終末のワルキューレの名言・名セリフ/名シーン・名場面まとめ

『終末のワルキューレ』とは、『月刊コミックゼノン』で2018年1月から連載されているバトル漫画である。原作は梅村真也、構成フクイタクミ、作画をアジチカが担当している。人類を滅亡させようとする神と人類の最終闘争(ラグナロク)を舞台とし、神と人類からそれぞれ選ばれた13人による1対1(タイマン)の戦いが描かれている。死力を尽くして戦う登場人物たちからは数々の名言・名シーンが生まれており、今回はそれらを紹介していく。

釈迦に子供っぽいいちゃもんをつける零福

闘技場に現れた七福神が一体化して生まれたのが零福である。
元々は善き神様であった零福は、人々の痛みや不幸を自らの身体に吸い取ることで、人類を幸せにしようとしてきた。しかし零福が不幸を吸い取った人々は不幸でなくなればなくなるほど幸福を見失い、堕落した生活を送るようになっていく。「僕がこんなに頑張って不幸を吸い取ってきたのになんで人類は幸せになってくれないんだ」と考える零福の前に釈迦(しゃか)が現れる。釈迦の「幸福というのは与えられるものではなく、自分で至るもの」「不幸あるところに幸福あり」という言葉に、今までの自分の努力を否定されたと思った零福は、少年の思春期のような怒りに身を委ねる。零福の根深く残った釈迦への恨みがよく分かるシーンである。

波旬の登場

零福から変化し、現れた波旬

「なんで僕を見てくれないんだ!」という零福の思春期を前に、素手で殴り合うことで釈迦と零福は解り合える。倒されてもにこやかに笑う零福だったが、突然異形な変化を始め、不気味な繭から第六天魔王波旬(はじゅん)が現れる。
神側の闘士ベルゼブブにより、零福には波旬の芽が植え付けられていたのだ。零福を養分として成長した冥界の伝説の怪物である波旬が、釈迦の前に立ちふさがった。
ハッピーエンドかと思われた釈迦と零福との戦いが、一転しておどろおどろしい波旬との戦いに変化する場面である。

「残念(ずぁんねん)」

釈迦をあざ笑う波旬

零福から変化した波旬の最初の攻撃を釈迦は素早い動きで躱す。そんな釈迦に波旬は「では、我も最大でやらせてもらおう」と告げ、さらなる破壊力の技を繰り出す。
流石に躱せないと悟った釈迦は仏具を変化させた盾でその攻撃を受けるが、受けきれず左目をえぐられてしまう。
それを見た波旬はそれまでの寡黙なキャラクターを捨て「残念(ずぁんねん)」と釈迦をあざ笑う。

釈迦の名言・名セリフ/名シーン・名場面

「オレ、人類側から出るんで…頼(よろ)」

人類代表として戦うことを宣言する釈迦

ゼウスが6番目の神代表に選んだのは釈迦であった。ゼウスの依頼を快諾し、神側の出場ゲートから釈迦は歩み出る。しかし釈迦はそのまま闘技場を横切り、人間側ゲートへと足を進め「オレ、人類側から出るんで…頼(よろ)」と宣言する。会場を呆気に取らせたその行動は「天上天下唯我独尊」の名の通り、何にも囚われない、自分の道は自分のみが決めるという釈迦らしい掌返しであった。

「敵とか味方とか、善人、悪人、神、人間、全部関係ない…この宇宙でオレはただ釈迦(おれ)だから」

わがままっぷりを発揮する釈迦

「神が救わぬなら俺が救う、邪魔する神なら俺が殺(や)る」と人類側として戦うと宣言した釈迦の行動を見透かしたように、ゼウスは「こちらとしては、かまわんぞい」と鷹揚にうなずく。しかし北欧の最高神オーディンは「我らすべての神を敵に回す、その覚悟があってのことか?」と釈迦に問う。それに答えて釈迦は「敵とか味方とか、善人、悪人、神、人間、全部関係ない…この宇宙でオレはただ釈迦(おれ)だから」と不敵な笑みを見せる。
天上天下唯我独尊の言葉通りに自らの思いにまっすぐに進む釈迦の強さがよく分かるセリフである。

「うるせえ、ならば神と闘るだけだ」

狂信的な教団から少女を救い出す釈迦

悟りを開く旅の途中で、釈迦は少女を生贄に殺そうとしている宗教集団と出会う。当然のごとく少女を救い出した釈迦に、集団の教祖は「神の怒りを受ける」と罵るが、釈迦は「うるせえ、ならば神と闘るまでだ」と言い返す。
自分の信念に反することはたとえ神であっても許すことができないという、釈迦らしい発言であった。

釈迦と零福の思春期

零福の怒りを真っ向から受け止める釈迦

自らの身体を犠牲にして人類の痛みや苦しみを吸い取ってきた零福の「僕だって頑張ってきたのに、なんでこんなに不幸なんだ」という思春期のような怒りに釈迦は真っ向から答えようとする。
釈迦自身も何者かが決めた決めた運命を押しつけられること、自分たちの裡(うち)にある幸福を否定されることをもっとも嫌う。それはすなわち釈迦は神という存在を最も嫌うということである。嫌いなものは嫌い、だから人類側として神と戦う、釈迦も零福を上回る思春期真っ盛りの存在であった。

ハデスの名言・名セリフ/名シーン・名場面

「兄である余が…人の王ごときに屈するわけにはゆかぬのだ」

神の誇りをかけて始皇帝と戦うハデス

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