『この世界の片隅に』とは、こうの史代による漫画、およびそれを原作としたアニメ映画などの派生作品である。戦時下の呉を舞台に、嫁いできた浦野すずが過酷な日常の中で懸命に生きる姿を描く。本作には、座敷童や人さらいの化け物などの妖怪が登場しており、大きな役割を果たしている。ここでは、『この世界の片隅に』に隠されているさまざまな裏設定やトリビアについて紹介する。
本作の圧倒的な写実性を支えているのは、徹底した調査に基づき、かつて広島や呉の街に実在した人々が劇中に登場している点である。
具体的には、劇中に登場するある男性が、高松翠という人物の父親であることが親族によって確認されている。また、その隣に並ぶ女性も土肥ヨヲという人物であることが分かっており、遺族や当時の写真を知る人々からは「特徴を実によく捉えている」との声が上がっている。
撃沈される戦艦大和の乗組員が描写されている
戦艦大和の乗組員が描写されている
劇中では兵士たちを「万歳」と送り出す場面が描かれるが、そこには当時の人々が抱えていた複雑な葛藤が内包されている。表向きは喜んでいるように見えるが、その内心では「嘘」や「インチキ」の中で生きざるを得ない、戦時下の日本人の閉塞感が浮き彫りにされている。
特に印象的なのが、戦艦大和の描写である。本作で描かれている大和は兵器ではなく、そこに「2,700人もの乗組員がいる」という動かしがたい事実である。大和が沈むということは、単なる軍艦の喪失ではなく、2,700人もの命が失われることを意味するのだ。
本作では、戦史上のデータとしてではなく、一人ひとりに家族があり、暮らしがあった人間が集まった場所として軍艦を描くことで、戦争がもたらす喪失の巨大さを個人の視点から突きつけているのである。
水原哲の兄が亡くなった転覆事故は実際にあった
水原の兄が亡くなった転覆事故は実際にあった
水原哲が兄を亡くした海難事故は、単なるフィクションではなく、実際に発生した事故に基づいている。作中の描写を確認すると、「昭和13年(1938年)2月」の回で四十九日が間近に迫っており、「18年12月」の回では七回忌が営まれている。これらの時系列から逆算すると、兄が亡くなったのは昭和13年1月初旬ということになる。
この時期、広島の宇品沖では「宇品沖惨事」と呼ばれる凄惨な事故が発生した。昭和13年1月2日午後4時頃、能美島へ向かっていた江田島汽船「みどり丸(14トン)」が、約80名の乗客を乗せたまま峠島付近で強風に煽られ、右舷に傾きわずか5分で沈没したのである。
翌日正午までに51名が救助されたものの、そのうち11名が死亡。さらに呉鎮守府の掃海艇や潜水夫による捜索の結果、引き揚げられた船内から21体の遺体が収容され、依然として9名が行方不明となる大惨事となった。
水原哲が「兄の遺体は見つからず、海に消えた」と語り、波間に跳ねる「白い兎」を幻視する背景には、こうした歴史的な事実と、遺族の消えない悲しみが深く刻まれている。
祖母がすずに教える「傘」の話は初夜の比喩
「傘」のアドバイスの意味
作中では、嫁入りを控えたすずに対し、祖母が独特な「風習」を教える場面が登場する。祖母はすずに、初夜の席で夫から「傘を持ってきたか」と問われたら「新しいのを持ってきました」と答え、「差してもええか」と問われたら「どうぞ」と答えるようにと言い聞かせる。
すずはその真意を尋ねるが、祖母は「何でもじゃ」とはぐらかしてしまう。この傘の話だが、実は極めて直接的な性交渉の隠喩となっている。
当時の性教育が露骨な言葉を避け、こうした象徴的な比喩を通じて行われていたことを示していると言えるだろう。
すずは妊娠していない
物語中盤で、すずが自身の体の変化から妊娠したと勘違いするシーンがある。原作ではこの経緯がはっきりと描かれているのだが、映画版では時間的な制約もあり、短い視覚的演出によって結末が示唆されている。
まず、橋の上で周作とすずが顔を見合わせ、妊娠かという期待から「あっ!」と声を上げる。その翌朝の食卓では、すずの茶碗に二人分(赤ちゃんの分を含めた)のご飯がよそわれている。しかし、その直後に映し出されるのは、医院から力なく出てくるすずの遠景。そしてその後の夕食シーンでは、すずの前に置かれたのは質素な「一人分」の、それも上澄みだけの汁物だった。
この「やっぱり一人分」という食卓の対比によって、妊娠が勘違いだったという事実を演出しているのだ。
なお、原作では戦時下の栄養失調による生理不順が原因であったことがわかっている。
すみの腕のアザは原爆症
すみの腕のアザは原爆症説
物語の終盤、妹のすみの腕に現れる不自然な痣は、彼女が広島で被爆したことによる原爆症の発症を意味している。原爆症は被爆直後に発症する場合もあれば、数十年を経てから現れることもある。
劇中ですみが体のだるさを訴えたり、節々の痛みを口にしたりする様子も、当時の被爆者が辿った典型的な症状と重なる。
中盤ですみの入浴シーンが描かれるが、これはサービスカットではなく、その後の悲劇を際立たせるための演出なのだ。あの日、健康的で美しい裸身を晒していた彼女が、戦後、原爆の目に見えない毒によって衰弱していく姿を対比させることで、観客は「どこにでもいる普通の女の子」の命が無慈悲に奪われていく現実を突きつけている。
戦災孤児の女の子は晴美とは反対の手で母親と手をつないでいたから助かった
晴美がすずと手を繋いでいたのは左手。戦災孤児が母親と手を繋いでいたのはどっちの手だっただろうか。
作中ですずの姪である晴美が爆発に巻き込まれて亡くなった際、彼女がすずと繋いでいたのは「左手」だった。一方、物語の終盤に登場し、すずと周作に引き取られることになる戦災孤児の少女は、母親と「右手」で手を繋いでいた。
この二人も対比となっている。おそらく、右手で手を繋いでいたことが、少女の命を救った重要な要因なのだ。
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目次 - Contents
- 『この世界の片隅に』の概要
- 裏設定・都市伝説・トリビアについて
- 『この世界の片隅に』は優れた「妖怪映画」でもある
- 座敷童の正体は白木リン
- 「人さらい」の正体はすずの兄・要一
- 『この世界の片隅に』は「いなくなった人」が姿を変えて帰ってくる物語
- 初期のすずとラストのすずでは方言が違う
- 呉の住人となった「すず」と広島の妹「すみ」の対比
- 四季に合わせてトンボを描き分けている映画版
- 広島に実在した人物が登場
- 撃沈される戦艦大和の乗組員が描写されている
- 水原哲の兄が亡くなった転覆事故は実際にあった
- 祖母がすずに教える「傘」の話は初夜の比喩
- すずは妊娠していない
- すみの腕のアザは原爆症
- 戦災孤児の女の子は晴美とは反対の手で母親と手をつないでいたから助かった
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