【エクソシスト】元ネタのある傑作ホラー映画13選!【チャイルド・プレイ】

傑作と呼ばれるホラー映画の中には、"実際にあった心霊現象”を元ネタとするものが少なからず存在する。ここでは、『エクソシスト』、『汚れなき祈り』、『ロード・オブ・セイラム』、『死霊館 エンフィールド事件』、『悪魔の棲む家』、『エミリー・ローズ』、『チャイルド・プレイ』などの元ネタを紹介する。

「エクソシスト」

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『エクソシスト』(THE EXORCIST)は、1973年のアメリカのホラー映画。
少女に憑依した悪魔と神父の戦いを描いたオカルト映画の代表作である。本国において1973年の興業収入1位を記録した。第46回アカデミー賞の脚色賞と音響賞を受賞(後述)。
題名となっているエクソシストとは、英語で"悪魔払い(カトリック教会のエクソシスム)の祈祷師"という意味である。

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ストーリー

イラク北部で遺跡の発掘調査していたメリン神父(マックス・フォン・シドー)は、悪霊パズズの像を発見する。彼は「この邪悪な宿敵と再び対峙する日が近い」と予感する。
女優のクリス・マクニール(エレン・バースティン)は映画撮影のためにワシントン近郊のジョージタウンに家を借り、一人娘のリーガン(リンダ・ブレア)と共に滞在していた。
ジョージタウンに住むデミアン・カラス神父(ジェイソン・ミラー)は時々、ニューヨークに住む母親を見舞いに訪ねている。母親はギリシャからの移民で、ラジオでギリシャの音楽を聴いている。

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クリスはやがて一人娘であるリーガンの異変に気付く。その声は邪悪な響きを帯びて形相も怪異なものに豹変したうえ、荒々しい言動は日を追って激しくなり、ついには医者からも見放される。その矢先、友人の映画監督のバーク・デニングズが殺害される事件が発生する。死体が発見されたのはクリス宅の近くの階段であった。キンダーマン警部補(リー・J・コッブ)が捜査に乗り出す。そして、悪魔はリーガンに十字架で自慰行為をさせ、バークの声を使ってクリスを嘲笑する。
娘が悪霊に取り憑かれたと知ったクリスは、カラス神父に悪魔払いを依頼する。悪魔憑きに否定的なカラスは調査を進めていくうちに、リーガン自身からの救済のメッセージを発見する。カラスは悪魔払いの儀式を決意し、大司教に許可を求める。主任には、悪魔払いの経験があるメリンが選ばれた。メリンとカラスの両神父は、少女リーガンから悪霊を追い払う儀式を行い、悪霊はリーガンを離れてカラス神父に乗り移る。カラスはすぐに窓から身を投げ、全身を打って絶命する。リーガンと母は引っ越して街を去る。

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原作者はウィリアム・ピーター・ブラッティ

エクソシストの原作は作家ウィリアム・ピーター・ブラッティが、新聞の記事でみつけた怪奇事件を小説にしたものです。

1928年、ニューヨークにてレバノン人の両親の間に生まれる。3歳の頃、父親が家を出る。熱心なカトリック信者であった母親のもとに育ち、奨学金を得てカトリック教会の修道会であるイエズス会が運営する私立学校で学ぶ。1946年にこの学校を卒業し、イエズス会の大学であるワシントンDCのジョージタウン大学に進学する。ジョージタウン大学在学中に、映画エクソシストのもととなるメリーランド悪魔憑依事件の話を知る。ジョージタウン大学を卒業後、同じくワシントンDCにあるジョージ・ワシントン大学で英文学の修士号を得る。

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1960年代に脚本家としてデビュー、『地上最大の脱出作戦』、『暗闇でドッキリ(ピンク・パンサーシリーズの第2作)』などのコメディ作品を手がける。
1971年にメリーランド悪魔憑依事件をもとにした小説『エクソシスト』を出版。ベストセラーとなる。同時期に映画化権が売れたため、脚本の製作にかかる。1973年映画『エクソシスト』公開。1980年に映画『トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』で監督デビュー(脚本も)、ゴールデングローブ賞脚本賞を受賞した。1990年には『エクソシスト3』の製作・脚本・監督も務めた。

