『この世界の片隅に』とは、こうの史代による漫画、およびそれを原作としたアニメ映画などの派生作品である。戦時下の呉を舞台に、嫁いできた浦野すずが過酷な日常の中で懸命に生きる姿を描く。本作には、座敷童や人さらいの化け物などの妖怪が登場しており、大きな役割を果たしている。ここでは、『この世界の片隅に』に隠されているさまざまな裏設定やトリビアについて紹介する。
『この世界の片隅に』の概要
『この世界の片隅に』とは、こうの史代が手掛けた漫画作品、およびそれを基にしたドラマ、アニメ映画、舞台作品である。原作は2007年から2009年にかけて『漫画アクション』で連載された。
本作は、第二次世界大戦下の広島県呉市を主な舞台とし、戦火が激しさを増す過酷な状況においても、ささやかな日常を慈しみながら生きる女性・浦野すず(うらの すず)の生涯を綴っている。前作『夕凪の街 桜の国』で原爆投下後の広島を描いた著者は、本作において軍都・呉を舞台に選び、空襲や食糧難といった戦争の全貌と、その中で懸命に灯る人々の「生」の輝きを描き出している。
物語の主軸は、広島市江波で絵を描くことが大好きだった少女・すずが、1944年に呉の北條家へと嫁ぐ場面から始まる。慣れない土地での暮らしや小姑との関係に悩みながらも、すずは持ち前の明るさと独創的な工夫で、乏しい物資をやり繰りし、家族との絆を深めていく。しかし1945年、軍港である呉は絶え間ない空襲に見舞われ、大切な家族との別れやすず自身の右手の喪失など、容赦ない悲劇が彼女を襲う。暴力によって平穏が崩れ去る世界で、すずは自らの居場所を見出そうと葛藤し続ける。
本作は第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞をはじめ、多くの主要な漫画賞や年間ランキングで首位を獲得するなど、現代日本を代表する名作として高く評価されている。
作者のこうの史代が描く作品は緻密な知的パズルのようになっており、画面の隅に秘かに重要なものが描かれていたりする。アニメ映画も繰り返し見ることで隠されている設定に気付くような設計になっており、見るたびに新しい発見があると評判である。
裏設定・都市伝説・トリビアについて
『この世界の片隅に』には、物語の細部にまで緻密な意図が込められた裏設定やトリビアが数多く存在する。中には、作中に登場する座敷童や人さらいの正体など、深く考察せずにはいられないものも多い。そこでここでは、ファンならずとも驚くような背景や裏設定などを紹介していく。これらを知ることで、『この世界の片隅に』をより深く味わうことができるだろう。
『この世界の片隅に』は優れた「妖怪映画」でもある
一見すると戦時下の日常を描いた戦争映画のように思われる本作だが、実は「物の怪(モノノケ)」が登場人物の出会いや別れにおいて極めて重要な役割を果たす「民俗映画」であり、「妖怪映画」でもある。
物語の端々には妖怪たちが影を落としており、それらがキャラクターたちの運命を密かに繋ぎ合わせている。
座敷童の正体は白木リン
出典: pds.exblog.jp
すずが海苔を納めに行った料理屋の名前は「ふたば」で、リンが勤める遊郭は「二葉館」だった。
特に象徴的なのは座敷童子の存在である。幼少期のすずが祖母の家で遭遇した、天井裏から現れてスイカの皮を食べていた見知らぬ少女は、物語の後半で再会する白木リンの幼き日の姿であることが示唆されている。リンが勤める遊郭の屋号が「二葉館」であるのに対し、かつてすずが海苔を納めに行った料理屋の名前が「ふたば」であるという符合も、彼女たちが妖怪的な縁によって結ばれていたことを裏付ける伏線となっている。
さらに重要なのは、これらの怪異が単なる空想やファンタジーに留まらない点である。天井裏に潜んでいた少女は、貧しさゆえに遊郭へ売られていった現実の子供であり、過酷な境遇を生き抜く過程で「座敷童子」という幻想的な皮を被ってすずの前に現れたと言える。この世界の片隅で、現実の悲劇と民俗的な怪異が溶け合うことで、本作は唯一無二の深みを持つ「妖怪映画」としての完成度となっているのだ。
「人さらい」の正体はすずの兄・要一
幼少期のすずが出会う異形の「人さらい」。
幼少期のすずと周作が広島市中心部で遭遇する「人さらい」の化け物は、物語の起点となる重要な存在である。
この「ばけもん」は、原作・映画共に「鬼」として象徴的に描かれ、物語の終盤にも再びその姿を現すが、その正体はすずの兄・要一であると考えられる。南国の戦地で戦死したとされる兄は、すずの空想の中では凶暴な「ワニ」と結婚してハッピーエンドを迎えたことになっている。そんな兄が髪と髭を蓄えた異形の姿で広島へ帰ってくるという描写は、生還への切実な願いと表裏一体の演出となっている。
