RCサクセション(RC Succession)の徹底解説まとめ

RCサクセション(RC Succession)とは、1970年にデビューした日本のロック・バンド。ヴォーカリストの忌野清志郎とギタリストの仲井戸麗市を中心に、数々の名曲・名盤を残してきた。現在でも多くのミュージシャンが影響を受けたバンドとして名前を挙げている。1991年に活動休止状態に入り事実上の解散。2009年5月2日、忌野清志郎の死去により、RCサクセション復活の夢は永遠に絶たれた。

10月28日:シングル「トランジスタ・ラジオ」

Side A
1. トランジスタ・ラジオ

Side B
1. たとえばこんなラヴソング

通算11枚目のシングル。

「トランジスタ・ラジオ」は作詞・作曲:忌野清志郎・G1,238,471、編曲:RCサクセションによる楽曲。
「雨あがりの夜空に」と並ぶ、RCの代表的なロック・ナンバーの一つ。キーボードのGee2wo正式参加後の初のシングルであり、作詞・作曲に彼の名前もクレジットされている(「G1,238,471」名義)。
「授業をサボッて屋上でタバコを吸っている」という歌詞は日野高校時代の清志郎の実体験である。
ホーン・セクションは、梅津和時、片山広明、佐藤春樹、安田信二の4名で「from 生活向上委員会」とクレジットされている。ちなみに「生活向上委員会」を略すと「生向委」=「性行為」となる。

勢いの良いギターのパワー・コードに導かれて始まる、オーソドックスなコード循環の非常にキャッチーなナンバーである。

1992年11月、デビュー前の山崎まさよしがキティ・レコードからこの曲のカヴァーのCDシングルをリリースしている(彼はのちの2007年10月31日リリースの「COVER ALL HO!」でこの「トランジスタ・ラジオ」を再現している)。

当時のディレクターだった森川氏は、この曲が収められたアルバム「PLEASE」がハイレゾ化された際に、「トランジスタ・ラジオ」を聴いてこう回想している。
「聴いてて思い出したんですけど、“彼女 教科書ひろげてるとき”というところに3度上の裏声のハーモニーを入れようって、僕は帰りの車の中で清志郎に言ったんです。そしたら清志郎に、『お前ね、それはビートルズだよ』って言われてね。『ダメ?』って訊いたら、「ビートルズは甘い!』とかなんとか言われたのを覚えてる。(中略)わかりやすくてシンプルな曲を作ろうって、朝、ラジオ関東に行くときの車の中で清志郎とコード進行の話して、それでできてきた曲なんです。彼らも売れなきゃいけない、受けなきゃいけないと思っていたから、ただガナっているだけじゃない曲を作ろうというのは意識してたんだと思います。」

「たとえばこんなラヴ・ソング」は作詞・作曲:忌野清志郎・小林和生、編曲:RCサクセションによる楽曲。

チャック・ベリー・スタイルのギター・リフで始まる、ホーン・セクションの入ったR&Bナンバー。
1980年年4月5日、虎の門・久保講堂で行われたライヴですでに披露されている。
1983年12月5日リリースの「The KING of LIVE」ではアコースティックにアレンジされたカントリー風のヴァージョンで披露されている。

12月5日:アルバム「PLEASE」

Side A
1. ダーリン・ミシン
2. トランジスタ・ラジオ
3. モーニング・コールをよろしく
4. たとえばこんなラヴ・ソング
5. DDはCCライダー
6. Sweet Soul Music

Side B
1. ぼくはタオル
2. ミスター・TVプロデューサー
3. いい事ばかりはありゃしない
4. あきれて物も言えない
5. 体操しようよ

*****

CD PLEASE+4
01 .ダーリン・ミシン
02. トランジスタ・ラジオ
03. モーニング・コールをよろしく
04. たとえばこんなラヴ・ソング
05. DDはCCライダー
06. Sweet Soul Music
07. ぼくはタオル
08. ミスター・TVプロデューサー
09. いい事ばかりはありゃしない
10. あきれて物も言えない
11. 体操しようよ
12. ステップ!
13. 上を向いて歩こう
14. 雨あがりの夜空に
15. 君が僕を知ってる