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それは1948年に「ワシントンポスト」紙に掲載された『メリーランド悪魔憑依事件』の記事。この記事を20年経っても忘れられなかったブラッティは当時悪魔祓いを行った助手が、悪魔祓いの日記を残していた事を知り、それを苦難の末に手にいれ1971年に映画「エクソシスト」の原作を完成させたと言われています。
メリーランド悪魔憑依事件については同様にこの日記をてに入れたトーマスBアレンと言う作家が「表意-悪魔祓いの真実の物語」と言う本で取り上げています。

*メリーランド悪魔憑依事件

メリーランド州コッテージシティ市に住む、とある少年の叔母の死が事件の発端となる。少年は一人っ子で叔母によく懐いており、ウィジャ盤(西洋版コックリさん)やタロットをしてよく遊んでいたといいます。少年は叔母の死により大変ショックを受け、ウィジャ盤により死んだ叔母とのコンタクトを試みました。
この事を切っ掛けに少年は謎の奇病に犯されていきます。さらに、祖母の死後、少年は人格が豹変し、身体に「助けて!」「閉じ込められた」などの文字や顔が浮かび上がり、彼の周辺ではでは頻繁にポルターガイスト現象がおこるようになっていったといいます。
少年の両親は困り果て病院に連れて行くが病状は治らない。ならばとプロテスタントのシュルツ牧師に救いを求めました。牧師は彼の奇病は悪魔憑きであると判断し悪魔祓いの儀式を行うが失敗してしまいます。それでシュルツ牧師はカトリック教会に悪魔祓いを依頼します。 教会はエクソシストであるヒュー神父とボーデン神父の2人を派遣します。2人は2ヶ月以上の期間にわたって30回以上の悪魔祓いの儀式の末、悪魔祓いに成功。その後少年は平穏をとりもどし幸せに暮らしたと言います。また最後に悪魔祓いを行った場所は封印され今も立ち入り禁止になっているそうです。

「ボドム湖殺人事件」

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Every camper's worst nightmare came true at Lake Bodom in 1960 when four teenagers were stabbed to death while sleeping in their tent.
彼らのテントに泊まっている間4人のティーンエイジャーが刺し殺されたとき、あらゆるキャンパーの最悪の悪夢は1960年にBodom湖で実現しました。
Director:
ディレクター: Taneli Mustonen
Taneliムストネン
Writers:
作家: Aleksi Hyvärinen, Taneli Mustonen
Aleksi Hyvärinen, Taneliムストネン

出典: honyaku.yahoo.co.jp

*1960年にフィンランドで起こった未解決殺人事件

事件は首都ヘルシンキから西に約22キロメートル離れたエスポー近くにあるボドム湖で起こった。1960年6月5日早朝(午前4時から午前6時にかけて)、湖畔にキャンプにきていた4人の若者達が何者かにナイフと鈍器で襲われ、3名が死亡、1名が重傷を負った。
ただひとりの生存者の男性は顔面を殴られ、顎と顔の骨を折られていた。

*12年後に謎の自殺者

真相がわからないまま12年。ボドム湖殺人事件の犯人であるという遺書を残し一人の男が自殺した。男は事件のあったキャンプ場の近くでドリンクを販売していた。この男は普段からキャンプ場に来る若者たちを快く思っていなかったことで知られていた。しかし、警察は彼が犯人であることを否定した(彼は事件当夜に自宅にいたことが家族、知人によって証言されていた)。

*真犯人はKGBの諜報員?

2003年には事件時近くで医師として病院に勤務していたヨルマ・パロ(Jorma Palo)がこの事件のあった日、彼は非常に怪しい男の治療にあたったと証言した本を出版した。それによると、この男はドイツ出身のKGBの諜報員ハンス・アスマン(Hans Assmann)でこの男が真犯人だが、KGB諜報員だったために揉み消されたと主張した。しかし、警察はアスマンにはアリバイがあったと主張。

*そして事件から45年後逮捕されたのは…

ryouan
ryouan
@ryouan

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