終末のワルキューレの名言・名セリフ/名シーン・名場面まとめ

『終末のワルキューレ』とは、『月刊コミックゼノン』で2018年1月から連載されているバトル漫画である。原作は梅村真也、構成フクイタクミ、作画をアジチカが担当している。人類を滅亡させようとする神と人類の最終闘争(ラグナロク)を舞台とし、神と人類からそれぞれ選ばれた13人による1対1(タイマン)の戦いが描かれている。死力を尽くして戦う登場人物たちからは数々の名言・名シーンが生まれており、今回はそれらを紹介していく。

ゼウスの攻撃を自らの能力「神虚視」でことごとく跳ね返すアダム。ゼウスから「なぜ神との戦いに出てきたのか?」と問われて答えたのがこのセリフであった。
「どれもいらない、なぜはない、子供たちを守るのに理由なんているのかい?」
神によって作られた1人目の人類であるアダムが、人類全体のことを「子供たち」と呼んだことで会場にいる人類全てが父であるアダムの勝利を祈った。

「どこかで、子供が泣いている…大丈夫…泣かないで…こわいやつもわるいやつも、みんなお父さんがやっつけて…」

朦朧とした意識の中でも子供たちの声を聞くアダム

相手の攻撃を完璧にコピーし打ち返す「神虚視」を多用しすぎたアダムは、途中で視力を失ってしまう。視力を失ったアダムをゼウスはいたぶるように殴り続ける。
会場では「誰か止めてくれ!」「もう勝負はついている!」とアダムの身を案じる人類の悲鳴が飛び交う。
朦朧とした状態でそれを聞いたアダムは「どこかで、子供が泣いている…大丈夫…泣かないで…こわいやつもわるいやつも、みんなお父さんがやっつけて…」と、薄れゆく意識の中つぶやく。
神に作られた最初の人類であるアダムにとって家族とは妻のイブと子供たちであり、その中では自分は必ず父であった。父としての責任感が非常に強いアダムがつぶやいた泣ける名ゼリフであった。

息絶えるアダム

拳を繰り出しながらゼウスは息絶える

最終形態「阿陀磨須」となったゼウスの連続攻撃を、「神虚視」でコピーしアダムは打ち返し続ける。しかし「神虚視」を多用しすぎたことで目が限界を超えてしまい、アダムは完全に視力を失ってしまった。それでも攻撃を続けるアダムについにゼウスはダウンさせられてしまう。誰もがアダムの勝利を信じたが、アダムは攻撃の体勢のまま息絶えていた。その最期にはゼウスも勝負には勝ったものの、負けを認めるほどであった。

ポセイドンの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「原初(はじめ)より完全無欠の存在に…仲間など不要…」

同じ神々ですら雑魚扱いするポセイドン

ゼウスの子であるオリンポス12神の中で、最も誇り高く、傲岸不遜でもあるのがポセイドンである。その傲慢さ故に当初は佐々木小次郎(ささきこじろう)と目を合わせることもなく、自らの攻撃に会場の神々が送った声援もひと睨みで黙らせた。「仲間の声援ぐらい素直に受けたらどうだい」という小次郎に「神は群れぬ、神は謀らぬ、神は頼らぬ、それこそが神、原初より完全無欠の存在に…仲間など不要…」とつぶやく。そのセリフに「神ってのはずいぶん哀しい存在だねぇ」と小次郎は哀れみを見せる。

「余の動きを読んでいる…のではなかったのか?雑魚が」

小次郎をあざ笑うポセイドン

佐々木小次郎の膨大なシミュレーションから先を読む能力、千手無双(せんじゅむそう)によりポセイドンの攻撃は全てかわされてしまう。
しかも小次郎の一撃により傷を負わされたポセイドンは、初めて小次郎の方を向く。「やっと目があったな、若造」と小次郎に挑発されたポセイドンは、新たな技で攻撃を仕掛ける。この攻撃には小次郎の千手無双による先読みも間に合わず、小次郎は深手を負ってしまった。
ここでポセイドンは「余の動きを読んでいる…のではなかったのか?雑魚が」と勝ち誇ったように言うのであった。

ポセイドンの最期

小次郎(右)に敗北するポセイドン(左)

人類のみならず、神々をも「雑魚(カス)が」と見下すポセイドン。小次郎に追い詰められても最後までその態度は変わらず、小次郎の最期の奥義により敗北した瞬間でさえ「この雑魚が」と呟き敗れ去った。

佐々木小次郎の名言・名セリフ/名シーン・名場面

「すなわち今刻(いま)が小次郎の全盛期なり」

闘技場に降り立つ佐々木小次郎

生前の佐々木小次郎の人生は、ひたすら勝負に敗け続けるものであった。しかし相手に敗けるたびに、次はどうやって勝つか脳内でシミュレーションを繰り返し、勝つまで続けるのが小次郎の鍛錬であった。
巌流島で宮本武蔵に敗れ、命を落とした小次郎は、霊界でもシミュレーションを重ねることで自身を鍛えてきた。死後400年続けてきた鍛錬の自信から来る「すなわち今刻(いま)が小次郎の全盛期なり」というセリフ、あくまで強さを求める小次郎の覚悟が見える名ゼリフであった。

「誰の思いも背負ったことがねえオマエさんごときに 吾が負けるわけにはいかねえんだよ!!」

愛刀の物干し竿を二刀に神器再錬する小次郎

「神は群れぬ、神は謀らぬ、神は頼らぬ」と孤高のみが神の存在理由だというポセイドンに、「自分を強くしてくれた相手に感謝の涙を流したことがあるか?死合った相手を死ぬほど愛しく思ったことがあるか?、これまで戦えてよかった、自分を成長させてくれた好敵手などはいなかったのか?」と小次郎は問う。
「剣(こいつ)はバカな漢(おとこ)たちが重ねし歴史(おもい)だ」「誰の思いも背負ったことがねえオマエさんごときに 吾が負けるわけにはいかねえんだよ!!」
小次郎のこの言葉と同時に、ポセイドンに折られた小次郎の愛刀の物干し竿は神器再錬により二刀へと変化していく。

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