薔薇はシュラバで生まれる(漫画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『薔薇はシュラバで生まれる』とは、漫画家笹生那実氏が32年ぶりに描いた漫画。1970年は、少女まんが黄金期と呼ばれ、その頃漫画家のアシをしていた著者は多くの名作と関わりを持っていた。全体の構成を各先生方に送りご承諾をもらい、ネームが出来ると再び先生方にチェックを受け、当時の作品を読み直し、思い出したことを漫画にしていったものである。著者は漫画家のシュラバと呼ぶ過酷な仕事場で、どのように名作が生み出されていくかを見続けた。本書は、その記録である。

『薔薇はシュラバで生まれる』の概要

『薔薇はシュラバで生まれる』とは、2020年に株式会社イースト・プレスから出版された漫画であり、漫画家・笹生那実が70年代に少女漫画家のアシスタントをしていた頃の記録である。1970年代初めから1980年あたりは少女漫画黄金期と言われる。この時代に『ポーの一族』、『はいからさんが通る』、『摩利と新吾』、『風と木の詩』、『エロイカより愛をこめて』、『ベルサイユのばら』、『綿の国星』などの多くの名作が発表されている。宝塚で舞台化された作品には、『ポーの一族』、『ベルサイユのばら』、『天は赤い河のほとり』、『はいからさんが通る』などがある。『ガラスの仮面』はテレビドラマ化され、「ベルばら」の略称でも親しまれる『ベルサイユのばら』は映画化もされた。少女漫画の特徴として、若い女の子が主人公、目がキラキラして大きい、8頭身、心の内面を描いたものが多いなどの特徴がある。その当時、週刊誌、月刊誌に多くの連載を抱える漫画家の先生方は毎日仕事に追われ、それを助けるアシスタントは、先生方と一緒に食べる時間・寝る時間を惜しんで仕事を続けた。そうやってなんとか雑誌の掲載に間に合わせていた。そのピリピリとした焦りの中で働く仕事の現場を、漫画家やアシスタントの間では、シュラバと呼んだ。当時の名作はそのシュラバから生み出されていったのである。著者は作家と同じ空間を共有していたアシスタントだからこそ、名作が生まれる感動的な場面を目にすることが出来た。仕事はつらいだけではなく、そういう感動経験があるからこそ続けられたと振りかえる。彼女は、時間に追われる過酷な仕事現場をシュラバと呼ぶが、同時にそれは香しい薔薇だとも言う。これが漫画として出版されるきっかけは、同人誌即売会で著者の作品を購入したイースト・プレスから書籍化の依頼があったことからである。そこから2年9か月をかけて全体の構成、プロット、各先生がたのご承認を得てネーム、そして更に各先生方にチェックしてもらって完成したノンフィクション作品である。

『薔薇はシュラバで生まれる』のあらすじ・ストーリー

のぞき見たシュラバ

中学生時代

著者は中学生のとき、通称カンヅメ旅館(花月旅館)と呼ばれる仕事場に行き、そこで美内すずえ先生に会う。著者は毎月欠かさず美内すずえ先生にファンレターを送っていた。訪ねてきた彼女がいつもファンレターをくれる人であることを知った美内先生は快く仕事を背中から見せる。緊張する著者のために歌も歌う。曲名はたんたんたぬき。そして、ふすまの墨汁のシミを見せ、ここカンヅメ旅館は修羅場と表現する。当時の著者はシュラバとは何のことやら分からずスルーする。

高校生時代

高校生になった著者は漫画を描かなくなっていた。そこへ別マ編集長から電話で叱咤され、是非行くように勧められたのが鈴木光明氏の勉強会 三日月会だった。そこには市川ジュン先生、和田慎二先生、原ちえこ先生、山田ミネコ先生、名香智子先生、はざま邦先生、矢口高雄先生、はやせ淳先生、柴田晶弘先生、長岡良子先生、そうそうたるメンバーが出席していて、当時は皆さん19-23歳ととても若い顔ぶれだった。通っていた高校生の皆さんは、浅川まゆみさん、夢野一子さん、槇村さとるさん、あさぎり夕さん、中学生では倉持知子さん、篠原千絵さんなどなどだった。この三日月会に参加する事で刺激をうけた著者は2年ぶりに作品を投稿する。『風に逢った日』でデビューを果たした。