幼少期のすずと兄の関係性は決して良好なものではなく、むしろすずは暴力的な兄のことを「鬼いちゃん」と呼んで嫌っていた。心理学における「昇華」のように、すずは自分にとって不都合な現実や身近な脅威をファンタジー化し、絵や物語に置き換えることで自らの心を守っていたのである。
兄が恐ろしい「鬼」として描写されたのは、彼女の主観における兄の存在そのものが恐怖の対象であったことを示していると言える。
兄の戦死が告げられる場面で、すずは「歪んでいるのは私だ。鬼いちゃんが死んで、良かったと思ってしまっている」と独白する。この切ない心理描写は、肉親の死に対して安堵すら覚えてしまうほどに、二人の関係性が冷え切っていたことを意味している。戦時下という異常な日常の中で、身内の死という悲劇を正面から受け止められない自分を「歪んでいる」と責めるすずの姿は、単なる美談に終わらない本作のリアリティを表していると言えるだろう。
『この世界の片隅に』は「いなくなった人」が姿を変えて帰ってくる物語
出典: heritager.com
「広島」という場所は、単なる地名を超えて「死んだ人のゆくところ」としての霊的な意味合いを持つ。かつての習俗では、身近な人が亡くなったり行方が分からなくなったりすることを「広島へたばこを買いにいった」と表現する符牒があった。この言葉が示す通り、この物語の随所には、ある日突然いなくなった人々が、形を変えて再びこの世に姿を現すという民俗的な死生観が流れている。
海難事故で兄を亡くした幼馴染の水原哲が、白波の中に跳ねる「白い兎」を幻視する。そしてそれは、やがて空を舞う「白鷺」となって帰還する。また、終盤に登場する戦災孤児の少女もまた、戦火で散っていった誰かの命が姿を変えてすずの元へと導かれた存在であり、かつてすずにスイカをもらった座敷童や、異形の姿で現れた「ばけもん」も同様の系譜にある。
これらの描写は、過酷な戦争によって断ち切られた縁が、目に見えない理(ことわり)によって繋ぎ直される救済のプロセスでもあるのだ。
初期のすずとラストのすずでは方言が違う
出典: kai-you.net
すずさんの方言が変わる
本作における言語表現の細かなこだわりとして、広島弁と呉弁の厳密な使い分けが挙げられる。主人公のすずは広島市江波から呉へと嫁ぐが、物語の初期とラストでは、地名である「呉(くれ)」の発音が変化している。
これは、すずが長い時間をかけて呉の生活に馴染み、精神的にも「呉の人間」へと変化していった過程を、アクセントの微妙な差異によって表現しているのである。
呉の住人となった「すず」と広島の妹「すみ」の対比
本作では広島弁と呉弁が厳密に使い分けられている。それが最も鮮明に表れるのが、物語後半に妹のすみが呉を訪れるシーンである。
軍港として激しい集中爆撃を受け、凄惨な状況にある呉の現実に対し、まだ戦火の比較的緩やかな広島から来た二人が「古着じゃが純綿よ」「スフ入っとらんの?」と明るい広島弁で言葉を交わす様子は、その場においてあまりにも異質で場違いに響く。
その後、焼け野原となった呉の街を前にしても、すみは駐屯する将校と明るくやり取りを続けるが、道端に置かれた供え物の線香の前に無邪気にしゃがみ込む彼女を、すずはただ呆然と見守るしかない。原子爆弾が投下される以前、すでに地獄のような戦災を潜り抜けてきた「呉の住人」としての視点を持つすずと、まだその真の過酷さを肌で理解していない「広島の人」であるすみ。二人の間に横たわる埋めがたい心理的距離は、日常の何気ない会話や振る舞いの差異を通じて描き出されているのだ。
四季に合わせてトンボを描き分けている映画版
原作漫画では白黒で描かれていたトンボだが、映画版では季節の移ろいに合わせてその種類が厳密に描き分けられている。
物語が夏から秋へと移り変わる中、スクリーンを舞うトンボは夏には涼しげなシオカラトンボ、そして初秋が近づくにつれて鮮やかな赤トンボへと変化していく。こうした細かな自然描写の積み重ねが、戦時下の厳しい現実を描きながらも、その背景に流れる日本の美しい四季の移ろいを観客に強く意識させる演出となっている。
広島に実在した人物が登場
出典: www.asahicom.jp
広島に実在した人が登場
Related Articles関連記事
この世界の片隅に(漫画・アニメ・ドラマ)のネタバレ解説・考察まとめ
