラプトンは母親だと思っていた人が祖母で、姉だと思っていた人が実の母親だった。こういった家庭環境から、クラプトンは孤独な少年時代を過ごした。しかし、音楽環境には恵まれていた。祖父母はビッグバンドの演奏を聞くのが好きで、父親は地域のダンスバンドでピアノを弾いていた。クラプトンは13歳でギターを手に取り、ブルースの影響を受けながら、独学でギターテクニックを身につけていった。クラプトンはストリートパフォーマンスを始め、そのギターテクニックは16歳のころには周囲の注目を集めるまでになっていた。
クラプトンは1963年初頭17歳のときに最初のバンド、ザ・ルースターズに参加する。クラプトンはザ・ルースターズ解散後、請われてヤードバーズに参加する。クラプトンのニックネーム「スローハンド」はヤードバーズ時代に付けられたものである。ヤードバーズがポップ志向になっていったため、ブルースが好きだったクラプトンは嫌気がさし、ヤードバーズを脱退する。
ヤードバーズ脱退後クラプトンはジョン・メイオールの誘いを受け、ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズに参加する。このバンドの活動でクラプトンはギタリストとしての地位を確立し、「ギターの神様」の名声を獲得する。クラプトンは1966年にジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズを脱退する。脱退後クラプトンは、ドラマーのジンジャー・ベイカーの誘いを受け、ベーシストのジャック・ブルースとともにクリームを結成する。クリームでは3枚のアルバムを出し、クラプトンはロック界の最高のギタリストとして称賛されるまでになった。しかしクリームはジンジャー・ベイカーとジャック・ブルースの不仲なども原因して、解散する。わずか2年間の活動であった。アメリカで無名だったクラプトンは、クリームのアメリカツアーでその名をアメリカでも確立することになる。
クリーム解散後クラプトンはジンジャー・ベイカーらとともにスーパーグループ、ブラインド・フェイスを結成する。しかしブラインド・フェイスは1枚のアルバムとアメリカツアーの後、わずか7カ月足らずで解散する。ブラインド・フェイス解散後クラプトンは高まる名声から逃れるように、デラニー&ボニーのツアーのサポートメンバーとして参加したり、プラスチック・オノ・バンドのメンバーとして活動したりしていた。デラニー&ボニーのデラニー・ブラムレットから歌うことを勧められ、同時に作曲も始める。
1970年8月にクラプトンはソロ活動を開始し、自身初のソロアルバム『エリック・クラプトン・ソロ』をリリースする。
クラプトンはほぼ同時期にデラニー&ボニーのメンバー、ジム・ゴードンらとともにデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成する。デレク・アンド・ザ・ドミノスでクラプトンは名曲『いとしのレイラ』をつくった。クラプトンは当時親友、ジョージ・ハリスンの妻、パティ・ボイドに想いを寄せていた。『いとしのレイラ』はパティへの想いからつくられた。この恋によってクラプトンはヘロインやアルコール中毒になってしまう。クラプトンは家に閉じこもってしまった。その後、ジョージ・ハリスンとラヴィ・シャンカルが開催した『バングラディッシュ難民救済コンサート』に出演したクラプトンだったが、万全ではなかった。
こんなクラプトンを表舞台に出したのは、友人で会ったザ・フーのピート・タウンゼントだった。ピート・タウンゼントが企画したコンサートにクラプトンが参加し、活動を再開させた。
活動再開後クラプトンは『461 オーシャン・ブールヴァード』で、本格的に音楽活動を再開するのであった。復活後クラプトンは次々とアルバムを制作し、ツアーを精力的に行っていた。75年に『安息の地を求めて』、76年に『ノー・リーズン・トゥ・クライ』、77年に『スローハンド』、78年に『バックレス』、81年に『アナザー・チケット』、83年に『マネー・アンド・シガレッツ』、85年に『ビハインド・ザ・サン』、86年に『オーガスト』、89年に『ジャーニーマン』、94年に『フロム・ザ・クレイドル』、98年に『ピルグリム』、2001年に『レプタイル』、04年に『ミー&Mr.ジョンソン』『セッションズ・フォー・ロバート・J』、05年に『バック・ホーム』、10年に『クラプトン』、13年に『オールド・ソック』、16年に『アイ・スティル・ドゥ』、18年に『ハッピー・クリスマス』、24年に『ミーンワイル』をリリースしている。92年にはアンプラグドブームを巻き起こしたライブアルバム『アンプラグド〜アコースティック・クラプトン』、2000年にはクラプトンが憧れているブルースの王様BBキングと共演した『ライディング・ウィズ・ザ・キング』その他にもコンサートのライブアルバムやベストアルバムなど数々のアルバムをリリース。
その他にもクラプトンは、映画『ラッシュ』や『リーサルウェポンシリーズ』などの音楽を手がけるだけでなく、数々の映画やテレビ番組にも楽曲を提供している。
音楽活動ではレコード売り上げ枚数、2億8000万枚以上を記録。コンサートではさまざまなアーティストと共演を、おこなってきた。友人のジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、クラプトン復活の功労者ザ・フーのピート・タウンゼント、オールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマン、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、フィル・コリンズ、エルトン・ジョン、ローリング・ストーンズなど、そうそうたるアーティストとクラプトンは共演をしてきた。
クラプトンはチャリティーも熱心におこなってきた。ジョージ・ハリスンとラヴィ・シャンカルが企画した『バングラデシュ難民救済コンサート』や『ライブエイド』、などのチャリティーコンサートにも参加し、定期的にチャリティー活動をおこなってきた。クラプトンは自身がアルコール中毒、ヘロイン中毒を克服したことで、中毒を克服する施設『クロスロードセンター』を開設。その資金を集めるためにギターフェスティバルや、ギターオークションなどもおこっている。
クラプトンは数々の賞も受賞している。18回のグラミー賞受賞、ソロ、ヤードバーズ、クリームと3度ロックの殿堂入りも果たしている。
その他にも1994年に大英帝国オフィサー、2004年に大英帝国コマンダーの授賞のほか、フランスでも芸術文化勲章コマンドールも受賞。
クラプトンは全世界で3000回を超えるコンサートに出演し、全世界で20億人以上の観客を楽しませてきた。日本にもたびたび訪れ、2023年までに23回のコンサートを行っている。日本武道館では海外アーティスト最多の102回のコンサートを実施している。
クラプトンは1979年にパティ・ボイドと結婚し、その後離婚。2002 年 1 月 1 日にメリア・マッケナリーと結婚し3人の娘を授かっている。

