かみあり(漫画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『かみあり』とは2007年から不定期に連載された後、2009年より隔月化されて2019年まで『月刊ComicREX』にて染屋カイコが連載していた神道コメディ漫画。コミックス全9巻完結。島根県の出雲が舞台。八百万の神々が一同に集まる神在月の季節に、関西から出雲に引っ越してきた中学生・千林幸子が日本や海外の神々や悪魔たち、そしてゲームやアニメを基にした流行り神たちと遭遇し、交流する様をコミカルに描く。タイトルの『かみあり』は出雲地方の10月を指す「神在月」からとったもの。

分霊(わけみたま)

神道において、勧請によって神霊を無限に分けてできた霊。分霊しても元の神霊や神威にはなにも影響はない。光栄は「仕事が分担できていい。他の国や宗教では一つの名前に一柱しかダメなところもあるので、日本は融通がきいてよい」と評している。

文化英雄(トリックスター)

あちらとこちら、善と悪など相対する2つの境界線を当人が意識するしないに関わらず侵犯する存在。境界侵犯者。「秩序をかき回すので結果良いことをもたらすことも多いが、波乱の無い人生はないので結局は、のるかそるかは生きている人間次第」と清明は淡々と述べている。
栖軽や日本武尊が文化英雄にあたる。

一霊四魂(いちれいしこん)

心は直霊という一霊と四魂でできており、四魂はそれぞれ機能があり荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さちみたま)・希魂(くしみたま)が存在し、直霊が四魂を統括している。幸子はハロウィン騒動の際に魂を取り換えられたり、憑依されたり、呪いをうけたりしっちゃかめっちゃかだったので魂が割れてしまった。

『かみあり』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

櫛磐窓命「どんなに変化しても人が営みを続けるかぎり我らが消えることだけはないだろう。我らは人のこころそのものなのだから」

境界を軽々といくつも越えた幸子と絵美を元の場所に送った後に豊磐窓命は、人と人ならざる者の関係が昔は「狭く深い」ものだったが、今は「広く浅い」ものに変化しているのではないかと指摘する。ネズ忠は「この変化は悪いことなのか?」と疑問を投げかけるがそれにたいして櫛磐窓命は「変わらないものなどない。良いだけのこともないし悪いだけでもない」と言い、そして「どんなに変化しても人が営みを続けるかぎり我らが消えることだけはないだろう。我らは人のこころそのものなのだから」と答える。人が存在し続けるかぎり、神々は存在する。人が変化すれば神々も変化する。

賀茂光栄「沢山のそれこそ日本だけではなく世界中の人々が心を寄せたのですから」 安倍晴明「心躍るねぇ」

小惑星探査機・はやぶさは神として顕現し、再び空を飛ぶ。

古今東西の神々が集まる、神在月の出雲。人々は空を見上げて歓声をあげる。空には小惑星探査機として打ち上げられ、最後は役目を終えて燃え尽きたはやぶさが神として顕現し空を飛んでいたからだ。アガレスは「人類の最先端たる存在が神になるとは、なんとも奇妙奇天烈摩訶不思議だ」と感想を口にする。清明はそんなアガレスに「あの子は多くの念・心を集めて九十九神になったんだよ」と説明する。アガレスや清明と同じように空を見上げていた光栄は「沢山のそれこそ日本だけでなく世界中の人々が心を寄せたんですから」と笑顔で返し、清明も「心躍るねぇ」と感想を述べるのだった。人類の最先端の機械が神になる。八百万の神の国・日本らしい光景である。

弁財天「どんな国にだってあるわよ。だってあれ信仰心じゃないもの。母親は信仰心で子供を大事にしているわけじゃないでしょ。だからどこにだってあるし、いるわ」

地母神とは多産・豊穣だけでなく子供の守護も司る。子供が害された怒りによって降誕したカーリーの怖ろしい姿を目の前にしてキリスト教大天使・ミカエルは「あんなものをお前たちの国は内包しているのか…」と呆然とする。それにたいして弁財天は「どんな国にだってあるわよ。だってあれ信仰心じゃないもの。母親は信仰心で子供を大事にしているわけではないでしょ。だからどこにだってあるし、いるわ」と告げる。母性という言葉だけでは説明がつかない、慈愛・保護欲・害意あるものへの敵意反感闘争心。それは世界中の母たるモノに存在するもので、信仰心も道理も法も関係ないのだ。母たるモノを怒らせてはダメだ、とわかる。

賀茂光栄「『醜』は美を圧伏するほどの強烈な力強さで感性を揺り動かさねば成り立たない」

ジャック・オ・ランタンとの悪縁ができてしまった幸子・絵美・宗一郎に光栄は悪縁切りに誘う。悪縁切りをお願いするのは妹神の木花咲耶姫と天孫に嫁にだされたが、ひどく醜いから畏れられ送り返されたという神話がある磐長姫だった。光栄は幸子たちに「そも『醜い』とは如何なるものか」と問う。「『醜』は『美』に対立する概念だが、美が薄まったとしてもそれはただの凡庸だ」と言ったうえで「『醜』は美を圧伏するほどの強烈な力強さで感性を揺り動かさねば成り立たない」と述べる。
美が勝ってるわけでも醜がおとっているわけでもないのだ。「醜い」という概念は蔑んではいけないものであるということがわかる名セリフ。

エク・チュアフ「良い物ならば価値あるものならば必ず表面的にしか見れず真の価値を理解できない者たちによる理不尽な略奪や蹂躙が行われる。戦いなよ。それは暴力や闘争じゃなく解決の手段だからね」

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