忌野清志郎、小林和生、仲井戸麗市、新井田耕造、柴田義也(Gee2wo)の5人揃い踏みによる、及びキティ・レコード移籍後初のスタジオ録音アルバム。
メンバーたちには、このアルバムのサウンドが「か細くて軽い」と不満だった。そこで歌詞カードの表に「PLEASE, play it loud」とデカデカと印刷してある。また、彼らには「初期のRCサクセション」でメンバーの同意なしにアレンジや楽器を加えられてしまったり、シングル「ステップ!」の演奏にメンバーが参加できず、スタジオ・ミュージシャンだけの演奏になってしまったという嫌な過去がある。今回のレコーディングで初めてメンバー自身の手によるアレンジと演奏、参加ミュージシャンの選択が出来たことを受けて、注意書き(「レコードから無断でテープその他に録音することは法律で禁じられています」という文章の上)に「このレコードには、人口甘味料、合成着色料、防腐剤などはいっさい使用されておらず、すべてバンドマンだけで演奏されています。安心して御利用下さい。」という文章が書き加えられている。
メンバーたちが不満に思ったように、たしかに音はか細い印象はあるが、粒ぞろいの楽曲が揃っており、良い意味でポップなアルバムになっている。

当時のディレクターだった森川欣信はインタビューでこう回想している。
「僕はこのアルバムの音はなかなかいいと思ってたんだけど、清志郎たちは不満があったみたいですね。自分たちが聴いてきた洋楽みたいな太い音や空気感がなんで出ないのかとか、ドラムとベースの音がなんで空間的に深くならないのかとか。エンジニアも要求に応えようと苦労して工夫はしてたけど……僕はそんな中でも『PLEASE』はすごくバランスよく録れたと思ったんですけど、清志郎たちにしてみたら音が軽い、薄いっていうのはあったようですね。」
「テイクもかなり重ねましたね。7月ぐらいから録り始めて、10月の初めぐらいまでかかったのを覚えてます。僕は『RHAPSODY』や『PLEASE』には、本当にRCの隆盛を極めたような名曲がバランスよく入っていると思います。清志郎って、そのときそのときのことを歌う人で、このときの彼は若くて、貧しくて、無名なわけですよ。そんな気持ちを込めた曲なのに、聴くとさらっとした仕上がりなんですよね。なんで認められないんだとか、こんちくしょうとか、焦っているような気持ちとか、そういうのがパッケージされなかったと思っていたんじゃないかな。エンジニアはきれいに録ろうとするし、聴きやすく仕上げようとしますからね。」
「(ギターが一人になってしまったことに対して仲井戸は)プレッシャーを感じていましたよ。もともとCHABOって古井戸時代からアコギ歴が長かった人だから、バッキングのギタリストとしては素晴らしかったけど、弾きまくる人じゃなかったし。銀次がいなくなってからは、どうやってあの音を埋めなきゃいけないかとかって考えてましたね。だから、この時点でCHABOはエレキがものすごく上達したと思います。」

「ダーリン・ミシン」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
古くからのレパートリーで、1970年4月頃のセット・リストにはすでに含まれていた。

「トランジスタ・ラジオ」は作詞・作曲:忌野清志郎・G1,238,471、編曲:RCサクセションによる楽曲。
シングル・ヴァージョンとはミックスが異なっている。

「モーニング・コールをよろしく」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
「トランジスタ・ラジオ」と同じようにオーソドックスな循環コードによるブルージーな1曲。

