Jamiroquai(ジャミロクワイ)の徹底解説まとめ

Jamiroquai(ジャミロクワイ)とは、1992年にジェイ・ケイを中心にデビューしたイギリスのバンド。デビューシングル「When You Gonna Learn」がロンドンのクラブシーンでヒットし、新人ながらソニーミュージックとアルバム8枚分の契約を結ぶ。1996年リリースの『Travelling Without Moving』はミリオンヒットとなり、世界一売れたファンクアルバムとしてギネスに認定された。全世界で3500万枚以上の売り上げを誇る。

Sola Akingbola(ソラ・アキンボラ/per)

アフリカ、ナイジェリア、ラゴス出身のパーカッショニスト。3枚目のアルバム『Travelling Without Moving』よりジャミロクワイに参加。
ジェイ・ケイはドラムのデリック・マッケンジーに、新しい打楽器奏者を見つける任務を与え、デリックはソラのユニークな名前に興味をそそられ、すぐに電話を入れた。
ソラはちょうどその頃、同じくアシッドジャズ系の新進気鋭のジャズギタリスト、ロニー・ジョーダンと8ヶ月に及ぶワールドツアーを終えたところだった。そしてジャミロクワイに参加し、アルバム『Travelling Without Moving』からの一曲「Use the Force」をジェイと共同作曲、ジャミロクワイのエレクトロサウンドとアフリカ音楽を見事融合させ、以降、彼の存在はバンドにとってサウンド面で不可欠な存在となる。

Rob Harris(ロブ・ハリス/g)

80年代にセッションギタリスト兼プロデューサーとして活動を始めたロブは、90年代に更に活動の幅を広げ、パッセディーナ、ゲイリーニューマン、マークオーウェン、アルファビル等のレコーディングやツアーに参加し、1999年、遂にジャミロクワイのメンバーとなる。『Funk Odyssey,』『Dynamite』『Rock Dust Light Star』等のアルバムで演奏と共同作曲として貢献し、2017 リリースの最新作『Automaton』にも参加し同年4月からのワールドツアーにも参加した。

Matt Johnson(マット・ジョンソン/key)

1969年2月3日生まれ。前任のギタリスト、サイモンカッツの勧めでオーディションを受け、2002年5月2日から創立メンバーであるキーボーディストのトビー・スミスの代わりに参加する。 2017年のアルバム『Automaton』ではジェイ・ケイと共にいくつかの曲をソングライティングしている。

Paul Turner(ポール・ターナー/b)

1968年3月11日生まれ。2005年よりジャミロクワイのメンバーとなる。それ以前には2002年から、元ユーリズミックスのアニー・レノックスとの活動が有名であるが、その他にもティナ・ターナー、ブライアン・フェリー、ジョージ・マイケル、トム・ジョーンズ、テイク・ザット等の大物をはじめ70人以上ものアーティスとセッションしてきた。ジャミロクワイ参加後も自身率いるファンクバンドShufflerを率いたり、エレクトリックプログレッシブトリオ The Dark Sinatrasに関わったり、ハウスバンドを率いてイギリスのテレビショーに出演したりと、バンド以外の活動も精力的に行っている。

Jamiroquai(ジャミロクワイ)の旧メンバー

Nick Van Gelder (ニック・ヴァン・ゲルダー/dr)

ジャミロクワイの片腕として多くの名曲を生んできた影の功労者。そしてKeb DargeのパートナーとしてDeep Funkプロダクションを育んできた、UKソウル/ファンク・シーンの超大御所。
彼は実は非常にマルチな才能に恵まれたミュージシャンであり、ドラムにとどまらず、キーボードやギター、ベースも弾きこなし、プログラミングも行う。
ジャミロクワイの他にもオマー、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、インコグニートなどなど数々のUK ファンク・ソウルのビートを支えてきたドラマーである。
ジャミロクワイには結成から参加、1993年、2作目のアルバムの日本先行シングル曲「The Kids」までを担当した後に脱退し、1994年の2作目アルバム作りからはデリック・マッケンジーが担当している。

Toby Smith (トビー・スミス/key)

1970年10月29日生まれ、2017年4月11日没。1992年のジャミロクワイ結成時からキーボディスト兼共同作曲家として在籍した。当時のジェイ・ケイのマネージャーはスミスをバンドに加えることを強く勧めた。
グループの最初の5枚のアルバムに参加し、「ヴァーチャル・インサニティ」、「スペース・カウボーイ」、「ディーパー・アンダーグラウンド」を含む初期のヒット曲の多くを共作しグループに大きく貢献した。2002年4月29日、『the Funk Odyssey』のツアー中に家族との時間を優先することを理由にバンドを去り、後任にはマット・ジョンソンが就任した。6年にも及ぶ癌との闘病の末、2017年4月11日死去した。46歳だった。
オリジナルメンバーだったベースのゼンダーは自身のInstagramで「共に音楽を作れて光栄だった、最も才能あるミュージシャンだった。トビー、君のような人はもう二度と現れないだろう。君の光は永遠に輝き続ける。俺と皆の人生を明るく照らしてくれてありがとう」と追悼した。

Stuart Zender(スチュワート・ゼンダー/b)

早熟の天才ベーシスト。1974年3月18日生まれ、本名スチュワート・パトリック・ジュード・ゼンダー。ジャミロクワイの結成メンバー。初代ドラマーのニック・ヴァン・ゲルダーの紹介でジェイ・ケイと出会い、バンドに参加すると、その特徴的なメロディーを織りなすベースプレイで一躍有名になる。その中でも特筆すべきは代表作『Travering without Moving』からのタイトルトラックのゼンダーのグルーブ感溢れるベースラインである。卓越したセンスと技術から繰り出されるそのサウンドは、まさに唯一無二。ベーシストであれば必聴の楽曲だ。4枚目のアルバム『シンクロナイズド」レコーディング中の1998年、ジェイ・ケイとの激しい対立によりバンドを去る。対立の要因はジェイ・ケイ側からは完全には明かされていないが、ゼンダーによると対立の原因は、彼や他のメンバーの作曲面やプロデュース面の貢献に対しての評価の低さを挙げている。また、ゼンダーはU.Kガールズポップグループ「オール・セインツ」のメラニー・ブラっトと結婚、娘のリリエラも誕生し、家族との時間を優先することを選んだことも脱退の一因である。

Nick Fyffe(ニック・ファイフ/b)

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