デビュー後

デビューした後、美内先生の仕事場でアシスタントをした。美内すずえ先生がこの時抱えていた作品は『みどりの炎』、『人形の墓』、著者はいきなり背景資料無し且つ口頭で伝えられた内容の背景を描くことになる。これは、技術が未熟な著者にとって厳しいことだった。それでも風呂にも入らず、布団で寝ない数日が経つとなんとか100ページ完成させることができた。しかし、この時、著者はこの先ずっと後悔し続けることになる大ミスをやらかすのである。それは、著者の技術が低いせいで、長いタテ線が上手に描けず、そのため顔の額のタテ線を曲がりくねった線で描いてしまう。そして修正する時間もなく、そのまま出版されてしまう。先生からは特にお叱りの言葉はなかった。著者は謝りたかったが、残念ながら、美内先生に謝る機会はすぐには来ない。結局、これを先生にお詫び出来るのは7年後になる。著者は短大生になり、また漫画制作から遠ざかっていた。そんな時、仲の良かったくらもちふさこ先生の所に押しかけ、アシ仕事をする。作中のモブや張り紙にいたずらじみた落書きを描く悪ふざけもする。くらもち先生に「バッハの楽譜を描いて」と言われる。しかし、見本の楽譜をよく探さしもせずに、著者は「バッハの楽譜はない」と返事をした。そしてバッハの楽譜の代わりにショパンの楽譜を描いてそのシーンを終わらせる。しかし、次のページの作図を見て、そのシーンがバッハをイメージしていることに気が付く。楽譜はバッハでなければならなかったのだ。著者はくらもち先生の意図が分かっていなかったことに気が付き愕然とする。しかし、その後もくらもち先生の仕事をアシストする機会はあり、著者はくらもち先生に良い影響を与える。著者はくらもち先生の代表作の一つである「蘭丸団シリーズ」を生み出すきっかけを作るのである。

職場はシュラバ

こわい話

短大卒業後に著者はフリーのアシスタントになる。当時アシが不足していた為あちこちの先生に呼ばれ、多くの仕事場にいった。それで気が付いたことは、漫画家は眠気覚ましに怖い話をすること、そして誰もが怖い話が好きというわけではないことである。漫画雑誌の編集担当者にとっては作家さんに失踪されるのも、原稿が期日に間に合わなくなるのも非常に恐ろしい事である。著者は仕事中に美内すずえ先生の居場所を問う花とゆめ編集者からの電話で緊急事態に気が付く。しかし、その直後美内先生本人が普段と変わりない様子で仕事場に現れ、失踪のような緊急事態ではない事を知り、安心する。少し前に『ガラスの仮面』の作画が間に合わず、漫画雑誌に掲載されない事態があったため、編集担当者が過剰に反応しただけだった。美内先生は「本当に失踪したのは1回ある」と白状しつつ、みんなと楽しくおしゃべりして帰っていった。著者は先生と同じ仕事場で仕事した経験から、先生は歩きながらも次の連載の展開を考えていることだろうと想像する。そして先生がその時考えていたと思われるストーリーを次巻の『花とゆめ』で確認する。美内先生は、知りえた恐怖体験を自分の作品『黒百合の系図』などに反映させる。美内先生は自分や他人が得た体験を物語に構築する力が並外れて優れていた。著者の物語の構成力は高い方ではなく、別の場所で先生から聞いたその恐怖体験の話を同僚アシにしてみると、彼女たちはそれを笑い話だと言い、誰も怖がらない。これにより大作家美内すずえ先生と自分の実力の差を感じた。ある漫画家の新居にアシに行った時の話。夜、他のアシたちとある部屋で睡眠をとっていると、大きな音で目が覚める。箪笥の上から大きな袋が落ちた音だったのだが、風もないのに落ちるのは不思議だった。しかし霊感の全くない著者は気のせいだとそのことを思い忘れていた。ところが、しばらくして友人からその新居についての情報を知ることになる。その漫画家の新居は玄関が表鬼門にあった。表鬼門が開いていると幽霊が通る道が出来、そこを魑魅魍魎が通る。あの不思議な体験は魑魅魍魎が通り過ぎた時のそれだったのかと、思い出すだけでも本当に恐ろしかった。