Eric Clapton(エリック・クラプトン)のディスコグラフィー

『カラフル・クリーム』(Disraeli Gears)

A面
1.ストレンジ・ブルー (Strange Brew)」
2.サンシャイン・ラヴ (Sunshine of Your Love)」
3.苦しみの世界 (World of Pain)
4.夜通し踊ろう (Dance the Night Away)
5.ブルー・コンディション (Blue Condition)
B面
1.英雄ユリシーズ (Tales of Brave Ulysses)
2.スーラバー (SWLABR)
3.間違いそうだ (We're Going Wrong)
4.アウトサイド・ウーマン・ブルース (Outside Woman Blues)
5.テイク・イット・バック (Take It Back)
6.マザーズ・ラメント (Mother's Lament)

1967年にリリースされたクリーム2枚目のアルバムである。イギリスでは5位、アメリカでは4位のアルバムチャートを記録した。「ストレンジ・ブルー」と「サンシャイン・ラヴ」の2作がシングルカットされている。「クリーム」の出現により、クラプトンがイギリスのトップギタリストであることが認識された。

『クリームの素晴らしき世界』(Wheels of Fire)

ディスク1:イン・ザ・スタジオ
A面
1.ホワイト・ルーム (White Room)
2.トップ・オブ・ザ・ワールド (Sitting on Top of the World)
3.時は過ぎて (Passing the Time)
4.おまえの言うように (As You Said)
B面
1.ねずみといのしし (Pressed Rat and Warthog)
2.政治家 (Politician)
3.ゾーズ・ワー・ザ・デイズ (Those Were the Days)
4.悪い星の下に (Born Under a Bad Sign)
5.荒れ果てた街 (Deserted Cities of the Heart)
ディスク2:ライヴ・アット・ザ・フィルモア
C面
1.クロスロード (Crossroads)
2.スプーンフル (Spoonful)
D面
1.列車時刻 (Traintime)
2.いやな奴 (Toad)

1968年にリリースされたクリーム3枚目のアルバムである。ライブ盤とスタジオ録音の2枚組のアルバムである。イギリスでは3位、アメリカでは1位のアルバムチャートを記録し、プラチナディスクも獲得している。『ホワイトルーム』はシングルカットされ、シングルチャートで全米6位を獲得している。

『スーパー・ジャイアンツ』(Blind Faith)

A面
1.泣きたい気持(Had to Cry Today)
2.マイ・ウェイ・ホーム(Can't Find My Way Home)
3.オール・ライト(Well All Righ)
4.プレゼンス・オブ・ザ・ロード(Presence of the Lord)
B面
1.歓喜の海(Sea of Joy)
2.君の好きなように(Do What You Like)