「たとえばこんなラヴ・ソング」は作詞・作曲:忌野清志郎・小林和生、編曲:RCサクセションによる楽曲。
シングルと同じヴァージョンが収録されている。

「DDはCCライダー」は作詞・作曲:G忌麗、編曲:RCサクセションによる楽曲。G忌麗は、G1,238,471・忌野清志郎・仲井戸麗市のこと。
勢いのよいスピード感溢れるロック・ナンバー。エンディングでは、ザ・ビートルズの「ペイパーバック・ライター」のコーラスの引用が出てくる。
「C.C.RIDER」という今はスタンダードになっているロック・ナンバーがあるが、もともとは女性ブルース・シンガー「マ・レイニー」により1924年に録音された「SEE SEE RIDER」がオリジナルと言われている。

「Sweet Soul Music」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
清志郎のオーティス愛が生んだサザン・ソウル風のような楽曲。最後にオーティス・レディングの「ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ」の一節が歌われている。
1980年年4月5日、虎の門・久保講堂で行われたライヴですでに披露されている。
当時のディレクター森川氏がこの曲について以下のようにコメントしている。
「これは最初、上田正樹のために清志郎が書いた曲だったんです。でも上田バージョンはいいテイクが録れなくて。僕はすごくいい曲だと思っていたから、RCでやったほうがいいよって感じで、自然の流れでレコーディングに至りました。彼らはその前からソウルみたいなものが好きだったんだけど、まだそれほど黒っぽいノリは出せていなかった。それがこのころになって、真似じゃなくて、向こうのものを自分の中で消化して、オリジナリティを出せるようになったと思います。このころGee2wo(key)が入ったでしょ? 彼がクラビネットとかを弾くから、ファンキーな味を出しやすくなったということもありますね。」

「ぼくはタオル」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
オーティスの次はボ・ディドリーのジャングル・ビートが飛び出してくる。
歌詞の中にある「カラカラに干されて あきらめても干されて でもまだ干されてる」は以前ホリプロから「干された」ことに対する恨みから生まれている。
冒頭の「ア~ア~」という叫び声はディレクターの森川氏による。再び森川氏のコメント。
「『ぼくはタオル』をスタジオで初めて聴いたとき、僕はレッド・ツェッペリンを思い出して、『移民の歌』じゃないけど、頭にターザンみたいな声を入れようって言ったんです。ジャングル・ビートだし。そしたら清志郎が『ターザンみたいな声って言われてもわからないから、森川、やってみろ』っていうから、ア~ア~ってやったんですよ。そしたら清志郎がそれを気に入って、それがそのままレコードに入ったんです。」

「ミスター・TVプロデューサー」は作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市、編曲:RCサクセションによる楽曲。
清志郎のテレビに対する本音が出ている曲なのだろう。ちょっと一息的なスタンスを持った楽曲。

「いい事ばかりはありゃしない」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
極上のソウル・ナンバー。どことなくザ・バンドの「ザ・ウェイト」を思い起こさせる。
暗黒時代に作られた楽曲で、当時のサブ・マネージャーのオオシロ氏の実体験を元に歌詞が作られているという。野暮な説明かもしれないが「月光仮面が来ない」というのは「(あの娘の)月のものが来ない」ということ。
1980年年4月5日、虎の門・久保講堂で行われたライヴですでに披露されている。

「あきれて物も言えない」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
ヘヴィーなブルース・ナンバー。のちに「COVERS」でRCがカヴァーすることになる、アルバート・キングの「悪い星の下に」を思い起こさせる。
ここで歌われている「山師」とは泉谷しげるのこと。暗黒時代に遠回しに清志郎を励まそうとして泉谷は「清志郎はもうだめだよ。立ち直れねえな」と事務所のスタッフに語ったが、これが歪曲された形で清志郎の耳に入ってしまい、清志郎が激怒した、というのが経緯。清志郎はステージでこの曲を歌う際に「どっかの山師」を「びっこの山師」と変えて歌うことがあった。これは、泉谷が子供の頃にポリオウィルスに感染してしまい、その後遺症で足が不自由であったからである。