『天人唐草』

山岸涼子先生のアシをした時に知ったことと驚いたこと。山岸先生の漫画の特徴の一つに四角いフキダシがある。77年に『幻想曲』の時に臨時で来ていたアシさんが定規を使ってフキダシを描いていた。周りのアシさんたちはびっくりするが、当の山岸先生は描き直しの指示をしなかった。そのままこの四角いフキダシが山岸先生の作品に定着していったのである。驚いたことは、ある時、仕事中の先生が「この作品を描きたくない」と爆弾発言をした事である。その時描いていたのは『天人唐草』という作品で、発表後に少女漫画の常識を覆すと読者にすさまじい衝撃を与えることになる名作である。著者はその時なぜ先生はこの作品を描きたくないと言ったのか分からなかった。

新人漫画家の経験

70年代後半に鈴木光明先生は「鈴木光明の少女漫画教室」を設立する。ここから沢山のプロの作家やアシスタントが誕生していった。この教室設立前はデビューした作家がアシになるのが普通だったが、設立後はプロを目指す人がアシになっていく。しかしプロを目指してアシになると今度はアシ自身が自分の作品を描く時間が無くなってしまう。それでもみんなはそれ乗り越えて作品を作っていく。著者はというと、なんとか2-3作品までは描くが、その後の作品のアイデアがまとまらず描かなくなっていた。そんなときに樹村みのり先生の所にアシに行く。その時樹村先生が描いていたのは、『40-0』。これはとてもショッキングな内容の作品である。樹村先生は、なぜこれを描くのかそのテーマについて著者に話す。そして、著者が新しい作品を描かなくなっていたことに、樹村先生は「あなたは完全主義ね。それじゃダメ。新人は未熟な作品を描いても良いの。失敗作でもいいのよ。それを読者に読んでもらうことで学べるから。」とアドバイスした。樹村先生はこのように新人漫画家に自分の経験を通じて得た教訓を話してくれる。著者は残念ながら漫画家としてこの樹村みのり先生のアドバイスを生かすことはできなかったが、言われたその言葉は生涯忘れられない。

シュラバの真実

漫画制作現場をシュラバと呼ぶようになった経緯を調べる。シュラバという言葉の使い方は、おシュラ、シュラバってる、シュラしてる、など。誰が使い始めたかというと、1971年に美内先生そして和田慎二先生が使っていた。1976-77年には他の先生がたも使い始め、1978年にはどこででも通用する言葉となっていた。1979年にはLP『アシスト・ネコ』萩尾望都先生作にもなっている。著者は様々な先生の所でアシをした経験からシュラバという名に一番ふさわしい仕事場は美内すずえ先生の仕事場だろうと思う。美内すずえ先生の仕事場のシュラバ具合を紹介すると、鈴木光明先生の本『少女まんが入門初歩からプロになるまで』に美内先生の言葉として「まんが家は三日徹夜 座りきり一か月 一日半の絶食くらい覚悟しなければ」が載っている。美内先生の仕事場では、先生は睡眠は机の上で15分、食事は左手でおにぎり食べつつ、右手で仕事を続ける。〆切に間に合うように机で働き続け、立ち上がる暇もない。アシたちの仕事着は汚れておしゃれさゼロ。見かねた美内先生は新居を作った際には、そこの着替え場所や睡眠を取れる場所を設けている。おかげでその後の先生専属のアシたちはとても身ぎれいになっていた。しかし、臨時で来るだけの著者はいつも通りの汚れた仕事着姿であった。ある時著者はとうとう7年前の大失態をわびるチャンスを得る。昔、顔の額のタテ線を歪んで書いてしまった件である。著者は「死んでお詫びしたい」と言う。しかし先生は「命はいらんけど、その右腕なら欲しい」と彼女の失態を許した。著者は「こんな右腕でいいんですか!!」と感激し、長く抱えていた心のわだかまりをこの会話でとりのぞくことができた。

