STRATOVARIUS(ストラトヴァリウス)の徹底解説まとめ

ストラトヴァリウスとは、フィンランド出身のヘヴィメタルバンドである。
ジャンルは、パワーメタルやスピードメロディックメタルに分類される。1989年にアルバム『FRIGHT NIGHT』でデビュー。北欧メタルを代表するバンドであり、クラシック音楽を取り入れ、メロディックスピードメタルの定番を確立したグループ。
母国フィンランドやヨーロッパのみならず、日本でも、哀愁を感じさせるメロディーで、根強い人気を保っている。幾度のメンバーチェンジを経て、活動を続けるバンドである。

Forever Freeと並んで疾走感が特徴の曲。
イントロのギターリフが一度聞くと忘れられない。タイトルどおりの駆け抜ける速さがクセになる。

Will the Sun Rise?

ギターソロ直前のキーボードとのユニゾンがクラシカルで美しい。
ストラトヴァリウスはキーボード無しでは語れないと言わんばかりの存在感。哀しげでせつないメロディーは、やりきれない気持ちにさせる名曲。

Hunting High and Low

ストラトヴァリウスのたくさんの曲の中でも、珍しいポップなナンバー。
色彩が暗めな映像と、たくさんの水が滴るMVとは裏腹に、ストレートに明るい曲調であり、朝に聴いても良さそうな曲。

STRATOVARIUSの名言・発言

ティモ・トルキ「人間というのは学びながら生きていくものだよ」

心理学に傾倒していたティモ・トルキの発言。セラピーを受けて学んだのか、自分自身の経験から学んだのか、誰しにも響く言葉である。

イェンス・ヨハンソン「俺は他の人達みたいに1日に8時間も練習したりしなかったよ。せいぜい3~4時間かな。それ以上やっていたら頭が変になっていたと思う」

イタズラ大好きなイェンス・ヨハンソン。8時間も練習していたら頭がおかしくなると発言しているが、練習しなくても弾けてしまうという強気な発言である。
実際、キーボードテクニックは天才的と言われており、彼がいなかったら、ハードロック・メタルジャンルでのキーボード奏者の地位は確立していなかっただろう。

STRATOVARIUSの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

ティモ・トルキ脱退の一因は傷害事件

それまでの長い年月、メインソングライターとして支えてきたティモ・トルキが解散を宣言して、自分自身がバンドを抜けることになった2008年。
その後、新生ストラトヴァリウスとなった経緯には、ティモ・トルキが暴漢に刺されるという事件が関わっているという。
その事件は、2003年に『ELEMENTS PART.1』と『ELEMENTS PART.2』をリリースしてから次のアルバムがリリースされるまでの間に起きた。
2004年、スペインでキーボードのイェンス・ヨハンソンと一緒に街を歩いていた時、ティモ・トルキは暴漢に襲われて、顔に打撲喰らい、さらに肩を切りつけられた。
その事件のショックや、当時、メンバーは不仲になっているなどで、精神を病んだティモ・トルキは入院。リハビリを続けながら復活すると、自分のスタジオをオープンさせたり、精力的に曲を作るが、2008年に解散ツアーを提案することとなる。レコード会社との問題やバンド内の人間関係は悪化しており、メンバーから大反対を受けて、ティモ・トルキが脱退する形となった。
新体制になったストラトヴァリウスに対して、ティモ・トルキは不快感を示していたという。

精神病と闘っていたティモ・トルキ

ティモ・トルキは、思春期に父親を失くしたトラウマから心理学に興味を抱いたという経緯がある。
バンド活動を辞めて、セラピストになることまで考えてティモ・トルキだが、2004年に双極性障害で精神病院へ入院していた。
彼がソングライターとして在籍していた頃の楽曲は、彼のそんな経験が音楽にも表れている。北欧メタルの特徴である哀しさや美しさ、そして凍てつく空に響き渡るハイトーンボイスが生きるメロディーは、彼の苦しみがあったからこそ生み出されたのではないだろうか。

ティモ・コティペルトの呼び名は小ティモ

ストラトヴァリウスのメンバーは、北欧出身ということもあり長身だ。
イェンス・ヨハンソンとヨルグ・マイケルは180cm付近。ラウリ・ポラーとヤリ・カイヌライネンは190cm以上。
元メンバーのティモ・トルキは他のメンバーよりも長身だったため、2m以上あるのではないかと言われていた。
ヴォーカルのティモ・コティペルトは171cmであり、メンバーの中ではいちばん身長が低い。ファンの間では、ティモ・トルキと区別して「小ティモ」と呼ばれている。

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