『この世界の片隅に』とは、こうの史代の漫画作品、及びそれを原作として制作されたドラマ、アニメ映画である。漫画作品は双葉社の『漫画アクション』にて2007年から2009年にわたり連載された。 戦時下の呉を舞台に、嫁いできた浦野すずは身近な人々の死や自身の右手の喪失という過酷な現実に直面する。日常が暴力によって歪められていく中で、すずは自らの居場所や生きる意味を問い直し続ける。 ドラマは2011年と2018年に製作され、アニメ映画は2016年11月より全国公開されている。
Read Article
この世界の片隅にの料理・食事・食べ物・お菓子・飲み物まとめ
『この世界の片隅に』はこうの史代原作の漫画である。2007年から漫画雑誌『漫画アクション』で連載され、2008年には単行本も発売。テレビドラマやアニメ映画などメディアミックス作品も多数展開されている。広島から軍港の町・呉に嫁いだ浦野すず/北條すずが、第二次世界大戦のまっただ中でささやかな日常をしなやかに生きる姿を描く。すずの手料理には詳細なレシピが描かれているものもあり、当時の食生活をうかがい知ることができる。
Read Article
この世界の片隅にの名言・名セリフ/名シーン・名場面まとめ
『この世界の片隅に』とは、こうの史代による日本の漫画、及びそれを原作としたドラマ・アニメ映画である。第二次世界大戦の広島・呉を舞台に、北條周作の元に嫁いだ主人公・浦野すずの日常生活を淡々と時にコミカルに、時に残酷に描く。戦争を題材に生活が苦しいながらも工夫をこらし、乗り切る姿や前向きなセリフには老若男女問わず多くの人の心を動かし、勇気づけられるものが多い。
Read Article
夕凪の街 桜の国(こうの史代)のネタバレ解説・考察まとめ
『夕凪の街 桜の国』とは、こうの史代により2004年に発表された漫画作品。「夕凪の街」「桜の国(一)」「桜の国(二)」の3部作である。 また、映画化、ノベライズ化、テレビドラマ化など、数々のメディアミックスが展開されている。 原爆によって苦しめられながらも、幸せを感じながらたくましく生きてきた戦後の人々の暮らしに焦点が当てられており「悲惨な戦争の物語」にとどまらない優しく温かい雰囲気が魅力である。
Read Article
『この世界の片隅に』の監督・片渕須直とスタジオジブリの深い関係!実は『魔女の宅急便』を撮るはずだった!?
本記事では太平洋戦争を題材にして作られた映画『この世界の片隅に』の監督・片渕須直と、スタジオジブリとの間にある深い関係性についてまとめて紹介している。片渕は元々ジブリ映画『魔女の宅急便』で監督を務める予定だったが、スポンサーとの関係で宮崎駿監督の補佐役に回ったという過去があるのだ。記事中では『この世界の片隅に』の制作秘話やこだわった点、作品の評判なども併せて紹介している。
Read Article
【この世界の片隅に】涙腺崩壊必至!泣けていないあなたに贈る珠玉のアニメ特集【君の名は。】
最近泣いたことはありますか?泣くのは恥ずかしいことだと思っている方も多いですが、決してそんなことはありません。泣きたいときに思いっきり泣くほうが、むしろスッキリしますよ。この記事では、涙腺崩壊すること間違いなしな名作アニメをまとめました。人前で泣けないというあなたも、自宅でなら何を気にすることもないですから、たまには思いっきり声を上げて泣いてみませんか。
Read Article
タグ - Tags
目次 - Contents
- 『この世界の片隅に』の概要
- 裏設定・都市伝説・トリビアについて
- 『この世界の片隅に』は優れた「妖怪映画」でもある
- 座敷童の正体は白木リン
- 「人さらい」の正体はすずの兄・要一
- 『この世界の片隅に』は「いなくなった人」が姿を変えて帰ってくる物語
- 初期のすずとラストのすずでは方言が違う
- 呉の住人となった「すず」と広島の妹「すみ」の対比
- 四季に合わせてトンボを描き分けている映画版
- 広島に実在した人物が登場
- 撃沈される戦艦大和の乗組員が描写されている
- 水原哲の兄が亡くなった転覆事故は実際にあった
- 祖母がすずに教える「傘」の話は初夜の比喩
- すずは妊娠していない
- すみの腕のアザは原爆症
- 戦災孤児の女の子は晴美とは反対の手で母親と手をつないでいたから助かった
![RENOTE [リノート]](/assets/logo-5688eb3a2f68a41587a2fb8689fbbe2895080c67a7a472e9e76c994871d89e83.png)