三國志(ゲーム)のネタバレ解説・考察まとめ

三國志とは、歴史書『三国志』や歴史長編小説『三国志演義』をベースにした、中国の後漢から三国時代を舞台にした歴史シミュレーションゲームである。コーエーテクモゲームスから発売され、これまでシリーズ化されている。ゲームプロデューサーはシブサワ・コウ。プレイヤーは君主となり、内政や軍事で国力を高め、他君主と合戦を行い領地を広げていく。そして、最終的に中国統一を目指すのがゲーム目標となる。

董卓(とうたく:?~192)
字は仲穎(ちゅうえい)。184年から190年までのシナリオに登場する。統率や武力の能力値が高いが、政治は低い。騎射に優れていたため、騎馬と弓の適性が高い。

はじめは異民族征伐に功があり、并州刺史などを務めた。
それから涼州で発生した反乱などにあたり、そこで奇策を用いる。
その後、都での政変で当時の漢の皇帝・少弟と陳留王(後の献帝)を保護し、「相国」となって漢の権力を握る実力者となる。彼は横暴の限りを尽くした。
袁紹ら反董卓連合軍と戦う際には、都・洛陽を焼き払って長安へ遷都させる。長安でも横暴の限りを尽くし、残虐な行為を行った。
最終的には、配下で自分の養子である呂布に殺害される。

呂布

呂布(りょふ:?~198)
字は奉先(ほうせん)。184年から194年までのシナリオに登場する。統率や武力が高く、武力はトップレベルである。また、馬術や弓術に優れていたことから、騎馬や弓の適性が高い。しかし、知略や政治は低い。

もともと丁原という并州刺史に仕えていたが、都に入った董卓に招かれる。
そして丁原を殺害し、董卓の養子となって、ボディーガードのような役割を果たした。
しかし、遷都先の長安で董卓を殺害する。その理由として、董卓の侍女との関係が発覚してしまうことを恐れていたなどとされている。
その後は各地の群雄を頼り、そのさなか「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と呼ばれるほどの働きをしたという。だが、仕官先には恵まれなかった。
最終的に徐州にいた劉備に反逆し本拠地を乗っ取るも、曹操軍の攻撃を受けて敗北する。そのまま捕らえられて処刑された。
『三国志演義』では方天画戟という武器を所持し、赤兎馬を愛馬とする猛将として描かれ、その強さを示すエピソードが盛り込まれている。また、貂蝉を側室とする。

何進

何進(かしん:?~189)
字は遂高。184年のシナリオに登場する。統率、武力、知略、政治、いずれの能力値はみな低い。

もともとは精肉業を営んでいたが、妹が宮中に上がることになって、役人となって太守などになった。
のち妹が皇后となったことで漢王朝の外戚となり、自身も出世することになる。
黄巾の乱が発生したときには大将軍として、軍事面で指揮を執る。
当時宮中では宦官の影響力が増しており、その勢力を排除しようと考えていた。
ところがその宦官達に襲撃され、宮中で殺害されてしまう。

袁術

袁術(えんじゅつ:?~199)
字は公路。184年から194年までのシナリオに登場する。武力や知略の能力値が高いが、統率や政治は低い。

袁紹と同じく4代にわたって高位高官を出した名門の生まれ。袁紹は兄または従兄にあたる。
初め中央の役人だったが、都・洛陽の南にある南陽の太守となる。
袁紹が新皇帝の擁立を考えるとこれに反対する。そのため袁術と袁紹は敵対関係となり、それに伴い劉表など周辺勢力とも仲が悪くなってしまった。
袁紹と組んでいた曹操・劉表に敗れて、南陽から揚州に本拠地を移す。そして、その揚州の地で「仲(もしくは成)」という国の皇帝を僭称した。
しかし政を顧みず、民衆の反発や家臣の離反を招く。その後、広大な勢力を築いていた袁紹に助けを求めたが、そこに向かっている最中に病死した。

張角

張角(ちょうかく:?~184)
184年のシナリオに登場する。武力は低いが、統率や知略、政治が高い。『三国志演義』では呪術を使えることから、呪術に関する兵法や特技を所有する。

太平道という宗教の創始者にあたる人物。「大賢良師」として、信仰を広めて信者を増やしていった。
当時漢王朝は政治腐敗や災害、反乱などで疲弊しきっていた。張角は密かに漢王朝を打倒し、新しい世を作ろうと考えていた。
そして184年、張角ら太平道の信者達が漢王朝に対して反乱を起こした(黄巾の乱)。自身を「天公将軍」と称して、信者達に対して黄色の巾を頭に付けさせた(黄巾の乱と呼ばれる理由)。
だが、何進を中心とする漢王朝軍にだんだんと鎮圧されていき、そのさなかに病死する。黄巾の乱はわずか1年足らずで鎮圧されたが、残党がその後も反乱行為を行った。
『三国志演義』では南華老仙という人物から「太平要術」という書物を授けられ、風雨といった天候を操る術を得たと描写される。

孟獲

孟獲(もうかく:生没年不詳)
225年や234年のシナリオに登場する。統率や武力の能力値が高いが、知略や政治は低い。

益州南部の豪族で、蜀への反乱に参加する。
討伐に来た諸葛亮の軍と交戦するが、合戦で7度捕まり、7度解放された。
その後諸葛亮に心服して、蜀に対して臣従を誓った。このエピソードは、故事成語「七擒七縦(しちきんしちしょう)」の由来となった。
それから蜀で出世を果たした。
『三国志演義』では南蛮の王として登場し、諸葛亮と戦う。そして、「七擒七縦」の通りに蜀に臣従する。

女性

貂蝉

貂蝉(ちょうぜん)
194年のシナリオに登場する。統率や武力は低いが、知略は高い。

『三国志演義』に登場する架空の女性。もともと孤児で、後に王允が引き取ってわが子のように育てた。
16歳になった頃、養父王允のいわゆる「美女連環の計」に加担する。王允は董卓の横暴をどうにかしようと考え、呂布を利用しようとした。
まず彼女は董卓と呂布の両方に会い、両者を虜にさせた。その彼女を巡り両者の関係は悪化する。最終的に董卓に激怒した呂布が彼を殺害してしまう。
「美女連環の計」は成功し、彼女は呂布の妾となる。しかし、子はなかった。呂布が曹操に徐州で敗れた以降、物語には登場しない。
「三国志」に登場する董卓の侍女が創作元とされている。

大喬・小喬

大喬

小喬

大喬・小喬(だいきょう・しょうきょう)
両者とも194年から207年までのシナリオまで登場する。また、両者とも統率や武力は低いが、知略や政治は高い。

「大橋・小橋」とも表される。父親は橋公、大喬が姉で小喬が妹である。
大喬は孫策の妻、小喬は周瑜の妻である。孫策軍が敵地を攻略したときに姉妹は捕虜となり、その後それぞれ妻となった。
それぞれの夫婦の間に子がいたかどうかはよく分かっていない。
『三国志演義』では「江東の二喬」と呼ばれるほどの美しい女性だといわれている。
赤壁の戦いについて、曹操が二喬を我が手に収めようとしたため、孫権側が大いに怒って戦が始まったと書かれている。

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