「体操しようよ」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
こちらはライトなほんわかとするブルース・タイプの曲。毒を吐きまくるヘヴィーなナンバーから、この曲のようにほのぼのとしたナンバーまで、この幅の広さもRCの、そして清志郎の魅力の一つだろう。

1981年

6月1日:アルバム「EPLP」

Side A
1. わかってもらえるさ
2. ステップ!
3. 雨あがりの夜空に
4. ボスしけてるぜ
5. トランジスタ・ラジオ

Side B

1. よごれた顔でこんにちは
2. 上を向いて歩こう
3. 君が僕を知ってる
4. キモちE
5. たとえばこんなラヴ・ソング

*****

CD EPLP
*アナログ盤と同一

キティ・レコードに移籍してからリリースされた5枚のシングルをまとめたアルバム。
EPをLPにまとめたので「EPLP」となっている。
シングルのA面をアルバムのA面に、シングルのB面をアルバムのB面に、それぞれリリース順に収録している。よってアルバムとしてのまとまりは希薄ではある。
「わかってもらえるさ」などはずっと廃盤状態だったため、このアルバムに収録されるまで入手困難であった。「トランジスタ・ラジオ」はシングル・ミックスで収録されている。

11月21日:アルバム「BLUE」

Side A
1. ロックン・ロール・ショー
2. Johnny Blue
3. 多摩蘭坂
4. ガ・ガ・ガ・ガ・ガ

Side B
1. まぼろし
2. チャンスは今夜
3. よそ者
4. あの娘のレター

*****

CD BLUE+2
01. ロックン・ロール・ショー
02. Johnny Blue
03. 多摩蘭坂
04. ガ・ガ・ガ・ガ・ガ
05. まぼろし
06. チャンスは今夜
07. よそ者
08. あの娘のレター
09. ボスしけてるぜ
10. キモちE

初の完全自己プロデュース作品。
今までもプロデュースには連名でRCの名前がクレジットされてはいたが、本作のプロデュースには「RCサクセション」だけがクレジットされている。
前作「PLEASE」の音がか細くて軽い音になってしまったため、本作はリハーサルスタジオでの一発録りを基本として制作されている。
暗黒時代から書き溜めていた曲や、ライヴでのレパートリーが大半で、ディレクターだった森川氏の回想では新曲は「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」と「チャンスは今夜」だけであったという。
リリース当時のアルバムの帯には「退屈なこの国に、ニューアルバムが届く」というコピーがあった。
音がクリアーではない、という批判を受けることの多いアルバムだが、収録されている楽曲はそんな批判を凌駕するだけのクオリティを保っている。骨太でふてぶてしいくらいに堂々としたロックと、繊細で指を触れるのもためらわれるようなバラードが揃っている。ソウルフルで極上なヴォーカルと演奏が詰まっている。音質の悪さを嘆くまえに、最高水準の音質でくだらないロックもどきを聴かせることが多いこの国を嘆くほうが先だろう。

それはともかく、音質云々に関しては当時のディレクターの森川氏がこう回想している。
「そうですね。『BLUE』はエンジニアをリンコさんの弟の小林キンスケに替えたんです。彼はRCのライブのPAをやってた人なんです。だから、すごくライブっぽい音とスタジオ録音のバランスが取れるんじゃないかということで起用したわけです。スタジオも自分たちが当時ずっとリハーサルをやっていた並木橋のスタジオJで、そこに16チャンのレコーダーがあったんで、それで録ろうってことになりました。清志郎たちがよく、『PLEASE』は“歌謡曲ミックス”みたいなバランスだって言ってたから。
それでキンスケは頑張ったんですけど、スタジオの鳴りもあるし、録り方もあっただろうし、機材的にもまだまだだったし、僕らもやり方がわからなかったし、清志郎たちもわかっていなかった。だから、『BLUE』って極端にボーカルが小さいでしょ? 洋楽って日本のものほどボーカルがオンじゃない、引っ込んでるって言われるけど、でもそれでちゃんとバランスを保っているんですよね。
『BLUE』の場合には、バッキングの音を大きくしてボーカルを抑えるとロックっぽくなるんじゃないかという試みでやったんだと思いますが、はたして成功したかというと疑問です。でも僕はこのアルバム、好きは好きなんです。当時は斬新なミックスだなって思いました。
この中にも昔からの曲がまだ多く入ってるんですよ。新曲は「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」と、CHABOの「チャンスは今夜」ぐらいかな。「Johnny Blue」はCHABOが古井戸でやってた曲を少し変えたものだし、「よそ者」も原型はずっと前からあったんじゃないかな。ほとんどが前からある曲ですね。彼らは持ち曲がすごくあったんですよ。30曲ぐらいは使える曲があったから。」