さらばシュラバ

1979年頃から自分の作品制作をメインにし始めていたので、アシの仕事から遠ざかっていた。ある日たまたまテレビの番組で懐かしい先生のインタビューを観た。それは、樹村みのり先生と山岸涼子先生だった。番組の中でインタビュアーは聞く、「樹村みのり先生は、初期の作品で子供たちを主人公にした作品をたくさん描かれていますね。」。樹村先生は「子供であっても大人と同じように様々な感情を持っています。その気持ちを読者に同じように感じてほしいと思って描きました。」と答えていた。著者はうんうんとうなずきながら先生が昔言っていた言葉を懐かしく思いだす。インタビュアーからの「山岸涼子先生、自分の作品で一番好きなのは?」の質問に対して、山岸先生は、「『天人唐草』です。あの作品を描いたことで自分というものをより表現できるようになりました。」と答えていた。この言葉を聞いた著者の頭の中に浮かんだのは、ヘッセの著作『デミアン』に出てくる有名な言葉だった。それは「ヒナは卵の殻から出ようと激しくもがき苦しむ。それまでの世界を壊して外の世界へ出るために」という言葉だ。先生のアシをしていた時、山岸先生が「この作品を描きたくない」とつぶやくのを聞いたのは、まさに先生が外の世界に出るためにもがき苦しんでいたその瞬間であったことにこの時気が付いたのだった。

美内すずえ先生

美内すずえ先生の仕事場でアシ仕事は、資料無しのさまざまな背景を描くといった著者が苦手とするモノも多かったが、アシをしているならではの役得なこともあった。先生はネームを非常に大事にしていて、その作成に時間も使う。ある時ネームが2つできたからアシさん読んで感想を聞かせてほしいと依頼されたことがある。こういう事は、言われたことをやるだけではなく、作品の方向性にも関わることができ、嬉しい事のひとつだった。また、美内すずえ先生のすぐ近くで働くアシだからこそ聞くことが出来る先生のつぶやきがある。
1つ目に、漫画を描いていた先生が顔を上げ遠くを見ながら一言「(『ガラスの仮面』の)マヤちゃんの髪型ってずーっと同じなのよね。月影先生の服もそう。あのドレス夏は暑いやろな。」である。
それは誰しもが思っていたけれど言葉に出来なかったことなので、アシたちは返事が出来ない。
2つ目に、テレビで百恵ちゃん結婚のニュースを観て美内先生は一言、「山口百恵ちゃんはインスピレーションをくれる子だったのよ。引退して残念。」である。
どんなインスピレーションかというと、百恵ちゃんと三浦友和さんとの「恋人宣言」を『ガラスの仮面』で「初恋宣言」という言葉で表現している。美内すずえ先生は怖い話が上手く、仮眠を取って起きて仕事に加わろうとしている著者に、幽霊の話をしたことがあった。著者が部屋に戻ると先生は「叩き起こしの霊は出た?」からその怖い話は始まる。それはおかっぱ頭でピンクのワンピースの女の子の霊の話だった。先生のお話は幽霊の話にも関わらず生き生きして想像力が刺激される。著者は、この幽霊の女の子も先生の話が聞きたくて先生のところに現れるのではとさえ思う。アシの役得は、様々な先生の近くで名シーンが誕生するのをリアルタイムで見ることが出来ること。自分もその名シーンに原稿作成という形で関わり、先生と周りのアシ仲間と共に作品を作り上げていくという熱い思いがあった。特に、美内すずえ先生の恋心の表現力は非常に素晴らしいモノがあり、著者は先生の表現方法を自分の漫画の作品の参考にした。

エピローグ

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