1969年にリリースされたスーパーグループ『ブラインド・フェイス』のアルバムである。チャートではイギリス、アメリカともに1位を獲得した。アルバムのジャケットはトップレスの少女であったため、論争が起こった。『ブラインド・フェイス』はこのアルバム1枚だけをリリースし、解散してしまった。

『いとしのレイラ』(Layla and Other Assorted Love Songs)

A面
1.アイ・ルックト・アウェイ(I Looked Away)
2.ベル・ボトム・ブルース (Bell Bottom Blues)
3.キープ・オン・グロウイング (Keep On Growing)
4.だれも知らない (Nobody Knows You When You're Down and Out)
B面
1.アイ・アム・ユアーズ(I Am Yours)
2.エニイデイ (Anyday)
3.ハイウェイへの関門 (Key to the Highway)
C面
1.テル・ザ・トゥルース(Tell the Truth)
2.恋は悲しきもの(Why Does Love Got to Be So Sad?)
3.愛の経験(Have You Ever Loved a Woman)
D面
1.リトル・ウィング(Little Wing)
2.イッツ・トゥー・レイト(It's Too Late)
3.いとしのレイラ(Layla)
4.庭の木(Thorn Tree in the Garden)

1970年にリリースされたアルバム。クラプトンが結成した「デレク・アンド・ザ・ドミノス」のデビューアルバムである。アルバムタイトル『いとしのレイラ』ロックファンならずともよく知られた名曲である。クラプトンの最高傑作ともいわれている。このアルバムはクラプトンが思いを寄せていたパティ・ボイドへの想いが感じられるアルバムである。

『エリック・クラプトン・ソロ』(Eric Clapton)

side1
1.スランキー(Slunky)
2.バッド・ボーイ(Bad Boy)
3.家から遠く(Lonesome And A Long Way From Home)
4.アフター・ミッドナイト(After Midnight)
5.イージー・ナウ(Easy Now)
6.ブルース・パワー(Blues Power)
side2
1.レッド・ワイン」(Bottle of Red Wine)
2.ラヴィン・ユー、ラヴィン・ミー(Lovin' You Lovin' Me)
3.ラスト・タイム(Told You For The Last Time)
4.何故か知らない(Don't Know Why)
5.レット・イット・レイン」(Let It Rain)

1970年にリリースされたエリック・クラプトンの初めてのソロアルバム。クラプトンが心酔していたザ・バンドの影響を受けたアルバムである。JJケイルのカバー曲『アフター・ミッドナイト』がシングルカットされている。

『461 オーシャン・ブールヴァード』(461 Ocean Boulevard)

Side 1
1.マザーレス・チルドレン (Motherless Children)
2.ギヴ・ミー・ストレングス (Give Me Strength)
3.ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ (Willie and the Hand Jive)
4.ゲッド・レディ(Get Ready)
5.アイ・ショット・ザ・シェリフ(I Shot the Sheriff)
Side 2
1.アイ・キャント・ホールド・アウト(I Can't Hold Out)
2.プリーズ・ビー・ウィズ・ミー(Please Be With Me)
3.レット・イット・グロウ(Let It Grow)
4.ステディ・ローリン・マン(Steady Rollin' Man)
5.メインライン・フロリダ(Mainline Florida)
デラックス・エディション追加収録曲
1.ウォーキン・ダウン・ザ・ロード( Walkin' Down the Road)
2.エイント・ザット・ラビング・ユー(Ain't That Loving You)
3.ミート・ミー( Meet Me)
4.エリック・アフター・アワー・ブルース(Eric After Hour Blues)
5.ビーマイナー・ジャム( B-Minor Jam)
Disc 2
1.スマイル(Smile)
2.レット・イット・グロウ(Let It Grow)
3.キャント・ファインド・マイ・ウェイ・ホーム(Can't Find My Way Home)
4.アイ・ショット・ザ・シェリフ(I Shot the Sheriff)
5.テル・ザ・トゥルース(Tell the Truth)
6.ザ・スカイ・イズ・クライング / ハブ・ユー・エヴァ・ラブド・ア・ウーマン / ランブリング・オン・マイ・マインド(The Sky Is Crying / Have You Ever Loved a Woman / Rambling On My Mind)
7.リトル・ウィング(Little Wing)
8.シンギン・ザ・ブルース(Singin' the Blues)
9.バッジ(Badge)
10.レイラ(Layla)
11.レット・イット・レイン(Let It Rain)

1974年にリリースされたアルバム。アルバムを録音したスタジオの住所がそのままアルバムタイトルになっている。シングルカットされた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は全米1位を記録した。この曲はボブ・マーリーのカバー曲で、ヒットをきっかけにレゲエが世に広く知れわたることになった。

『安息の地を求めて』(There's One in Every Crowd)

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