「ロックン・ロール・ショー」は作詞・作曲・編曲:RCサクセションによる楽曲。
作詞・作曲・編曲が「RCサクセション」になっている初のナンバー。ただし、2005年10月26日リリースの「RHAPSODY NAKED」収録時は「作詞・作曲:忌野清志郎」になっている。
1980年年4月5日、虎の門・久保講堂で行われたライヴですでに披露されており、この時の模様を収録した「RHAPSODY NAKED」ではイントロのギター・リフを小川銀次が弾いており、本作で弾いている仲井戸麗市のプレイよりもしなやかな感じになっている。仲井戸のプレイはもっと歯切れが良い仕上がりになっている。また、ヴォーカルも演奏も本作に収録されたヴァージョンの方が重く、ふてぶてしい。
とにかくハイハットとバス・ドラが印象的なドラムスとギター・リフの絡むイントロが格好良い。
森川氏はこう回想している。
「ボーカルに何かフェイジングのような変なエフェクトがかかってるね、コンプかな(笑)。録り終えてからトータル・リミッターみたいなのをかけたのかな、これ。不思議なサウンドですね。」

「Johnny Blue」は作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市、編曲:RCサクセションによる楽曲。
古井戸の6枚目のアルバム「酔醒」に収録されていた「飲んだくジョニー」というブルースを改作した楽曲。清志郎は古井戸のヴァージョンに不満があったため、RC版が作成された。

「多摩蘭坂」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
この曲に関して清志郎はこう語っている。
「住んでたんです(笑)。多摩蘭坂のところに家を借りて。20代半ばぐらいですかねえ。あの『シングル・マン』のちょっとあとぐらいだと思うんだよね。この曲、好きです。でも、これは自分の中で珍しい作りになってますよね。こう囁くように唄い出して、徐々に坂を登っていくように盛り上がってですね、途中のサビでもう大張り上げ大会んなって、最後に下っていくという。あたかも坂のようなこう(笑)」
国立と国分寺の堺くらいに実際に存在する坂で、以前は勾配が強かったため「たまらん、たまらん」と言って人々が登っていったことが名前の由来と言われている。現在は勾配はゆるい。
「多摩蘭坂」は当て字で、実際には「たまらん坂」とひらがな表記であるが、京王電鉄バス停の名前はこの漢字表記が採用されている。

「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」は作詞・作曲:G忌麗、編曲:RCサクセションによる楽曲。
このアルバムのために用意された新曲のひとつ。
曲のタイトルはオーティス・レディングの「Fa-Fa-Fa-Fa-Fa (Sad Song)」と、オーティスから影響された歌い方「ガッ! ガッ! ガッ!」が掛け合わされていると思われる。
ファズの効いたギターとホーン・セクションによるR&Bナンバー。Gee 2woのよく転がるホンキー・トンクなキーボードがいい味を出している。

「まぼろし」は作詞・作曲:忌野清志郎、編曲:RCサクセションによる楽曲。
歌詞にある「僕の理解者は 行って(逝って)しまった もう随分前の忘れそうなことさ」の「理解者」とは、清志郎の中学・高校時代の同級生で1977年8月に鉄道自殺してしまった日隈権座のこと。清志郎が彼のまぼろしを見たことが元になって書かれた曲。日隈権座はセカンド・アルバム「楽しい夕に」の「日隅くんの自転車のうしろに乗りなよ」に登場したり、同アルバムのミキサーにクレジットされている。また「君はそのうち死ぬだろう」は、清志郎が鬱に苦しんでいた日隈権座を逆説的に励まそうとした曲である。彼の自殺は思った以上に清志郎に影響を与えたのだろう。仲井戸の弾く泣きのギターが胸を締め付ける。

「チャンスは今夜」は作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市、編曲:RCサクセションによる楽曲。
仲井戸がRCのメンバーとして初めてリード・ヴォーカルをとった楽曲で、当時仲井戸が好きだったストレイ・キャッツに影響を受けたロカビリー・ナンバー。本アルバム用に用意された新曲のひとつ。
ディレクターの森川氏はこう回想している。
(仲井戸が初めてヴォーカルを取ったことに対して)
「ビートルズだってジョージも歌うし、ストーンズだってキースの歌う曲がアルバムに1曲入ってたりするでしょう? CHABOもギタリストだけど素晴らしいソングライターであるしボーカリストでもあるから、彼のボーカル曲を入れようということになったんですよね。バンドっていう意識がより強くなってたんじゃないかな。」

「よそ者」は作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市・奥津光洋、編曲:RCサクセションによる楽曲。
奥津光洋は3人体制だった頃の古井戸のメンバー。仲井戸の家に奥津と清志郎が集まってできた曲。どことなく演歌っぽい単語が出てくる、日本的な歌詞を持ったソウルフルなナンバー。

「あの娘のレター」は作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市、編曲:RCサクセションによる楽曲。
シングル・カットされる予定があったが、歌詞の中に「ポリ公」という表現があり、これがレコ倫に引っかかりリリースすることができなかった。本作に収録された際には、その部分はノイズ音で消されている。「やたらイキがって■ ■ ■ サイレン鳴らしてきた」の「■ ■ ■ 」の部分がそれである。
歌詞カードでも伏字となっているが、「■ ■ ■ この部分、職業差別用語に繊細な感受性をお持ちの方々の御意向を汲みまして、レコードでは割愛させていただきました。なお、ライブでは勝手に使わせていただきますので、ご不満のお残りの方は、コンサートに来てお楽しみ下さい」という注意書きがあった
ちなみにカラオケ用のビデオでも、この箇所にはノイズ音が被せられており、歌詞のテロップも「■ ■ ■ 」になっている。
1982年頃の「サントリー・ウォッカ SALTY DOG」のCMに、本アルバムの次にリリースされる「BEAT POPS」収録の「あの夏のGoGo」にこの曲の歌詞を流用した未発表曲が使用されていた。

1982年

3月21日:アルバム「HARD FOLK SUCCESSION」

Side A
1. キミかわいいね
2. シュー
3. 三番目に大事なもの
4. けむり
5. 去年の今頃
6. 日隅くんの自転車のうしろに乗りなよ
7. ぼくの自転車のうしろに乗りなよ

Side B
1. ぼくの好きな先生
2. 2時間35分
3. あの娘の悪い噂
4. 言論の自由
5. イエスタディをうたって
6. どろだらけの海
7. あの歌が思い出せない
8. エミちゃんおめでとう
9. メッセージ

*****

CD RHAPSODY
*アナログ盤と同一

ポリドール移籍前、東芝時代の作品をまとめた編集盤。1970年~1972年にリリースされた5枚のシングルと2枚のアルバムから選挙されている。不思議なことにデビュー曲の「宝くじは買わない」はオミットされている。またシングルのみでリリースされた「涙でいっぱい」と「あの歌が想い出せない」が収録されていなかったので、これらの楽曲はしばらく入手困難な状態だった。
「三番目に大事なもの」以外は既存のヴァージョンがそのまま収録されている。「三番目に大事なもの」はシングル・ヴァージョンからストリングスが省かれた、忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチの3人のみの歌と演奏になっている。

4月5日:アルバム「Yeahhhhhh...at武道館」

Side A
1. ロックンロール・ショー
2. Sweet Soul Music
3. ダーリン・ミシン
4. ガ・ガ・ガ・ガ・ガ
5. 多摩蘭坂
6. チャンスは今夜

Side B
1. あきれてものも言えない
2. トランジスタ・ラジオ
3. ブン・ブン・ブン
4. スローバラード
5. 雨あがりの夜空に

*****

CD Yeahhhhhh...at武道館
*2018年2月現在:未CD化

1981年12月24日、のちに恒例となる日本武道館でのクリスマス・ライヴの記念すべき第一回目を記録したライヴ・アルバム。ただし収録時間が長かったために、レコードでのリリースは見送られ、カセットのみのリリースとなった。通常盤と「天使のイヤリング」が付録についてきた限定盤があった。
この日のライヴの模様は同時期にリリースされたレーザー・ディスク(のちにビデオもリリースされる)「RC SUCCESSION AT BUDOHKAN」で観ることが出来る。映像盤にはカセット盤に収録されなかった「よォーこそ」「恐るべきジェネレーションの違い(Oh,Ya!)」が収録されている。
現在、カセットはヤフオクなどでプレミアがついて出回っている。映像盤は2017年3月8日にユニバーサル・ミュージックよりDVDで再発されている。

6月23日:シングル「SUMMER TOUR」

Side A
1. SUMMER TOUR

Side B
1. ノイローゼダンシング・CHABOは不眠症

前年の1981年にはシングルのリリースがなかったため、1980年10月28日リリースの「トランジスタ・ラジオ」以来、約1年8ヶ月ぶりのシングル。ただし、本シングルリリースの約4ヶ月前には忌野清志郎+坂本龍一名義での「い・け・な・いルージュマジック」のシングルがリリースされ、世間をおおいに騒がせている。

「SUMMER TOUR」は作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市、編曲:RCサクセションによる楽曲。
シンセのシーケンサーらしき音を使うなど、テクノ・ポップやニュー・ウェイヴの影響が見られる楽曲。「急いで旅立てジャック!」はレイ・チャールズのヒット曲「旅立てジャック」からの引用。
大ヒット、とまではいかないまでもスマッシュ・ヒットしており、TBSテレビ系で放送されていた「ザ・ベストテン」の第234回に、第8位でランクイン、出演もしている。これが最初で最後の「ザ・ベストテン」出演となった。
この年の6月14日、フジテレビ系で放送された「夜のヒットスタジオ」に出演し、この「SUMMER TOUR」を演奏した際、清志郎が噛んでいたガムをテレビカメラに向かって吐きかけたり、そのことで視聴者へ謝罪する司会者の後ろでふざけた態度をとったりしたことから、テレビ局に多くの抗議の電話が殺到した。
アルバム「BEAT POPS」に収録された同曲は、1982年8月7日、横浜球場で行われた「THE DAY OF R&B」でのライヴ・ヴァージョンが使用されている。スタジオ・ヴァージョンは2004年2月25日リリースの「GOLDEN★BEST UNIVERSAL EDITION」に収録されている。

「ノイローゼダンシング・CHABOは不眠症」は作詞・作曲・編曲:RCサクセションによる楽曲。
仲井戸がリード・ヴォーカルをとる、ブルースを基調としたヘヴィーなギター・ナンバー。人気者になったがゆえに、回りに群がってくる「小娘」たちにうんざりしているんだぜ、といった内容の歌詞になっている。仲井戸のヴォーカルは清志郎に負けないくらいに毒があって悪意に満ちている。
オリジナル・アルバム未収録であり、メンバーに無断でリリースされた「EPLP-2」に収録されたが、廃盤となったため、しばらくは入手困難な状態だった。2005年6月1日リリースの編集盤「GREATFUL DAYS 1981-90」に無事収録された。

10月25日:アルバム「BEAT POPS」

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